夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「さて、邪魔者は居なく、ああ、ははは、いいえ、そんな事を言うんじゃなかったわね。ミルクの量は自分で調整
してね。お砂糖もね」
 林果の態度が急変したのが昇にはますます理解し難かった。
「あ、ああ、分かった。俺から先に入れても良いのかな?」
 昇は戸惑ったまま林果に言った。

「勿論よ。お客様ですから、どうぞお先に」
「じゃあ、失礼します」
 昇はちょっと緊張して、ホットミルクとグラニュー糖をスプーン二杯入れた。

「それで良いの? もっと遠慮なく入れても良いわよ」
「ああ、じゃあ、もう少し」
 昇は相変わらず緊張した状態でミルクを入れたが今度は入れ過ぎて、溢れそうになった。
「ああ、ちょっと格好が悪いけど、すくって飲むよ」
 昇はぎこちなく、しかし零したりしない様に懸命に、溢れ掛けたカフェオレを何杯かスプーンで飲んだ。

「ふう、どうやら大丈夫だ」
 昇は冷や汗を掻いたが、一滴も零さずに飲む事が出来てホッとしたのだった。
「ふふふ、案外器用なのね。まるでアニメの『のぼっ太君』みたいだわ。黒ブチの眼鏡を掛けているし」
「な、なん、何でそうなるんだよ」
 昇は慌てて否定しようとした。

「だって、『のぼっ太君』は勉強が出来ないのよ。林谷君は出来る?」
「うっ、それはその、……」
「それに昼寝の名人なのよね。昨日の眠りっぷりは結構凄かったわよ。誰にも真似が出来ないわよ、違ったか
しら?」
「ううっ、しかし、昨日はたまたまであって、……」
「『のぼっ太君』は運動音痴なんだけど、昇君はどお?」
「い、今はあれだけど、中学校の時は良い方だと思ったけど、……」
「今は駄目なんでしょう? 『のぼっ太君』は、のんびりしているのよね、昇君はどお?」
「うううっ! そ、それは、……」
 昇は今まで一度も自分が、駄目人間の見本の様な、アニメの『のぼっ太君』と同じだと思った事は無かったの
だ。しかし指摘されてみると、意外に良く似ている事に驚く他は無かった。

「それに決定的な事が他にも幾つかあるのよね。例えば名前なんだけど、『のぼっ太君』の名前は、『木谷の
ぼっ太』、昇君は、『林谷昇』、名前まで良く似ているわ。
 そして最後に、『のぼっ太君』は、全てにおいて駄目な訳ではないわ。変に器用な所があるのよね。私が不思
議だったのは、先生が、宝本先生が、どうして貴方を高く評価するのか分からなかったのよ。
 でも、今の、カフェオレの飲み方で少し分かった気がするわ。アニメでもそうなんだけど、ここぞという時に意外
に鋭かったりするのよね。
 ねえ、ワインを飲みながら何をお話したのかしら? 教えてくれない? 昨夜早く帰って来て、随分後悔した
わ。
 もっと粘れば良かったと思って、余り眠れなかったのよ。それで今朝、少し早めに先生の所に行ったんだけど、
留守だったし……」

「大した話はしていないよ。先生の、宝本さんの講義にはまだまだ続きがあるけど、研究は発展途上だというこ
と位かな。後こんな話もした。文章も広い意味ではロボットの様なものだってね」
「えええっ! 文章がロボット? はははは、有り得ないわね。昇君はどう思うの?」
 林果は苦笑しながらも、念の為に聞いてみた。

「俺は有り得ると思うよ。無生物であって、生命を感じさせるものであるという意味ではね。もし読むだけの一方
通行だから駄目だと言うのなら、アドベンチャーゲームの様に選択肢があれば良い。
 考えてみるとロボットの行動も似た様なものだろう? 二者択一とかで行動を選択するんだから。それに『杜子
春の限界』があるから、例えば、文章だけのゲームだとしてもアダルトの制約がある。いや、文章だけでもアダル
トの制約があるだろう?
 これは人間だけの制約だと考えられる。相手がロボットかどうかで思い悩むのは、ほぼ人間だけだと言っても
良いと思えるからね。チンパンジー位になるとちょっとどうなのかな? まあ、そんな話に終始したんだけどね」
 本当はもう少し色々話をしたのだが、面倒臭く感じて言わない事にしたのだった。

「へえーっ、無意味な気がしないでもないけど、そういうことだったんだ。極端に進展があった訳じゃなかったの
ね。ふう、ちょっと安心した。それで、先生は何処へ行ったのかしらね。まさか、もう海外に行ったのかしら?」
「うーん、それは分からないな。先生が居ない事は今朝初めて知ったんだし、海外に行く準備にしては、車が
あったよね?」
 車庫には出入り口にシャッター等の扉が無かったので、車が残っているのは一目瞭然だった。  

「そっか、昇君も知らないんだ。じゃあ、朝のコーヒータイムはこれでお仕舞ね。追い出す様で悪いんだけど、こ
れで帰ってくれないかな? 私、これから勉強するのよ。女子ナンバーワンを目指してね」
「ああ、分かった。ど、どうも、ご馳走様でした」
「お粗末さまでした。じゃあね!」
「さよなら!」
 昇は結局、誰にも見送られずに林果の部屋を出たのだった。何と無く寂しかった。

『ふううっ、受験勉強じゃ仕方が無いよな。あああ、だけど何か虚しいな……』
 昇は時計代わりのケータイを見た。
『十一時少し前か。結構長く居たな。……意外に綺麗なんだな、プロポーションも良いし。凄く良い人じゃないけ
ど、そう悪い奴でも無いな……』
 昇は桜山林果を随分見直したが、関係が遮断されると、妙に寂しかった。

『仕方が無いな、兎に角少し考えてみよう』
 昇は家に帰ろうかとも思ったが、一人で家に帰っても、虚しい気がして、たまたま近くにあった喫茶店に入って
みた。店は午前十一時開店だったのでまだ始まったばかりだった。

「いらっしゃいませ」
「コーヒー、ホットで」
「かしこまりました」
 型通りのやり取りで数分でコーヒーが来た。

『それにしても俺が、『のぼっ太君』と良く似てるって? くそう馬鹿にしやがって! いや、馬鹿にした訳ではない
か。確かに昼寝をしたよな、何度も。あれは拙かったな。
 それに全然気付かなかったけど名前まで似ているんだよな、参ったね本当に。でも、良い所があるって言って
いたよな。あれって誉めているのか? まあ、多少は、か……』
 そこで二番目に入って来た中年男性をチラッと眺めて、コーヒーを飲んでまた考え始めた。

『これから何をする? そうだな、仕方が無いから、またあの小学校へでも行ってみるか。確か今日から取り壊
すんだよな。
 取り壊す様子を確認してから家に戻ろう。おっと、その前に昼食だよな。何処で取る? ああ、あのコンビニ
で取れば良いよな。歩いて小一時間位掛るからちょうど良いだろう』
 昇はその喫茶店『夕焼け空』で一時間ほど過ごしてから、取り壊す予定の小学校へ向った。その前に山の麓
のコンビニに入って昼食を取った。

『今日はがらがらに空いているな。うーんと、何の弁当にしようかな? まあ、無難に鮭フライ弁当にしよう。こう
いう時に座る場所があるのは有り難いよな』
 昇は殆ど客の居ないコンビニを独占する感覚で弁当を美味しく食べた。しかし妙に虚しかった。
『変だな、どうしてこう虚しいんだ?』
 虚しさの理由が分からないままに昇はコンビニを後にした。

「あれ? 何だ?」
 思わず昇は声に出して言った。小学校の所に大勢の人だかりが出来ているのだ。パトカーも居る。取り壊し
用の車両等はあるが、作業は始まっていないようである。

「昨日ここで講義をした先生が殺されたらしいよ」
「いや、自殺だと聞いたぞ」
「いいや、事故死なんじゃないのか? 階段から落ちたらしいよ」
 野次馬らしい何人かが、まるで違う見解を話し合っていた。恐らく死因がハッキリしないのだろう。

『な、何だって、先生が死んだ? そ、そんな筈は無い! いや、しかし、自宅にいない理由が分かる。辻褄が
合う。でも、車が自宅にあったぞ。歩けない距離じゃないけど、あれだけ酔っていて、どうしてここにわざわざ歩
いて来る?』
 昇には宝本賢三の死は受け入れられなかった。信じたくなかったのだ。

 暫く見ていたが、埒が明かなかったので、
『桜山さんにも知らせた方が良いんじゃないのかな?』
 そう思って、山を降り始めて間も無くだった。

「あのう、林谷昇さんですね」
 昇は何時の間にか、数人の男達に取り囲まれていた。
「警察の者なんですが、ちょっとお話をお伺いしたいのですが、……署までご同行願いませんか?」
 男は警察手帳らしき物を提示して、昇に同意を求めた。目付きはかなり鋭い。自分の周囲は気が付いてみる
と七、八人もの男達が取り囲んでいた。全員の表情が険しかった。

「あ、あのう、何の事でしょうか?」
 昇は警察の連中が何か勘違いしているのだと思いたかった。
「宝本賢三さんをご存知ですよね?」
「は、はい」
「大怪我をして倒れている所を、解体工事に来た関係者の人が見つけたのですが、彼が病院に運ばれる途中、
救急車の中でしきりに貴方の名前を言っていたんですよ。
 それと貴方は昨日ここで賢三氏と話しをした、彼の講義を最後まで受けた人の一人だと聞いていたものです
からね。何か気付かれた事が無いか、少しお話を伺いたいのですが。是非ともお願いします」

 丁寧な言い方だが、
『下手をすると、重要参考人とか容疑者にされてしまうかも知れないぞ!』
 そう思うと心臓がバクバクした。
『ううむ、誰がやったんだろう? まさかスーハー教の人達が……』
 激しい怒りをぶつけて去って行った連中の事を思い出していた。
『そうだな、俺には先生を襲う理由が無い。話せば分かって貰えるだろう!』
 昇はかなり躊躇した後で、
「わ、分かりました。行きます」
 やっと了承したのだった。

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