夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「あ、あのう、どうされたんですか?」
 綾香も起き出して来た。ただならない雰囲気に気が付いたようである。
「はははは、そのう、ああ、ここを片付けてからにしましょう。良いよねユウカリさんとその、菱目川さん」
 栄太郎はかなり慌てて言った。

「はい、そうしましょう」
 ユウカリは直ぐ答えたが、吉野は何も言わなかった。間も無くテーブルの上が片付くと、改めて座りなおして
栄太郎が男の責任とばかりに言い出した。

「菱目川さんが私と結婚したいと言い出したんです。形ばかりであっても結婚の約束をして貰えれば、その、
汚れる覚悟が出来ると言って。まあ、無理も無い様な気もするのですが……」
 栄太郎は言葉尻を濁した。ソードの命令に背く様な気がしたのだ。

「ううむ、しかし、ユウカリさんはどうします? ユウカリさんだって汚れるのですよ。……仕方が無いですね、
ではこれが最後だと思って下さい。
 リタイヤしたい人は名乗り出て下さい。勿論裏切り者になる。しかも相当に秘密を知りましたので、SH教の
名において無期懲役の刑に処します。
 しかし生きては行けますし、汚れずに済む。無期と言っても、実質十五年で地下の収容所から出る事は出
来るでしょう。
 ……寛げる時間を与えた私が悪かったのかも知れませんね。もう一度言います。どうしますか? 止めます
か? 行きますか?」
 ソードは最後の最後の通告をした。

「わ、私は行きます。可哀想な女の子達を助けます。彼女達には頼れるものは何も無いのですから。一人で
も二人でも助けたいと思います」
 ユウカリはもうすっかり覚悟が出来ていた。

「あの、私も行きます。も、もし、ソード様が汚れろと言うのなら、汚れても構いません」
 今度は綾香が言った。自分だけが汚れ役でないのが気が引けている様子だった。
「……私は、私は嫌だ、行きたくない。無期懲役でも構わない。行かない。駄目よ、怖くて行けそうにも無いわ」
 とうとう菱目川はギブアップした。彼女のここまでが限界だったのだろう。

「そうか、しかし私は行く。悪いが結婚の件は諦めてくれ。別に嫌いと言うのじゃない。しかし今は生死の境目
に居る。もし生きて戻れたら、その時はもう一度考え直してみるよ。それまでは保留と言う事にしてくれ」
 栄太郎の腹も決った。

「それでは、綾香さん、そこの引き出しに手錠があるから、気の毒だが、吉野君に掛けなさい」
「はい」
 綾香は吉野の腕に、引き出しから取り出した例の双眼鏡型の手錠を掛けた。身内をどんどん捕らえて行く
と言うのは何か妙な感じだった。しかし気持のあやふやな者を連れて行っても、足手纏いになるばかりである。
ソードは非情に徹した。

「本来ならもう少し休養を取ってから、最後の行動に移る筈だったのですが、事情が変わりました。綾香さん
クローゼットから適当にそれらしい服を見繕って着替えて下さい。私も着替えますから。ああ栄太郎さんの服
はそれじゃちょっと拙いですね。
 ええと、今設定をお話します。私と綾香さんは友人と言う事で、私は遊び人で綾香さんは通訳も兼ねている
ということにします。
 それから栄太郎さんは日本語が分かる射撃のコーチの人と会って貰います。既に話はつけてありますので、
射撃のし易い服装にして下さい。彼にみっちり仕込んで貰って、後は彼の指示通りに動いて下さい。
 それからユウカリさん、服装は後で取り替えますからそのままで良いです。貴方もコーチの女性にみっちり
仕込んで貰います。彼女も日本語も出来ますから安心です。その後のことはそのコーチの指示に従って下さ
い」
 ソードは手短に指示を出した。しかし吉野にだけは何も言わなかった。

 少し経って、準備は万端になった。ソードはサングラスを掛けて軽めの変装をした。日本では超有名人になっ
たソードだったが、アメリカではまだそれ程有名ではないのでそれで十分だった。
「さあ、行きましょう。ああ、吉野君にはここに残って貰う。直ぐ後で、研究員達がやって来るから、彼等の指示
に従いなさい。
 従わなければ射殺される事もあるから気を付けた方が良い。それじゃあ、皆行こうか。吉野君は大人しくイ
スに座っていなさい。研究員は十分以内に来る筈ですから」
 ソードは最後は吉野に相当気を使って部屋を後にしたのだった。他の者達もソードに続いた。吉野は唇を
噛み締めて皆を見送った。

『何だか吉野さん可哀想!』
 ユウカリは吉野に同情した。否、綾香も栄太郎もソードですら同情はしていたのだ。しかし、
『今回は仕方が無い。皆にもいずれ分かる時が来る。いや、もう直ぐに……』
 ソードは自分にそう言い聞かせて、じっと耐える事にした。

「今から、そっちに行くから。少々問題があって、早くなった。一応想定時間内だから準備は出来ているだろう
ね?」
 ソードはケータイで行き先で待っている者に連絡を取った。

「それじゃあ、歩いて47階に行くから。そこの47号室だ。つまり4747号室になる。分かり易い番号だろう?」
 ソードは少しおどけて見せた。暗く重い雰囲気を少しでも軽くしたかった。
「あのう、研究員の人は直ぐ行くんですよね? 一人ではちょっとあれですから」
 栄太郎は吉野の身を気遣った。

「もう向かっていますよ。途中で出会う筈です。彼等にカードを渡す必要がありますからね。その為に歩いて行
くのです」
「ああ、そうなんだ、手回しが良いんですね」
 ユウカリは感心した。
「ああ、彼等ですよ。でも挨拶はしない様に。彼等とは他人なのですからね。知らん振りをして通り過ぎて下さ
い」
 階段を降り始めて間も無く下から上がって来る、会社員風の男女五、六人の集団があった。

「………………」
「………………」
 互いに一瞥もしなかったが、中央の一人の男に、ソードは素早くカードを手渡した。男はそれを一瞬の早業
でポケットに仕舞いこんだ。
 仮に監視カメラがあったとしても見破れない位手際良く、かつ何処からも見られない様に手渡したのである。

「でも、カードを持っていたとしても、人が違っては拙くないんですか?」
 栄太郎は常識的なことを聞いた。
「はははは、そこがここのまあ、良い点なんでしょうね。『同一のカードである事』が、このホテルの全てなので
すよ。言い難い事ですが、あのカードは同じ物がもう一枚あります。
 ……売春婦が持っているんですよ。正確に言えばそのオーナーがね。客の要望に応じてこのホテルのどの
部屋にでも自由に出入り出来るという訳です」
「な、なるほど。でも危険なんじゃないんですか? 客の留守の間に悪さとかしないんですか?」
 栄太郎は気を回して言った。

「はははは、それは大丈夫です。一般客のカードは自由に持って歩けますが、コールガールのカードはオー
ナーが厳重に管理していて、客の要望が無い限り使用出来ませんから。
 それに用が済んだら直ぐにオーナーに返す必要があります。そこいら辺が厳重だから、評判が良いのです
よ。まあ、変な話なんですがね」
 ソードは余り嬉しくは無さそうだった。ユウカリに気を使って、売春婦を敢えてコールガールと言い換えたり
したのである。栄太郎もその事に気が付いて、それ以上は探求しなかった。

「4747号がありましたわ、ふふふっ!」
 ちょっと嬉しそうに綾香が言った。
『えへへへ、4747(夜な夜な)いやらしい事をするのかしらね』
 ちょっと卑猥な想像をしたのである。普段はそんな事をこんな場面で想像する女性ではなかったのだ。強い
ストレスは性欲を著しく減退させる事もあるが、逆に強力に高める事もある。場所柄が場所柄だけに情欲が
一時的に激しく高まった様だった。

「何が面白いのかしら?」
 ユウカリは綾香の笑いの意味が分からなかった。男二人には直ぐ分かったが、無視する事にした。
『下手に突っつくと尚更危なくなる。時間が経てば直ぐ元に戻るさ』
 そう感じたのである。

 ドアをノックすると少し間があってから、
「二月二十四日は何の日ですか?」
 と、女の声。
「16777216」
 ソードは間髪を入れずに8桁の数字を答えた。予(あらかじ)め決めてあった暗号だった。
「ガチャッ!」
 一瞬の間があってからドアは開いた。

「どうぞお入り下さい」
 声はしおらしかったが、姿は肌も露な超ミニスカートのアメリカの白人女性だった。一見して娼婦と分かる。
「お邪魔しますよ」
 ソードは一言言ったが、綾香、栄太郎、ユウカリの三人は女性の姿と香水のきつい匂いとに言葉を失った
ようである。部屋の中にはまだ他に数人の男女が居た。

「先生、良くいらっしゃいました。いよいよ決行されるんですね。ご健闘お祈り致しております」
 ソードに会っただけでその部屋に居た者は皆感激しているようだった。
「ああ、時間も無いので、直ぐに次の段階に移る。もう少し寛ぐ積りだったが、時間を与えたのが拙かったよう
だ。裏切りが出てしまってね。だから今直ぐ訓練に入る。宜しく」
 ソードは性急に事を運ぼうとしていた。これ以上人員を減らしたくなかったのだ。

「それじゃあ、早速であれなんだけど、ユウカリさん私に付いて来て。別室で男の人と実地訓練をするから。
大丈夫、皆私達の仲間ですからね。ただ私達は面が割れていて、例の場所に侵入出来ないのよ。分かるで
しょう、その意味が」
 娼婦らしい女が言うと、
「はい、分かります」
 ユウカリは青い顔をしながらソードに一礼して、女の後について部屋を出て行った。

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