夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『ふん、遊べるものなら俺だって、少しは遊びたいよ。しかし、良く考えてみると、セックスも食欲も、似たよ
うな事になっているぞ!
セックスも絶対に満足出来ないし、食欲も満腹にならない。何だこれは! セックスも食欲も快感がある
のに最後の満足感が無い!
昨日位までその事に気が付かなかったな。ひょっとすると必要以上に攻撃的なのは、その為かも知れな
いな。ああああ、堪らないな!』
憂鬱な気分のまま夕一郎はホテルのフロントに行って、タクシーを頼んだ。しかし良い返事を貰えなかった。
「あのう、お客様。当ホテルでは、ホテル専用の車両をご用意させて頂いているのですが。宜しければそれ
に乗って頂きたいのですが。タクシーよりも割安ですし、是非お願い致します」
フロントの男性はそう言った。
『変だな。まあ、とことん客から金を取る積りなのか?』
些か疑問を感じたが、トラぶっても仕方が無いと思って従うことにした。
「じゃあ、それでお願いします」
夕一郎は知らなかったのだが、マッサーズ州では殆ど流しのタクシーばかりで、電話で呼び寄せるという
慣習が無かったのだ。事情を知らない事をいい事に、カモにされたのである。
しかも彼と泰治とがアームレスリングで大金を掴んだ事がホテルの関係者に知れ渡っていて、彼等は二
人から出来る限りのお金をむしり取る算段をしていたのだった。
しかしホテルの関係者達にも落ち度があった。彼等は2525号室で何があったのかまでは知らなかった
のである。
過去にもその部屋では凄惨なリンチまがいの事が行われていたのだが、悲鳴などが聞かれない様に、
防音装置が施されていたのであった。
そもそもアームレスラーのクールベとその仲間は、このホテルの用心棒として雇われていたのである。ま
た比較的最近導入したアームレスリングマシンはしばしば故障して、腕力の無い者が簡単に勝ってしまう
場合があった。
『機械が故障しました』では通用しないので、彼が実力を見せ付けて、取られたお金を取り返す役目も担っ
ていたのだった。
「妹の顎に、アームレスリングの最中に吹っ飛んで行った野郎の足が当って、大怪我をした。そのドサク
サに紛れて逃げられてしまった」
等とホテルのオーナーに嘘の報告をしていたのである。
以前は一番のバックに金森田が居たのだが、彼が逃亡してからは、側近の一人であったスティーブンス
が取り仕切っている。今では影でベガシティを支配している男だった。
行く行くはマッサーズ州全部を支配下に置くという野望に燃えていたのだった。金森田同様目的の為に
は手段を選ばない非情な男でもあった。ユカリの言うバックとは彼の事だったのである。
「どうぞお乗り下さい。ああ、あの、日本語で大丈夫ですから。日本の方ですよね?」
車の運転手は柔らかい物腰の白人の中年男性だった。何処で学んだのかきっちり日本語が話せる。夕
一郎が日本人である事から、気を利かせたのだろう。
「はい。ええと、行き先は……」
「アハーラ道場で御座いましょう。聞いておりますよ。不思議なご縁ですね。私もそこの道場生なんですよ。
一応ブラックベルトを頂いております。まあ、その、三段でしてね、へへへっ!」
「あ、そ、そうですか。三段と言うと、大会等ではかなり上位の成績なのですか?」
夕一郎は最初は物腰の柔らかいだけの男かと思ったのだが、笑い方に不気味さを感じた。男は車を走
らせながら、尚話し続けた。
「一度は優勝しませんと三段は貰えないんですよ。まあ、そんじょそこいらのプロレスラーの方よりは強い
と自負しているのですがね。
兎に角うちのホテルには色々な輩が来ますのでね。何人も用心棒が居るんですよ。まあ、私もその一人
だということです」
運転手の口調は徐々に変って来た。少し威圧感がある。
「ああ、そうですか。分かりました。随分お強いんですね。私も道場に入門しようかとも考えているんですが、
取り敢えず見学しようと思っておりまして。余り凄い所だとちょっと気後れしますね」
「ほほう、入門なさるお積りですか? いや、大丈夫ですよ。ちゃんと初心者向けのコースも御座いますか
らね」
運転手は夕一郎が入門すると聞いてまた態度をガラリと変えた。どうやらアハーラ拳法に特別の思い入
れがあるようである。
車は雪道をかなり慎重に走って行った。途中で渋滞もあったりして、一時間ほど掛けてアハーラ道場に
着いたのである。
「さて、料金の方なのですが、雪道でしたのでね。千ドル頂きます」
「えっ! 千ドル? はははは、タクシーより安いと聞いたのに、話が違いますよ?」
「払えないんだったら、引き返しますよ。それでも宜しいんですか?」
運転手は本性を現した。優しげな言い方だが、中身はえげつない。
「分かりました。じゃあ、千ドル払いましょう」
夕一郎はここで争いたくなかった。少女を殴り倒した事が未だに尾を引いているのだ。
『なるべく穏やかに、穏やかに』
心の中でそう唱えていた。
「はははは、物分りが宜しい。今日は上の人達が留守なので、まあ、私が先生と言うことなのですよ。さあ
参りましょう」
運転手は車を駐車場に止めると、夕一郎と一緒に道場に入って行った。
「ああ、その、先生だったんですか?」
「まあね。申し遅れました。ガストン・シュンケル三段と申します。貴方は……」
「大吾祐造です。宜しく」
夕一郎は寒いからと言って翻訳機を耳に装着した。確かに見ようによっては、耳当のようにも見える。
「ガストン先生、そちらの方は?」
受付の女性が聞いて来た。
「ああ、今日から入門するそうです。初心者ですが宜しく頼みますよ」
ガストンは夕一郎が英語を話せないと勝手に思い込んで、好き放題に英語で言った。
「ああ、そうですか。だったら、こちらにお名前と住所などを記入して下さい」
夕一郎は返事に困った。名前は兎に角、住所は無いのと一緒である。
「ああ、こちらの方は英語が駄目だから、後で私がちゃんとしておきますから。入門の諸費用と道着代と
個人レッスン料として、千ドル貰って下さい」
「千ドルですか?」
受付嬢はちょっとビックリしていた。
「はい。一週間分の前払いと、個人レッスン料もですからね。それと暫くここに泊まるそうですから、一週間
ね」
「分かりました。それなら納得です」
ガストンはどんどん勝手に話を決めて行った。夕一郎はちょっと呆れたが、英語が分からない事になっ
ているので、演技でキョトンとして見せていた。
道場にはアハーラの三人衆はいなかった。それもその筈である。年末のテレビ番組『世界最強人間集
合!』に出場してかなりのダメージを受けた為に、三人共現在入院中なのである。退院するのは一月下
旬の予定だった。
ガストンは自分が来る予定の道場に夕一郎を連れて行って、尚且つ料金も取るという一石二鳥を狙っ
たのである。
「それでは、後の面倒は彼女にして貰いましょう。私はここまでですからね、一応師範代ですから。君にだ
け構ってはいられないのですよ」
個人レッスン料を取りながら、実際には弟子任せにするようである。
「キャサリン二級、君は日本語も出来るから、彼の面倒を見てくれたまえ。ああ、こちらは大吾祐造君だ。
君より年上だがまったくの初心者だから宜しくね。
大吾君、彼女は元はここの受付嬢だったんだが、見ている内に自分でもやりたくなって、今は女子の
ホープなんだ。まだ二級だが、近い内にブラックベルトを獲得するだろう。じゃあ、私は失礼するよ」
一通り言うとガストンはさっさと道場の奥に消えて行った。
「ああ、その宜しく、お願いします。大吾祐造です」
夕一郎は仕方が無いのでガストンに調子を合わせる事にした。
「あの、私は、キャサリン・ネーデルです。マッサーズ大学の大学院生です。先ず販売部に行って道着から
買いましょう。あのう、その耳当ては取ったらどうですか?」
キャサリンは全く事務的に言った。
「はい、済みません。その、荷物は何処に置けば良いのでしょうか? その、帯の色は白ですか?」
夕一郎は如何にも初心者らしさを装った。
「順次教えますから付いて来なさい」
キャサリンは徐々に先輩らしさを発揮したもの言いになった。
夕一郎は自分のロッカーを割り当てられて、そこに翻訳機を置いた。道着に着替え、衣服もそこに入れ
て置く。現金もあるので、鍵だけは掛けておいたが、その鍵も買わされたのである。
『チェッ! 何もかも金か! 全てが割高だ! しかしここは我慢だろうな。だけど、まあ、良いか……』
自分でもどうしたものか判断出来ずに、言われるままにしていた。
「さあ、それでは先ず基本から。ええと、全く初心者だと、彼等と一緒にやりなさい」
キャサリンは指導するのが面倒になって来て、初心者グループの中に入る様に言った。そこでは、自分
の後輩のスーザン・コーエン三級が小学生中心の初心者達に教えていた。
「はははは、小学生と一緒ですか。ま、まあ良いでしょう」
夕一郎はちょっと呆れたが、仕方が無いと思って、やる事にした。
『迂闊に強い所は見せられないな。皆を怖がらせてはいけない』
初心者に徹する事にしたのだが言葉が心配だった。