夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「なんだとこの野郎! 人が下手に出てりゃ、いい気になりやがって! 舐めるんじゃねえぞ!」
 大男はガストンの胸倉を掴んで怒鳴りつけた。
「ハリャッ!」
 ガストンは勿論黙ってやられてなどいない。両方の拳で相手の頬を殴ったのである。

「ガシッ!」
「グアッ!」
 激痛で大男は掴んでいた手を離したが、
「野郎! よくもやりやがったな、おい、やっちまえ!」
 他の三人に声を掛けた。

「キャーーーッ!」
「ウワーーーッ!」
 ロビーに居た、大勢のお客の何人かが悲鳴を上げた。四人の男のうちのやや小柄な二人がナイフを
取り出したからである。

 しかし、その瞬間だった。
「ギャッ!」
「ウアッ!」
 あっと言う間の出来事だった。ナイフを取り出した二人が、口から血を吐き出して悶絶した。二人とも顎
の少し上の辺りを夕一郎に殴られて、歯を五、六本位ずつ折られていたのだった。

「ナイフは困ります。今のは正当防衛ですよね。こっちは素手なんだから。そこの二人も掛って来な! 素
手だったら少しは手加減してやるよ」
「な、な、な、いや、何でもねえ。お、おい、行くぞ!」
 大男は顔色を変えて倒れた二人を無視して歩き出した。

「おい、仲間を見捨てて行くのか!」
 夕一郎は叫んだが、
「そ、そいつ等は仲間じゃねえ。カジノでたまたま一緒になっただけのあぶれ者だ。名前だってろくに知っ
ちゃいねえんだ、煮るなり焼くなり好きなようにしてくれ。あばよ! ああ、これは金だ。これで全財産だ。
見逃してくれ!」
 大男ともう一人の男はガストンに財布ごと預けると、あたふたと逃げて行った。

「兎に角、倒れた二人は病院に連れて行きましょう。ふん、大方ギャンブルで大負けしてお金を支払えな
くなったものだから、こんな事をして、料金を踏み倒す積りだったのでしょう」
 ガストンは幾らも入っていない財布の中身を見て、そう推測して言った。殆どそれで当たっていた。ただ
倒された二人が単なる知り合いというのは嘘だった。

 もう何年も一緒に各地を渡り歩いていた、窃盗グループだったのである。髪形を変えたり、髭を生やし
たりして少し変装していたのと、偽名を使っていたので分からなかったのだが、四人とも指名手配のお尋
ね者だった。

 怪我をした二人は仲間内の喧嘩という事にして、罪を免れた。夕一郎の名前が出て来る事を恐れた
ガストンの配慮である。
 それ以後その二人はピンク・オレンジホテルで働く事になった。スティーブンスが去った後、今はガスト
ンが街の顔役の役目を担っていたので、その様な事がまかり通ったのである。

 翌日、ピンク・オレンジホテルにSH教の関係者がやって来た。夕一郎が出向く筈だったのだが、ホテル
の状況を調べる為に、
「実際に見てみないと何とも言えません。およその事は伺っておりますが、聞くと見るとでは大違い、という
ことも御座いますからね」
 等と電話で連絡して来た後、間も無くやって来たのである。話し合いは一階にある事務室で行われる事
になった。

 偽物とはいえ、SH教のシンボル的存在だったソード・月岡が亡くなって、組織のありようが一変してい
た。夕一郎の知った顔はマッサーズシティSH教支部から姿を消し、その趣旨も名称も何時の間にか大きく
変っていたのである。

「ええと、私が、SH教マッサーズシティ本部、部長の大岩戸寛治(おおいわとかんじ)です、宜しく」
「私は、副部長の磯部小町(いそべこまち)です。どうぞ宜しく」
「同じく副部長の吉浜谷刈部江(よしはまやかりべえ)です。宜しくお願い致します」
 男二人と女一人の、三人の幹部が揃ってやって来たのである。三人とも英語がぺらぺらだった。 

「私が臨時のオーナーをしております、ガストン・シュンケルです宜しく」
「大吾祐造です。今回の企画の発案者ですので、宜しく」
 夕一郎は、翻訳機を上手く使って言った。ヘッドホンはイヤホンに取替え、しかも無線で出来るようにし
た。これはネットで調べて何とかものにしたのである。
 同時通訳では拙いので、胸の辺りに超小型高性能のスピーカーを取り付けて、綺麗に英語が出せるよ
うにした。

 口の中で日本語を呟くとそれが英語となってスピーカーから発声される。翻訳機だけでもその機能はあ
るのだが、声がくぐもって聞き取り難いので、それもネットで調べて工夫したのである。
 こうして夕一郎の英語の喋りはかなり完全なものとなった。しかし今回は直ぐ日本語での話し合いに
変った。
 最初のちょっとした世間話からガストンが日本語に堪能な事が分かったので、急遽日本語で話し合うこ
とに変更になったのである。

「はははは、最初からそう言って下されば良かったのに。契約内容の細かい点を詰める場合にはやはり
日本語で無いと、微妙なニュアンスが伝わり難いですからね」
 本部長の大岩戸が笑いながら言った。宗教家というよりはビジネスマンの様だった。

「でも本当に良いのですか? 買い取ったりするのではなく、無料で経営権を頂けるというのは、常識的
には有り得ませんが?」
 女性副部長の磯部小町は若干疑いの眼差しで言った。

「はい、少し複雑な事情があるのですが、決して赤字経営だとか、代りにリベートやマージンを取るといっ
た事でもありません。
 私は臨時のオーナーではありますが、実質的なここの支配者はこちらにおられます、大吾祐造先生で
すので、詳しい事は大吾先生からお聞き下さい」
 ガストンは夕一郎を先生扱いした。

「はははは、先生というのはちょっと。ですが、私がここの支配者であるという事は、まあ、一応そういう
事です」
「ほほう、少し変っていますね。オーナーがいなくて、臨時オーナーがいる。にも拘らず、ここにいる若造
が支配者なんですか?」
 マッサーズシティSH教本部の副部長であり、幹部三人の中では一番年長者の吉浜谷は夕一郎をやや
見下して言った。

「はははは、お疑いはごもっともですが、私には亡くなられたソード・月岡氏に匹敵する力があります。あ
なた方はソード・月岡氏をどうお考えですか?」
 余りに高慢な態度であり、このままでは自分の考えた方向とは全く異なる方向に突き進むと考えた夕一
郎は止むを得ずソード・月岡の名前を持ち出してみた。

「そ、そ、ソード大先生の名前を軽々しく口にするものではありませんぞ。貴様の様な下賤の輩が口にす
るとはもっての外! 皆さん帰りましょう!」
 吉浜谷は怒り狂って、夕一郎を罵った挙句、交渉を打ち切る事を提案した。

「まあまあ、吉浜谷さん、そうカッカなさらずに。話しは最後まで聞いてからでも遅くはありませんよ。帰る
んだったら、何時でも帰れますからね」
 相変わらずビジネスライクに本部長の大岩戸は言った。

「その方が宜しいですわ。先ずお話を聞いてからに致しましょうよ」
 副部長の磯部も冷静である。
「じゃあ、少しだけ、私の力をお見せ致しましょう。こんな事は余りしたくないのですが、どうぞ御覧下さい」
 夕一郎は吉浜谷の信用を得る為に、荒っぽい技を見せる事にした。

「ここに日本のコイン、まあ、十円玉ですね、これを良く見ていて下さい」
 夕一郎はポケットから十円玉を取り出して見せた。日本に居た時から持っていたのであるが、何故か
未だに一枚だけ持っていたのである。

「ギィィィィーーーッ!!」
 耳障りな凄い音がした。夕一郎は十円玉を半分引き千切ったのである。
「別にトリックはありませんよ。どうぞ見て下さい」
 千切れかかった十円玉を渡して見せたのだった。

「えっ! な、な、これは……」
 三人の他にガストンも眼を白黒させて驚いた。それどころか、お茶を出した、女子事務員までやって来
て、その十円玉をしげしげと見たのだった。

「う、嘘だ! 有り得ない! じゃあ、これをやってみろ! じ、事務の人、サインペンを貸してくれ!」
 絶対にトリックだと思った吉浜谷は、マッサーズ州で発行している25セントコインを取り出して、事務の
女性からサインペンを借りて、自分のイニシャル『Y』を大きく書いてから、夕一郎に渡した。

「はははは、疑り深いんですね。あのう、良いんですか、半分に千切っても」
 夕一郎は笑いながら吉浜谷に聞いた。
「ああ、良いとも。へへへ、怖気づいたのか!」
 吉浜谷は少し怒鳴って言った。自分の考えに自信満々だったのである。

「ギギィィィィーーーッ、バッキーーーンッ!!」
 相当凄い音がした。目の前でコインが真っ二つに引き裂かれてしまったのだった。
「どうぞ確認して下さい。どんなマジッシャンでもここまでは出来ませんよ。このコインは間違いなく貴方のコ
インなんですからね」
 夕一郎が言うと、
「あ、有り得ない、そんな、馬鹿なことが!」
 そう叫んで、自分の手渡したコインかどうか穴のあくほど見詰めていたのだが、
「有り得ないけど、確かにこれは私の渡した25セントコインだ。しかし、ソード大先生に匹敵する者など、
この世の中にいる筈がないのだが……」
 尚も疑いの姿勢を吉浜谷は崩さなかった。

「あははは、貴方は一体どういう人なんですか? とても人間技とは思えませんが?」
 余りの出来事にビジネスマン風だった大岩戸は、本来の宗教者としての顔を覗かせながら、恐怖心を
笑いで誤魔化しつつ夕一郎に聞いたのだった。

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