夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「あ、あのう、貴方は一体……」
泰治は穴だらけの服が不思議でならなかった。恐らく十発は当っている筈である。顔にも二発当っている。
かなりの出血だった筈だが既に血は止まっている。しかし頬の皮膚の一部が焼け焦げているのだ。
それで痛がらないのが不思議でしょうがなかった。兎に角今は理解出来ない事で頭が一杯で、夕一郎の
問いに答える事が出来なかった。
「ああ、驚かせて済みません。私は普通の人間ではありません。何と言ったら分かって貰えるか。うーん、
ソード・月岡という人をご存知ですか?」
「ソード・月岡? あの凄い記録を沢山出して、でもごく最近殺されてしまった人ですよね。それが何か?」
泰治はますます訳が分からない。
「信じないかも知れませんが、敢えて言えば、私は彼の生まれ変わりです。詳しい事は今はお知らせ出来
ません。色々秘密の事がありますのでね。普通の人は知らない方が良い」
「はあ? そんな馬鹿な事が。……でも、確かに普通じゃない。拳銃で撃たれて死なない人間なんている筈
が無い。えええっ! まさか本当に!」
泰治は少しは信じる気になって来た様である。
「でもそれは秘密にして下さいね。そうですねえ、おあつらえ向きにあそこに車が二台ありますね。さっき
も言いましたが運転はされますか?」
「車の運転? ああ、勿論出来ますよ。ただ免許証は日本に置いて来たんですが。そ、それに、人様の車
を勝手に使ったら、泥棒ということになるのでは?」
泰治は今が緊急を要する場合である事の認識が欠けていた。
「この人達、ほって置いたら死にますよ。一応警察に連絡して置きますが、私は都合があって、一刻も早く
知り合いの所に行かなくてはなりません。
警察の人とゆっくり話をしていられないのですよ。ご苦労様ですが、マイアミまで私を連れて行って下さい
ませんか?
それと、このボロボロの服は拙いですね。何処かで買って頂けないでしょうか? お金は後でお支払い致
しますから。知り合いはマッサーズシティにいるので、ちょっと時間が掛りますけど」
「ええと、あのう、はい、分かりました。貴方は言わば私の命の恩人だ。本当の事を申しますと、半分位は
死ぬ気でやって来たんですよ。
まさか自分が熟年離婚の当事者になるなんて思いも寄りませんでしたからね。こっちに来たのは最後の
賭けだったんですが、その賭けに私は負けてしまいました。
妻の気持ちが全く理解出来ない。ああ、そんな愚痴を言ってもしょうがないですね。じゃあ、取り敢えず、
警察に連絡の方お願いします。それとその車のキーは何処にありますかね?」
泰治は徐々に落ち着いて来ていた。
「そうですね、先ず車のキーを捜してからにしましょう。ええとちょっと待って下さいよ」
夕一郎はガソリンスタンドと一体になっている事務所に入って探してみた。真っ先にしたのは手袋である。
車関係のグッズも一応売っている様だったので手袋も直ぐに見つかった。
念の為に二枚重ねて使った。手袋を入れてあった袋等もズボンのポケットに入れて持って行く事にした。
出来るだけ証拠を残さない為である。
「ああ、ありました。多分これですね。おあつらえ向きにちゃんと壁に掛けてありました。枯山河さんも手袋
をして下さい。
それでガソリンを満タンに入れてから走れば、マイアミまで持つと思いますよ。ここから百キロ程度です
からね」
「仰る通りに致しますが、何だか盗みを働くみたいで気持ちが悪いですね」
少しおどおどした感じで泰治は言った。
『泰治さんは意外に小心なのかも知れないな』
と、夕一郎は思った。
『ひょっとすると、それが離婚と関係があるかも知れないんじゃないか?』
そんな風にも感じた。ただそんな風に悪くばかり考えても仕方がないので、話を良い方に持って行く事に
した。
「はははは、もし咎められたら、その時はお金で解決出来ますよ。よく考えて下さい。こいつ等は強盗です
よ。しかも銃も持っているし、発砲したのですから殺人未遂です。
その連中から逃れようと必死だったのですよ私達は。それが罪に問われるとは思わないし、仮に問わ
れても、ごく軽い起訴猶予程度の事だと思いますけどね。せいぜい罰金位です。それに、場合によっては
私の仲間達が助けてくれますよ。勿論私もね」
夕一郎は出来るだけ安心する様に言った。
「そ、そうですね。はははは、私は何を言っているのでしょうね。アメリカに死にに来た男が、自分の身を守
ろうとするなんてね。案外こんな所なのかも知れませんね、家内がどうしても私と別れたいというのは……」
泰治は自分の不甲斐無さを恥じている様だった。
「いや、臆病は恥ではありませんよ。SH教をご存知ですか? ソード・月岡氏はSH教のまあ、リーダーだっ
た訳ですが、SH教は『臆病の勧め』を説いている位ですからね。あっと、話はここまでにして、車のスタンバ
イの方、お願いします。私は警察に連絡しますから」
夕一郎は早速翻訳機を使って警察に連絡した。ただ少し問題があったのは、翻訳機の調子が少し悪く
なって来た事だった。
『どうやら電池が無くなって来たみたいだな。こいつは拙いぞ。いや、待てよ、充電式かも知れない』
夕一郎は翻訳機の状態を調べて、充電式である事が分かったが、ここでゆっくり充電はしていられない
ので、先ずこの場を去ることを優先した。
「さあ良いですよ、スタンバイ、オッケーです!」
泰治は何か吹っ切れた様な言い方をした。漸く覚悟が決ったようである。
「じゃあ、行きましょう。まあ、安全運転でお願いします。一応、ハイウェイ道路を走るのですから、スピー
ドは出さなくちゃ駄目でしょうけどね。
でも日本の様に料金が掛りませんからその点は良いですよね。それに道路は分かり易いですしね。殆
ど一本道ですからね。ああ、その他色々な事は車の中で話しながら行きましょう」
泰治の運転は最初は慎重だった。左ハンドルであることや右側通行である事がなかなか飲み込めない
のだ。
「いやあ、最初はどうなるかと思いましたが、まあ、何とか運転出来そうです。しかしこんな事を言っては
あれですが、お若いのに運転は駄目なんですか?」
泰治は全く常識的な事を聞いたのだった。
「はははは、免許を取る間が無くてね。何と言いますか、その、忙し過ぎましたからね。随分色々な事が御
座いましたしね……」
夕一郎も何か不思議な気がしたが、確かにその暇は無かったのである。免許を取れるだけの自由な
時間はサイボーグになってからは全く無かったのだった。
「そ、その、本当に、ソード・月岡さんの生まれ変わりなんですか? 疑う訳では御座いませんが、年齢的
に考えて有り得ないのではありませんか?」
泰治は生まれ変わりに拘った。
「はい、説明は難しくなります。ただ、これも秘密にして欲しいのですが、殺害されたソード・月岡さんは、
実は偽物なんです」
「ええっ! ソードさんは偽物だったんですか? それは信じられませんね。で、でも本当なんですよね」
泰治は目の前の男の言う事を信じない訳には行かなかった。
『拳銃で撃たれても死なない男なんだからな。嘘を言っているとも思えないし……』
半信半疑な所もあるが、一応は信じてみる事にした。
「念の為に申し上げておきます。国家レベルの秘密が絡んでいます。余り深くは立ち入らない方が宜しい
です。言ってしまってから言うのもあれなんですがね。そのう、お子様はおられますか?」
夕一郎は自分の息子の昇一とダブらせて考えていた。
「はははは、それがその、家内との間には御座いません。ちょっと言い難いのですが、別に女がおりまし
て、彼女の娘、まあ私にとっても娘なのですが一人おります」
泰治は冷や汗を掻きながらも正直に言った。
「そうですか、だったら尚更の事、深入りはしない方が良いでしょう。マイアミに行ったら、車は目立たない
所に乗り捨てれば良い。勿論ホテルの近くにですけどね。
ああ、そうそう、私はこの格好では外に出られませんから、何処かのお店に立ち寄って、安物で良いで
すから買って来て頂けませんか?」
「はい、その位のことでしたら、お安い御用ですけどね。今着ている感じの、普段着で宜しいんですね?」
「ええ、なるべく目立たないようにしたいので、その方が良いんですよ」
「分かりました。じゃあ、そうさせて頂きます」
泰治は段々車の運転にも慣れて来て、少し余裕のある話し方に変って来ていた。恐らくついこの間まで
毎日のように運転していたのであろう。夕一郎もそれを見て安心して話しを続けたのだった。
「それで何処かで、そうですね、目立たない場所、車の中で着替えましょう。それでお別れという事に致し
ましょう。
後は枯山河さんは、なるべく早く日本に帰ることです。それと手袋はスーパー等のダストボックスで処分
されれば良いでしょう。
間違ってもホテルでは処分されない事です。誰が処分したか分かってしまいますからね。それから万一
私の事を聞かれたら、知っている事を全部お話して下さい。私は平気ですから」
夕一郎は泰治の身の安全もさることながら、愛人の娘の身を案じていたのだった。