夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
15
「ちょっと、何してるの!」
アルバイトの若い女性従業員の一人、霧矢部(きりやべ)エリが強い口調で銀次郎に注意した。
「な、何もしてねえよ。世間話をしていただけさ。さて、仕事、仕事!」
銀次郎はその場を逃げ出した。エリが苦手な様である。
「しょうがないわね全く! えへへへ、ところで、聞いても良いかな?」
エリは昇に照れ臭そうにしながら言った。
「えっと、何ですか?」
「か、彼女とか居るの?」
「俺ですか?」
「うん。あの、林果って子が彼女なんじゃないの?」
ストレートに聞いて来た。
「まさか、知り合いだけど、そんなに親しくは無いですよ」
「でも、さっきは親しそうだったわよ。後で会う約束をしていたみたいだし」
「それは全然思い違いですよ。うーん、何と言ったら分かって貰えるかな、話といっても勉強に近い話の事なん
ですよ。
たまたま勉強の同じ教室にいたんですよ。夏休みの時のね。ところが事情があって、途中で終ったんですよ。
その時の問題の答えを考えているとか、その話なんですよ」
昇は出来るだけ当たり障りの無い様にカムフラージュして言った。
「べ、勉強の話なの? ……勉強しているの? その、国語とか数学とか?」
「うん、その、哲学の一種なんだけどね。自分とは何か、というテーマなんだよ」
昇は微妙に嘘を言った。余り本当の事を言うのは拙いと思ったのだ。
『見かけは事故死。本当はひょっとすると殺人事件、と関わっているなんて事になったら、ここに居られなくなる
からな……』
そんな風に感じていたのだ。
「む、難しそうなお話ね。そのことについて話し合うって訳?」
「ああ、お互いにどの位考えているか話し合ってそれで終わりになる。だから関係のかの字も無いよ」
「ふーん、そうなんだ。良く分かったわ。でもひとつ気に掛る事があるんだけど良いかしら?」
「えっ、まだあるんですか?」
昇は早く解放して欲しかったが、さっき助けて貰った手前、無下には断れなかった。
「二人の間に特に関係が無いのに、どうしてそんな事を今日言うのかしら? もっと早くても良かったと思うんだ
けど?」
エリは当然の事に気が付いたのだ。
「ああ、その、俺は主任が苦手なんだよ。どうも、何かこう窮屈というか、下手に女子と話をすると叱られそうで
ね」
そこでも昇はうまく誤魔化した。
「そうねえ、私もあの主任は苦手だわ。それにあの人高卒なのよね。それなのにいきなり主任よ。いくら空手だ
か何だかの世界チャンピオンだって、この世界には何の関係も無い筈よ。差別よねーっ!」
エリは昇とうまく同調して話が出来て、得意げに話し続けたのだった。
「じゃあ、そろそろ時間だから、行きます」
果物野菜部は交替交替に休みを細かく取る事になっている。品薄になった商品を次々に補充して行かない
と売り上げに響くので、全員一緒の休憩は拙いのである。時間帯によって休憩室には人が多かったり少なかった
りするのである。今度は林果が戻って来た。
「ああ、桜山さん、ちょっとお話があるんだけど、良いかしら?」
エリは男の言い分だけを一方的に聞くほどお人好しではない。
『好きな女の子を庇う為に、男は一生懸命嘘を付くことがあるのよね』
ちゃんと昇の心理を読んでいたのだ。
「あなた、林谷さんとはどういう関係? 彼氏なんじゃないの?」
エリは露骨に聞いた。
「ええっ、有り得ません! ただの知り合いです。変な事を言わないで下さい!」
林果はムッとして反論した。
「ふーん、随分ムキになるのね。何か怪しいわね。でも、彼氏じゃないんだったら、私が取っても別に良いのよ
ね?」
相変わらずエリは露骨な言い方をした。
「か、勝手にすれば良いでしょう。でも彼がイエスと言うかしら?」
余りにムカついたので林果は一矢報いようとした。
「気になるの? そうそう、二人でお話しするとか言ってなかった? 親密に……」
エリは鎌を掛けた。林果はますますムカついて、
「そうよ、ラ、ラブラブなのよ、私達!」
つい言ってしまったのだった。殆ど嘘だったが、
『百パーセント嘘じゃないかも知れない!』
そんな風にも感じたのだった。
「ラ、ラ、ラブラブッ!! あはははは! あーっ、可笑しい! ただの勉強の報告会だって言っていたわよ、
彼! 嘘を付くのも大概にした方が良いわよ。じゃあ、私は時間だから、バイバイ!」
エリは二人の関係を疑いながら、しかし強気に林果に挑戦状を叩き付けて、その場を去って行った。
『な、何よ全く。アホらしい! もう、こんな職場は嫌よ、お父さん!!』
林果は父親の言う事に大人しく従って、アルバイトに来た事を後悔していたのだった。
その日の夕刻、幸か不幸か二人のバイトの終了時間は同じ午後五時だった。二人は硬い表情で一緒に帰っ
て行った。やっぱりラブラブな関係らしい、と忽ちスーパー中の噂になったのである。
「言いたい人には言わせておきましょう」
林果は開き直る事にした。自宅に昇と一緒に帰宅したのである。林果は昇を信頼していた。
『もしもの時はどうするの?』
そう思ったが、
『……それでも構わない。昇君だったら。いえ、絶対に何も無い! 彼はそういう男だわ!』
林果は昇を試してみたくもあったのだ。
「お邪魔しまーす。ああ、小姫さんは居ないんだよね?」
「ふふ、そうよ。ふ、二人切りなのよ。今カフェオレを入れるわね。ああ、話したい事が山ほどあるのよね」
林果の気持ちは揺れていた。関係を持ちたい気持と、持ちたくない気持とが戦っていた。殆ど互角の戦いで
どっちつかずに揺れていたのだ。
「さあ、どうぞ。面倒だから、ミルクも砂糖も入れて、すっかり作って来たけど、それで、良かったかしら、ふふっ」
テーブルに向き合って座り、じっと昇を見詰めながら言う林果には、どこか甘える感じがあった。聞き様によっ
ては誘っている様にも思える。
「あ、ああ。それで良いよ。ふう、だけど、本当に小姫さんはいないんだな。ひょっとするとそこいらから出て来る
んじゃないかって、何か緊張するんだよね」
昇には小姫自体がトラウマの様なものだったのだ。腹部を殴られた時の激痛を思い出していた。それだけで
冷や汗が出て来る。その事を林果は全く知らないようである。
「あーっ、甘くて美味しい! ああ、疲れが取れるよ。……林果さんて、あれだね、こんな事を言うのもあれだけど、
随分綺麗な人だったんだね。
今頃気が付いたみたいで申し訳ない。でも、本当に素敵なレディだよ。手の届かない遥かに遠い人だけどね。
でも、こうして話しあえるんだから幸せなのかな?」
昇は林果を初めて誉めたのだった。
林果は今までにない喜びを、昇の言葉に感じた。
「う、う、嬉しいです。私、そんな風に誉められた事、今まで一度もなかった。誉められたのは勉強の事ばっかり
だった。それで満足していたんだけど、な、何か物足りない気がしてた。あの、ええと、あのう……」
林果は何かうっとりしていた。少し身を乗り出し、目を瞑って、昇の行動を待った。
『ええっ! これって、まさかキスのおねだり?』
昇の頭の中は混乱したが、暫く見ないうちに一段と美しくなった林果の顔を見て、その気になった。
『余り待たせちゃ悪いよな!』
とうとう唇を重ね合わせたのだった。
気が付くと何時の間にか二人は立ち上がって、激しく抱き合いキスを、濃厚なキスをしていたのだった。最初
はぎこちなかったのだが、直ぐに舌を絡め合う濃厚なキスを習得してしまっていた。
相当の興奮状態だったが、二人ともに理性がブレーキを掛けた。
『これ以上は駄目よ。セックスをしてしまいそう。妊娠も有り得るわ!』
林果はそう感じた。同じ思いを昇もしていたのだ。
十数分もキスを続けていた二人だったが、理性に目覚めて七、八十センチほど離れた。
『あああ、昇さんのあそこが立ってる! ちょっと惜しいわね……』
林果は昇の下腹部を見た。明らかに膨れ上がっている。
『駄目だ! このまま情に流されてはいけない!』
昇は自分の一物が膨れ上がっている事を勿論知っていたし、強引に迫れば林果は性行為に応じる事を知っ
ていた。しかし耐えた。情に流される事の危険性を本能的に察知していたのだ。
「あ、あのさ、ここまでだから。これ以上は無いよ。良いよね、それで?」
昇は林果の気持ちを察して言った。
「う、うん。勿論良いよ。ああーっ、優しいんだ、昇って!」
林果は初めて昇を呼び捨てにした。
「ははは、あの、何と言うのかな、その、……好きだ、林果!」
昇も呼び捨てにすると、もう一度抱き合って熱烈なキスをした。林果は勿論それに応えて、数分の間二人は
桃源郷にいた。それからやっと本来の『夏休み未来教室』に関する話に入って行ったのだった。
ただ、夕食の時間になったので、昇は母の水江にケータイで、食べてから行く事を伝えた。林果と二人の夕食
はカップ麺だったが、何とも幸せな気分だった。
「済みません、カップ麺なんて。まさかこんな事になるなんて思ってもいなかったものですから」
林果の本音である。
「はははは、いやあ、俺も想像が出来なかった。ところで、小姫さんは今日帰って来るのかな?」
昇の一番気に掛る事だった。
「はい、午後十時頃帰宅予定です。午後八時位に帰られれば万全だと思いますけど?」
林果も気を利かせた。
「分かった。じゃあ、ぼちぼち、本題に入ろうか?」
カップ麺の夕食も終って、ブラックのコーヒーを飲みながら、二人は『夏休み未来教室』のその後について語り
合い始めたのだった。