夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男
                                

 
 林谷昇(はやしだにのぼる)は夢を見ていた。いや、夢なのかどうか良く分からなかった。
『あれ? 自分がベットの上に寝ているぞ? どうして自分の姿が見えるんだ?』
 フワフワと空中に漂っている感じがした。
『窓ガラスの側だな。上は天井だし、外の光が眩しい。これって何だ?』

「ガチャッ!」
 ドアの開く音がした。
「昇、ご飯よ!」
 母親の声だった。

「ふう、良く寝たな。ああ、はい、今行くよ」
 母親は昇の起きた様子を確認してから、部屋を出て行った。父親は単身赴任で他県で働いている。今は母
一人子一人である。

 昇には四歳年下の妹がいるが、去年高校を卒業して、今は東京でOLなるものをして自立していた。彼はい
わゆるニートだった。いや詳しく言えば引き篭もりに近い。高校には五、六年もいて、結局中退した。

「いただきます」
 昇は少なくとも食欲だけは旺盛だった。彼は高校在学中にかなりの大病を患った経験があり、
『食欲旺盛なところを見せないと母さんが心配するかも知れない』
 そんな風にも感じていてのものだった。

「ご馳走様。今日は、兎に角散歩してくるから。お昼までには帰って来るよ」
 昇は必ず帰って来る事を強調してから出掛ける。少し遅くなると心配して探し回る恐れがあるからである。

『少しは外に出て歩く様になったわね』
 母親はパートで働いていた。北国の中規模の都市では余り良いパートの口など無いが、兄とは違って活発で
自立心の強い妹の独立のお陰で生計は何とか成り立っている。

「行ってらっしゃい、お昼は冷蔵庫の中に入っている物とかカップ麺とかで適当に食べていてね。今日は午後四
時でパートが終るけど、もしまた出掛けるんだったら鍵を掛けてから出かけて頂戴」
「ああ、分かった。遅くなる時にはケータイで連絡するから。じゃあ行ってきます」

 昇は全てに自信が無かった。高校に入ってからの学業不振。彼の入った高校は、県下でもトップクラスの進
学校だった。
 中学の時はクラスで二、三番位、学年でもトップテンにしばしば入っていたのだ。ところが高校に入ると、事態
は一変した。真ん中より明らかに下だった。

『ああ、どうしてこう成績が悪いんだろう?』
 優秀な連中が集まっているのだから当り前の事で、別に気にするほどの事は無いのであるが、彼は気にし
た。しかも焦れば焦るほどかえって成績は下がって来る。尚悪い事に半年余りの入院生活。成績はますます
下がる。遂に完全にやる気を失った。

 どん底の成績で学校にいる事は彼のプライドが許さなかったのだ。昇は学校を止めると言い出したのだが、
父親が猛反対した。その為にずるずると留年しながら学校に居続けたのだが、昇は家出の実力行使に出た。

 何度かの家出の後、とうとう父親も中退を認めた。しかし昇の精神的ショックは実は家族が考えているより
ずっと大きかったのだ。それは寝ている間に見る夢に現れていた。

『今日は、山の方へ行ってみようか。……しかし妙な夢だったな。でもあれは夢なのか?』
 今朝見た、奇妙な夢について昇は、彼なりに推理してみた。

『あれって、ひょっとすると魂が肉体から抜け出すとか言う奴なのかな? ……いや、あれはやっぱり夢だ。目
が覚めた時には、ちゃんとベットの上に居たじゃないか!
 しかし夢で外の音が聞えるのか? 確かに母さんの声が聞こえた。部屋に入って来たのが見えたぞ。 いい
や、そうじゃない。部屋に入って来たのは、自分の見ている夢だった。
 服装が違っていたし、ちゃんとドアを開けて入って来たか? 自分の直ぐ側に来た気がしたけど、あれは本
当に母さんだったか? ……ハッキリしない』
 
 結論が出ないままに小一時間ほど掛けて、真夏の日の照りつける中、山の麓まで歩いてやって来た。街中
に比べると人家はグッと少ないが、そんな所にさえもコンビニがある。
『入ってみるか? ふう、暫く涼んでから行こう』
 そう思って入った。

『あーーーっ、涼しい!』
 心地良い冷風で生き返った様な気がした。それから三十分ほど本の立ち読みをして、アイスを買ってコンビ
ニを後にした。

 外に出るとムッとする様な真夏の日差しだった。昇はアイスキャンデーを舐めながら、この後どうするか考え
てみた。 
『山道を歩いてみるか? ……やってみるか。このチョコ何とかと言うアイスは美味いな……』

 昇は何度かアルバイトをしてみたが三日とは続かなかった。いや、全く働く意欲が湧かなかった。

『高校を中退したお前はもう終りなのだ。何をやっても駄目なのだ。人間失格だ! 最早社会の底辺で生きて
行くしかない!』
 父親はそうは言わなかったが、実際にはそう思っていた筈である。父親の見る目は、諦めの目だったことか
ら、昇にはそれが良く分かっていた。
 そしてその父親の烙印を彼自身も認めていたのだ。本来なら諦める必要は無かったのだ。高校中退しても、
様々な手段が残されている。
 大検を受けて高卒の資格を取る手もあるし、公務員の資格を得る手だってある。しかし林谷家ではその事
に思い至る者は一人も居なかったのである。

『とりあえず高校位は出て置いたら? 良く聞くけど、如何にも自由な選択肢があるように聞えるけど、でもそれ
は実際には、絶対に高校を卒業しろ! と言っているのと同じで、とりあえず高校を止めておけば? 等と言う
選択肢は無いんだよね……』

 昇は一部の著名人が言っている言葉の偽善を見抜いた気がしていた。山道をずっと登りながらそんな事を
考えていた。アイスを食べ終わって、付いていた棒を持ったまま歩き続けていたのである。

『それにしても、今朝の夢は奇妙な夢だった。本当に夢なのかどうか分からなかったけど、最近少し夢が前と
は違って来ているよな……』
 昇はごく最近まで、しばしば、うなされるほどの恐ろしい夢を見ていた。

『何か、恐ろしい魔物に追われて、トンネルの中を必死で逃げていたんだよな。やっと、トンネルを抜けて助かっ
たと思ったんだ。
 そしたら白い雪の様な物が辺り一面に降っていた。でも、良く見ると、その全てが不気味な人魂だったんだよ
な。あの時はぞっとしたよな……。
 いつも何時も、そんな感じの夢ばっかりだったよな。恐怖から上手く逃れたと思っていたのに、その後で絶望
的な恐怖が待っている夢ばっかりだった……』

 過去の夢を思いだすと、気が滅入って来るので、そこで打ち切ってなるべく周囲を見回しながら、余り考えな
い様にしてどんどん山道を登って行った。

 ずっと歩いて行けば『スーハー教』という宗教団体の教会がある事は知っていた。
『百年以上の歴史があるとか言っているけど、世界の主な宗教なんかに比べれば全然短いよな。確かスーッと
息を吸って、ハーッと吐く。それが命の営みだとか何だとか、テレビのコマーシャルでやっていたよな。ははは、
全然興味が無いや』
 昇にとっては『スーハー教』などどうでも良かった。

『でもあそこは見晴らしが良いからな。今日は天気が良いから海まで見えるだろうな。良い景色だったよな……』
 彼にはその方が重要だった。そこにはずっと以前父親の運転する車で立ち寄った事があった。遠方の観光
地に行く途中の事だったが、何故か今はそこに行ってみたかったのである。

『あれ、学校があるぞ? 立て看板がある。何々、8月6日、日曜日から取り壊しの予定。ふうん、ああ、明後
日だ。こんな所に小さな学校、小学校があったんだな。
 でもなんか変だぞ。張り紙があちこちにしてある。きっと、校舎取り壊し反対とかのビラか何かだろうな。い
や、どうも違うな。二、三人が笑いながら話をしている。何を書いてあるんだろう?』
 昇は興味を感じて、校舎に寄って見る事にした。

「それじゃあ、宜しくお願いします。明日朝九時からですので」
「宗教のお話じゃないんですよね?」
「はい、『スーハー教』の金森田(かねもりた)さんと友人で、色々協力して貰ったのですが、明日のお話とは全
然関係ありませんので、誤解しないで下さい」
「いやいや、私は『スーハー教徒』ですから、むしろそっちの方が良かったんだけど、まあ参考までに聞かせて
貰いますよ」
「はい、宜しくお願い致します」

 一生懸命に、研究者らしい白衣を着た、初老の感じの背の低い男が、何かを勧誘宣伝しているようだった。
小太りで眼鏡を掛けていて頭の毛も薄い男である。どうみても金持ちには見えない。

『ぷっ! あははははっ!』
 昇はいきなり笑ったのでは失礼だと思って、心の中で噴出して笑った。
『確か、鈴本健三、とかいうアナウンサーが、もてない男の六大要素をテレビで言った事があるよな。チビ、デ
ブ、メガネ、ハゲ、貧乏、年寄り。全部そのまんまじゃないか。苦労しているね、このおじさんもきっと!』
 昇は一度は心の中だけとは言え、噴出して笑ったが、今は同情を感じていた。

『それに、チビ、デブ、メガネまでは俺と合っている。極端にチビでもデブでもないけど、年を取ったら俺もこうな
るのかな?』
 そう思うとぞっとした。しかし、幸か不幸か、そのおじさんと目が合ってしまった。

「やあ、いらっしゃい! 明日朝九時から、夏休み未来教室というのを開催するんだけど、来てみませんか? 
詳しい事はここに書いてありますから。ええと、学生さん?」
 そのおじさんはニコニコ笑いながらチラシを手渡した。

『学生さん? だってさ。俺の一番嫌いな言葉だ。もう、パスだな!』
 昇はムカついていた。そこからはそのおじさんの言う言葉は耳に入らなかった。
「……、はい、……、はい、……」
 ただ相槌だけ打って、
「どうも、じゃあ検討してみますから」
 そう言って、チラシを見た振りをしながら、気分が悪かったので山登りは中断して自宅に帰って行った。

『あ〜あ、馬鹿馬鹿しい。下らない!』
 昇はチラシとアイスの棒を、麓のコンビニのダストボックスに無造作に投げ込んで、帰宅したのだった。

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