夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「大黄河選手の状況、次の試合の時間が切迫している事を考えに入れまして、直ちに決勝戦を開始致しま
す。大黄河選手は勿論宜しいかと思いますが、ヤン選手は宜しいでしょうか?」
相生方アナウンサーは切羽詰って、ヤン選手に同意を求めた。本来ならば、ここで小休止の後、決勝戦に
臨む決意などを二人にインタビューしてから試合開始の筈だった。
「イエス、ワタシハ、カマイマセン」
かなりたどたどしい日本語だったが、意味は通じているようである。
「有難う御座います。ヤン選手、日本に来るということで、日本語の特訓をして来たと聞いております。忙しい
合間を縫って僅か一月の特訓だったとか。いや、大したものですね。それでは、フラッシュ暗算の決勝戦を
始めます。用意、スタート!」
いよいよ最終決戦が始まった。
「……、大黄河選手後がありません。正解しているのですが、二位が多く、現在マイナス4点。ヤン選手、マイ
ナス1点。さあ、次はどうか! 用意、スタート!」
相生方アナウンサーは時間を気にしながら、競技の進行を務めている。
「おっと、今まで殆どミスの無かったヤン選手、ミス! 対戦者が二人の場合は一人がミスして正解者一人の
時は、自動的に正解者は一位となります。従ってマイナスポイントは付きません。
ただしヤン選手、解答が早かったのでマイナス2点の加算となって、合計マイナス3点。さあ、いよいよ正念
場となって参りました!
大黄河選手にも僅かながら、本当に僅かですがチャンスが出て参りました。……さあ、行きましょう、ふう、
用意、スタート!」
会場内の興奮が相当に高まって来ていた。
「……、両者正解! 大黄河選手、百分の一秒差でトップ。あああ、とうとうマイナス4点ずつで並びました!
さあ、泣いても笑っても、次で決着が付きます! 行きますよ、用意、スタート!」
最後の一問が出題された。
「大黄河選手、解答は早かったが、ああああ、痛恨のミスです。不正解。ヤン選手、にっこりと微笑みながら、
今解答を入力しました。優勝はヤン、えええっ! 違います不正解です! えっと、これはその、予想外の結
果ですが、この場合の勝敗はどうなるのでしょうか? 普通に考えれば大黄河さんの優勝ですが、いや、しか
しこの場合は……」
相生方アナウンサーは戸惑った。
「現在、大会本部の方で検討中です。結果が出るまで暫くお待ち下さい」
係員がそう伝えた。実は厄介な規定が一つあった。
「えーっ、普通の場合は大黄河選手の優勝と考えられるのですが、しかし次の規定があります。『マイナス5
点に達した者は直ちに失格となる』という項目があります。
つまり二人とも失格になる訳です。マイナス5点もマイナス6点も、大会規定によれば区別しません。しかし
最後の最後、決勝戦の最終問題で両者失格になる事は、大会本部でも予想していなかったようです。
もし公正を期するのならば、引き分け再試合と言う事にしても宜しいかと思うのですが、如何(いかん)せん、
大黄河選手には時間がありません。
情報によれば、既に第二試合が始まったと聞いております。今行かなければもう間に合わないでしょう。ど、
どうしましょうか!」
アクシデントに強い筈の相生方アナウンサーだったが、こればっかりはどうにもならなくて、大いに焦ったの
だった。
「あのう、済みませんが、格闘技の会場の方へ行っても良いでしょうか。もし、それで負けになるというのなら、
それでも構いません。
世界のトップレベルの人と互角に渡り合えたのですから、それでもう十分に満足ですから。本当に申し訳ない
のですがそうさせて下さい」
夕一郎はもうイスから立ち上がって、ドアの方を見ながら係員に言った。
「えっと、私の独断ではちょっと、ど、どうしましょうか?」
係員も大いに困った様子である。
「はい、ええと、分かりました。ここは私の責任で、大黄河さん、どうぞ格闘技の会場の方へ行らして下さい。
後の事はお任せ下さい。あの、負けで宜しいんですね?」
相生方アナウンサーは念を押して聞いた。
「はい、それで結構です。じゃあ、失礼します、ヤン選手どうも有り難う!」
夕一郎はざっと礼を言うと、格闘技の会場に走って向かって行った。だがその姿を見た一同は、ぞっとする
様な寒気を覚えた。
超人的なスピードで走って行ったからだった。一部始終はテレビで放映され、全国の視聴者達に衝撃を与
えたのである。
しかし無作法にもそこでコマーシャルが入った。興醒めするほどの長々としたコマーシャルだった。
「せめて、後十秒位大黄河選手の後姿を追っても良いだろうに、いきなり切ってしまうとは失礼極まりない!」
全国から、その様な抗議の電話やメールが殺到した事は言うまでも無い。
「さあ、いよいよ皆様お待ちかね、大黄河選手の格闘技への挑戦が始まります。えー、これも本来なら、他
の種目が放映される予定でしたが、急遽決った次第です。
格闘技の方は準決勝からの放映予定だったのですが、大黄河選手を映せという視聴者の皆様の熱いご
期待に応えるべく、支局長の定川由三(さだがわよしぞう)が首を覚悟で決断致しました。
先ず試合のルールですが、試合時間が五分間になったことを除けば、概ね予選と同じです。尚一回戦は
五分ですが、準決勝は十分、決勝は十五分と試合時間の方は段々長くなります。さて実況は先ほどまでフ
ラッシュ暗算の会場におりました、相生方アナウンサーが急遽務める事となりました。アクシデント続きで人
のやり繰りが上手く行きませんので、場慣れした彼に頼む事になった模様です。では、会場の相生方さん、
どうぞお願いします!」
コンポン君も多少目眩(めまい)がするほど予定が大幅に狂っていた。
「はーい、いや、本当に忙しいです。結局、先程のフラッシュ暗算は、大黄河選手の棄権という事で、ヤン選
手の優勝が決りました。ヤン選手優勝おめでとう御座います。
さて、今度は格闘技の世界一を決定する大会の準々決勝です。既に準決勝に進出する三人は決っており
ます。特筆すべきはやはりゴッドマンでしょう。総合格闘技の世界的に知られた、フランスの強豪、ピエール
選手を圧倒して勝ちました。
凄まじい力、その力で相手をねじ伏せてしまいました。特にその握力が物凄く、予選の時と同様、握られた
だけで相手は悲鳴を上げていました。恐るべき握力の前には技もひったくれも無いと言った感じでした。
あともう一人、ミスターR選手が強かった。今大会優勝候補ナンバーワンとも言われる、アメリカの打撃系
格闘技の世界チャンピオン、アーノルドと互角に渡り合い、僅差ですが判定勝ちをして場内をアッと言わせ
ました。
もう一人の覆面挑戦者ミスターHは残念ながら、プロレス系の強豪、ミスターノックアウト選手に、正にノック
アウトされて負けてしまいました。
しかし終了ゴング寸前まで頑張ったその脅威の粘りは強さは、大いに会場を沸かせたものです。ああっと、
ここで無情にもコマーシャルです。では暫し中断です!」
相生方アナウンサーは再び楽しげに言っていたのだが、コマーシャルに入る時には少し渋い顔になったの
だった。
「本当に、本当に申し訳御座いません。もう試合は終ってしまいまして、録画したものを放送致します。試合
はたった十秒で終ってしまいました。ええ、その、どうぞ御覧下さい」
コマーシャルが終って、会場の模様が映し出されたのだがリング上には誰もいなかった。次の準決勝まで
は一時間ほどのインターバルがある。テレビには録画で試合の模様が放映されたのだった。
「さあ、準々決勝の最終第四戦は、我等が大黄河選手とヨーロッパの格闘技界の貴公子、ハーマン選手で
す。彼も優勝候補の一人です。さあ、いよいよゴングです!」
「カーン!」
ゴングと共に審判が試合開始を告げた。
「バシィッ!!」
目にも留まらぬ、大黄河選手のローキックが、まともにハーマン選手の左足首の少し上に当った。ハーマン
は油断していたのである。身長百九十センチの彼から見れば、夕一郎は殆ど子供だった。
『マトモニアタッテモ、ビクトモシナイトコロヲ、ミセテヤロウ』
そう思ったのだ。しかしそれは甘過ぎる考えだった。
「ボキッ!」
ハーマン選手の足の骨が折れてしまったのだ。そのスピードから推定される、二トンを超える大黄河選手
のローキックには、相手が人間である限り、誰も耐えられないのである。
ましてひょろひょろと背の高い彼の脚は脆かった。勿論それは大黄河選手のローキックだったからであっ
て、並の選手のそれだったら、恐らくは何とか持ち堪えていたのだろう。
「オオ、ノーーーッ!!」
彼は絶叫して激痛に転げ回ったのだった。直ぐタンカで場外に運び出され、救急車で病院に運ばれて行っ
たのである。その模様の放映が録画だったので、またまた抗議が殺到したのである。
「本当に、生放送出来なくて申し訳御座いません。まさか十秒で終ろうとは、流石に私も予想出来ませんでし
た。全く申し訳御座いません。えーっ、準決勝の模様は予定通りに放映されると思います。それでは、変則新
体操の会場、どうぞ!」
そこからは暫く大黄河選手とは関係のない競技が続いた。そのせいだろうか視聴率はぐんと低かった。
「お色気で、視聴率を稼ごうとしたんだけど、全然当てが外れたな。殆どの視聴者が大黄河選手を出せと
言って来ている。
いやあ、しかし参ったねえ。随分長くこの業界にいるけど、ここまで色々アクシデントがあったのは今回が
初めてだよ」
コンポン君は芳樹や河本アナウンサーと、次の番組までのコマーシャルの間に、そんな雑談をしていたの
だった。