夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「お子さんは小学校一年生なのですか?」
 夕一郎はちょっと辻褄が合わない様な気がした。改めて良く考えてみると、自分がサイボーグになりたて
の時から、十年近くは経過している筈である。小学校の二年か三年位だと思ったのだ。

「ああ、ちょっと説明すると、マッサーズ工科大学の付属の小学校は二種類あるんです。一つは普通の
小学校。もう一つはフリースクールなんです」
「フリースクール? と言うと?」
「はい、主に芸能人や大きな会社の子息、それから私達の様な研究者の子供の場合、親の生活が不規
則な事が多いので、それに合わせて、学校に行く時間をある程度自由に選択出来る学校なんです。
 つまり、こっちの都合で登下校や学習のカリキュラムが決ります。勿論、様々な制約はありますけど、
かなり自由が利くのでそうしています。
 息子の昇一の場合、実は言葉のハンディがありました。私は母国語である日本語を重要視したので、
彼は日本語は堪能なのですが、英語が怪しかった。
 それで本来なら今は小学校二年位なのですが、一年間英語の特訓をしてそれから小学校に入ったの
です。
 しかし、学校に馴染めずに、フリースクールに転校致しました。今ではのびのびと学園生活を楽しんで
いますわ」
 林果は仕舞にはかなり自信を持って話したのだった。

「ふうむ、なるほど。しかしここにはいないんでしょう?」
「え、ええ、まあ、そうなんですけど、毎週日曜日には帰宅出来ますから。朝から晩まで二十四時間一緒
に居られますから」
「しかし幼い子には辛いんじゃないんですか?」
「だ、大丈夫ですわ。今までも何度も三日やそこいら家を空けた事がありますから。私がいない間は、私
と親しい者達が面倒をみてくれる事になっています」
「うーん、どうなんだろう、それってちょっと拙くないかな? 大学の助手だけでは生活が出来ないんです
か?」
 夕一郎は昇一の事になるともう夢中になって言った。

「ギリギリと言うところですわ。さっきは言いませんでしたけど、私のように小さい子の母親だけは週一度
24時間だけ帰宅が許されています。ああ、もうこの話はよしましょう。喋り過ぎでした。
 それより少し気になっていたんですけど、あのテストの問題の事ですが、どうしてあんな答えなのかしら?
 差し支えなかったら教えて頂けませんか?」
 林果は話題を変えた。生活の為に息子を犠牲にしていると思われたくなかったのだ。日本でもそうだ
が名も無い研究者達の生活は苦しい。
 上手く企業と一緒に研究出来たり、国から援助を貰えれば良いのだが、その様な者はほんの一握りに
過ぎないのである。

「……わが愛する星、地球の為に戦う、ですか?」
 夕一郎は昇一から話がそれたので不服だったのだが、余り固執しては気取られると思って自重した。
「ええ、どこからその様な発想が出てくるのか不思議です。ああ、ちなみに私の答えは『バラ色の夢の為
に戦う!』でした。シュナイダー博士からお誉めの言葉を頂いております」
「ええっ! 『バラ色の夢の為に戦う!』ああああ、ちょっと思いつかない発想ですね。言われてみれば確
かにそうです。皆夢の為に、素晴しい明日が来ると信じて戦うのですよね。
 現実はそうではなくとも、そういう大義名分の為に戦うのですよね。成る程凄い答えだ。博士が絶賛した
というのも頷ける」
 夕一郎は目を細めた。

『俺が惚れただけの事はある。ああ、いや、感心してばかりもいられない。自分の答えの出所を言わない
とね』
 夕一郎は一瞬、林谷昇に戻って林果を誉めたが、拙いと思って、気持ちを切り替えた。

「それは俺の生い立ちに原因があります。幼い頃にインド界隈を放浪していたと言っても、それは月岡家
の人達の教育によるものです。
 本当の自分の意識の中には国家が存在しないのです。一応日本国籍を有していますが、心の奥底で
は違うと否定しているのですよ。
 とても不思議なのですが、自分の気持ちの奥には地球という概念しかなかったのです。人類という言い
方も納得出来なかった。他にも沢山の生き物が居ますし、日本に初めてやって来た時に見た、富士山
がとても好きでした。
 最初は全ての命ある者の為に、と思ったのですが、『富士山が消えても良いのか?』そう思った途端に
『わが愛する星、地球の為に戦う!』という言葉がすんなりと浮かんで来ました。そんなところなのですが、
それで宜しいでしょうか?」
「ああ、そうよね。幼い頃にインド辺りを放浪していたといっても、ストリートチルドレン、つまり路上生活を
する子供達だったとすれば、本当にインド人かどうかなんて分かりはしないものね。
 それが逆にグローバルな視点を持つに至ったのね。うーん、何と言うのか、ちょっと感動ものだわね、
そっか、シュナイダー博士が感動していたのも頷けるわ。ううううっ! ご、御免なさい、ちょっと泣けて来
ちゃった」
 林果は同情と感動との入り混じった、複雑な感情に涙したのだった。

「そ、そのう、泣く様な事では、いやその、泣かないで下さい」
 夕一郎は林果の涙にうろたえた。
「はははは、大丈夫よ、どちらかと言えば感激の涙なんですから。それじゃあ、今日の所はここまでです
わ。今夜は相当に遅くなりましたから、明日はお昼頃にお迎えに上がります。
 それで、シュナイダー博士から今回のプロジェクトの概要のお話があると思います。まだ殆ど誰も知ら
ない今回の目的が明かされます。
 何が出て来るのか分かりませんが、何にせよ今夜はゆっくりお休みされた方が宜しいでしょう。それじゃ
あ、私はこれで失礼します。お休みなさい」
 林果は感激の涙などを流した割にはケロリとして部屋を出て行った。

「ふう、いよいよ明日分かるのか。余り知りたくも無いが、まあ、多分俺にとってはろくな事じゃないだろう。
覚悟だけは決めておきますか。風呂にでも入って、身奇麗にしてから寝ますか……」
 林果が去った後、夕一郎は平然と独り言を言って、風呂に入った。

「はあーーーっ、いい湯だ。……それにしても林果、科学者らしくなったな。しかし生活が苦しいらしいな。
そうなんだよな。日本では理科離れが問題になっているけど、それは当然だろう。
 プロのスポーツマンや芸能人、会社の社長、彼らの中には億万長者も沢山居るけど、科学者で億万長
者なんて何人いるか。
 ごく一部の例外を除けば、まずいないと言って良い。そんな状況では理科離れも当然だということが分
からないのかな? 
 これがもし、科学者の億万長者が続出したらどうだろう。我も我もと科学者になる者、なろうとする者が
続出するのに決っている。
 まあ、そこまで行かなくても、科学の研究者に対して国などの手厚い保護があったら、理科離れなどあっ
と言う間に解消する。こんな簡単な事が分からないのだから、政府のお偉方と言うのは能無しばかりだな」
 一しきり考えると、暫くして風呂からあがり、直ぐ眠ってしまった。

「コン、コン!」
 ドアのノックの音が聞こえた。
「大ちゃん! 時間になったわよ。起きてる?」
 林果の声だった。夕一郎はくすぐったい様な快感を感じた。

「あ、ああ、今、起きます。もうそんな時間なんですか、いや良く眠りました。少し待っていて下さい、身奇
麗にしてからでないと」
 林果に起こして貰うという至福の瞬間に一瞬陶酔したが、直ぐ夕一郎に戻って、ざっとシャワーを浴び、
髪形を整え、クローゼットの中にあった、カジュアルな上下の服を着込んでドアの外に出た。その間僅か
十分。神業的なスピードだった。

「お早う!」
「お早う御座います。さあ、大会議室に参りましょう。うふふふ、何か、大ちゃん格好良いですね。昨日は
初対面だったからそれほどには思いませんでしたけど、大黄河さんって、私の愛した彼に何処と無く似て
いますわ」
 林果は何気なく言ったのだったが、夕一郎にとっては十分衝撃的なことだった。

「そ、そうですか、似ていますか、そりゃそうでしょうとも、ああ、いや何でもありません。……ところで大会
議室って何人位入れるんですか?」
 夕一郎は動揺を必死で抑えて通常の会話をしようとした。

「私も詳しくは知らないわ。博士の話し振りからすると、数千人位だと思いますけど」
「ああ、そうですか、大体想像は付きます。じゃあ行きましょう」
 林果が自分に疑問を持たなかった様なのでホッとしながら夕一郎は歩いて行った。

 暫くすると、広い空間が現れた。その向うに大会議室がある事は容易に想像出来る。
「あれ? まだ入り口から誰も入っていないみたいですよ」
 夕一郎は広い空間が大勢の人で埋まっているのと、入り口のドアが硬く閉ざされているのを見て、そう
言った。

「ああ、でも今動き出しましたわ。多分十分位で私達も中に入れると思います。さあ、行きましょう」
 広間の大勢の人は次第に大会議室の中に吸い込まれて行った。恐らくアーノルドやルーカスがいるの
であろうが、その時は見つけられなかった。
 流石に大会議室である。数千人は入れるのだろう。扇形ですり鉢状になっている。その要の辺りにシュ
ナイダー博士がマイクを持って立っていた。夕一郎と林果はやや遅かったこともあって、席はかなり後ろ
の方だったが、特に制約も無さそうだったので空席に適当に並んで座った。

「そろそろ翻訳機の準備をした方が良いわね」
「ああ、その様だな」
 林果に促されて夕一郎は自分で改良した翻訳機を装着して、博士の言葉を待った。 

「お早う御座います。シュナイダーです。今は午前十一時。そろそろ『お早う』から『今日は』に移る時間帯
ですがまだ起きて間もない人もいるようなので、敢えてお早うと言ってみました。
 さて、ほぼ全員が会議室に入りましたね。それでは大黄河夕一郎君、前の方に来てくれないか。君が
主役なのだから」
 博士は悠然とそう言ったのだった。

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