夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
172
「ジャパニーズ・スープ・パスタ、これってうどんの事ですよね?」
結構分厚いメニューの中に確かにうどんそっくりの写真が載っている。ただ、名前が全て横文字だったの
で気が付かなかったのである。
「ああ、失敗しました。もうお腹が一杯でこれ以上食べれませんし。じゃあ、これで帰りましょうか?」
「はい、ここからマッサーズシティまでは直ぐですから、暗くなる前に到着出来ます。しかし、道場はやって
いるかな? まあ、駄目元で行ってみましょう」
「はい、そう致しましょう。あの、ところで道場と言うと、やっぱり格闘技の道場ですか?」
泰治には良く分かっていなかったようである。
「はい。詳しい事は車の中でお知らせしますから」
「それじゃあ、参りましょう」
二人は意外に庶民的なメニューもあるスカイレストランを後にして、地下の駐車場に行った。地下八階の
8888番であった筈である。
「あれ? 車が無いですよ?」
泰治は驚いてきょろきょろと辺りを見回したが何処にも見当たらない。
「ええと、8888番ですよね? おかしいですね、確かに無い。あれえ、どうしたんだろう?」
夕一郎も首を傾げた。
「うーむ、キーは持っていますよね?」
「はい、勿論です。それにきっちり鍵も掛けたんですけどね」
「もう少し探してみましょうか?」
「ええ、そうしましょう」
二人は暫く探したが見当たらないので、更に地下に降りて行ってみた。
「あれじゃないか?」
地下九階の奥まった所に似た様な乗用車があった。
「ありゃ、確かにそうですね。でも、何だか……」
泰治は言葉を濁した。遠目からでも分かるほど壊されている。
「ああ、こりゃ酷い! どうしてだ? これだけある車の中から俺達の車だけを選んで壊す?」
車の窓ガラスが破られていたが、切り口が綺麗だったのはガラス切りを使ったのだろう。しかしタイヤが
四本とも外されている。
更にカーステレオやバッテリーなど取り外しの出来る部品の殆どが盗まれていた。見るからにプロの仕
業に違いなかった。
「こりゃ、参ったな。仕方が無い、タクシーか何かで行きましょう。先ず一階に行かないと」
「はい。ひょっとして、あの少年少女の仲間の連中でしょうか?」
泰治は普通の推理をしてみた。
「うーん、何とも言えませんが、少し違う様な気がします。あの連中はさっきのアームレスリングの連中とも
関係があったと思いますが、どちらかと言えば暴力系です。
しかしこの車の盗人達は知能犯のような気がします。犯行も手馴れている。ただ分からないのは、他に
もっと立派な車が沢山あるのに、どうして私達の車を狙ったかです」
「理由がお分かりになりますか?」
泰治は全く想像も付かないといった感じで言った。
「残念ですが今の所はちょっと想像が付きませんね」
話しながらエレベーターを待っていると、
「バタンッ!」
車のドアの閉まる音がして、数人の女性が降りて来た。若く相当に綺麗な女性達である。他にもエレベー
ターが何台かあるのに、何故か夕一郎と泰治の後ろに並んだ。
女性達は毛皮のコートを着ている。全部で四人。白人二人にアジア系の女性が二人。そのうちの一人、
アジア系の女性が話し掛けて来た。
「日本の方ですか?」
訛りの無い、綺麗な標準的日本語であった。
「ああ、そうですが、何か?」
受けたのは泰治だった。
「わあ、嬉しい! あのう、もうお帰りなんですか?」
かなり馴れ馴れしく聞いて来た。
「え、ええ、まあ、そうなんですが……」
泰治は何故か顔を赤らめて言った。
「日本の方に会うのは久し振りなんです。ほんの少し、五分で良いですから、お話して行きませんか?」
日本語がぺらぺらの女性はそう言って、誘った。
「え、えーと、どうしましょう、夕一郎さん、五分だけなら構わないんじゃないですか?」
泰治は乗り気だった。大金を持っている事が彼の気を大きくさせたのかも知れない。
「うーん、まあ、五分位だったら良いでしょう。ただ、余り長い時間は拙いですよ」
夕一郎は迷ったのだが、世話になっている泰治の頼みでは断り難かった。その後全員でエレベーターに
乗った。
「ねえ、観光旅行なんですか?」
「いや、マッサーズシティに知り合いがいるので、今訪ねて行こうと思っているんですよ」
「マッサーズシティ? マッサーズシティの何処かしら?」
「まあ、今行くのは、アハーラ拳法の道場なんですけどね。昔からの知り合いがいるんですよ」
「ええっ! アハーラ拳法の道場? じゃあ、格闘技をなさるのね。うふふふ、お強いんでしょうねえ……」
日本語の話せる女性はしきりに夕一郎に話し掛ける。
『ちょっと妙だな?』
夕一郎は間髪を入れずに話し掛けて来る女性に不信感を抱いたが、特別悪意は無さそうなので、仕方
無しに受け答えしていた。
だがその間、泰治は残りの三人に体を触られまくっていたのである。耳元で何か囁いたりして、色仕掛
けで篭絡(ろうらく)しようとしていたのだった。
「えへへへへっ!」
泰治は淫靡の世界に落ちて行った。先ほどまでの夕一郎と一緒の緊張感から一挙に自らを解放して
しまったのである。小さな声で笑って性的興奮状態に陥っている事を示してしまったのだった。
もう後戻りは出来なかった。それが女達の罠である事に薄々は気が付いていたが、夕一郎と一緒の出
来事が余りに凄まじかったので、その反動もまた強烈だったのである。
泰治が落し易そうだったので、四人は泰治を落とす事に決めたのだった。日本語の話せる女性が夕一
郎にせっせと話しかけて、注意を逸らし、他の三人が際どくエッチな事を泰治に仕掛けたのである。
作戦は見事に成功し、泰治は完全に女達の虜になってしまっていた。実際彼女達は美女揃いだったの
である。
大抵の男は彼女達の色仕掛けに落ちてしまう。淫らな行為に耽(ひた)りたくて仕方がなくなってしまうの
だ。
「チンッ!」
エレベーターが一階に着くと、夕一郎は降りようとしたのだが、
「私達の部屋は二十六階にあるのよ。あのう、そうねえ、済みませんちょっと来て下さる?」
日本語を喋れる女性は夕一郎の手を引いて、さっさと降りてしまった。
「あの、後で行きますから」
夕一郎の手を引いて降りた女性はそう言った。
「えっ、ちょっと、それは、……」
夕一郎の僅かな躊躇いの内に、エレベーターのドアは閉まって、上に昇って行った。泰治はにやにや笑
いながら頭を少し下げて、女遊びをする意思表示を示したのだった。
『女遊びをしてから自殺する。そんな事を言っていたよな』
泰治が言った言葉を思い出していた。
『俺と一緒にいる事が、苦痛だった筈だよな。確かに普通じゃあ、耐えられない事ばかりだった。まあ、遊
んでも良いか……』
夕一郎は泰治の心情を理解した。
「ねえ、私はユカリって言うの。貴方は?」
並んで歩きながらその女は言った。
「ああ、俺は祐造。枯山河さんをどうする積りだ?」
夕一郎は怪訝な顔で言った。
「もう、分かっているでしょう? ピンク色の天国に連れて行ってあげるのよ。お望みならば貴方もそうして
差し上げますわよ、祐造さん」
「彼の命は大丈夫なんだろうね?」
「はははは、お金は取っても命は取らないわ。命なんて全然欲しくないもの。ねえ、貴方もアレしたいでしょ
う? もっと凄い所も知っているのよ。一緒に行きましょうよ」
ユカリは駄目元で言ってみた。
「さっきも言ったけど、行きたい所があるんですよ。マッサーズシティの道場にね」
「今日中に行かなくちゃいけないの?」
「ああ、そうだ。しかし、そうだな、ちょっとそこで座って話をしよう」
夕一郎はロビーのイスに座った。ユカリも直ぐ側のイスに座った。
「俺と彼とはアメリカでたまたま知り合ったんだけど、気が合って一緒に旅をしていたんだ」
「へえ、それは変っているわね。もっと親しい間柄だと思ったわ。じゃあ、たまたま一緒にいるけど、赤の他
人な訳ね?」
「そういうことだ。彼は遊びたがっていたんだけど、俺が止めていた様なものなんだ。それで彼はお金持ち
だから、まあ、その大切にしてやってくれないか?」
夕一郎は泰治が大金を掴んだ経緯は話さなかった。
「ふうん、そうなんだ。それで?」
お金持ちと聞いて女の態度はまた少し変った気がした。
「彼を不幸な目に合わせたりしなければ俺は何もしない。彼には何かと世話になったからね、俺にとっては
大切な友人なんだよ。ただ、彼を苦しめる様な事をしたら、たとえ女でも情け容赦しないからね」
夕一郎は釘を刺した積りである。
「お話はそれだけかしら?」
ユカリはそろそろ切り上げ時だと思っている。
「最後に一つだけ。俺は彼とはここで別れるから。当分の間彼を宜しく頼むよ。ユカリさん、相談に乗って
やってくれないか? もし日本に帰りたいと言うんだったらそのように手配してくれよ」
「ふーん、ここでお別れなんだ。分かったわ、祐造さん。枯山河さんを不幸にしないようにということね」
「ああ、もし約束を破ると、恐ろしい事になるから気を付けた方が良い」
かなり厳しい警告をした。
「あはははは、私を脅す気? 私達のバックに誰がいるかご存知なのかしら? ふふふふ、知らぬが花
ね。でも、約束は守ってあげるわね。それじゃあ、失礼するわ、バアイ!」
不敵に笑ってユカリは去って行った。