夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                              166


「俺は拉致されてここに来た。手術されて怪物にされそうなんだ。今も半分怪物だ。君達を投げ飛ばす事が
出来たのもその為だ。
 俺は怪物になりたくない。地上に上がったら俺を逃がしてくれ。いや、積んである機械の陰に隠れている
から気が付かなかった振りをしてくれれば良い。
 俺は勝手に逃げる。それだけで良いんだ。頼む、知らなかった事にしてくれ。俺が逃げ出した事は、秘密
になっている。大っぴらな捜査は出来ない筈だ。もう一度お願いする。頼むから見逃してくれ!」
 夕一郎が必死になってお願いしているうちに、もう地上が近くなっていた。

「わ、分かった。何も見なかった事にすれば良いんだな?」
 リーダー格らしい最初に殴りかかった男が言った。喧嘩しても到底勝ち目が無いと分かって、素知らぬ振
りをする積りになったらしい。
「ああ、そうだ。俺は荷物の陰に隠れていて、地上に着いたら、直ぐ飛び出して脱出するから。声を出さず
に驚いてくれれば良い。呆気に取られて声も出なかったという風にね」
 夕一郎は具体的な演技指導(?)までして言った。

「皆そういう事だから、ちょっと、驚いた振りをしろよな。しかしそれだけで良い。余計なことを言うんじゃねえ
ぞ!」
 リーダーの一声で作業員達の気持ちは決った様である。そのほんの少し後にエレベーターは地上に到着
した。

「タ、タ、タ、タ、タ、……」
 殆ど風の様に夕一郎は走り去ったのだった。余りの素早さに皆演技すら忘れて、呆気に取られていたの
である。彼の言うように、地上では何事も無かったかの様に通常の作業が進められていた。

 夕一郎の幸運は続く。少し離れた所では、一般の観光客が空軍の施設の見学をしていた。車の陰や、建
物の陰等に隠れながら、そこに近付き、とうとう観光客に紛れてしまったのである。
 数十人の観光客の中には日本人も少々いたし、小柄な彼は全く目立たなかった。

「貴方も日本から来られたんですか?」
 いきなり声を掛けられて驚いたが、みると、かなり年配の人懐っこそうな男性が話し掛けて来たのだった。
「はい。お宅様もそうですか?」
 夕一郎は親しげに話した。
『これはチャンスかも知れない。ここから何処かの街にでも行ければ問題ない! 申し訳無いけど何とか
このおじさんを利用しよう』
 そう思った。内心は必死の思いだったのだ。

「英語は話せますか? どうも私は苦手でしてね。ここのツアーは英語が分からなくても良いと聞いたので、
来てみたのですが、話が違うのですよ。殆ど英語の説明だ。何が何だかチンプンカンプンでね」
 その年配のおじさんは、言葉が分からなくて難儀(なんぎ)していた様である。観光ツアー等では良くある
手違いなのだ。

 ツアー会社では何とかして観光客を集めようと、つい『英語が分からなくても大丈夫。日本語で十分通用
します』と言ってしまったりする。実際には必ずしもそうでない場合も少なくないのである。
 そのおじさんもうっかりツアー会社の口車に乗せられてしまった一人だったのだろう。これほどがっかり
する事は無い。

「ああ、そうですね。じゃあ、私が通訳して差し上げましょうか? ええと、言葉が良く聞こえる様に、このヘッ
ドホンを着けてっと」
 夕一郎は翻訳機のヘッドホンを集音器か何かの様に装って装着した。
「ええとそれじゃあ、通訳しますよ。ここの施設は1990年に大幅に改造され、世界屈指の施設になりまし
た。
 全世界の情報を収集し、また軍事衛星の打ち上げなどもしている、アメリカ空軍の言わば要なのです……」
 夕一郎は如何にもそれらしく通訳した。おじさんは感心して、聞いていたが、
「ううう、どうも有り難う御座います。いやあ、見ず知らずの人にこんなに親切にして頂いて、何とお礼を申
し上げて良いやら……」
 仕舞には涙ぐんで感謝したのだった。

 三十分ほどで見学は終りを告げた。
「あのう、ホテルなどはお決まりなのでしょうか?」
 おじさんは恐る恐る聞いて来た。
「いや、ブラリ一人旅でして。特に決めていないんですけどね」
「そうだったんですか。宜しかったら、一緒に参りませんか? 観光タクシーで来ているんですけど、訳を話
して一緒に乗せて行って貰いましょう。
 大きな声じゃ言えませんが、女性を世話するから、一緒に乗せて行かないかって言われている位なんで
すよ。だったら、男性を乗せたって良い訳でしょう?」
 帰りの道々おじさんは声を潜めてそんな事を言った。

「成る程ねえ。確かにそれは言えてますね。ホテルはどちらですか?」
「実は結構距離はあるんですがマイアミなんです。まあ、色々あって、家内とはこれが最後の旅行なんで
すよ」
「マイアミとは遠いですね。しかし、最後の旅行ですか?」
 夕一郎には意味が飲み込めなかった。

「はははは、お恥ずかしい話なのですが、離婚旅行とでも言うのでしょうか。お互いに冷静になって旅行して、
最後の決断をしようと言うことになったのでしてね。まあ、馬鹿な夫婦と笑って下さい」
 おじさんは意外な事を言い出だしたのだった。

「いや、それは、その。何とも言えませんね。人には色々事情がおありだと思いますからね」
「はははは、ああ、そうそう、名前を言い忘れておりましたが、私は枯山河泰治(かれさんがたいじ)と申し
ます。小さな会社の社長をしております」
「ああ、あのう私は、だ、大吾祐造(だいごゆうぞう)です。宜しく。ああ、その職業はまあ、その、フリーター
です」
 夕一郎は冷や汗を掻きながら偽名を俄かに作って言った。

「貴方とは気が合いそうだ。タクシーの中で道々お話しながら行きましょう」
 枯山河泰治は嬉しそうにしながらタクシーの運転手に事情を説明していた。タクシーの運転手はチラッと
夕一郎の方を見たが、仕方が無いと言った顔で渋々了承したのだった。運転手は日本語が堪能な様で
ある。

 それから間も無く、オーランド国際空港には、ゴールドマン一行が夕一郎を探しにやって来ていた。彼等
はよもや彼が観光タクシーでマイアミに向かったとは夢にも思っていなかったのである。タクシーは南へ数百
キロ離れたマイアミまで高速道路を使って走っていたのだった。

「本来は私と家内はこっちで一緒に行動する積りでしたが、結局喧嘩別れしてしまって、家内はもう日本に
帰ってしまいました。何が気に入らなかったのでしょうか、もうどうしようもないですね。あはははは、これは
つまらない話を致しました。大吾さんの方は何か、経緯など御座いますか? こちらへ来られたのはブラリ
一人旅だそうですが」
「いや、その、マッサーズシティに知り合いがいるのですが、実はお金をすられてしまって困っていたのです
よ。フリーターをしながらアメリカをあちこち回って、知り合いの所に行く積りだったんですけどね」
 夕一郎はやはり冷や汗を掻きながら話を繕った。

「お金をスラれたんですか? それはお困りでしょう。警察には届けられましたか?」
「いや、先ず届けるだけ無駄ですよ。何処でスラれたのか分からないんですから。プロの仕業でしょうね
きっと」
「それは大変でした。だったら尚更私の所にいらっしゃい。多少の金子なら御座いますから」
 泰治の言った言葉に、運転手は一瞬目を光らせたのだった。暫くして、
「参ったな、ガソリンが残り少ないんですよ。ちょっと寄り道して知り合いのガソリンスタンドに行っても良い
ですか? 顔馴染みなんで、安くしてくれるんですよ」
 と、言い出した。

「ああ、安くしてくれるんだったら構いませんよ。急ぐ旅じゃあありませんし」
 泰治はあっさり信用した。しかしアメリカは何かと物騒である。お金のある話は特に禁物だったのだ。車
は高速道路を降りて、山の中のかなり辺鄙な場所に行った。確かにガソリンスタンドがあったが、どうにも
胡散臭そうな場所である。周囲に建物が何も無く、ポツンとガソリンスタンドだけが一軒あるだけなのだ。

「おい、若造、降りな!」
 急に運転手の態度が変った。車の周りには人相の悪い連中が七、八人寄って来ていた。
「この若造は人質として預かるから、爺さん、金を持って来な。俺が付いて行ってやるから、お金を持ってま
たここに戻って来れば良い。変な気を起すと、若造の命はねえぞ、いいな!」
 どうやら観光タクシーの運転手は何時でも強盗に早変りする様である。しかも、何かボスの様な感じだっ
た。

「泰治さん、俺と一緒に降りて! 大丈夫、俺は強いから!」
 小さな声で夕一郎は叫んで、強引に腕を引っ張って、泰治を車から降ろした。
「何の積りだ! 逆らうと命はねえぞ!」
 運転手は車の窓から顔を出して、そう怒鳴ったが、
「ガンッ!」
 凄まじい夕一郎の拳の一撃で、顔面が半分潰れてしまったのだった。
「グエッ!」
 死にはしなかったが、血がボタボタと滴り落ちて来たのだった。完全に失神していた。

「ギャッ!」
「ウアッ!」
「ギエッ!」
 あっと言う間に更に三人が失神してしまった。残った四人はすかさず拳銃を取り出したが、その直後に、
二人が次々と倒されて行った。

「パンッ! パンッ!」
「パンッ、パンッ、パンッ!」
 残った二人は、夕一郎目掛けて何発も銃を撃ったが、
「ギャーッ!」
「グアッ!」
 その二人とも銃を撃ちながら倒されてしまった。全員瀕死の重傷である。

「あああああっ!」
 泰治は恐ろしさの余り、顔が引き攣っていた。
「えっと、車の運転は出来ますか?」
 夕一郎は穏やかな調子でそう言ったのだった。ただ、彼の服は銃で撃たれて穴が開いていた。焼け焦げ
て煙が上がっている。
 血の臭いと、ガソリンの臭いと、焼け焦げた臭いとが入り混じった凄まじい臭いに、泰治は立っているの
がやっとだったのである。

          前 へ       次 へ       目 次 へ        ホーム へ