夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「お早う、いや、こんにちは、かな?」
「ああ、その、お加減の方はどうですか?」
詩織が青い顔で言った。しかし直ぐ目を背けた。夕一郎の顔を直視出来ないようである。
「いや、その、よく眠ったし快調ですよ」
夕一郎は詩織に期待していた。
『多少ともキスの効果があるのではないのか? 愛情の欠片位は残っているんじゃないのか?』
手術の前のディープキスにはその様な意味が込められていた。しかし、どうやら、無駄だったようである。
ローラとサマンサは挨拶すらしなかった。
「お聞き及びと思いますが、ここの人達全員、フロリダの研究所に移って貰います。、昨日乗って来たリム
ジンカーで私達は空港に戻りますが、他の方々はじきバスが来ますので、目立たない様にそれに乗って
行って貰います。
私達はバスが空港に着いてからここを出発します。それで宜しいですね? その手筈もお願いしてあった
と思いますが、異存は御座いませんね?」
険しい顔でケンピーは言った。その目には恐怖心が宿っている。
「ひ、否定は出来ませんよ。ぜ、絶対に……」
ベンジャミンの顔は蒼白そのものである。
「分かっています。拒否するのならとっくにしています。我々はアメリカ政府にお金を出して貰うしか、行き所
がありませんから、従うことにしたのです」
夕一郎の覚悟は出来ていたが、今後どういうことになるのか、全く予想がつかなかった。
「それではお先します。飛行機はチャーター便なんですよね?」
間も無くやって来たバスに、全員が乗った。最後に残った、灰田瀬知恵と明日葉唯心とがバスに乗る前
に、心配そうに夕一郎との暫しの別れを惜しんだ。
「ああ、そう聞いている。まあ、私達も後で行きますから、飛行機では一緒なのですからね」
「神に等しい者に対して、このような扱いは無礼だと思うのですが……」
唯心は唇を噛み締めた。
「はははは、神に等しいというのは大袈裟ですが、向うに行っても研究も出来るようですから、より完全な体
を作って下さい。唯心君には大いに期待していますよ。
それから瀬知恵さん、皆の面倒を見てやって下さい。それと別の便で向うに行く事になっている、ユウカリさ
んや栄太郎さんの事も宜しくね。それじゃ後でまた」
夕一郎はかなり辛い気分だった。
『自分がいなければ、全く別の人生を、もっとましな人生を歩めただろうに……』
そういう思いがあった。
「それではまた後で!」
「失礼します!」
瀬知恵も唯心も悲しげな表情で、地下駐車場に待たせているバスに乗り込み、暫しの別れを告げた。他の
研究員達も口々に夕一郎に別れを告げた。バスは地上に向かって出発して行ったのだった。
「一時間余りしたら私達も出発しますから。尚ここはアメリカ空軍の支配下に置かれます。但し表向きは、単
なるガードマンがビルの管理をするという事になります。
それでその、重ねて申しますが、逃亡だけは絶対にしないで下さい。逃亡されると私共も手荒な事をしな
ければならなくなりますから。研究員の人達の立場も悪くなりますからね」
ケンピーは改めて念を押した。
「はい。まだ一時間以上あるのでしたら、私は休憩室で仮眠を取らせて貰います。時間が来ましたら起しに
来て下さい。それじゃ失礼します」
夕一郎は詩織、サマンサ、ローラの三人共に、自分をまるで化物でも見る様な目付きで見ていた事に気
がついた。それは予想した事ではあったがやはり悲しかった。
ベンジャミンやケンピーならいざ知らず、あれだけ自分を好きだという態度を取った者達の、心変わりが
辛かった。
『心変わりして当然だけど、だからこそ辛い。特に詩織の場合には、似ている、何処か林果に似ていると
ころがあるから尚辛いんだよな。
もし林果の前に俺が現れたとしたら、俺の正体を知ったら、やっぱり詩織さんと同じ様な態度を取る事に
なるんじゃないのかな……』
休憩室に置いてある簡易ベットに横になりながら、夕一郎はそんな事を考えていた。
『しかしSH教はどうなるのだろう? 今の所は、偽ソードの十文字豹介に囚われていた、若川原和寿君や
大山田宗徳君、特にマッサーズシティの平島綾香さん辺りが中心になって、分裂などしないように抑えてい
るらしいけど果たして何時まで持つか。
もう三百万人位になった信者を纏めるとすれば、カリスマ性のある強烈な人物が登場しないと無理なの
だろうかねえ……』
SH教の厳しい現状を考えているうちにやがて眠ってしまった。
「しかし昨日は肝を冷やしましたね。はははは、思い出すの気持ちが悪くなる。まあ、人間じゃないですね。
どう見たって化物だ。モンスターですよ」
ケンピーは元気の無い詩織に代わってリーダー風に言った。
「や、止めてよ。思い出したくも無いわ。あのような化物を一度でも好きになったのかと思うと、ぞっとする
わ! ううう、ああ、気分が悪い!」
サマンサは如何にも不愉快そうに言った。
「私はもう立ち直れないよ。毎晩夢にうなされる事になるよきっと。あああ、カウンセリングが必要だよ。向
うに行ったら、早速病院に行ってみて貰う事にするよ。ああ、何だかまだ気分が悪いよ」
ローラは全く元気が無かった。
「ねえ、彼と車で一緒に行くの? 私は遠慮したいんだけど。皆には言ってなかったけど、ホテルで彼とキス
をしたのよ。二十分もよ。
ああ、もう堪らないわよ。モンスターと知らずに延々とキスをしていたなんて。ローラじゃないけど私も当分
立ち直れそうにも無いわ。
サイボーグってもっと格好の良いものかと思っていたんだけど、ただの化物だったのよね。ああ、私って
本当に不幸だわ!」
詩織もすっかりグロッキーになっていた。
「しかし一緒の車に乗って行かない訳にはいかないんだよ。ただ彼には悪いけど、助手席に乗って貰う事
にするよ。それなら何とか我慢出来るだろう?」
ケンピーの提案に皆一応納得した。暫くしてケータイで、バスに乗った連中が空港に着いたと、連絡が
あった。
そのバスに今度はアメリカ空軍の特殊任務の連中が乗って来るのである。しかしその連中を待ってい
たりはしない。今ビルの中に残っている者達と、無関係である事を強調する意味があるのだ。
「大黄河さん、起きて下さい! 今連絡が来ましたから」
専らケンピーが夕一郎の係りの様になった。彼の側には誰も来たがらないのである。
「ああ、分かりました。じゃあ、行きましょうか」
「はい、それで、車に乗る場所なのですが、助手席にして貰えませんか? 女性達がちょっと嫌がるもので
すから……」
流石に言い難かった。
「はははは、そうですか、はい、分かりましたよ。まあ、あの様な姿を見たら無理もありません。見なければ
良かったのだと思いますが、それが仕事だというのですから仕方がありませんでした。
ただ、聞いているとは思いますが、地下から外に出た所で一旦、車を止めて下さい。シャッターを下ろし
て、鍵を掛けて行きますからね。もう一つの鍵はそちらで持っている筈ですが、間違いないでしょうね?」
「はい、それは、間違い無い筈です。じゃあ、行きましょう」
二人は既に運転手と四人の男女が乗って待っているリムジンカーの所へ行った。車のライトが点けら
れ、ビル全体の電源は夕一郎が落とした。
それから言われた通りに夕一郎は助手席に乗った。派手な装飾のリムジンカーは結構なスピードで表
に出たのだった。外は曇っていてやや薄暗かった。
「じゃあ、少し待っていて下さい。今シャッターを下ろしますから」
夕一郎は電動と手動と両方で動かす事の出来るシャッターを、軽々と手で下ろすと、シャッターの中央
の一番下にある鍵穴にキーを差し込んで回し、鍵を掛けた。それから玄関の鍵を確認してまた車に戻っ
て来た。
その間、人間離れしたスピードだったが、今は誰も感動などしなかった。いや、一人だけ、車の運転手だ
けは、手術の様子を見ていなかったせいか、驚き感動さえしていたのだった。
「スゴイスピードデスネエ。カンドウシマシタ」
運転手はたどたどしい日本語だった。夕一郎に関わる者は全て、多少なりとも日本語が話せる人選だっ
たようである。
「はははは、有り難う御座います。えっと、それじゃあ、空港に行って下さい」
夕一郎は笑いはしたが、苦悩も感じていた。後ろの席の男女五人は冷めた目で夕一郎を見ていたので
ある。その冷たい視線が後頭部の辺りにぶつかって来る様な気がしていたのだった。
「イマノバスガ、ナカマノノッタ、バスデスヨ」
運転手は夕一郎が気に入ったのだろう、何かと話し掛けて来た。
「ああ、そう言えば、その様ですね。すれ違う事によって、事が間違いなく運んでいる事を確認したという訳
なんでしょうね」
夕一郎も運転手の話しに乗った。後ろの連中が一言も彼に話し掛けないので間が持たない感じだった
からである。暫くして、リムジンカーはインディラ・ガンジー国際空港に到着したのである。
「オキヲツケテ!」
「ああ、どうも有り難う」
運転手は最後まで良く喋ってくれた。夕一郎は嬉しくて、降り際に握手して感謝の念を伝えたのだった。
「あの飛行機ですから。お仲間はもう乗り込んでいると思いますよ。私達も行きましょう」
ケンピーが率先して夕一郎に話し掛け、彼と並んで歩いてターミナルに入って行った。ベンジャミン、詩織
サマンサ、ローラの四人は少し離れて二人の後をついて行ったのだった。