夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「ああ、勿論良いですよ。林谷君も行くよね一緒に?」
「え、は、はい。その、先生の、いえ、ケ、ケンちゃんの家で良いですよ。そこから家まで歩いて五分とは掛らな
いですから」
昇も遠慮しがちに、しかし愛称で言った。
「まあ、それじゃあ兎に角、立派とは言い難い車だが乗って下さい。明日取り壊すといっても、一応鍵は掛けま
すから。じゃあ、行きましょう」
「あ、あのう、その、ケ、ケンちゃんの自宅と言うのはちょっと。ゴキブリとかが出るんでしょう?」
林果はやや青ざめて言った。
「さっきはしょっちゅう出る様に言ったけど、本当は月に一度出るか出ないか位なんですよ。徹底的に駆除しま
したからね。去年位までは確かに酷かったけど、一大決心をしたんですよ、ひょっとすると一人暮らしの我が家
にも、誰か大切なお客さんが来るかも知れないと思いましてね」
「ええっ! 一人なんですか? 奥さんとかお子さんとかは居ないんですか?」
林果はちょっと驚いて言った。全く予想していなかったのである。
「父親、母親、連れ合いと、五年位の間に次々と病気で亡くなってね。二人居る子供は、長男と次男なんだけど、
二人とも海外で所帯を持っちまってね、おいそれとは帰って来れないんですよ。
はははは、立ち話が長くなったな、それじゃあ、お二人とも家に来て貰えませんか? 簡単な夕食ですけど食
べて行きませんか? 夕食と言ってもインスタントラーメンを煮るだけなんですけどね」
三人は賢三の軽乗用車に乗り込みながら話を続けた。若い二人とも助手席は遠慮して、後部座席に座った
が、軽乗用車の後部座席は頗る狭い。今回は林果は右に、昇は左に座ったのだが、
『また、端っこに思いっ切り寄るんだろうな……』
昇はそう思っていた。しかし今度はそうしなかった。かなり無造作に座ったので、スカートの一部に昇のズボン
が触れていたのだが、別に何も言わなかった。
『変だな、どうしたんだ?』
何も言わなければ言わないで何だか気味が悪かった。賢三は二人がシートベルトを締めたことを確認してか
ら車を走らせた。
「一人暮らしだと不便なんじゃありませんか?」
林果は何だかおばさんみたいな感じで賢三を気遣った。
「もう慣れました。今は年金暮らしなので、質素にしていさえすればまあ、何とかやって行けますからね。最近は
若い頃に研究していた事を、こんな形で皆さんにお知らせしようと思っている訳ですよ。
その他にあれやこれやの趣味で結構忙しいんですよ。その、スーハー教の金森田君ともたまに会って話しを
したりする事もあるしね」
「あのう、何と無く納得いかないんですけど、ケンちゃんは神様の存在を信じていないんでしょう? でも、その金
森田という人は信じているんじゃないんですか。意見がぶつかる事はないんでしょうか?」
林果は常識的な事を、改めて聞いた。
「はははは、彼とは幼馴染である事の他に、共通の趣味があるのですよ。宗教の話は余りしないから別にどう
と言うことはないんです。さてそろそろ着きましたよ」
流石に車は早い。十分かそこいらでもう到着である。車を車庫に入れて、そのまま室内に入れる様になって
いる。
部屋に入る時に靴を脱いで、廊下は来客用に用意してあったスリッパで歩いて行った。二人は居間に通され
たが、思いもかけない写真がそこに飾ってあった。
「えええっ!!」
昇も林果も大声で叫んでしまった。壁に幾つも飾ってあったのは仏像の写真だった。
「はははは、驚きましたか? 金森田君と私のこれが共通の趣味なんですよ。私は無宗教の人間、彼はスー
ハー教の人間。
二人とも仏像とは無縁だと思うでしょうが、そう思う人はまだ私の考えを十分に理解していないのです。何度
も言うようですが、私の考え方は、宗教やイデオロギー等と特に関係がある訳ではないのです。
私が目指しているのは、科学的事実の探求であって、それ以外の事に関しては、一切関知しないのですよ。
幸いにも金森田君は私と何度も話し合って、そこの所が良く分かっている訳です。
私が阿弥陀如来(あみだにょらい)像や弥勒菩薩(みろくぼさつ)像等の仏像に興味があると言ったら、彼も
そうだというので、意気投合したのですよ。じゃあ、そこのソファにでも座って待っていて下さい。今、ラーメンを
煮て来ますから」
賢三は少しウキウキした感じで台所の方に行った。
「た、たまげたな。ああ、そうだ、電話して置かないと……」
昇はチラッと林果を見ながら、部屋の隅で小声で自宅にいる筈の母親にケータイで電話した。居場所と夕食
をご馳走になってから帰る事を伝えた。
母親はなるべく早く帰る様にとだけ言って、電話は終った。林果もまた同様の電話を自宅で待っているお手伝
いさんにしているらしい。
「へえーっ、この写真の仏像、なかなか良い姿だね」
昇は何気なくそう言った。
「林谷君、仏像の事が分かるの?」
林果が珍しく罵ったりせずに、まともに聞いた。昇はちょっと面食らったが、
「ああ、特に好きと言うほどじゃないけど、嫌いじゃないんだよね。何と無くしっくり来る」
昇は正直に言った。
「ふーん、そうなんだ。私は全然興味は無いけど、ちょっと不思議ね。林谷君は神様の存在を信じていないんで
しょう? そういう人が仏像が良いと言っているのに、神様の存在を出来れば信じたい私が、仏像に殆ど興味
が無いのよね。何か変な気がするわね、ふふふっ!」
林果は珍しく笑って、少し首を捻って考えていた。それから間も無く、
「お待たせしました。ベーコンとキャベツの入った、我が家特製のインスタントラーメンをご賞味下さい」
賢三が大きなお盆に三つ丼を載せて、ちゃんと割り箸まで付けて運んで来たのだった。
「ふう、美味しい!」
「これは本当に美味しいわね。そっか、ベーコンとキャベツを入れるとこんなに美味しくなるのね」
昇と林果は思ったほどは暑くない室内で、出されたラーメンを絶賛しながら食べたのである。賢三は二人の
食べっぷりを満足気に眺めながら、自分も勢い良くラーメンを啜ったのだった。
「さあ、さあ、食後のデザートはアイスクリームで行きましょう。今夜はこれでお開きと致しますが、何か聞きたい
事があったらどうぞ。
近い内に、私は旅行に出ますのでね。久し振りに、息子に会いに行って来ますから、当分は会えないと思うの
で……」
「あのう、ちょっとあれなんだけど、この仏像も本当はロボットなんじゃないんですか? つまり自分というものが
無くて他存在の集合体なんですから。すっかり人間そっくりという訳じゃないけど、人間に近い姿をしていますか
らね」
昇の質問は鋭かった様である。
「はははは、昇君、やっぱり私の思った通り君は実に良い勘をしているね。ところでもうそろそろ、午後八時に
なるところだ。幾ら直ぐ側でも、夜道の女性の一人歩きは感心しない。桜山君は帰った方が良いな……」
結局、林果は賢三の言葉に従って、何度か丁寧に礼を言いながら自宅のマンションに帰って行った。
「それじゃああれだね、林谷君にはもう一つ二つ聞きたいんだが、ロボット、アンドロイド型をもう少し拡大解釈
したらどうなるだろうね?」
賢三は妙だと感じられる位意気込んでいた。
「ええと、つまり、……あのう、アニメもそうじゃないのかな。それとその、今思いついたんだけど、テレビとかビ
デオの中の人や生き物もそう言えるかも知れない。
例えばこの間のニュースで有名な歌手が亡くなったとか言って、その姿が、歌を歌っている姿が放映されてい
たけど、あれは他存在の集合体で、明らかに生きていないから、広い意味でロボットになるんじゃないのかな、
アンドロイド型の」
「うん、よく気が付いた。例えばテレビアニメで過激なエッチシーンや暴力シーンは認められていないけど、それ
は同じ意味になる。アニメなのだから明らかに作り物だし、そこに生きた人間は居ないのにも拘らず、厳しい制
約がある」
「つまりそれが『杜子春の限界』の為なんですね? それが作り物だと分かっていても、本能はそれを識別出来
ない」
「そうそう本当に君は良く分かっている。ところで君は二十歳を過ぎているよね?」
「えっ、ま、まあそうですけど」
昇は賢三が急に話しの方向を変えたので少し戸惑った。
「とっておきの赤ワインがあるんだが飲まないか? いや、是非飲んで欲しい。私は近々海外に行って、暫くこ
こを留守にするからね、当分は会えそうもないから、送別会代わりに一緒に祝杯を挙げて欲しいんだよ、どうか
な?」
「あ、ま、まあ、少し位なら、良いですよ」
賢三の強い勧めで、昇はワインを飲む事にした。
「乾杯!!」
摘みはサラミだけだったが昇が過去に飲んだどのワインより美味しかった。暫く飲んでから、午後九時近くに
なって、やっと昇は帰宅出来たのだった。勿論何度も礼を言ってから帰宅したのである。
「ウィ、た、ただ今!」
「お帰り。随分遅かったのね。あら、酔ってるの?」
「ああ、先生の所で、ワインも飲んで来たからね。は、話が弾んでね」
「だ、大丈夫な人なんでしょうね?」
母親はちょっと怪しんだ。
「全然。とても良い人で、でも近い内に旅行に出掛けるらしいから、えっと、送別会という事で、一緒にお酒、ワ
インを飲んだんだよ。す、凄く美味しい赤ワインだった。ふうう、ちょっと、酔ったから、その、お休みなさい」
「ああ、お休み。明日は私買い物に出て来るから、何時もの様に、出掛けるんだったら鍵を掛けて行ってね。夕
方くらいまでには帰れると思うから」
「ああ、分かった。ちょ、朝食は八時位?」
「ええ。それで午前十時のバスで行って、それから吉野宮(よしのみや)さん達と一緒にお昼を食べて、デパート
でじっくり買い物をして、午後三時位のバスで帰って来ますからね。一時間やそこいら時間がずれるかも知れ
ないけど、良いわよね?」
「う〜ん、了解っ!」
昇は直ぐベットに潜り込んで眠ってしまったのだった。