夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「多分個室で何か薬でも飲むとか、酸素吸入器を使うとか、兎に角何かやったんだと思うよ。ただ、流石にト
イレの個室の中までは撮影出来ないしね。おっと、そろそろ女子の潜水競技の時間だ。明日は俺はお休み
だけど、芳樹も休みだよな?」
「ああ、まあ、指紋照合は明日の午後、家でやるから家に来ないか? ボロアパートだけどさ」
「分かった、そうするよ」
二人の相談はまとまって、臨時のスタジオに戻って間も無く、女子の潜水競技が始まったのだった。
「キュル、キュル、キュル、キュル、……」
女子の潜水競技は残念ながら、大した記録は出なかったが、殆どヤラセの様なオッパイポロリや水着スケ
スケ、うっかり水着が脱げてしまってスッポンポン事件等が適当に散りばめられて、無事(?)終了した。
その辺りから何かずっと競技場内には幾分耳障りな音が鳴り響いていたのである。しかしテレビ画面では
今年最後のコマーシャルが延々と続いていたのだった。
「後、約十分で新年が来ます。さあ、私共の放送も、もう一踏ん張りの所までやって来ました。皆様競技場の
上の方を御覧下さい!」
コンポン君が言うと、カメラは上方に向けられた。
「わあーーーっ! 綺麗な星空ですね。ええっ! ここって、上に屋根があったのでは?」
河本アナウンサーが何かわざとらしく言った。
「はははは、もう見え据えた事を。そうです、超巨大な屋根はしかし、開閉式なのです。先程から何かキュル
キュルって感じの音がしていたのはその為だったんですよ。
でもテレビを見ていた人にはお分かりにならなかったかも知れません。相当長いコマーシャルが入ってい
るうちに屋根はすっかり開いてしまって、かなりの寒気が入り込んで来ています。
でも、カウントダウンのセレモニーと花火の打ち上げが終ったら、直ぐ閉じられますので大丈夫です。ほん
の一時寒さに耐えて下さい。
さあ、これから最初は三十秒毎にそれから五分前からは二十秒毎、更に二分前からは十秒毎に花火が打
ち上がり、午前零時から約五分間、壮大な空中の光のショーが展開されます」
コンポン君が言い終わった頃に最初の一発が打ち上がった。それと同時に殆どの照明が消され、あちらこ
ちらにある巨大スクリーンに、デジタル表示の時計が刻一刻と秒読みを始めていた。
「ドーーーンッ!!」
「わあーーーっ!!」
花火が光の大輪の花を空中に咲かせると、拍手と歓声が湧き起こった。打ち上げは競技場の中から行わ
れていたのだった。
「10、9、8、7、6、5、4、3、2、1、新年おめでとう御座いまーーーす!!」
会場中が声を合わせて新年へのカウントダウンをして、新年の挨拶をしたのと同時に、
「ド、ド、ド、ド、ド、ドオオオオーーーーーンッ!!!」
大小の打ち上げ花火や仕掛け花火が、真冬の寒さを忘れさせるほど、眩(まばゆ)く光り輝き続けたので
ある。
ほんの五分の間に数千発の花火が、息つく暇もないほど続け様に打ち上げられ、殆どの人々は夢でも見て
いるかの様な陶酔感に襲われて、何か物悲しい感傷的な気分にさえなって、うっとりとその短い時間を味わっ
ていたのだった。
「キュル、キュル、キュル、キュル、……」
気が付いてみると、花火は終り、巨大な屋根は徐々に閉じられつつあった。消されていた明かりは、屋根が
閉じると共に徐々に灯されて、しっかり閉じてしまうと、まるで真昼の様な人工の明るさに戻っていた。
「本日のメーンイベントは、予定を一部変更致しまして、競技場中央に設けられました、特設リング上で行わ
れることになりました。午前零時三十分試合開始に予定が変更になりましたので、ご了承下さい」
場内アナウンスが今日の最終イベントの予定変更を伝えていた。場内はかなりざわついた。今頃になって
寒さが身に染みてトイレに立つ者が大勢いたからである。
「さあ、私達もリングサイドに移動しましょう。お客さん方には申し訳ないのですが、私共が実況を担当します
関係上、えーっ、役得で御座いますね。予定が変りましたのでそうなってしまいました」
コンポン君や河本アナウンサー、相生方アナウンサー、本来中継する筈だった新宅アナウンサー、更には
もうお役御免の筈の吉喜沢アナウンサーまでリングサイドに陣取って、雑談、いや、中継する事になったの
だった。
「えーっ、ここで改めまして、ルールを解説致します。詳しい説明をどうぞ、新宅アナウンサー」
リングサイドのイスに座った、コンポン君は一旦立ってからルールの説明を求め、それから座り直したのだっ
た。新宅アナウンサーはずっと立ちっ放しで中継を続ける様である。
「はい、それでは解説致しましょう。時間が十五分である事と、主な禁じ手等は同じなのですが、若干補足の
説明が御座います。
それは場外に落ちた場合です。私共の検討では、決勝に残った二人の間では、恐らく非常に激しい攻防
になるのではないかと考えておりまして、場外に落ちる場合も有り得ると結論付けました。
その場合、落ちたのは本人の責任という事で、ノックアウトのカウントを数えます。カウントテンで負けとさせ
て頂きますのでご了承下さい。
またその事から逆に通常のノックアウトもカウントテンで負けになります。ダウンは何度してもテンカウントさ
れる前に立ちさえすれば続行可能と致します。
今までの試合ではカウントせずに審判が判断しておりましたが、今回の試合に限ってテンカウント制を採用
致しますので宜しくお願いします」
新宅アナウンサーの説明は、そこここに設置してある巨大スクリーンで、同時に大写しされていたので、誰
にも割合良く分かった。
「両者前へ。では、ゴッドマン選手と大黄河夕一郎選手、互いに礼、始め!!」
これが招待選手だったら、登場して来るのに派手なテーマ音楽入りでやって来るのであったが、無名の二
人ではその様な事も無く、何時の間にかリング上に二人の姿はあった。審判は特に大きな声でのコールもせ
ず、淡々と試合開始を告げたのである。
「カーンッ!」
審判の開始の声に合わせて、ゴングが鳴らされた。競技場の観客席からは直接には二人の姿は豆粒の
様にしか見えない。
双眼鏡で見ている者もあったが、大半は巨大スクリーンに写された、テレビ画面と同様の映像を見る事と
なった。
「ここまで圧倒的な力の差で勝ち進んで来た両者ではありますが、今回は二人とも慎重であります。強者は
強者を知る。今までの相手とは桁が違うことを互いに感じているのでしょう」
新宅アナウンサーは二人が直ぐには突進して行かないことからそう考えたのだった。
「リャーッ!」
大黄河は得意のローキックを試みた。
「かわし方を知ってりゃ大した事はねえよ! それっ!」
ローキックをかわす事は、慣れればそれ程難しくはない。単に狙われた方の足を上げれば良いのである。
また不用意に狙われる位置に立たなければ良いのだ。ゴッドマンは当然のように知っていた。
そして取り敢えずパンチを腹部に打って来た。今までの相手の様に簡単に掴まえに行かないのは、大黄河
のパンチも強力である事を薄々知っているからだった。
「ふんっ! りゃっ!」
大黄河は模様見のゴッドマンのパンチにびくともしなかった。逆に強力なパンチを繰り出した。大して太い
腕ではないのだが、凄まじいスピードが強力なパワーを生み出している。
「ぐっ! こいつは魂消(たまげ)た。思った通りだ。今までの誰のパンチより効いたぜ! しかしこれでどう
だ!」
ゴッドマンは伝家の宝刀を抜いた。腹部の痛みを堪えて、大黄河の腕を掴まえに行った。両腕を一気に掴
まえようとしたのだが、掴まえられたのは左腕だけだった。
「ハリャッ!」
その瞬間だった。大黄河を掴まえていた右手に、目にも止らぬスピードで手刀が打ち付けられたのである。
手刀と言っても、実際には指をバラバラに離した猫手打ちだった。
拳を作った方が遥かに威力はあるのだが、それではその隙に相手に逃げられてしまう。自然な手の形から
打ち付けるから素早いのである。
「うぐっ、ううっ!」
ゴッドマンの必殺技がまともに打ち破られた瞬間だった。前々から狙っていた様である。しかしこの技も少し
タイミングがずれたり、手元が狂ったりしたら、自分で自分の腕を攻撃してしまう事になる。
スピードとタイミングと正確さを要求される極めて高度な技なのである。大黄河は造作も無くそれを成し遂げ
ていたのだった。
「ゴッドマンの悪魔の握力技が、初めて大黄河選手によって打ち破られました。まだかなり手が痛いので
しょう、咄嗟(とっさ)に後退しながらも顔をしかめながら、左手でダメージを受けた右手を擦っています。さあ、
チャンスとばかりに大黄河選手猛然とゴッドマン選手に突進して行きました!」
新宅アナウンサーが状況を興奮しながら説明した。
「ハイッ! ハイッ! ハイッ! ハイッ!」
何かを急かすかの様に、大黄河は猛然とパンチを腹部や胸部に繰り出した。小柄な体にも拘らず、繰り出
すパンチの破壊力は抜群で、ヒットの度にゴッドマンは顔をしかめていた。
「リャッ! リャッ! リャッ!」
ゴッドマンは防戦一方である。気合を入れながらもジリジリと後退して行った。
「ゴッドマン、もう後が無いぞ。ロープまで後一メートル位しか無い。普通なら横に回り込むところですが、真っ
直ぐ下がっている。
ロープを背にして戦う積もりか? しかし俊敏な大黄河選手が相手では分が悪いぞ。どうするんだ! ああ
ああっ!!」
実況中継の新宅アナウンサーも、他の観衆達も、そして対戦している大黄河選手も驚いた行動に、ゴッド
マンは出たのである。