夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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そのままでは頭から落ちて大怪我をする事になるので、アカツキは咄嗟に両手を床について、それを防ごう
とした。その瞬間だった。
「キエーーーーッ!!」
鋭い気合と共にソードはアカツキの体の中央目掛けて両足飛び蹴りを決行した。逆立ちの格好でバランス
を取るのが精一杯だったアカツキはなす術が無かった。まともならば大怪我は必定である。
「ドンッ!!」
激しい音がして、アカツキの体は五メートルほど吹飛ばされてしまった。しかしごく少数の者だけは気が付
いていた。
ソードは僅かに足を縮めて、ダメージが少なくなる様に、言わば手加減していたのである。その事を誰より
もアカツキが知っていた。
「バァーーーンッ!!」
アカツキは何回転かしながら、やがて畳の上にうつ伏せに叩きつけられて止った。
「ウウウウッ!!」
蹴られた腹部の激痛と、全身の打撲とで、半ば気が遠くなりながらも、それでもアカツキは起き上がろうとし
た。が、
「それまで、ソード選手のTKO(テクニカルノックアウト)勝ち!!」
最早戦える状態ではないと判断して、ハヤブサがソードの勝を宣言してしまったのである。
「タンカ!!」
ハヤブサは大声で要請した。アカツキは結局起き上がることが出来なかった。医療班は今日は何時に無く
病院送りの重傷患者が多いことに驚いたが、
「大抵はソード・月岡選手にやられた選手達だ」
と聞いて納得したのだった。
『何しろ世界一のアスリートだ。格闘技だってきっと世界一に違いない!』
そう思ったのである。
「いやー、驚きました。パワーといい、スピードといい、技のきれといい、正に一流の格闘家です。たった今から
アハーラ拳法、五段格を名乗ることを認めます。お疲れになったでしょうから、一休みして下さい。三十分ほど
したら今度は私が相手を致します」
ハヤブサはいよいよ自分の番だと覚悟を決めた。しかし、
「その、殆ど疲れていないので、直ぐに試合をして貰えませんか?」
ソードは休憩を断ったのである。
「よ、宜しいのですか? ……分かりました。それでは着替えて参りますので少々お待ち下さい」
ハヤブサは今は審判員らしくワイシャツを着ていたのである。アハーラ拳法では原則として審判員はワイ
シャツに蝶ネクタイをする事になっていた。ソードが試合を直ぐするというので、大急ぎで更衣室に走って行っ
た。
『まだ少し疲れが残っている。その間に決着を付けてやる!』
そう思った。なりふり構っていられなかったのである。
同様に審判員らしい格好でライジンが待機していた。今から既に相当の決意が伺える。間も無くハヤブサが
道着を身に着けてやって来た。凄い形相である。
「ソード五段格、ハヤブサ六段、互いに礼、始め!!」
「リャーーーーッ!!」
ライジンの試合開始の宣言が終るか終らないかのうちに、ハヤブサは仕掛けた。激しい気合と共に、とび蹴
り、続いて嵐の様なパンチの連続。東京支部長の面目に懸けても負けられないのだ。
しかしソードは的確に防御している。相手の力量を冷静に見計っている様だった。一分ほど殆ど一方的にハ
ヤブサが攻撃していたが、
「ドリャーーーーッ!!」
ソードの一際大きい気合があって、
「バシィッ!!」
ほんの僅かな隙を突いて、ハヤブサの胸部にまともに鉄拳が突き刺さっていたのである。
「ウガッ!!」
ハヤブサの気力も体力も彼の肉体を支え切れなかった。
「ウウウウッ!!」
片膝を着き、歯を食いしばって起きようとしていた。
「立てるか!!」
ライジンはファイトを促した。
「お、おう!!」
辛うじてハヤブサは立ち上がったが、
「バシィッ!! バシィッ!! バシィッ!!」
情け容赦なく、ローキックが見舞われた。ハヤブサは防戦一方となった。立っているのが精一杯で、反撃を
するどころではないのである。
「それまで、ソード選手のTKO勝ち!!」
ライジンは最早これまでと断を下した。確かにこれ以上の戦闘は無駄である。傷口が広がるばかりである。
「それでは、いよいよ最後に私との試合ですが、休まれなくても宜しいですか?」
ライジンは相当の覚悟は勿論の事、
『もし自分が負ける様な事があったら、ソード先生にはアハーラ拳法の代表者になって貰いたいものだ。しか
し引き受けて下さるだろうか……』
その様な心配までしていたのである。
「それでは着替えて参ります。ああ、その、審判は女性が致しますが、それでも宜しいでしょうか?」
ライジンは思い掛けない事を言った。
「女性?」
「はい、今日は都合があって遅れて参りましたが、少し前に日本に到着したと連絡があったものですから」
「ええっ、海外からわざわざやって来たのですか?」
「はい、是非、ソード先生にお会いしたいと言って、急遽日本にやって来ました。といっても日本人なんですよ。
ただ色々あって、最近私共のアメリカのマッサーズ道場に入門した者なのです。
ここは言わば女人禁制の部屋なのですが、彼女は別格です。女子の控え室に来ているそうですので、今着
替えてから一緒に連れて参りますので少々お待ち下さい」
ライジンは一通り言うと小走りに着替え室に向かった。
『ふうむ、誰だろう? まさか……』
ソードには出来れば出会いたくない女性が一人いた。
「お待たせしました。こちらが、先ほど申しました、片岩倉小姫君です」
ソードの嫌な予感は当ってしまった。最も苦手な女性である。しかし今は初対面なのだ。
「あ、あのう、片岩倉小姫です。宜しく」
小姫は握手を求めた。彼女にとっては尊敬してやまない男らしい。
「ソード・月岡です、宜しく」
ソードは如何にも初対面らしく握手してみせた。内心では未だにビクついている。
『もう絶対俺の方が強い!!』
そう思うのだが多少逃げ腰になっている。トラウマは未だに続いていたのだ。
「それでは、試合を始めます。ソード・月岡選手は今から六段格です。それからライジン七段、互いに礼、
始め!!」
小姫も下はズボンで上はワイシャツに蝶ネクタイ姿だった。直ぐ側に小姫がいると思うと、気が気ではない
ソードだったが、試合開始と共に、ライジンだけを見詰めて戦闘モードに気持ちを切り替えた。
「アリャーーーッ!!」
今までと違ってソードの方から攻勢に出た。
「バスッ! バスッ! バスッ! バスッ! ……」
重いパンチがライジンの防御を打ち砕く。太い頑強そうな彼の腕が見る見るうちに腫上って行って、ついに
出血が始まった。余りに凄まじい彼のパンチは事実上防御不能だった。
『このままでは腕が使い物にならなくなる。くそうっ!!』
ライジンはそう考えて、
「ウリャーーーッ!!」
渾身の力を込めて反撃を開始した。腹部に何発もの強力なパンチが命中した。会心の一撃だった筈である。
多少は痛そうな素振りを見せるかと思いきや、
「まだまだ!!」
ソードはそう叫ぶと、更に強力なパンチを繰り出して来た。ライジンはとうとう腕が痛くて防御し切れなくなっ
たのである。
「ハリャーーーッ!!」
ライジンの腕の防御が甘くなった所で、ソードの会心の一撃が腹部にめり込んだ。
「ウウウッ!!」
堪らずライジンはダウンした。ボクシング等の様にカウントなどは無く、状態を見て試合続行かどうかは審
判が決めるのである。
『腕の出血が酷い。肉が裂け始めているわ。これ以上やったら骨に達する。終りね!』
小姫の判断は数秒で決った。
「ソード選手のTKO勝ち!! 腕の怪我が酷い。治療の方お願いします!」
小姫は的確な指示を出した。手馴れている様である。
「ほーーーーおっ!!」
感嘆の声が上がって、それから遅ればせに、
「パチ、パチ、パチ、パチ、……」
観戦していた有段者十数名が盛大に拍手した。しかし内心は複雑なものがある。
『アハーラ三人衆が負けてしまって、この道場は、いやアハーラ拳法そのものは一体どうなるんだろう?』
そんな不安があった。どうやらその疑問には小姫が答えるようである。
「本当にお見事な勝利でした。おめでとう御座います。それでは皆さん、今日の段位特別審査会は終了です。
ソード選手には、後ほど八段位を差し上げます。
アハーラ拳法の最高指導者になって頂きたいのですが、ご都合も御座いましょう。これからの事は随意お
話し合いを持ちまして決めて行きたいと考えております。
今日の所はどうぞお引取り下さい。あのうここまでがライジン先生からの伝言で御座いました。皆様有難う
御座いました。どうぞお帰り下さい。今後の事は追ってご連絡申し上げますので」
小姫はライジンに言われた事を忠実に遂行している様である。
「じゃあ、私共も着替えをしてから帰らせて貰いますよ。宜しいですね」
ソードは何か物足りなさを感じながら帰ることにした。
「はい、今日は本当にご苦労様でした。あのう、近い内に、連絡致しますので、宜しくお願いします。ただ、ア
ハーラ拳法の指導者の件是非、ご検討下さい。
ソード・月岡先生が最も指導者に相応しいですわ。私にも是非お教え下さい。なにとぞ宜しくお願い致しま
す」
小姫は丁寧な口調で自らも教えを乞うた。
「うーむ、私はアハーラ拳法の指導者になる積りは無いのですが、まあ、考えておきましょう」
ソードは少し考え込みながら道場を後にしたのだった。