夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「しかし、紙袋を捨てて来たのは、拙かったでしょうか?」
 駐車場に向かって歩きながら、泰治はちょっと心配そうに言った。紙袋は屑入れに、しかしボロボロの衣
服は旅行カバンに鍵を掛けて仕舞い込んで来たのだった。

「いや、もし無かったらかえって不自然でしょう。あの紙袋はフロントの人達が見ていますからね。紙袋の
中に、今私達が着ているシャツがあったと推測して貰えれば、好都合です」
 夕一郎は冷静に分析した。二人は直ぐに車に乗って、今度は北上を始めたのだった。マッサーズ州は
遥か北にある。

 途中でガソリンを入れたり、ハンバーガーやジュースを買って食べたりしながら、車を走らせたのだった。
暫くはハイウェーからは全く降りなかった。何度か給油しながら、時折、カードでキャッシュを下ろしたりもし
ながら徐々に北に向かって行った。

 勿論パーキングエリア等で駐車しながら休養を取ったりしてのことである。ただ幸運だったのはサービス
エリア内のレストランの一角で、充電が可能だった事である。
 本来は携帯電話用の物なのだが、電気カミソリ等も使えるので夕一郎の持っていた翻訳機の充電も
上手く行ったのである。

 北上するにつれて、気温は少しずつ下がって来た。海岸伝いのハイウェイを走り続けていたので、起伏
は余り無く走り易かった。
 ジョージア州に入ると気温はぐんと低くなって、車の中にはヒーターが入れられたのだった。途中のサバン
ナの町では、夜明け過ぎまで、車中で暫く休養を取ってから、一旦ハイウェイから降りて、ショッピングセン
ターで防寒具を買った。

 また絆創膏も買って、夕一郎の傷に貼って何とか誤魔化した。目立たない肌色の絆創膏だったので、傷
は余り目立たなくなった。その街では食糧なども買い込み、勿論ガソリンも満タンにして更に北上を続けた。

 その頃、マイアミの二人が逃げ出したホテル、マイアミスターホテルの1235号室を巡って大騒ぎになっ
ていた。
 夕一郎の予想通り、ホテルのフロントの係員は警察に連絡していたのである。ただ、顔に傷があるだけ
では犯罪とは言えないので、二人の逃走が間違いないと分かるまでは、警察官も動けなかった。

 夜が明けても二人が戻って来なかったので、警察も二人を保護する目的で、部屋に進入したのである。
マイアミは麻薬の取引の多いことで有名であるので、その方面の嫌疑も掛っていた。
 徹底的に部屋の中は捜索されたが、鍵の掛った、旅行カバンが一番怪しいと考えられた。しかし、テロの
可能性もある。

 旅行カバンは爆発物処理班が慎重に数時間も掛けて中を開けて確認したのだった。これといってめぼし
い物は無かったが、ただ一つ、穴だらけのシャツと汚れたズボンとが犯罪に関連する重要な証拠物件と
なったのである。
 それもその筈、穴だらけのシャツのその穴は拳銃によるものだったからである。しかし捜査官達は首を
捻った。本来なら大量にある筈の血痕が一部に少量しか無かったのだ。

 結局その事件は不可解な事件として処理され、迷宮入りの事件簿の中に収められてしまう事となった。
ホテル側も損はしていない。
 ツアー客の扱いだったので、料金は既に支払済みだったからである。しかもずさんな事後処理の為に、
年配の日本人一人の行方不明者の捜索は直ぐ打ち切られ、日本のツアー会社にも一切連絡は無かった。

 その上、彼は既に妻と一緒に帰国した事にされてしまっていて、事件はそれで終ってしまったのである。
それが良かった事なのかどうかは定かでないが、大黄河夕一郎と枯山河泰治の二人は、少なくともアメリ
カの警察に追われることは無さそうである。

 ただ、ゴールドマン教授とその仲間達は執拗に二人を追い掛けていた。教授は自分の仕事があるので、
追跡はアメリカ空軍の特殊部隊の任務となった。その中にはベンジャミンやケンピーも含まれていたので
ある。

 彼等がマイアミスターホテルの事件に気が付くのにはまだ一週間ほども要するのであるが、遅ればせな
がらもじわじわとその距離を詰めつつあった。
 大黄河夕一郎が絶対にアメリカ国外には脱出していない事を、彼等はきっちり掴んでいたのである。そ
して少なくとも一人は仲間が居るだろうという推測もしていた。
 その一方でシュナイダー博士は、アメリカ大統領に自分の意見を強く述べていたのだった。大統領は当
初は相手にしていなかったが、徐々に耳を傾けつつあった。

 夕一郎と泰治は更に翌日の朝に、マッサーズシティに到着した。道路には積雪があり、タイヤはそのまま
だったので、相当に慎重な運転になった。
 しかし、夕一郎はいきなり林果に会いに行く事には躊躇いがあった。またSH教の教会にも行き難かった。
何しろ、姿形はまったくの別人だったのだから。

 そこで、以前に泊まったことのある、マッサーズシティの東隣にある、ベガシティのホテル・ピンクオレンジ
に行って貰ったのである。そこの地下駐車場に行く様に夕一郎は指示を出した。
「へえ、結構立派なホテルですけど、何かこう、怪しい雰囲気ですね。マイアミのスターホテルより尚毒気が
ありそうだ」
「はははは、そうです、ここは巨大なラブサービスホテルなんですよ。カジノもあります。それに日本のパチ
ンコもあるんですよ。いや正確に言えば、パチンコそっくりの遊戯台と言うべきでしょうか。
 兎に角、今夜はここに一泊しましょう。午前中はカジノかパチンコで遊びましょう。少し私に稼がせて下さい。
その、少しお金を貸して下さい。百ドルあれば十分ですから」
 夕一郎がそう言ったのは、殆ど全面的に費用を負担して貰っていることが心苦しかったからである。

「あ、遊ぶんですか?」
「はい。以前にも遊んだ事があるんですよ。ただ、ちょっと目的があって、敢えて目立つ様に遊んだのです
けどね」
「こ、今回も、目的があるんですか?」
 泰治は真面目に聞いた。

「はははは、今回は純粋にお金を稼ぐのです。何しろ無一文に近いのでね。前にはパチンコで如何様(い
かさま)をやったのですが、今回はその準備がありませんから、四階にあるスロットマシンにしてみようと
思います。
 それだったら純粋に稼げますから。ただ、以前と同じかどうかは分かりません。マシンが変っているか
も知れませんからね」
「あ、あのう、本当に遊ぶんですね?」
 泰治は信じられなくて念を押した。

「はい、本当です。でも、負けても良い遊び方じゃないですからね。ああ、それとここは結構物騒なんです
よ。以前、地下駐車場からエレベーターで上に行こうとした時、チンピラに絡まれた事があった」
「ええっ! ホテルの中でそんな事があるんですか?」
「はい、ここはアメリカですし、まして、ちょっと如何わしいホテルですからね。ああ、駐車場が満杯だな。
兎に角駐車しないと話しになりません。
 じき新年一月も中旬ですけど、ここは繁盛していますね。ただお正月休みも終わりなので、日本人はグッ
と減ると思いますけどね」
 二人を乗せた車は、駐車スペースを探して地下へ地下へと下りて行ったのである。

「ああ、あそこが空いているね。あそこに止めましょう」
 そこは地下八階の8888番だった。何とも分かり易い。
「えへへへへ、何か縁起の良い数字ですね。まあ、こうなったら私も思いっきり遊ばせて貰います。元々そ
ういう積りでしたからね」
 泰治は吹っ切れた様に言った。

「ええと、エレベーターはこっちですから。おお、寒いですね。南国から来たからか寒さが身に染みますね」
 夕一郎は暑さや寒さを直接感じる訳ではない。体中のセンサーから脳に送られて来る信号から、今寒い
のだという事を知識として知っているだけなのである。ただ、そういう訓練を積んでいるので、如何にも暑
さ寒さが分かるように言う事が出来るのだった。

「本当ですね、でもこんなに朝早くからやっているんですか?」
「はい。ラスベガスと同じで眠らない街なんです、この辺はね。二十四時間ギャンブルに暇無しって所でしょ
うよ」
「へへえ、あれ?」
 二人がエレベーターの前で待っていると、少し離れた所で同じ様に待っている、七、八人の白人の少年
らしいグループが目に付いた。女子も二人いる。何かケバケバしい格好をしている。

「バタ、バタ、バタ、バタ、……」
 グループの全員が走って来た。走りながら全員が手にナイフを持ってそれを振りかざして来た。単なる
強盗ではない。殺人を楽しんでから金品を奪う最悪の強盗なのである。

『ふうむ、また同じ事になるとはね! 仕方があるまい!』
 15才前後の少年少女であっても、たった一人ではあるが仲間がいる以上、情け容赦などしていられな
かった。うっかりすると泰治の身が危険になる。
「ここを動かないで!」
 夕一郎は泰治に強い口調で言ってから、グループ目掛けて走って行った。

「ヒャッ! ヒャッ! ヒャッ! ヒャッ!」
 奇妙な声を出しながら、少年少女達は、向かって来た夕一郎にナイフを突き刺そうとした。中には目くら
めっぽうに振り回す者もいた。一人一人が違う動きをして相手を幻惑する。
 彼等はその方法でかなりの強者をも倒して来たらしかった。しかし今回は相手が悪い。夕一郎にはナイ
フは全く通用しないのである。

「バンッ、バンッ、バンッ、……」
 ものの一分とは掛らなかった。男子も女子も全員が顎かあばら骨を折られている。全員が激痛にのた
打ち回ったのだった。

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