夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「ば、ば、馬鹿な事を言うもんじゃない!!」
 吉浜谷は思わず立ち上がって怒鳴った。ドアの外で聞き耳を立てている野次馬達の数はかなり減った
が、言葉の分かる日本人達七、八人が物好きにもまだ屯(たむろ)していた。
「おおおっ!」
 事務室の中でけんか腰になったので、期待感の現れの様な声が聞こえて来たのである。

「あああ、お静かに。ドアの外に野次馬連中がおりますから、吉浜谷さん、余り興奮なさらないで」
 ガストンが戒(いまし)めた。
「ふーっ! し、しかし、売春を立派な職業などと、聖職者としてあるまじき発言ですぞ!」
 吉浜谷は改めて座りなおし、呼吸を整えてから少し弱めに言った。

「ここで議論しても始まりません。どうしても受け入れられないのなら、この話は無かった事にして下さい。
他を当たってみますから」
 夕一郎は交渉の打ち切りを示唆した。

「ああ、いや、それはその、そうですねえ、吉浜谷さん、売春に関しては貴方のいう事にも理がありますか
ら、今後十分議論を重ねる事に致しましょう。えっと、そのトイレをお借りしたいのですが」
 大岩戸はかなり慌てて、トイレに入って行った。我慢していたが我慢し切れなくなったという風情だった。

「ピロロロロロ……」
 それから間も無く、吉浜谷のケイタイが鳴った。
「ああ、失礼します」
 席を立って、部屋の隅で話し始めると、直ぐそれは終って、
「ああ、申し訳御座いません。急用が出来ました。あああ、本部長、実は……」
 トイレから戻って来た大岩戸に、吉浜谷はこそこそと小声で話をした。

「いやあ、申し訳ない。教会の方に急用が出来ましたので、私と吉浜谷は一応これで帰ります。契約に
関しては磯部さんにお任せします。
 ああ、磯部さん、くれぐれも先ほどの件、軽率な事はしないで頂きたい。それでは失礼します。ガストン
さん、大吾さん、十分話し合った上、相互に納得した上で、契約致しましょう」
「どうも、お騒がせ致しましたが、これも皆様の為を思ってのこと。どうぞ、どうぞ、軽率な事はなさらない
様に」
 大岩戸と吉浜谷はあたふたと帰って行った。

「ピルルル、ピルルル、……」
 その後また直ぐに、今度は磯部のケイタイに電話である。誰かの作意さえ感じられる。
「失礼します」
 磯部は吉浜谷と同様、部屋の隅でケイタイで話した。
「はい、はい。全て承知しました。ではその様に致しますので」
 誰からの電話か定かではなかったが、それは一分ほどで終った。

「申し訳御座いません、代わる代わる席を立って」
「いや、急用とかでは仕方がありませんよ」
「いいえ、違うのです。大岩戸本部長としては、今回の商談は何としても成立させたいと意欲をお持ちなの
です。しかし吉浜谷副部長がいる限り、商談の成立はおぼつきません。
 そこで一芝居打ちました。急用と言うのは嘘です。いいえ、半分は本当です。正確に言えば、吉浜谷副
部長は解任されます。
 急用というのは急遽彼を解任するという事なのです。彼には真相は伝えられていません。本部教会に
着いてから知らされるでしょう」
 事実のみを淡々と言った、磯部の顔に険しさが浮かんだ。

「ははは、これは驚きました。しかしその様な実情を暴露されて宜しいのですか?」
 ガストンは驚いて言った。
「はい、彼との対立は今に始まったことではありません。ただ彼はかなり古くからの信者で、最近頭角を
現して来た、言わば保守派のリーダーです。しかし彼の考え方は、亡くなられたソード・月岡大先生の教
えにむしろ背くものです。
 その点私や、本部長は自らを正統派と称しています。つまり、ソード先生の教えを出来るだけ忠実に守
り実行しようとする、その様な考え方をしています。
 ところが吉浜谷副部長の一派は、旧来までの考え方、追放された金森田元SH教代表に近い考え方
をしています」
「およその事は分かりました。こちらはそちらの内紛には一切関知致しません。それはそれとして、契約
内容を詰めて行きましょう。売春に関してはオッケーなのですね?」
 夕一郎は出来ればその場で仮契約位は成立させたいと思っていた。

「はい、勿論です。さっき本部長が言った言葉は吉浜谷の手前止む無く言ったのであって、本意ではあり
ませんから。正式の契約はまたの機会にするとして、仮契約だけでもしたいと考えて参りました」
「そうですか、それは願っても無い事です。仮契約は私も考えておりましたから。それでは……」
 磯部と夕一郎の商談はとんとん拍子に進んで、書面に署名捺印して、仮の契約は成立した。本契約
の時には双方の責任者や代表の他に、種々の専門家も立ち会うことになっている。

「それでは、正式契約は一ヵ月後という事で宜しいですね」
「はい、その時には勿論本部長も、それからマッサーズシティの市長、ベガシティの市長、まあ、多分お
二人とも直接には来なくて、代理の方々が来られると思うのですが、大々的なセレモニーをする積りで
すわ。
 今日は良かったですわ。お恥ずかしい所もお見せいたしましたが、コインを二つに引き千切るという、
凄い技を見せて頂いて。ですが、あのう、あれは本当にマジックとかじゃないのですよね?」
 磯部は嬉しそうにしながらも夕一郎のして見せた凄いパフォーマンスに、若干の疑念をみせた。

「ははははは、まだお疑いなんですか? だったら今度は拳銃でも持って来られれば良い。私はこの目
で、目の前で見たのですよ、拳銃で撃たれても死ななかった事を」
 ガストンはなるべく事務の女性には聞かれない様にこそこそと言った。

「ええっ! まさかっ!」
「ふふふふ、冗談ですよ。本気にしないで下さいよ」
 ガストンは一旦は本当の事を言ったのだったが、事務の女性が聞き耳を立てている様に感じてはぐらか
してしまったのだった。 

「もう、こんな時にそんな冗談を言って。ああ、それでは、私はタクシーで帰りますから。これで失礼致しま
す」
「ああ、大切なお客人を、タクシーでお帰しする訳には参りません。そうですねえ、宜しかったら私がお送
り致しましょう。大吾先生それで宜しいでしょうか?」
「ああ、そうですね、それが良いでしょう。私はもう暫くここにいますから。ここでガストンさんの帰りを待っ
ています。今後の事を色々とお話したい事がありますから」
「それでは行って参ります」
 相変わらずガストンは夕一郎には丁寧な言葉遣いだった。

 ドアを開けると、少し前まで居た野次馬は流石に居なくなっていた。ただ心なしかホテル内が静かな
気がしたのは、また少し降り始めた雪のせいかも知れない。
 事務室の中には三人ほどの女性の事務員が居た。三人とも白人女性であった。日本語はお茶を出し
た女性のみが話せるらしかった。

「ルルルル……」
 電話が来て、事務員の一人が受け取った。英語で話をしていた。夕一郎は翻訳機を外していた。商談
は日本語だったし、事務員の一人も日本語を話せるので、特に必要は無かったからである。

「あのう、済みません、私達、昼食を食べて来ても宜しいでしょうか? 少しの間、お留守番をお願いした
いのですけど、ううっ、あ、す、済みません、ちょっと具合が悪くて」
 何故か日本語の話せる女性事務員は一瞬涙ぐんだが、具合が悪いと言った。

「ああ、良いですよ。電話が来たらどうしますか? ああ、いや、その時は、一応出ておきましょう。必要事
項はメモしておきますから、それで良いですね?」
「はい。それじゃ、お願いします」
 そう言うなり事務員達はいそいそと事務室を出て行ったのだった。

『うーん、静かだな。だけどちょっと静か過ぎるかも知れないぞ。まるでお客さんがいないみたいだ。まさ
かね。まあ、ちょっと様子を見てみるか』
 事務員が出て行ってから既に三十分は経過していた。当初は結構人の話し声が聞こえていたのである。
それが今では全く聞こえて来なくなったのだ。

「ギーィッ!」
 静かだとドアの開く音さえかなり響く。
「ありゃっ! 誰も居ない! 何だ一体?」
 夕一郎には理解出来なかった。しかし間も無く事情が飲み込めた。

「大吾祐造君! 君は完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて大人しく縛につきたまえ。抵抗すれ
ば我々は止むを得ず、君を破壊する事になる。
 君がかなりの強者である事は知っている。しかし我々もその為の対策をとって来た。もし命令に従うの
であれば、両手を挙げてゆっくり歩いて来なさい」
 スピーカーを使って、かなり離れた廊下の向こうの方から、日本語で話し掛けて来たのは見知らぬ白
人男性だった。
 刑事の様な感じだが、本当の所は分からない。ただ、階段やその他の出入り口は全て機動隊員の盾
でがっちりと固められている。

『女性事務員が涙ぐんだのは、早く部屋から出て逃げるようにと指示されたからなんだろうね。俺が凶悪
な犯罪者だとか何だとか言って。それじゃビビルよな。可哀想な事をするねえ』
 夕一郎はもう抵抗する気は無かった。両手を挙げてスピーカーで叫んでいた男の方へゆっくりと歩いて
行った。

『林果! 昇一! 何にも出来なくてご免!』
 それだけが気掛かりだったが、真実を話せばかえって愛する二人を危険に陥れる事になる。
『本当の事は口が裂けても言わないぞ!』
 歩きながらそう決心していた。

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