夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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機内に入ると、外見とは裏腹に中は豪華なホテルの様だった。五百人乗りのジャンボ機並の広さの機内
に座席数は百位しかなく、如何にもゆったりした感じで座席と座席の間のスペースがとってあった。
「おいおい、こりゃどうなっているんだ?」
玄斎は驚きよりも呆れて言った。二人を取り囲んでいた者達は、飛行機には乗り込まなかった。ただ殆ど
の座席には既に屈強の男達が座っている。前の方の席には、十数名ほどの女性達が一塊になって座って
いた。
「間も無く離陸いたしますので、ベルトをお締め下さい」
前の席に座っていた女性の客室乗務員らしい日本人が二人やって来て、玄斎と夕一郎の二人のベルトを
締めてくれたのだった。二人は通路を挟んで右に玄斎、左に夕一郎が座らされた。
飛行機は直ぐに離陸を開始した。全てが素早かった。警視庁の部長と称した吉岡家藤太郎の言った通り、
十分ほどで、ベルトが外されると、精悍な顔付の数人の男達がやって来て、二人の手錠を外した。それから
カジュアルな服装を与えられて二人ともそれに着替えたのだった。
玄斎はトイレの場所を聞いてトイレに立った。トイレで悪さの出来ない様に、ドアを閉める事は禁じられたの
だった。見張りが数人背後から様子を伺っている。特に変った事も無く玄斎は小用を済ませた。
「ふふふふ、眠っちまったか。イスがゆったりしていてリクライニングもかなり水平に近くて、眠り易そうだな。
おい、姉さん、毛布を掛けてくれ。何だったら俺と一緒に寝ても良いぞ」
すっかり寝入っている夕一郎を横目で見ながら、玄斎はえげつない冗談も交えて毛布を要求した。無論毛
布を掛けただけだったが、客室乗務員はかなりムカついた顔をしていたのだった。
それでも、玄斎は格闘技の試合でかなり疲れたのだろう。鼾を掻きながら、直ぐに寝入ってしまったのだっ
た。
夕一郎は夢を見ていた。子供の頃の夢である。一時的なことだったが四階建ての古いアパートの三階に
住んでいた事があった。
夢の世界では子供だった。鬼ごっこをしていた。誰かに追われて、屋上に逃げる。屋上への階段は三つあ
り、右から登って来た。真ん中と左と降り口は二つある。
『どっちから逃げる?』
夢の中で思案した。
『左と真ん中、どっちだ?』
どっちから逃げても追っ手の魔物に捕まる気がした。グズグズしている内に突如大地震がやって来た。ア
パートは激しく揺れた。
『ウアッ!』
立っていられなくて手摺にしがみ付いた。すると、アパートはまるでゴムの様に屋上が地面に向かって倒れ
込んで行く。
『アアアッ!!』
落ちない様に必死にしがみ付く。一階はしっかりと地面に建っているのに途中からグニャリと曲がって、屋
上は殆ど逆さまなのだ。
『落ちるもんか、落ちるもんか!』
死に物狂いでしがみ付いていると、何時の間にかそこは教室になっていた。一番後ろの席に座っている。
やけに白いテスト用紙が配られる。
『書いても無駄だ。もう書かないぞ!』
夕一郎はそこでは、本当の名前、林谷昇だった。
『昇、白紙だぞ!』
隣のクラスメートが軽蔑的に言う。
『俺は俺の意志で書かないんだ。これが俺の答えだ!』
昇は夢の中で初めて答案を書かなかった。テストの夢を見始めてから十数年の月日が経っている。初めて
異なったタイプの夢を見たのである。
毎日欠かさず見ていたテストの夢からのこれが最初の解放だった。その時からテストの夢は徐々に少なく
なって行って、やがて消え去る事になるのである。
それと共に、夢の印象そのものが薄れて行く事になった。青年期からすっかり大人になって行ったのであ
ろう。
『あれ? ここは何処だっけ? ああそうか、飛行機の中だったな。そうそう、俺は林谷昇じゃない。大黄河
夕一郎だ。
この名前は、俺ごときの者の為に犠牲になった、黄味麻呂ユウカリさんの名前を捩(もじ)ったものだった。
大きく心を病んで、今は病院に入院している。多分一生治らないのだろう。
それに同じ様に犠牲になった少女達もいるし、その治療費を稼ぐ為に大会に出たんだけど、まさかあの男、
金森田玄斎と出会うとはな!
失敗した。黙って賞金を貰ってから行動を起すべきだったな。あの男かどうかどうしても確認したくてつい覆
面を剥がしてしまった。それにしても警察の到着がやけに早かった。どうも罠に掛った気がする……』
夕一郎は横になってうつらうつらした状態のままで、そんな事を考えていたのだった。
「おいっ! 朝食だぜ! ふふふふ、腹は減らないのだろうがな」
皮肉な言い方をしたのは勿論、玄斎だった。
「い、いや、そう言えば、腹が減った気がして来たな。今は何時だ?」
夕一郎は惚け加減で言った。
ワゴンに載せた朝食を持って来た客室乗務員に改めて時間を聞いた。
「ええと、今何時でしょうか?」
「はい、現地時間で、十二月三十一日午後七時で御座います。これは夕食になります。行き先はアメリカで
すから」
「はははは、アメリカですか? アメリカの何処なんですか?」
「申し訳御座いません。それはまだ申し上げられません」
「ああ、そうですか。じゃあ、兎に角頂きます」
夕一郎は一応美味しそうに食べて見せたが、玄斎の指摘通り、味は分からないのだ。ただ演技は相当上
手になって来ていて、飲み食いも普通の人間の様にして見せる事が出来たのだった。
但し消化吸収は出来ないので、胃袋に相当する部分でより細かく粉砕して、吐き出すだけである。肛門は
飾りに付いている様な物だった。
「へへへへ、随分上達したじゃねえか。神のマシンが完成していたとすると、セックスは出来る筈だな? そっ
ちの方は練習したのか? てっ、へへへへ」
玄斎は夕食のステーキなどを頬張りながら、如何にも下品な感じで言った。
「言っている意味が分からないな? 何だい、その神の何とかって?」
夕一郎は惚け通す事に決めて言った。
「ふっ、この期に及んでまだ惚ける積もりか? まあ、良いだろう。おい、もっと赤ワインをくれ。全然足りない
ぞ!」
玄斎はしたい放題な感じだった。
「キャッ!」
玄斎にワインを持って来た客室乗務員は、お尻に触られて悲鳴を上げた。
「何だい、サービスが悪いな。尻を撫でられたら、『さあ、どうぞ、もっとお触り下さい』と、突き出すのが礼儀
だろう? 教育がなっとらんな全く!」
しかしそれからは、女性の客室乗務員は誰も来なくなって、厳(いかめ)しい男の乗務員らしい者がやって
来て、面倒を見るようになった。
「おい! 昇には女が付いて、俺には男か! 馬鹿にするんじゃないぞ!」
ワインボトル一本を空けて、かなり酔ってもいるのだろうが、ますます口汚く罵る様になった。
「ふうむ、金森田さん、少し静かにして貰えませんか。それとも黙らせてあげましょうか?」
夕一郎は険しい表情で言った。
「な、何だと、く、く、わ、分かったよ。ふんっ!」
玄斎は急に大人しくなった。夕一郎の強さもさることながら、殺気が見えるのだ。
『この野郎、殺す口実を探していやがる! まだだ、まだ死なんぞ。俺が乗るんだ。神のマシンにな。恐らくま
だ完璧には出来ていない。
折角ドサクサに紛れて、偽のソード・月岡を始末したんだ。何時か必ず、本物のソード・月岡として、奇跡の
復活を遂げる。SH教の信者の圧倒的な支持を得て、全世界を牛耳ってやる。その前に死んで堪るか!!』
酔ってはいたが、玄斎の思考能力はしっかりしていた。
『ここでこいつを怒らせたら、ここぞとばかりに殺しに来るだろう。昨日の試合は、もっともらしく見せる為の芝
居みたいなものだった事は俺が一番良く知っている。
この男が、このサイボーグが本気を出したら、たとえライオンでも一溜りも無い。今は大人しくしている事だ。
きっとチャンスは巡って来る。きっと……』
玄斎は行動を自粛する事にした。
「ふふふ、相変わらず用心深い人ですね。いや、何でもない」
夕一郎は口を滑らせたと思って、ちょっと慌てたが、玄斎は気付かなかった様である。
「ああ、俺は大黄河夕一郎ですからね。誤解のないようにね。じゃあ、失礼して、トイレに行かせて貰いましょ
うか。どうも、何か吐き気がしてしょうがない……」
夕一郎は吐き気をもよおした振りをして、トイレで吐き出してみせた。玄斎の時と同様、たとえ嘔吐や大便で
あってもドアを閉じる事は許されないのである。
『一応胃液なども混ぜてあるから、調べられても大丈夫だと思うけどね。しかしこいつ等は一体何をする積も
りなんだろうね?』
影でアメリカ政府が動いているらしい事は分かったが、それ以上は全く未知数だった。
「ああ、さっぱりした。どうも飛行機は不慣れでね。気分が悪いからまた眠らせて貰うよ」
夕一郎は再び寝入って仕舞った。
「正に、あっと言う間に眠ってしまう、のぼっ太君だな。しょうがない俺も寝てやろう。やる事もないしな。それ
にしてもサービスが悪いな。
普通だったら当然個室で二、三人の女達とエッチ三昧だろう? VIP待遇なんだからな。……あ〜あ、寝よ
う寝よう!」
ブツブツ言いながら結局玄斎も再び眠ってしまったのだった。
外見は如何にも軍用の大型ジェット機。しかし中はVIP用の動くホテルの様な、豪華な設備があった。二
人の男は正にVIP待遇だったのだったが、その意味も定かではなかった。飛行機は一路アメリカ南部のフ
ロリダ州に向かって飛んでいたのである。