夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 その夜、夕一郎は一人でオーナー用の部屋に泊まった。本来ならスティーブンスの愛人達の声が聞こえ
て来たりして賑やかなのだろうが、今は同じフロアには、ガストンの部下で日本語の分かる男が一人だけ
隣室の2223号室に泊まっている。
 何かの時の為の用心と連絡係を兼ねていた。広いフロアにたった二人だけである。静か過ぎるほど静
かだった。

「ふう、冷蔵庫に食い物が入っているってか。親切は有り難いけど、ああ、堪らないな。食えば吐き出さ
なきゃならないし。
 ガストンのやつ気を利かせて、逃げた女達の補充に走り回っているらしいけど、俺は女を抱けば抱くほ
ど尚更虚しくなって行く。
 あああ、何もすることが無い。いや、ある事はある。翻訳機の充電と、ふふふ、自分自身の充電とね」

 夕一郎は独り言を結構大きな声で言いながら、作業に入った。翻訳機の充電は電気カミソリのそれと
良く似ている。機器の後ろについている差込プラグを起してコンセントに差し込めば良いのだ。
 しかし彼自身も手術でバッテリーの交換をしない場合には充電する必要があった。しかし無論コンセン
トなどを使うのではない。

「さて、こんな面倒な事をやるはめになるとは思わなかったな」
 彼の体を動かしていたのは小型でありながら極めて高い性能を持つ、常温燃料電池と呼ばれるもので
ある。その燃料は主に水素ガスである。
 ピンク・オレンジホテルでも燃料電池は使っていて、様々な種類の物がある。当然の様に水素ガスの
ボンベなども売られていた。

 万一誰かに見られた時の言い訳が出来るように、まるで点滴でも打つ様に、腕に注射針を差し込んで、
ガスを注入して行くのである。ガスボンベはカーテンレール等を利用してぶら下げて使う。
 ちょっと見た目には如何にも点滴注射を打っている様に見える。しかし実際には、腕の血管の部分に
ガスの注入口があって、そこに特殊なガス注入針を刺し込めば良いようになっている。

 ただそれまでは、燃料電池ごと取り替えていたので、その様な事をする必要がなかったのだが、逃亡の
身の上ではそれも不可能だった。そこで今回、初めてガスの注入を行う事にしたのである。
「人目があったら大変だったけど、上手い具合に行ったな。何とも都合よく一人になれたよ。それにマッ
サーズ工科大学の近くにあった様な、小さなホテルじゃあ売って無かったけど、ここは何でも揃っているか
らね。
 さてと、横になってそれらしくやりますか。水素吸引合金にたっぷり水素ガスを吸わせるのに、三十分
位掛るけど、まあ、本物の点滴と同じ位だと思えば、どうという事は無い」
 相変わらず独り言を言いながら、ベットに寝そべって、点滴らしく見せ掛ける作業を開始した。

「唯一の欠点は水素ガスのガス漏れだ。それだけは気を付けなければ。まあ、一応くさい臭いが付けてあ
るようだから、漏れたら直ぐ分かるけどね。腕に刺し込んでっと」
「シューーーーッ!」
 その音でボンベから勢い良くガスが注入されている事が分かった。三十分ほどして注入も完了し、同時
に翻訳機の充電も終ったようである。

『さて、そろそろ、寝ようか……』
 道具を全て片付けると、急に眠気が差して来て、夕一郎はあっさりとベットに入って眠ってしまった。とこ
ろが一時間ほどすると、ドアをノックする者があった。

「ガストンですが、困った事になりました」
 夕一郎はゆっくりと起きて行ってドアを開けた。そこにはガストンと隣室の男の他に寝巻き姿の泰治が
がっかりした様子で立っていた。

「あれ、どうしたんですか?」
「女達に、ユカリとフィリーに逃げられてしまいました。不覚でした。あの二人だけは逃げ出すまいと思って
いたのですが。追いかけましょうか?」
「いや、多分恐怖心があったのでしょうから、追いかければ追いかけるほど逃げて行くでしょう。その様な
者を連れ戻した所で、ろくな事はありません。ほっておくしかありませんね。
 それより新しい女の子達が入ったのではありませんか? 枯山河さん、遊ぶのでしたらその女の子達と
遊べばどうでしょう?」
 夕一郎は泰治が相当落ち込んでいたので、慰める意味も込めて言った。

「ううううっ、私は、あのユカリという女子(おなご)が好きでした。彼女は熱烈なキスをしてくれたんですよ。
それで、てっきり私に気があるのだと思って張り切って待っていたんですが、何時まで経っても、迎えに来
ないので、部屋に行ってみたんです。ですが、部屋にはいなくてね。
 ホテルのフロントで聞いたら外に出て行ったって、聞きましてね、それから更に一時間位待ったのです
が、戻って来る気配が無くて、ガストンさんと部屋の中を一緒に探しました。
 そしたら金目の物が盗まれていたりして、調べたら私達がここに来た時に見た車も無くて、結局逃げ出
したんだって分かりました。もうがっかりしましたよ……」
 泰治は半分泣きながら言ったのだった。

「うーん、仕方がありませんね。しかし追い掛けてはいけません。彼女達は自らの意志で逃げ出したので
すから、それは尊重してやらないと。その、枯山河さん、新しい女子で、新しい恋に挑戦されたらどうです
か?」
 夕一郎はなるべく発展的な言い方をした。

「済みません。分不相応なことを求めたのがそもそもの誤りだったと思います。私は日本に明日か明後日
か、兎に角近日中に帰ります。あのう、お金は本当に頂いて宜しいんですか?」
 泰治は念を押して聞いた。

「勿論です。そのお金の元手は枯山河さんのお金なんですから。日本に帰っても、離婚という現実が待っ
ているのですから、お金は必要だと思いますよ」
「そ、そうですか。それじゃあ、有り難く頂いておきます。今夜はこれで……」
「はい。お休みなさい」
「それでは私も失礼致します」
「失礼致します」
 ガストンも隣室の男も丁寧に挨拶して去って行った。枯山河の後姿は如何にもしょんぼりしていた。

『ユカリさんが好きだったのか。熱烈なキスをねえ。逃げる積りだったら、そんな事をしなければ良かった
のに。そうか、多分急に決ったんだろうね。
 フィリーという子と一緒に逃げたんだったら、まあ、何とか無事に逃げおおせるでしょうけど……。しかし
外は大雪だぞ。事故らなきゃ良いけどね』
 夕一郎は何か逃げた二人に自分の姿を見た様な気がしたのだった。その為かむしろ無事に逃げてくれ
る事を祈っていた位だった。

 翌日は困った事になった。大雪で交通機関が麻痺。夕一郎のSH教信者幹部との対談も直接には不
可能になった。
 しかも幹部を始めとして、SH教の信者の大半は大雪による被害者救援の為、殆どの者が出払ってい
て、電話による話し合いさえも無理になってしまったのである。

「しかしこんな大雪は初めてですよ。これも地球温暖化のせいなんですかねえ」
 そう言ったガストンも、枯山河も、夕一郎も、その他のホテル関係者達も路上の雪片付に大忙しとなった。
除雪の為のブルドーザーを手配したのだが、道路が大渋滞で、何時頃来れるのか予想が付かなかった。

「はははは、申し訳御座いません。まさかこのベガシティでこれほどの大雪になろうとはねえ。本当に除雪、
手伝って下さいまして有り難う御座いました。どうやらブルが着いたようですので、後は業者の方々にお
任せ致しましょう」
 臨時とは言え、ガストンはオーナーらしくテキパキと指示を出していた。ホテルを出入りするお客の流れ
も何とかスムースに行く様になったのである。

 しかし、客の中には、これ幸いとクレームを付けて、宿泊代を棒引きさせようとする良からぬ連中もいた。
「おい、予定より二時間も遅れたぞ。どうしてくれるんだ! 宿代はただだろうな!」
 ホテルのロビーで、夕一郎を従業員と勘違いしたらしい、人相の悪い数人の白人男性が凄んで言った。
夕一郎は幸いにも翻訳機を使っていたので、彼らの言葉がすんなりと分かった。

「しかし、自然災害ですので、責任は取りかねますが……」
 一応ホテルの人間としての態度を取った。
「てめえじゃ、話にならねえ。オーナーを呼べ、オーナーを!」
「あのう、私が臨時のオーナーですが、何か……」
 たまたま側を通り掛ったガストンは腰を低くして言った。

「臨時のオーナー? 本物はどうした! 俺達に恐れをなして逃げ出したのか!」
 四人の男のうちのリーダーらしい大男が激しい口調で怒鳴った。騒げばただになると踏んでのことらしい。
「いや、今病気で休んでおりますので、私が代わりを務めさせて頂いております」
「ふん、それじゃあ、仕方がねえ。お前等がのんびり除雪なんぞしているから、車を出せなくて、二時間も
遅れてしまった。この落とし前はどう付けてくれるんだ!」
 大男は相変わらず大声で怒鳴った。

「それは大変申し訳ない事を致しました。この通りで御座います」
 ガストンは深々と頭を下げて謝罪した。しかし男達は納まらない。
「謝って済むんだったら警察はいらねえんだよ。どうだい、ものは相談だ。一週間分の宿泊費をチャラにす
るってのはどうだ。慰謝料も何もいらないって言ってるんだ。有り難く思いな」
 大男は胸を張って言った。

「はははは、ご冗談を。例年並の雪ならいざ知らず、五十年ぶりの大雪では私共も多大な被害を被
(こうむ)っております。値引きは一ドルたりとも出来ません!」
 ガストンはきっぱりと断った。最初は若干の値引きになら応じようと思っていたのだが、余りに横柄な態
度にカチンと来たのである。

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