夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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車は本来の路線に戻って、今度は周囲にパトカーのいない、たった一台だけの普通車両として更に南
へ向かった。
車の中には運転手の他は、アーノルドと夕一郎だけである。助手席には誰も乗らずに、後部座席の左
に夕一郎が右側にアーノルドが乗った。
「この状態でなら逃げる事は簡単ですよ。どうです、逃げますか?」
やや怪訝な表情でアーノルドは言った。
「いや、俺は逃げません。前にも言いましたが、逃げるのに疲れましたから」
夕一郎は安心させる様な気持ちで言った。
「ふうむ、シュナイダー博士の言った通りだな。聞いたところによれば、機械の様に部品の交換が必要ら
しいな。余り長く逃げていると、死んでしまうからなのか?」
「はははは、そう言ってしまっては私がただのロボットの様に聞こえますが、まあ、確かにそれは嘘では
ありません。
何度も言うようですが、私が逃げ出したのは、ゴールドマン教授が脅迫的な手口で私を従わせようとし
たからです。
もし、シュナイダー博士だったらそういう脅迫めいたやり方はしなかったでしょう。だから博士だったら、
私は最初から逃げたりはしませんでした」
少し嘘だった。多分シュナイダー博士であっても、林果と昇一会いたさに、きっと逃げ出していたのだっ
たろう。だが少しでも彼らの姿を見た事で満足していたのである。
「ほう、そういうものかね。それはそうと、食事の必要が無いと聞いたが本当かな?」
「はい。私には胃がありません。ただ、その代わりの袋はありますが。結局食べた物を吐き出さなくては
なりませんので、かえって苦痛なのですよ」
「腹は空かないのか?」
「空きます。ですが何を食べても満腹にはなりません。時々いらいらして人を殴りたくなる時もあります」
「ふふーん、なるほど、死人が出なかったとはいえ、相当の重傷者がゴロゴロ出て来る訳だ。空腹時は人
に限らず他の動物達でも凶暴になると言われているからね。
ところでもう直、夕食の時間なんだがどうする? 一緒に車から降りて、食べないまでも、レストランに行
くかね? 運転手にも休養が必要だからね」
アーノルドは夕一郎を試してみたくもあった。
「いや、私は車の中で眠っていましょう。何度も言うようですが、逃げようと思えば今直ぐでも逃げられます。
しかしその気は無いですから。
どうぞお二人で、レストランに行ってゆっくり夕食を食べて来て下さい。正直言ってもうかなり草臥れまし
たので暫く眠りたいのですよ」
「ああ、分かった。しかし君を一人にする訳にも行かない。万一の時には責任問題になるからね。こんな
私にも愛する妻や子供二人がいるのだから。
じゃあ、こうしよう。先に運転手が食事をして来て、交代で私が食事に行く。そうすれば君を一人にした
ことにならないのだからね。どうだろう、そんなところで?」
「はははは、はいっこうに構いませんよ。じっくり眠らせて貰いますから」
交渉は簡単に成立した。
『確かに逃げようと思えば簡単に逃げられるのだから、ここまでで逃げないという事は信用しても良さそう
だな』
アーノルドは若干の懸念は感じたが、夕一郎の言葉を信じる事にした。しかし一つ問題があった。
「エッシャー、……」
アーノルドは英語で運転手のエッシャーに事情を話したが、彼の部下と思われるその若い男は、不安げ
な表情を見せたのだった。
暫く話をしてから、少し対応を変える事にしたようである。
「大黄河君、悪いんだが、運転手のエッシャーは君に恐怖心を持っているようだ。まあ、無理もない。殆
どモンスターレベルだからね君は。
エッシャーは君と二人きりになる事を酷く恐れているんだよ。まあ、私にもその気持ちは分かる。それで
今話したんだが、先ずエッシャーが食事をして来る。
その後で悪いが私と二人で食事に行ってくれないか? まあ、別に何も食べなくても良いから。どうだろ
うねそれで?」
「はははは、別にそれでも良いですよ。まあ、私もコーヒー位は飲みますけどね。ただその場合、後で吐
き出す必要があるので、気分が悪いでしょうが、トイレに付き合って貰いますよ。良いですか?
勿論私を信用して、車で待っていても良いのですが。食後に直ぐトイレでは如何にも気分が悪いでしょ
うし、音が音ですからね」
夕一郎は本当の事を言った。
「はははは、そういう事になりますか。それじゃあ申し訳ないが、一切何も飲み食いしないで貰いたい。
店の者には胃腸の調子が悪いから、今絶食中だ、とでも言っておくよ」
「うん、分かった。それじゃあ、そういう事にしよう」
再交渉も上手くまとまって、車はやがてパーキングエリアに着いた。やや大きいレストランがあって、
丁度夕食時、結構賑わっていた。
「彼を臆病だ等と思わないでくれたまえ。私だって君と二人きりでいる事が少し怖い位何だからね」
エッシャーが食事に行くと、早速アーノルドは部下の肩を持つ発言をした。
「別に臆病だとは思いませんが、俺が怖いのは、俺をよく知らないからですよ。俺は決して無闇に人を
殴ったりはしない。
俺が殴るのは得物を持ったりして、襲い掛かって来た様な時だけですからね。そこの所を誤解の無い
様にして欲しいですね」
「うーん、恐らくそうなんだろうが、理屈で分かっていても体が言う事を聞かないという奴なんですよ」
アーノルドは沈黙は拙いと思って、しきりに話し掛けて来たのだった。
「じゃあ、行きましょうか」
三十分ほどでエッシャーは戻って来た。上官に気を使って混雑している割には、かなり早く戻って来た。
「はい。それじゃ、ちょっとだけ失礼します」
簡単な挨拶で、夕一郎はアーノルドと共にレストランに向かった。しかし、それが意外な結果を生む事
になる。
「いや、かなり混んでいますね。十分位待つ事になりますよ」
席は満席だった。
「あれですか、簡単な食事にすれば良いんじゃないんですか? ハンバーガーとか」
夕一郎は無理に座ることも無いと思った。
「そうですね、じゃあ、そうしましょうか」
アーノルドがそう言った瞬間だった。
「ドオオオオーーーーンッ!!!」
大音響と共に爆発が起こった。
もうもうたる煙で辺りは暫くは何も見えなくなった。
『ひょっとすればテロか!』
誰もがそう思ったのだったが、爆発は調理場の方からだった。直ぐ火の手が上がり忽ち炎はそこいら
中に広がった。
『多分これはガス漏れか何かだろう!』
今度は大抵の者がそう思った。辺りには大勢の人が倒れ、かなりの死傷者が出た様である。不幸中の
幸いだったのは、レストランの中にアーノルドと夕一郎がまだ入っていなかった事である。
二人とも爆風で飛ばされたが、夕一郎は兎も角、アーノルドは軽傷で済んだのだった。一応携帯電話で、
消防に通報だけして、その場を去る事にしたのだが、つい親切心で、瓦礫の下敷きになった者達の救助
を手伝っていると、いち早く警察がやって来て、二人が爆弾魔と疑われた。
複数の目撃者が、
「二人がやって来たのと殆ど同時に爆発が起こった」
そう証言したのである。大きな事件が起こると、兎角疑心暗鬼に駆られ、それらしい人物が皆、犯人に
見えてしまうものだが、今回もその例に洩れなかった。
「拙い事になった。私達の行動は極秘中の極秘行動です。警察といえども迂闊に身分を明かす訳には行
きません」
そこまで言うか言わないかのうちに、二人は大勢の警察官に引き離されてしまったのである。その様子
を車の中から見ていた、エッシャーは空軍に通報した。直接自分が掛け合っても、今度は自分も疑われ
かねないからである。
困ったのは夕一郎だった。アーノルドとは別のパトカーに乗せられて、近郊の街、ポルチアの警察署に
連行されて行ったのであるが、
『拙いな、翻訳機を取り上げられてしまったぞ。英語で質問されても、答えられないぞ』
そう思っていると、案の定、矢継ぎ早に英語で質問された。
「英語が分かりません」
もう仕方が無いので、日本語で押し通す事にした。しかしそれが更に疑いを抱かせる元のになったの
である。おまけにそこはアメリカ。民主主義の国でもあるが暴力の国でもある。
「ガンッ!」
いきなり拳で殴って来た。夕一郎は事を起す訳にも行かず、暫くは殴られていたが、服を脱がせようと
したので抵抗した。
『服を脱がされては、薄っすらと見える体の接合部分の傷について、根掘り葉掘り聞かれるだろう。それ
は相当に拙いぞ!』
そう判断して、
「ガシィッ! ガシィッ! ガシィッ!」
先ず直接手を掛けていた三人を殴り倒した。三人とも失神したが、今までになく手加減した。しかし、
残りの数人の警察官は、直ぐ拳銃を撃って来た。
「バンッ! バンッ! バンッ! ……」
「ギャッ!」
愚かな事だが、自分達の撃った銃が、気絶していた連中に当たってしまったのである。二人に当たって、
一人はかすめただけだったが、もう一人には頭に当たった。即死だった。
「バンッ! バンッ! バンッ! ……」
愚かとしか言い様が無いのだが、それにも懲りずに、尚拳銃を撃って来たのである。
「ギャッ!」
更にもう一人に当たって、今度は重傷を負った。夕一郎は素早くもの陰に隠れた。そのお陰か一発も当た
らなかったのだった。