夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                               10


 その晩も昇はテストの夢を見た。パターンは何時もと同じ。最初は必ず良く出来るのだ。そして、結局駄目
だった事が分かる。呆然と答案用紙を眺める自分。
 ただ何時もと少し違うのは隣の席に女子高生がいたことである。それと白衣を着た先生が時折回って来たこ
と。それから何故か教室の前の方に額に入った誰か分からない人物の写真があった。

『ああ、隣にいた女子高生は桜山さんだろうな。白衣の先生はケンちゃんだろう。額に入った写真は多分仏像
なんだろうな』
 目を覚ましてから見た夢の分析をした。同じ様なテストの夢を何百回も見ている内に、見た夢の分析をする
癖が付いている。
 しばしばそうやって、自分の情況を考える様になっていたのだ。その他に幾つもの夢を見ていたのだがそれ
は忘れてしまった。 

 朝食後、何時もの様に散歩に出た。特に当てはなかったが何と無く梅ノ木マンション方面へ足が向いていた。
『ケンちゃん居るかな?』
 一度マンションを見上げて、
『ここに桜山さんが居るんだな。憎ったらしい奴だったけど、喧嘩別れしなくて良かったよな』
 そう思ってから宝本賢三邸を目指した。昨夜は暗くて余りはっきり分からなかったが、今はその全容が良く分
かる。やはりかなり古いこじんまりとした二階建ての家であった。
 シャッターなどの付いていない車庫があって、中に古びた軽乗用車があるので、少なくとも車で出掛けてはい
ないことが分かった。

『あれ? あれは桜山さん?』
 午前九時位だったが、玄関先に相変わらずの制服姿で桜山林果がいた。
「ああ、あの、お早う」
 無言で側に寄るのでは、変質者みたいに思われそうだと思って声を掛けた。

「えっ、あ、お、お早う」
 ちょっと驚いた様子で、林果は挨拶をした。
「先生の所に何か用なのか?」
 昇は社交辞令的に言った。何か言わないと拙いと思ったのだ。

「ちょっと気に掛る事があって聞きに来たんですけど、お留守みたいです。林谷さん何か聞いてないですか?」
 昇の社交辞令に呼応する様に、やや義務的に言った。
「近々海外に行くとは聞いているんだけど……」
「それは私も聞いていますけど、もう出掛けたのかしら?」
「さあ、俺もちょっと聞きたい事があって来ただけなんだ」
 これは嘘だった。昇はただ何と無く来ただけだった。

「聞きたいことって何?」
「えっと、それは、……」
 昇は困った。そして咄嗟(とっさ)に、
「宝本先生は神は存在しない、人間は物質だ、と言ったけど、昨日の講義だけじゃあ、まだそこに至らない様な
気がするから、もう少し詳しく聞こうと思ったんだよ」
 漠然と感じていた事を言ってしまった。

「へえーっ、似た様な事を考えるものね。昨日あれから何を話し合ったの? 私が帰った後で」
 林果は何かとって置きの話でもあったのかと嫉妬交じりに聞いたのだった。
「えへへへ、ワインを、赤ワインを飲んだんだよ。ひょっとすると、未成年の桜山さんの前で、お酒を二人で飲む
んじゃ、都合が悪いと思ったんじゃないのかな。俺の思い過ごしかも知れないけど」
 昇は幾分優越感に浸って言った。
『男同士で酒を酌み交わす。これって深い友情の現れみたいなものだからな!』
 そんな風に感じたのである。

「ええっ! ワインを飲んだ! そ、それでどんな話をしたのかしら? ああ、立ち話もあれだから、家に来る? 
お手伝いさんが居るけど、構わないわよね?」
 林果は話の内容を詳しく知りたかった。激しいほどに負けず嫌いな彼女は、今回の講義で昇に後れを取る事
が我慢ならなかったのだ。

「宝本先生が居ないんじゃしょうがないから、行くけど、良いのかな、受験勉強の邪魔になるんじゃないのか?」
 昇はくすぐったい感情を持った。事情は兎も角、女子高生の自宅に入った事など今までに一度も無かった。
「全然平気よ。それに変なことをしようとしても駄目よ。お手伝いさんは女だけど、私のボディガードも兼ねている、
武道の達人なんですからね」
 林果は釘を刺した。

「ふん、頼まれたって、指一本触れないから安心しろよな」
 昇はムカついて言った。
「ど、ど、どうだか、……」
 マンションに歩いて行きながら、林果はちょっと慌てて言った。
『それじゃあ、私に何の魅力も無いみたいじゃないの、ムカつく!』
 そう思いながらエレベーターのボタンを押した。間も無くやって来たエレベーターに二人一緒に乗り込んだ。

『エレベーターに二人切りというのは、何か気拙いんだよな。親しい間柄だったらどうってこと無いのにね……』
 昇はそんな事ばかり考えていたが、不思議だったのは林果が直ぐ側に立った事だった。
『おいおい、スカートがくっ付いているぞ!』
 昇には林果の考えている事が少し分かった気がした。

『頼まれたって、指一本触れないっ、て言われた事がよっぽど悔しかったんだろうな。ちょっと言い過ぎたか? 
ふん、自業自得さ!』
 昇は全く平静さを保ち続けた。少し体を捻っただけで触れてしまいそうな位置にいたが、そのまま全く動かず、
一言も言葉を発しないままだった。
 幸いにも誰も乗り込んで来なかったから良かったが、もし誰かが乗り込んで来たら、随分都合の悪い事になる。
即(つ)かず離れずの状態の若い男女が、意地を張って二人とも立ち尽くしているのだから。

「チンッ!」
 エレベーターが十五階に到着した。昇が尚も動かないので、林果は横目で睨むようにして仕方無しに先に降
りた。それから昇も後に続いた。
『ふんっ! 一緒になんぞ誰が降りるか! 一緒に降りたり、自分から先に降りたりしたら、うっかり触ってしまう
事もある。それで『やっぱり触った!』とか言うのに決まっている。その手は食わないんだよ、アホ!』
 昇は今日も林果を心の中で罵ってしまったのだった。 

「小姫さん、林果です。今日はお友達も一人連れて来ました。開けて下さい」
「はい、どうぞ!」
 ドアの所に付いているインターホンでそんなやり取りをしてから、ドアは開錠された。
『チェックが結構厳しいな!』
 昇は自分の家に比べてそう感じたのだった。

「お邪魔します」
 と言いながら、
『おおお、でかい!!』
 真っ先にそう感じた。昇は、普通の女性向のズボンと、Tシャツを着たお手伝いさんの背の高さと体格の良さ
に、ちょっとビビりそうになった。
 身長は百八十五センチ位。体重は百キロを越えているだろう。昇の身長は百七十センチを少し切っている。
林果の身長は昇より少し低い位だった。

『これじゃあ、襲われたら俺の方が一たまりも無い!!』
 そう思うと、ぞっともしたが、何と無く可笑しくもあった。
「ははは、いやあ、女子プロ……」
 つい、女子プロレスラーなのかと聞きそうになって慌てて口をつぐんだ。

「うふふふ、良いのよ、女子プロレスラーか何かかと聞きたかったんでしょう? もう慣れていますから。でもプロ
レスラーではありません。真理円武会(しんりえんぶかい)という総合系の格闘技の団体に属しています。
 アマチュアの団体なので、こうしてメイドの仕事などをして働きながら格闘技の勉強をしているんですわ。ああ、
どうぞ、こちらへお座り下さい。お嬢様は今普段着に着替えて来ますから」

 昇は予想はしていたが通された居間の中は立派な調度品が多かった。壁に掛った時計もかなりゴージャスな
感じだった。
 座ったソファもすわり心地が良かったし、テーブルも何とも重厚な感じで、掛けられたテーブルクロスも如何に
も高そうである。

「お待たせしました。あのう、何か飲む? 確かカフェオレが好きだったわよね?」
 快活な感じのGパンに白っぽい半袖のシャツらしきものを着た林果は、制服姿の時とはちょっと別人の様な感
じだった。がり勉のイメージだったのに、意外にプロポーションが良く、胸もかなり大きく張り出している。
「あ、ああ、うん、それで良いよ。カフェオレで」
 昇は一瞬、林果に見とれた自分を恥じて、気持ちを切り替える様にして言った。

「じゃあ、小姫さん、カフェオレ二つお願いね。後は好きにしていて良いわよ。そんなに長く掛る訳じゃありません
し」
 林果はテキパキと指示を出した。如何にも慣れている感じだった。

「あのお手伝いさんは、小姫さんって言うんですか?」
「ええ、片岩倉(かたいわくら)小姫。うふふふ、小さな姫って書くから、てっきりちっちゃな女の子かと思っていた
ら大きくてビックリした記憶がある。
 彼女は総合系の格闘技の女子の部で、二年連続で準優勝なのよ。念の為に言っておくけど、世界大会なのよ。
今年こそは優勝をしようと張り切っているのよ。
 でもアメリカにジェーンっていう強力なライバルが居て、彼女に二年連続で決勝戦で負けているのよね。それ
にある意味私ともライバルなのよ」
 林果は目を輝かせて言った。

「ライバル?」
 昇には意味が分らなかった。
「お互いに女子ナンバーワンになるという意味よ。私は全国模擬試験で女子で二番だった。菊野池佳奈美(きく
のいけかなみ)っていう子が、何時も私の上にいるのよ。
 この間の模試では私は全国で十番目、彼女が八番目だった。いつも一番か二番上なのよね。それが悔しく
て、毎日猛勉強しているんだけど、この頃少し疲れて来たのよね。もうギブアップしそうなのよ」
 思い掛けない弱音を、林果は昇に吐いて見せたのだった。

『これだけ勉強が出来ても悩みがあったんだな。しかし俺にそんな事を言ってどうする積りなんだ?』
 昇には林果の気持ちがこの時はさっぱり分からなかったのである。
「お待たせしました。ホットミルクとシュガーはお好みで入れて下さい。それじゃあ、少しの間失礼します。用事
が御座いましたら、呼びに来て下さい」
 小姫はお盆に載せて来た、二人分のマグカップに半分ずつ入れたコーヒーや、温めたミルク、コーヒー用の
シュガーとを置いて、若い二人の邪魔にならない様に、といったそんな感じで、静かにその場を去って行った。し
かしその直前、一瞬じっと見た目にはかなりの警戒心がある様にも、昇には感じられたのだった。

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