夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

                              175


「えーい、そっちが来ないんだったら、こっちから行くぞ!」
 夕一郎は、痺れを切らして、リングの最上段のロープに飛び乗り、そこからフワリと飛び降りた。そこから
阿鼻叫喚が始まった。

「ギャッ!!」
「ウアーーーッ!!」
「グエッ!!」
 数分の内に彼に飛び掛って行った十人余りが、悶絶して倒れ伏してしまったのである。恐らく半分は逃
げ出しただろう。
 夕一郎はガストンだけには逃げられない様に気を配っていた。気が付けば残って立っていたのは彼一
人だけだった。

「あ、あんたの強さは良く分かった。ふ、不正が無かったことも認める。もう、これで終りにしないか?」
 ガストンは恐怖心で凍り付く様な気持ちで言った。
「どうした? 俺と戦うのが怖くなったのか?」
「い、いや、しかし、その必要性が無くなった。なんだったら、ブラックベルトを進呈しよう。いや、その、金
は返す。いやいや、ご、五千ドルで手を打たないか?」
 ガストンは部屋のそこここで倒れている連中の怪我の酷さから、とんでもなく強い男である事をその時に
なってやっと認識出来たのである。

「ふうん、戦う気が無いのか。ならば、仕方が無い。俺の条件は一つだけだ。俺の相棒というか枯山河さ
んから、金を奪い取るなという事だ。
 まあ、遊び代位だったら良いが、それ以上むしり取る様な事があったら、ただでは済まないということだ。
あんた等の親分に伝えておいてくれ」
「わ、分かった、確かにそう伝えておくよ。そ、それだけか?」
 ガストンはまだ夕一郎が言いたい事がありそうだと睨んでいた。

「もう一つだけ。ここのオーナーはカスミという人だったよね?」
「ああ、久米原オーナーの事ですよね?」
 ガストンは丁寧な言葉遣いになった。

「うん、そうだ。出来れば彼女と会って話をしたい。それと何処に住んでいるのかも教えて貰いたい。ああ、
それから、アハーラの三人の先生達は今何処にいる? ひょっとすると病院に入院中か?」
 夕一郎も徐々に穏やかな調子になって来た。

「ま、ま、先ず、三人の先生方ですが、確かに入院しておられます。日本の病院に入院中だと聞いており
ます。来週辺りに退院だと聞いておりますが」
「三人共にか?」
「はい。まあ、怪我を治すついでに少々骨休めもしてくるとか。その間私が師範代として、道場を取り仕切っ
ております。
 それでその、オーナーとの面会の件ですが、久米原オーナーは忙しい方で御座いますので、直ぐに会う
という訳には参りません。最低でも一ヶ月前の予約が必要だと言われておりますが……」
 ガストンは苦しそうに言った。夕一郎が怒り出しはしないかと冷や冷やしていたのである。

「ふうん、相変わらず忙しいのか。まあ、芸能人は忙しくなくてはね。だったら、彼女のこっちでの居場所、
マンションは何処なんだ? まあ、アメリカ式に言えば、アパートで良いのかな?」
「久米原オーナーをご存知なんですか?」
 ガストンは意外だという気持ちで聞いた。

「まあ、昔からのファンという所だ。向うは俺を知らないだろうが、俺は良く知っている。彼女の居場所は
秘密になっていると思うが、教えてくれれば、恩に着るよ」
 夕一郎はカスミの熱狂的なファンを装った。ガストンは自分が助かりそうなのでホッとして続けた。

「絶対に口外しないで頂きたいのですが、久米原オーナーはしばしば居場所を変えられます。現在はこれ
は本当に極秘なのですが、マッサーズ工科大学の直ぐ隣にある、と申しますか、大学の敷地内にある日
本式に言えば寮の様な所にお友達と一緒に住んでいます。
 勿論先ほどから言っておりますが、何時もいる訳ではなく、時折帰って来ているということです。まあ、目
立たない格好といいますか、変装して来られるので、誰にも分からないそうです」
 ガストンは実感のこもった言い方をした。

「ふうん、そのお友達というのは誰なんだ? 男か女か?」
 夕一郎は相変わらずファンを装って聞いた。
「詳しくは知りませんが、日本の女の人だそうです。確か男の子が一人いるとか。マッサーズ工科大学に
は付属の小、中、高校もあると聞いております。小学校に通っているとか何とか言っていたと思うのですが」
 ガストンの言葉に夕一郎は胸が詰まった。しかし素知らぬ振りを通した。

「ふうん、それだけ聞けば十分だ。俺は消えるけど、怪我人の方を宜しく頼むよ。じゃあな!」
 夕一郎はその場を走り去り、ロッカーから自分の服を出して着替えた。翻訳機を持つと道着は脱ぎ捨
てて何処かへ走り去ったのである。
 その直後位に救急車がやって来た。逃げ出した連中が手配したのだろう。怪我をしたのは、仲間内の
喧嘩の発展した乱闘騒ぎだという事で、事態は収拾されてしまったのだった。

 ガストンは事の一部始終をなるべく自分に有利なように、ボスのスティーブンスに報告した。スティーブン
スは怒り狂って、夕一郎を探させたのだが、数日後こともあろうに彼は、再びピンク・オレンジホテルに姿を
現したのだった。

「ちょっとこっちへ来て貰おうか!」
 拳銃を持った七、八人の男達に取り囲まれた夕一郎はまたしても2525号室に連れて行かれた。今そ
の部屋は、更に厳重な防音装置と鍵とを取り付けられて、普段は誰も住んでいない完全なリンチ部屋と
化していた。怪我をしたアームレスラー達は役に立たないという事でお払い箱になってしまったのである。

 夕一郎が連れて行かれると、前方のイスにどっかりと座った体格の良い男が葉巻を咥えてニヤニヤ笑っ
ていた。
 彼の右隣には、ユカリ立っていたし、左隣にはガストンが立って居た。ボスの周囲には十数人ほどの男
達が何時でも銃を撃てるようにスタンバイしている。夕一郎が部屋に入ると直ぐ鍵が掛けられた。

「おやまあ、捜していた男が、のこのことやって来るとはね。はははは、言葉は大丈夫。かつて日本人に
使えていた事があってね、随分勉強したから、ぺらぺらになったよ。……お前が大吾祐造だな?」
 スティーブンスは威厳を持たせた言い方をした。自分が大物だという自覚があるのだろう。

「ああ、確かにそうだが、俺は枯山河さんの様子を見に来たんですよ。彼は無事だろうね?」
「黙れ!! 勝手なことを言うんじゃない!! 私の質問にだけ答えれば良い!!」
 余程ムカついたのか、スティーブンスは火のついた葉巻を夕一郎に投げつけたのだった。

「ふん、あんたがボスか。火のついた葉巻を投げ捨てると火事になるぞ。きちんと消しな!」
 夕一郎の行動にほぼ全員が凍りついた。火のついた葉巻をものの見事に受け取ると、床に落として足
で踏み消したのである。
 何より驚いたのは火のついていない部分を正確に掴んだ事だった。葉巻は出鱈目な回転で飛んで行っ
た筈である。
 それを叩き落したりするのではなく、親指と人差し指、それに中指とで、造作も無く火のついていない部
分を掴んだ事は殆ど神業だった。

『この男を敵に回すと恐ろしい事になる! 上手く丸め込むかさもなければ今の内に殺しておく事だ! 
どっちにする? まあ、兎に角話を聞いてみよう』
 スティーブンスも脅威を感じて、話しだけでも聞いてみることにした。

「わ、悪かったな。それで話はそれだけか?」
 一転してスティーブンスの口調は丁寧なものになったのだった。
「悪いんだが金が必要でね。別におかしな方法で稼ぐ訳じゃない。まあ、ここで、正当に稼がせて貰う事に
する。言いたいのはそれだけだ」
「ほほう、金が欲しいのか? ふうむ、だったら俺の手下にならないか? 年間で億の金が手に入るぞ。悪
い話じゃないだろう?」
 スティーブンスは丸め込むことを考え始めていた。

「あんた等は俺を知らない。俺と関わるとろくな事は無いぞ。それに俺は今、まあ、ここ数日中に金が欲し
いんだ。百億円、まあ、一億ドル以上欲しいんですよ。いろいろ都合があってね」
「な、何だって、馬鹿な事を言うんじゃない! 確かにスロットマシンでなら理屈の上では有り得るが、実際
には一千万ドル位が上限だ。第一何に使うんだ。それほどの大金!」
 スティーブンスはカッとなった。自分でさえもなかなか手に入らない金額である。何を言ったとしても、今
この男の命を握っているのは自分である。その自分がコケにされた気がした。

「別にあんた等にそうしてくれと言っているんじゃない。俺が勝手に稼ぐんだ。その邪魔をするなと言ってい
るんですよ」
「喧しい! 交渉は決裂だ。一応言っておくが、枯山河はある場所に監禁している。下手に逆らうと彼の命
は無いぞ!」
 スティーブンスは秘密を暴露した。枯山河が自分の手中にある事を強調して、命令に従わせようとした
のである。

「そうですか、彼は酷い目にあっているんですね。ユカリさん、ガストンさん、ただでは済まないと言った筈
ですよ!」
 夕一郎の言葉は凄みのあるものに変った。
「ええい、面倒な男だ、ここで消えて貰う、やれ!!」
 スティーブンスは目障りな男は消すのに限ると思って叫んだ。

「パンッ、パンッ、パンッ、……」
 スティーブンスの近くにいた男達の拳銃が一斉に火を吹いた。二十数発の弾丸が彼に命中した。だが
信じられない事が起った。たとえ防弾チョッキを着ていたとしても、頭にも数発当っていた筈である。
「どうした、もう弾が無いのか?」
 夕一郎は普通に立ったままで平然と言ってのけたのだった。

          前 へ       次 へ        目 次 へ        ホーム へ