夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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折角の菱目川吉野の提案だったが、それから約二週間ソードは姿を現さなかった。体調がすぐれないと言っ
て、幾つかの予定もキャンセルした。
付き人達は大いにやきもきしたのだったが、十一月初旬のある日の朝、ソードは本来の派手目のデザイン
のローブ姿で元気良く歩いて登場した。
その日は幸か不幸か吉野の休みの日だったので、結局誰もソードの秘密の部屋の向こうの事については聞
けなかった。それよりもその日は重要なイベントがあった。
『ソード先生を囲む家族の会』というSH教の信者との言わば懇親会であるが、少々厄介なのは、子供も一
緒に来て質疑応答する事であった。
怖いのは子供の質問だった。大人と違って遠慮などしないし、難問奇問が続出する事さえある。テーマは自
由と言う事にしてあるので、質疑応答の約二時間は地獄の二時間になるのかも知れないのだ。
しかしソードは敢えてその企画に乗った。ある新聞社が半日の拘束で五百万出すと言って来たのである。
勿論その様子は放送され、しかも質疑応答の主要部分は生放送だった。
「子供達との質疑応答の部分が特に生放送では、荷が重過ぎる。辞退してはどうか?」
と金森田からもクレームがあったのだが、
「自分の力を試す為にも是非にお願いします!」
とソードは頑張った。
「絶対にしどろもどろになって、SH教の名声を汚す事の無い様にな」
と言う金森田代表の条件の下、ソードは番組出演を了承する事が出来たのである。
「それでは輝ける日本の星、数多くの世界記録を持つ、世界ナンバーワンアスリート、SH教準代表ソード・月
岡先生です、どうぞ!!」
午後五時から始まったその会合の司会は、ソードにとって馴染み深いコンポン君だった。場所は東京都内
のある一流ホテルの大広間。
ソードは一段高い壇上のイスに座って、選ばれたSH教の家族と一緒に、会食と質疑応答をする事になって
いた。
一段高い壇上をソードは嫌ったのだったが、
「ソード先生のお姿を是非見ながらお話したい」
というSH教の家族の強い要望だったので断り切れなかったのだった。壇上のソードの前にもテーブルがあっ
て、飲み物や、夕食も出される事になっていた。
「ウウウオオオワワワワワーーーッ!!!」
ソードの人気は圧倒的だった。大人から子供まで総立ちで大歓声と万雷の拍手で出迎えられたのだった。
「いや、ど、どうも」
ソードは照れ臭そうにしながら、やや顔を赤らめてイスに座った。
『ああ、良心が痛むな。皆、偽りの輝きに騙されて絶賛しているのだ……』
正直言って辛かったが、
『今はまだ公表すべきでない』
そう考えて、耐え忍ぶ事にしたのである。
「はははは、ソード先生、お久し振りで御座います」
コンポンが親しげに笑いながら言うと、
「はははは、そうですね。今日はお手柔らかにお願いしますよ」
ソードは無難に返した。そのあと午後六時までに、会食などを終えて、午後六時半から、ソードにとって厳しい
生放送の質疑応答の時間となった。
「それでは泣く子も笑う、ソード先生の何でも相談教室!!」
一々大袈裟に言うのは、コンポン君の常套手段である。
「はははは、皆さん、どうぞお手柔らかにお願いします。答えられそうな問題を出して下さい。宿題の答え等に
は答えられませんので宜しくお願いしますよ」
ソードが言うと、
「アッハハハハハ!!」
会場中が大笑いをした。なかなか良い雰囲気である。
「それでは、ソード先生に質問のある方は、元気良く手を挙げて、指名されましたら、お名前とご職業、学生さ
んの場合は学年を仰って下さい。ではどうぞ!!」
コンポン君が勢い良く始めたのだった。
「はい!!」
一斉に、特に子供達の手が挙がった。
「それでは、そこの、学生服の君!」
「青木幸太郎(あおきこうたろう)、中学二年です。あのう、どうして勉強するのですか? どうしても勉強しなく
てはいけないんですか?」
やや青白い顔のその少年は不満そうに言った。
「さあ、どうして勉強するんでしょうか? 先生、お答えをどうぞ!」
コンポン君の勢いは相変わらず良かった。しかし答えは普通ならかなり難しい。しかしソードは慌てずに直ぐ
に答えた。
「君は勉強が辛いのかな?」
「…………」
少年は答えなかった。
「では、一般的な答えを言いましょう。その答えは『無知は罪である』からです。例えば多少の物理学の知識が
あれば、プールの水を出し入れする、吸い込み口が、とても危険である事は、特に説明されなくても分かります。
今年の夏に、悲惨なプールでの人身事故がありましたが、管理責任者達にはその知識が無かったようです。
またプールの監視員においても同じ事が言えました。
学校における知識なぞ何の役にも立たないという人がいますが、それは全くの間違いです。今の例を始めと
して役に立つ事は山の様にあります。
日常的に最も役に立つのは、数値計算です。例えば八百グラム313円のケチャップと五百グラム238円の
同じメーカーのケチャップとを買うとすれば、どっちがお得でしょうか?
この問題は小学校の算数の知識で十分に解くことが出来るのですが、皆さんどうですか? 今の例は実際
のス−パーでの例です」
ソードはスーパーに勤めていた頃の知識を披露した。スーパーの店員は自分の勤めるス−パーで買い物を
して、様々な知識を吸収したり問題点を見つけて提言する事が、言わば義務であったのである。
少し間があってから、別の少年が挙手をした。
「ハイ、じゃあ、そこの青っぽい服を着た少年、名前と学年を言ってから、答えを言って下さい」
「村井翔喜(むらいしょうき)、中学三年です。今の問題は、五百グラムの1.6倍が八百グラムなので、五百グ
ラムの方の値段を1.6倍すると、380.8円となります。従って、八百グラム313円の方が67円位お得にな
ります」
翔喜少年は自信満々で言った。
「はい、正解です。でも今即座に返事がありませんでした。つまり直感だけでは分かり難いので、その、村井
君はどうやって計算したのかな?」
「はい、ケータイの電卓機能で計算しました」
「なるほど。でも即座に直感では分からなかったでしょう?」
「はい、得らしいとは思いましたけど、はっきりとは分かりませんでした」
「そうでしょう? もっと微妙な場合もありますから、その種の計算の仕方を知っていると、日々の少しずつの
お得が、積り積もって、大変な額になる事もあります。
まあ、そればかりではありません。先ほど言った様に命に関わる事さえ沢山あります。その例は皆さんで探
してみて下さい。驚くほど沢山あるものですよ。
知っていれば助けられるのに、知らなければ助けられない。うっかりすると、知らない為に人を殺してしまう
事さえあるのです。
『無知は罪だ』とはそういう意味です。少しでもその罪を減らす為に私達は勉強しなくてはならないのです。
ただ、青木君はそういう意味で質問したのではなさそうですね。勉強がとても辛い状態なんでしょう?」
ソードは優しく言った。
「…………」
幸太郎は相変わらず答えなかった。
「幸いな事にご両親も来られているようですから、言っておきましょう。今月中に、教会の学習問題研究室に
いらして下さい」
ソードの言葉に、両親が慌てた。
「あ、あのう、どうしても行かなければならないのでしょうか? うちの子は成績も良いですし、一流高校に入れ
ると先生が太鼓判を押しているのですが」
先ず母親が自慢げに言った。
「幸太郎は勉強ばかりでなくスポーツも良く出来ますし、健康面にも十分気を配っています。今のままで特に問
題があるとは思えませんが……」
父親も面子(めんつ)に懸けて言った。
「今のご両親のお答えから、私は問題ありと判断します。お二人ともお子様の心を見ていない。自分達の満足
感を述べているだけで、幸太郎君の苦悩を知らない。
教室に来る必要があるのは、幸太郎君よりむしろ、お父さん、お母さん、あなた方の方なんですよ。必ず来
て下さい。仕事を休んででも来ないと、近い将来お宅の家庭は崩壊します。
仮に崩壊しなかったとしても、恐ろしい事件に巻き込まれる可能性が高いですし、何よりも幸太郎君は一生
不幸になります。お子様を不幸にしたいですか?」
ソードの言葉には何処か実感の籠った迫力があった。彼の高校での苦い経験が生きているのだ。
「わ、分かりました。必ず伺います。その節には宜しくお願いします」
父親はソードの権威に逆らえなかった。いや、今、ソードに逆らえる者は、少なくともSH教の信者の中には
殆どいないのである。しかもこの場合、ソードの言葉に、明らかに理があった。
少なくとも父親には、『自分達の満足感を述べているだけで、幸太郎君の苦悩を知らない』という言葉が胸に
突き刺さったのである。
「わ、分かりました……」
母親には、良く分からなかったが、周囲の状況から渋々承知したのだった。
「さーーーーっ!! それでは一つの問題が解決しましたので、次の質問に行きましょう!!」
コンポン君は暗い感じになった、大広間の雰囲気を明るくする為に、敢えて、次の質問に素早く切り替えたの
である。何しろ生放送である。のんびりしていられないのだ。
「はい!」
直ぐ大勢の少年、少女や、大人も挙手をした。
「じゃあ、そこの眼鏡を掛けた女の子! 名前と学年を言って下さい。それから質問をどうぞ!」
「あのう、秋葉(あきば)カネエと申します。高校二年です。あのう、宇宙の大きさはどの位なんですか? この
質問は拙いですか?」
カネエという女子高生は自信無さそうに言った。