夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『ふう、ああ、またイライラして来る。腹が空き、情欲が高まる。あああ、いかん、気を落ち着けなければ……』
近頃、夕一郎は一人になった時だけは、林谷昇に戻っている事が多かった。
『林果にもし会ったとしたら何と言ったら良い? 昇一はもう五才位か? ……駄目だ、俺は死んでいるんじゃ
ないか! 余計な混乱が起きるだけだ。やっぱりそっとしておこう。しかし……』
浴槽に浸かりながら、思いを廻らせていると、
「コン、コン、コンッ!」
ノックの音がした。
「誰?」
「あのう、詩織です。申し訳御座いませんが、入浴中も撮影の必要が御座いますので、宜しいでしょうか?」
詩織の意を決した声が聞こえる。確かに二十四時間撮影すると言っていた。
「ああ、分かった。どうぞ」
夕一郎も覚悟した。
「失礼しまーす」
「えっ! 水着なんですか?」
「はい。湯気で制服が濡れちゃうと拙いですから。あのう、スッポンポンの方が良かったでしょうか? ふふ
ふふ」
夕一郎を早速小型のDVDカメラで撮影しながら、詩織は茶目っ気を出して言った。
「はははは、まあ、どっちでも良いけど、そのビキニの水着も良く似合っていて、可愛いよ」
夕一郎は多分初めて誉めたのだった。
「え、あ、あ、有難う御座います」
詩織は誉められてちょっと動揺し、カメラを落としそうになったが、何とか持ち堪えて撮影を続けた。しかし
撮影に夢中になっている内にとうとう、
「あああっ!」
何かの拍子に滑って転び、危うく後頭部を激しく打ちそうになったが、
「危ないね。大怪我をするよ、気をつけないと!」
風呂から上がりたての夕一郎に後頭部を支えられて難を逃れたのである。
「す、済みません。私ったら、本当にドジねえ!」
口ではそう言ったが、内心では激しく夕一郎に魅かれていたのだった。撮影も忘れて暫くうっとりとそのま
まにしていたのである。
「あ、す、済みません。な、何をしていたんでしょうね、私!」
かなり間があってから、自分のしている事に気が付いて、慌てて立ち上がり、再び撮影を開始した。
『ああ、私、頭が変! と、兎に角これは仕事なのよ!』
気持ちを切り替えると、夕一郎の全裸の体を舐める様に撮影した。下着を身に付け服を着る姿も撮影した。
何もかも仕事と割り切ってやった。
「食事はどうした?」
「はい、私は撮影の係りですから、簡単に済ませました。えへへへ、入浴中の夕一郎さんを撮影したかった
のよ。くじを引いて決めたの。これから本格的に撮影とかしますから宜しくね、うふふふふ」
詩織は何とも楽しそうである。
『嬉しそうだね。しかし、大抵最初はそうなのさ。俺の真実の姿を見るまではね。見たらもうお仕舞さ。俺の一
番弟子と自称していた、若川原和寿でさえ駄目だったんだからな……』
夕一郎は過去の苦い経験を思い出していた。
『俺にべた惚れだった筈の白金アザミさんや、大橋メグミさんも駄目だったんだよな。もっとも俺に見切りを
付けて正解だったけどね。
でなかったら、黄味麻呂ユウカリさんみたいになっていたかも知れない。……詩織さんや、サマンサさん、
ローラさんが変にならなければ良いけどね』
夕一郎はむしろ自分に愛想を尽かしてくれる事を望んでいたのだった。
「そろそろ午後一時よ。中会議室に行きましょう」
サマンサが先導して歩き始めた。
「じゃあ、お休みなさい! 時間が来たら必ず起してよね」
ローラはどうやら眠る番らしい。
「はいはい、必ず起しますから。でも起きなかったら、無理に起さないかも知れないわよ」
サマンサは少々からかった。
「嫌だ、必ず起して。起きなかったら引っ叩いても良いわよ!」
ローラはパジャマ姿で言った。
「思いっ切り往復ビンタしても良いのね?」
今度は詩織がからかった。
「もう、それはやり過ぎでしょう? そうだ、夕一郎さん起してくれないかな? 起きなかったら愛の口づけで
もして起してくれれば良いわ」
ローラは甘える口調で言った。今は夕一郎が翻訳機を使っている。
「駄目よ。大黄河さんに何てこと言うの! それだけはさせませんからね!」
急に真顔になって詩織が言った。目が少し釣り上がっている。
「冗談よ、ちゃんと一人で目覚ましを掛けて起きますから。じゃあ、お休みなさい!」
詩織の怒りに恐れをなしたのか、ローラは一番端のベットに潜り込んで毛布を頭から被ってしまった。ベッ
トの側の台の上にケータイが置いてある。どうやら目覚まし代わりに使うらしい。
「もう、本気で怒らなくても。大人気無いわよ」
サマンサがたしなめた。
「彼女の場合、何をするのか分からない所があるのよね。あっちの方もかなりらしいし」
詩織はローラがセックスに自信があるらしい事を恐れていた。
「ふふん、彼女はまだ子供なのよ。大人には大人の色気と言うものがあるのよ。当然の事だけどエッチのテ
クニックは色恋とは違うのよ」
サマンサは彼女なりに自信があるようだった。
「大人の色気か……、分かったわ。ちょっとカッとなり過ぎたわね」
詩織はそれなりに納得した様である。
「御免なさいね。変なことで戸惑ってしまって。私、本当に今日は少しおかしいのよ。多分恋をしているのか
も知れない」
改めて詩織は夕一郎に謝って、じっと見詰めながら言った。
「はははは、じゃあ、行きましょうか」
夕一郎は詩織の目線から目を逸らした。
「いずれ近い内に、百年の恋も一瞬で冷める日がやって来るのさ。なるべくなら好かれたままで居たいけど
ね。まあ、無理だろうね。ちょっと鼻が臭い、それだけの理由で終ってしまう恋もあるそうだからね」
夕一郎はまともに考えると悲しくなって来るので、そこで考えを打ち切って、中会議室に向かったのだった。
「さて、お待ちしておりました。色々な身体能力を測らせて貰いますよ。ジャンプ力、握力、動体視力、知能
指数、肺活量、キック力、走力、勿論基礎的な視力、聴力、匂いを嗅ぐ力等々、沢山ある。
ええと、撮影の方、しっかり頼みますよ。測定の方は研究員達に頼みますから。それじゃあ、先ずジャンプ
力から測ってみましょうか」
シュナイダー博士は研究者らしく白衣を着て来たし、他の研究員達も白衣の者も少なくなかった。何か違
和感が有るのは勿論SFチックな繋ぎの制服を着た詩織とサマンサだった。
夕一郎は今はスポーツウェアを着ている。今回の撮影は詩織とサマンサの二人が別々にやるようである。
違う角度から写すと分かり易いという事なのだろう。
「二回飛んで良い方の記録を記録として残しますから。それじゃ、どうぞ、垂直飛びから」
シュナイダー博士が言うと、それを記録する者や、直接飛ぶ位置やタイミングを指示する者が自分の仕
事を始めた。詩織とサマンサは小型カメラでその様子の一部始終を先程からずっと撮り続けていた。
実際の測定に携わる者以外は、部屋の周りに居てじっと様子を伺っていた。相変わらず夕一郎の逃亡を
阻止する為もあるらしかった。
「はりゃっ!」
その場垂直飛びを夕一郎がした途端、部屋の雰囲気は一変した。
「おおおおーーーーっ!!」
驚きの声が上がった。二メートルを遥かに超えていて、測定不能なのだ。測定板を用意していたのだが、
数値は二メートルまでしかなかったのである。
「ど、どうしましょう博士」
測定員が困って博士に聞いた。
「ははははは、困ったね。仕方が無い、記録は二メートル以上にしてくれたまえ。聞きしに勝るとはこの事で
すね。ま、まさかこれほどとは……」
博士の顔は蒼ざめてしまったのだった。
「つ、次はその場幅跳び。これも測定版が用意してあるが、心配になって来た。まあ、幅跳びならメジャーが
あるから何とかなると思うけどね。じゃあ、大黄河君始めてくれないか」
「せーの!」
相変わらず夕一郎は気軽な感じで飛んだが、皆、魂消(たまげ)てしまった。
「えーーーっ! ちょっと、そこから動かないで下さい!」
室内はどよめきが起こっていた。その場幅跳びで五メートルは越えているのだ。
「五メーター八十センチ! これは多分世界記録ですよ!」
予定されていた3メートルの測定板を大きく飛び越した為に、メジャーを使って測った、測定員が大声で叫
んだのだった。
「じゃあ、次は、握力。測定器は二百キロまでだが、だ、大丈夫かな?」
シュナイダー博士は心配そうに言った。
「機械を壊さない様にした方が良いですか?」
夕一郎は気を使った。
「いや、壊しても宜しい。遠慮はいらんよ。遠慮したのでは測定にならないからね」
博士は覚悟を決めたようである。
『その方が政府首脳等のお偉方を説得をし易いからな』
そんな風に気持ちを切り替えたのだった。
「じゃあ、行きますよ。このおっ!」
「ガキィ!」
予想通り握力形は壊れてしまった。
「握力二百キロ以上!」
測定員はただ呆れるばかりだった。
「次は動体視力の測定です。テレビの画面を見て、画面を横切る数字を答えて下さい。初めに練習です。ど
うぞ!」
「ヒュンッ、ヒュンッ、ヒュンッ!!」
大きなテレビ画面の右から左に、一瞬で幾つかの数字が流れて行った。
「答えをどうぞ!」
「6、5、3」
「はい、もう一度スローで見てみましょう」
「……6、……5、……3」
スローモーションで動くと確かに6、5、3であった。