夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「何か暖かいですね。それに空の色が突き抜ける様な青さだ。マイアミは大都会ですね。高いビルディング
が沢山ありますね。ああ、そうそう、先ずどっかのお店で、服をお願いします」
マイアミの市街に入ると、それらしい衣料品店を探して、服を買って来て貰った。
「いや、済みません。言葉の方は大丈夫でしたか?」
夕一郎は持っていた翻訳機の事は話していなかったので、敢えて貸さなかった。バッテリーの状態が危
ない事も気になっていたからである。
「はい、買い物をするだけなので、何とかなりました。さて着替えは何処が良いでしょうかね?」
泰治は車をゆっくり走らせて場所を探し始めた。
「あの、木の陰辺りが良いんじゃないかな。ちょっと、車を止めて貰って……」
流石にアメリカである。場所は広々としていて、至る所に、木々が生えている。特にビルの立て込んでいる
地域を除けば、木陰など幾らでもあった。
「じゃあ、ちょっと失礼して……」
夕一郎は上の方を先に着替えてから、辺りの様子を伺って、素早くズボンも取り替えた。脱いだ穴だらけ
の服は買って来た服の入っていた袋に仕舞いこんだのだった。
「ええと、繁華街の方へ少し走ってから降ろしてくれませんか。それからちょっと言い難いのですが、お金を
少々、十ドル位で宜しいのですが貸して頂けないでしょうか?」
「あのう、お金を貸すことは何でも御座いませんが、一緒に車を降りませんか? どうも一人では心許無い
んですよ。何だったらここに車を乗り捨てて、一緒にホテルの近くまでご足労願いませんでしょうか?」
泰治は如何にも心許無さそうに言った。
「そうですか。しかし御迷惑が掛るかも知れませんよ。私と一緒だったという事になればね。ここからだとホ
テルまでかなりありますか?」
「はい、歩いて一時間やそこいらは掛るでしょう」
「そうですか。じゃあ、あれですね、ここで降りて、先ずこの服の入った袋を処分して、それからタクシーでホ
テルに行きましょう。
ホテルから少し離れた所で降りて、一緒に歩いて行きましょう。それでホテルの少し前でお別れに致しま
しょう。それでどうでしょうか?」
夕一郎は少し譲歩した。
「あのう、そのような事を仰らずに、私の部屋に一緒に来て頂けないでしょうか?」
「えっ! しかし私と一緒では危険ですよ。場合によっては貴方の娘さんにまで危害が及ぶかも知れません
よ」
夕一郎は真剣な表情で言った。
「私は日本には帰りません。その覚悟で来たんです。いざとなったら立派に死んでみせますよ。それに、私
と娘の関係は最悪です。
娘は私を嫌って、家出をしたきり、行方が分かりません。どうやら私の女、娘の母親とは連絡し合ってい
るらしいのですが、私は蚊帳の外です。
私がこっちにいる限りにおいては、彼女に危険があるとも思えません。どうか、私の部屋に寄って行って
下さい。お金ならありますから。
それでそのう、私を貴方のお仲間の所へ連れて行って欲しいのです。駄目でしょうか? もしオーケーな
ら、私の持っているお金を使って、飛行機で一気にマッサーズシティに行きましょう。どうでしょうか?」
泰治の言葉は夕一郎を驚かせた。
「ええっ! 本気ですか? 日本に帰る積りはないんですか?」
夕一郎は気持ちを確かめてみた。
「はい、先ほどから申し上げておりますが、私はアメリカに死にに来たのです。会社も人手に渡し、妻との
離婚の手筈も整えて来ました。しかし私は妻にお金は渡しません。冗談じゃない。
私の稼いだ金だ。妻には男がいるのです。探偵事務所に頼んできっちり調べましたからね。間違いない
です。ああ、本当にくだらない話で恐縮です。そんな状態ですからお気になさらないで下さい。
それよりも私は貴方のお仲間と一緒に新しい人生を踏み出したい。何とかお願いします。お金を全額寄
付しても良いです。何とか頼みます!」
泰治は必死になって頼み込んだのである。
「うーん、そこまで仰るのならば、取り敢えずホテルの部屋まで一緒に行きましょう。それでもう一度話し合
いましょう。だったら、車はホテルの駐車場に入れましょうか? そこまで覚悟が出来ているのだったら、こ
の際そうする事にしましょう。その後の話はまた後のこことして、それで良いですか?」
「はい、それで良いです。ああ、良かった。じゃあ、行きましょうか?」
「それじゃあ、ホテルへゴーですね、はははは」
夕一郎は泰治の決意の固さにちょっと笑い出すほど驚きもしたが、
『自殺しようとしていたんだから、人助けになるかな?』
とも感じた。
「ホテルはここです。マイアミ・スターホテル。二十階建てでまあ中堅のホテルですが、ここを選んだのは、
色々遊べるらしいと聞いたからなんですよ。カジノもあるし、女遊びも出来る。ここでパーッとお金を使って、
後は首でも吊ろうかと思いましてね」
フロントからキーを受け取ると、彼の部屋、1235号室に向かった。12階の35号室である。特に変った
所は無さそうだった。
「どうぞ、お入り下さい。まあ、自分の家でもないのにちょっと変ですが。ああっと、そうですねえ、無我夢中
でここまでやって来て、今頃になってお腹が空いて来ました。
あのう、一緒に夕飯なんかどうですか? 勿論奢りますよ。それに、殆ど、外人さんばっかりだから、日
本語で話しても、内容は誰にも知られませんしね」
「そうですね、その前にちょっとお風呂をお借り出来ますか?」
夕一郎は汚れを落とすことにした。それと湯船に浸かって考えを纏めようと考えたのである。
「はい、それは構いませんが、ここは、シャワーしかないんですよ。意外と言いますか、日本では考えられ
ないのですが、アメリカではシャワーしか無いホテルがいまや一般的だとか。
妻はそれも気に入らなかったようです。それと男の遊び場が多いことも嫌だったらしいですね。どうして
そんな事が分かったんでしょうね、私は何も言わなかったんですが。勘ぐれば浮気相手の入れ知恵じゃな
いかなんて思いましてね。あははは、また余計な事を言って仕舞いました。その、シャワーだけで宜しけ
ればどうぞ」
色々言うのは泰治が妻に未練があるからなのだろう。しかしそれだけは口が裂けても、意地に掛けて言
えないのだろうと夕一郎は感じたのだった。
「じゃあ、シャワーをお借りします。ただ、今夜中にここを脱出しますよ。フロントの男の人や女の人達が
私の顔の傷を見てヒソヒソと話していたでしょう?」
「あ、はい」
「余りゆっくりは出来ないですよ。飛行機もちょっと無理な気がして来た。ざっと整理して、早めに脱出した
方が良い。もう覚悟は出来ているんですよね? 私と一緒は危険だと何度も言いましたからね」
夕一郎は再度確認した。
「は、はい。あの、誰かに追われているんですよね?」
泰治も徐々に事情が飲み込めて来た様である。
「そうです。アメリカ空軍の関係者でゴールドマン教授が私を追っています。ただ大っぴらに出来ないらしく
て、密かに追い掛けているので、何とか逃げられています。
ですが、一番後ろの方にはアメリカ大統領まで控えているようですからね、超危険ですよ。本当に覚悟し
て下さい。
ええとそうですねえ、気が変りました。どうもさっきのフロントの人達の視線が気になります。早速ですが
逃げましょう。
夕食を食べに外に出る振りをして車でマッサーズシティに向かいましょう。先ずガソリンを満タンにして、
何処かの町のモーテルで、いや、この傷では何処へ行っても目を付けられる。
車で寝泊りしながらまあ、トイレは野外と言う事にして、食事は何処かのファストフード店で買うなりして、
さあ、兎に角急ぎます。
お金さえあれば何とかなりますから。必要なものは身に付けて、旅行カバン等は置いて行くのです。早
速やって頂きたい!」
夕一郎は持ち前の用心深さから、のんびりしていた気分を一気に引き締めた。
『警察に通報されでもしたら厄介な事になるからな』
そう思った。
「す、直ぐですか?」
「はい、お願いします。この顔の傷はそう簡単には治りそうもありませんからね」
「分かりました。じゃあトイレに入ってから即行きましょう。キャッシュはこれだけなんです」
泰治はデスクの引き出しに入れて置いた鍵付きの手帳を取り出した。持っていた小さな鍵で中を開け
て確かめてみる。
「百ドル紙幣が十枚で千ドル。後はカードで何万ドルかありますから。トイレに入る間だけ待っていて下さい」
「ああ、待っていますから、どうぞ」
「それでは失礼して」
泰治は慌ててトイレに入って、僅か一分で出て来たのだった。
「お待たせしました。それじゃあ直ぐ行きましょう! でも服を着替えなくて良いですかね?」
「成る程。外食するんですからね、少しはましな服で無いとね。でも、私は持っていませんし……」
「私のをお貸し致しましょう。体形が近いですから、まあ、多少地味ですが、何とかなると思いますがね」
泰治は結構替えの洋服を持って来ていた。
「あはははは、その、随分あるとお思いでしょうが、思いっきり遊ぶ積りでしたので、ちょっとはお洒落なも
のをと思いましてね。でも結局遊べなかったんですが。はははは、度胸がありませんでね」
「そうですか、じゃあ、お借りします。ああ、丁度良いですね。薄いピンクのシャツは余り着た事が無いので
すが、まあ、兎に角行きましょう」
ズボンはそのままだったが、泰治のやや派手めなシャツを着て、二人はホテルの外に出て行ったのだっ
た。