夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「ブクブクブク……」
 目覚めた夕一郎は、状況が少し変である事に気が付いた。
『ありゃ、風呂の中だったか。うーん、大分お湯が冷めているな。さて、上がろう』
 もうもうと湯気の立ち込める中、エレクトした自分の一物を見る。
「ふふふふ、相手がいないよな」
 そう呟きながら、風呂から上がり、クローゼットの中を探して、下着やカジュアルな感じの衣装を身に着け
ると、今度はベットの上に仰向けに寝そべった。

『ふう、俺は一体誰なんだ? 心の中身は林谷昇のままだけど、外見は全く違う。この姿のままで林谷昇だと
言って、林果の前に現れたら、彼女はどう思う?
 はははは、多分『ふざけるのもいい加減にして!』って怒鳴られるだろう。しかしもし、名乗らずに、近所に
住んだとしたら?』
 夕一郎はそんな事を考えたのだが、今の状況からは有り得ないと悟って、そのまままた眠ってしまった。

『うーん、腹が減ったな!』
 夕一郎の空腹感は定期的に訪れる。朝、昼、晩と深夜の丁度六時間位ずつである。二時間ほど続くのだ
がその後は治まってしまう。
 しかしその二時間がかなり辛く、相当にイライラする。断食の修行よりも遥かに厳しいのである。断食だっ
たのなら修行が終れば、ちゃんと食べる事が出来る。
 しかし彼の場合には食機能が備え付けられない限り、生涯空腹感を満たす事は有り得ないのだ。もう一度、
手術をして貰って、食欲を感じない様にする手もあるが、それだけは嫌だった。
『食欲が無いなんて、人間じゃないよな!』
 そんな反発心の方が遥かに強かったのだ。

「ピポ、パポ、ピポ、パポ、……」
 テレビ電話が掛って来た。受話器は無くボタンを操作してその場で話し合う事になるようだ。『ON』と書いて
あるボタンを押してみると予想通り繋がった。画面に一人の男の顔が現れた。

「お早う、夕一郎君。私はシュナイダーです。今、迎えの者が行くから、服装などを整えて待っていてくれたま
え。尚、今後は、私が君の面倒をみる事になる。
 この声は自動音声翻訳機によるものである。妙なイントネーションだと思うかも知れないが、現段階ではこ
れで精一杯なのでご容赦願いたい。
 この翻訳機には、ポータブル型の物もある。私と私の仲間は当分はそれを使う事になる。君にもそれを渡
して、互いの言語をリアルタイムで翻訳したものを、私達は聞くことになる。それでは失礼する。また後で会
いましょう」
「ああ、了解した」
 そこで画面が消えたので、夕一郎も『OFF』と書いてあるボタンを押した。予想通り画面は切れた。

「へえ、音声自動翻訳機か。ある事は知っていたけど、使うのはこれが初めてだな。確かシュナイダー博士と
か言ったな。昨日は殆ど喋らなかった人だけど、今後、俺の面倒をみるのか。何をする積もりなのかね一体」
 空腹はまだ続いていて、憂鬱な気分だった。

「コン、コンッ!」
 暫くしてドアをノックする音。
「はいっ!」
 躊躇わずにドアを開ける。

「プリーズ!」
 昨日付き添って来た、サマンサとかいう女性である。客室乗務員の格好から、今日はカーレーサーの繋ぎ
服の様な服装でやって来た。
 頭にはマイク付きのヘッドホンを付けている。胸の一部が四角く膨らんでいるのは何か機械が入っている
らしい。

 身長は夕一郎より少し高い。ブレザー風な上着と、マイク付きヘッドホンと小型のラジオの様な物を差し出
した。どうやらそれを身に着けろという事らしい。ラジオの様な物は多分音声自動翻訳機なのだろう。
 夕一郎が上着を着ると、音声翻訳機らしい物のスイッチを入れて、胸のポケットに入れてくれた。ヘッドホ
ンは頭に被る様にジェスチャーで指示した。

「マイクは口の前に、そうそう、それで良いわ。私の言葉が日本語になって聞こえているでしょう?」
「ああ、すっかり聞こえるよ。俺の言葉も翻訳されているんだよね?」
「はい、そうです。オッケー、じゃあ、行きましょうか。食事は要らないと聞いたからお出ししなかったけど、お
腹は空かないのですか?」
 サマンサは歩きながら、ごく普通の事を聞いて来た。

「はははは、お腹は空きますが、食事をする機能が付いていないのですよ。食べた振りは出来ますが、消化
吸収はされませんし、食べ物の味も分かりません。
 でも二時間位で空腹感は治まります。だけどそれから四時間位でまた空腹感が出て来る。そして二時間で
治まって、また四時間経つと空腹になる。それの繰り返しです」
 夕一郎はかなり詳しく言った。空腹の為のイライラをその事によって紛らわそうとしたのである。

「しかし、昨日は随分怖がっていた様に思いますけど、私が怖くありませんか?」
 夕一郎はサマンサが平気そうにしていたので、ちょっと不思議に思った。
「はい、でも、貴方がとても優しい人だと知りましたから、全然怖くはありませんわ、ふふふふ」
 サマンサは笑いながら言った。二十代後半らしい、なかなかに利発そうな女性である。昨日は強張った顔
だったのでそうは思わなかったが、落ち着いた笑顔は相当の美形だった。

「俺が優しいですかね?」
 夕一郎はやはり不思議に思った。
「はい。少なくとも、金森田さんよりずっと優しいですわ。私達誤解していました。シュナイダー博士は貴方が
優しい人である事を保障してくれました。
 昨日の夜、貴方の部屋に私と詩織とローラの、か弱い女性三人が居たのに、貴方は何もしませんでしたし、
その気配すらありませんでしたから。
 今だってその気になれば、私をレイプでも何でも出来るほど強いのに、全然その気配がありませんわ。貴
方は素敵な紳士であると私は考えます。紳士なのでしょう?」
 サマンサはべた誉めな感じだった。

「うーん、紳士かどうかは分からないけど、無駄な争いはしたくないな。昨日だって、襲って来たから、仕方無
しに、戦っただけで、そうでなければ、あんな事はしなかったよ」
 夕一郎は正直に言った。
「そう、そういう人が紳士なのよ。私は好きですわ。でも、あの、金森田という男は駄目ね。何をされるか分
かったものじゃない」
 サマンサも正直に言った。

「はははは、その通り、彼には用心した方が良い。本当に何をするか分からない男ですから。それと私と彼と
が仲が良いと思われては迷惑なので、一言言って置きます。
 彼とはたまたま同じ境遇になったので、停戦協定を結んでいますけど、本来は敵同士なんですよ。その点
だけは誤解しないで貰いたい。
 極端な言い方をすると、お互いに相手の命を狙っています。ただ、自分の性格が弱いせいか、戦えない相
手を殺せないのです、私はね。それは優しさじゃなくて、甘さなのかも知れない」
 夕一郎は殺すチャンスがありながら、殺せなかった自分を責めたのだった。

「ふふふふ、本当に優しい性格なんですわ、きっと」
 サマンサはブルーの瞳でじっと夕一郎を見詰めて笑って言った。
「はははは、まあ、誉めてくれて有難う。お陰で空腹感も大分楽になって来ましたよ」
 夕一郎はお喋りしているうちに、空腹感がかなり和(やわ)らいだと感じた。

「さあ、ここでエレベーターに乗りましょう。流石にエレベーターは逃げ道の無い小さな個室ですから、ボディ
ガードを付けます。宜しいかしら?」
 サマンサは妙な言い方をした。
『宜しいかしらと言うけど、ノーだったらどうするんだ?』
 ノーと言いたい衝動に駆られたが、事を起したくなかったので、堪えた。
「はい、良いですよ」
 結局二つ返事で了承した。  

「お待たせ、さあ行きましょう」
「えっ! 詩織さんと、ローラさん?」
 夕一郎は拍子抜けした。ボディガードというので屈強の男達が付くのかと思っていたからである。二人の女
性もカーレーサーの繋ぎ服の様なものを着ている。
 詩織はしていなかったが、ローラは自動翻訳機用のヘッドホンを頭に付けている。サマンサと同様、繋ぎ服
の胸の内ポケットに機械が入っているらしく、やはりそこだけ不自然に四角く膨らんでいた。

「はい、私達では不服ですか?」
 詩織が言った。
「でも、スタンガンの様な道具を携帯していますから悪さは出来ませんわ。それに乱暴な人ではなさそうですし」
 ローラは小柄で少女の様な顔立ちの白人女性だったが、用心の為か手に武器らしき物を持っている。

「まあ、別に良いんですけどね。行き先は地下ですか?」
 夕一郎はSH教の地下研究所の事を思い出して言った。
「はい、建物が平屋ですから、エレベーターで行くのは地下に決っていますわ。うふふふふ」
 詩織は嬉しそうに笑った。

「ウィーーーーンッ、……」
 エレベーターはごく小さな物で、十人も乗れば満員であった。かなりの高速で降りて行った。約三分掛って、
到着したが、途中には何も無かった。相当に深い様である。

「はい到着です。地下千メートルの特別研究所へようこそ」
 サマンサは陽気に言った。
「千メートル? へえ、まるで核シェルターだな」
「はい、実際核シェルターなんですわ。でも、最高度の秘密研究所でもあります。もうここまで来たら話しても
宜しいでしょう。当分ここの研究所に居て貰いますわ」
 秘密事項らしいことを詩織が言った。

「当分ここに居る?」
「はい、その私達はその、あっちの方のお相手をする様にと言われております」
 顔を赤らめてローラが言った。
「あっちの方ねえ。ふーん、ちょっと失敗したな……」
 夕一郎は独り言を呟きながら唇を噛み締めた。
『これじゃあ、迂闊に逃げられやしない。協力しない方が良かったか?』
 後悔したがもうどうにもならなかった。

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