夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「お静かに! ……とは言っても地球と激突する確率は一億分の一程度。地球の近傍を通る確率だった
ら、まあ、地球と月ぐらいの距離の所を通る確率ですが、ざっと数千分の一でしょう。
もっと範囲を広げて地球と火星位だったら、百パーセントです。曲がりなりにも科学者の一員である皆さ
んはその意味する所はお分かりになると思いますが、普通に考えれば先ず大丈夫でしょう。しかし、その
絶対の保障はありません。
現在更に詳しく研究しておりますが、どうも芳しくありません。つい数日前の計算結果は、更に確率が
高まって来ているのです。
何も知らなければ良かったのです。コンピューターなど無ければ、直前まで分かりません。しかし我々は
それを知りうる立場になってしまった。ふう、済まないが水を飲ませて貰いますよ」
博士は支度してあったガラス製の器から、コップに水を注いでゴクゴクと存分に飲んで、更に話を続けた。
「我々は手をこまねいて、その日を待っている訳には参りません。ちなみにそのニューアメリカの質量は
およそ月の八分の一。
仮に激突しても、地球そのものが粉々に壊れる事は無いでしょう。しかし大変動が起こります。恐らくは
地球上の全ての生命が絶滅するでしょう。我々はそれを防ぐ事が出来ないのだろうかと密かに研究をし
て参りました。
出来る方法があるとすればただ一つ、メガトン級の核兵器を使う事です。勿論核を使っても粉砕する事
は出来ませんが進路を変えさせる事だったら出来ます。
しかし厄介な事が幾つもあります。その一つは地上からのリモートコントロールだけで正確に爆破出来
そうも無いということです。
何故駄目かと言えば、それらを作っている時間がありません。ニューアメリカが地球に到達するまで一
年も掛りません。現在地球から三億キロほど離れていますが、ほぼ天王星の軌道辺りに到達していま
す。ええと、ここいら辺りまでで何かご質問は?」
博士は余り一方的に言うのも疲れて来たので、研究者達に質問させて一息入れる事にした。
「はい、あのう、天文学をやっている者ですが、既にニューアメリカについては良く知られております。しか
しその軌道が地球とクロスするというのは初耳ですが。
我々も実際計算していますが、確率的にはもっと遥かに小さいと聞いています。その辺納得出来ないの
ですが」
若い男性研究員が不満そうに言った。
「はい、一般的にはそうです。しかし、公表されていない資料があります。我々アメリカの惑星探査船、
『ニューアメリカンU』は実はその為に打ち上げられたものです。
公表された観測データはごく大雑把なものです。我々の計算は極めて精密な数値の元に計算している
のです。
従って計算結果が合わないのは当然の事です。念の為に言っておきますと我々は測定した数値に、
著作権に似た価値があると考えています。大雑把な数値しか発表しないのはその意味があります。こん
なところで宜しいですか?」
「はい、分かりました」
その後もかなり専門的な質疑応答が続いたが、夕一郎にとっては退屈な事だった。その間イスに座っ
て居眠りをしていたのである。すっかり寝入ってしまって、数時間ほども熟睡したのだった。
「大ちゃん、起きて!」
「え、あ、は、はい!」
夕一郎は林果に体を揺すられてやっと目覚めた。場内からは笑い声も聞こえて来た。
「さて以上の様な訳で我々は大黄河夕一郎君に、その大役を引き受けて貰おうと考えているのです。どう
でしょう、引き受けて貰えますか?」
夕一郎には何の事だか分からなかった。しかし『ノー』と言える雰囲気ではなかった。
「イ、イエス」
明確にそう言った。
「オーーーーッ!!!」
大歓声と共に熱い拍手が送られた。
「はははは、いや、その、照れますね」
「何をするのか分かって言っているの?」
林果は心配そうに言った。
「いや、分からない。しかし、断われはしないよ。たとえこの命を捨てる事になったとしてもね。それにサイ
ボーグでいることにかなり疲れても来ているんだよ。もし何かの役に立てるんだったら、もうそれで十分さ」
少しやけ気味に言った。
「そう、私も出来るだけ応援するけど、貴方は宇宙船に乗って行くことになったのよ。『ニューアメリカ』に
核ミサイルを正確に撃ち込む為に。
その為の訓練を早速今日から開始するのよ。帰還出来る確率はかなり低いわ。貴方はそれにイエ
スと言ったのよ。取り消すのなら今のうちよ。
本当にぶつかるかどうか分からないのに、わざわざ犠牲を払ってまでやる価値があるとは思えないの
よね。それに、貴方が宇宙船に乗り込んでいる事は一切公表されないの。
人権問題が取り沙汰されるから拙いと言うんだけど、それってそもそもおかしくないかしらね? いじめ
があると公表すると、何かと拙いから秘密にしておくのとどこか似ている様な気がする」
林果は夕一郎の身を案じて真剣に言ったのだった。
「へえ、俺は宇宙飛行士になるのか?」
「少し違うわ。機械の代わりをさせられるのよ。機械に組み込まれてしまうの。人間としての姿形を失うの
よ。上手く行ったとしても、帰還確率は約三十パーセント。これは希望的観測だわ。事実上は多分、
……帰って来れないわね。博士の言葉のニュアンスからそう思えるのよね」
悲しげな表情でそう言った。
「桜山君、そう悲観的にばかり言われては困るね。我々は安全に帰還出来る様に全力を尽くす積りだ。
ただ、ご承知の通り、宇宙空間は人間の生存にとって極めて厳しい状況にある。
まして我々人類は、月の重力圏から以遠には殆ど進出した事が無い。予想もつかないようなアクシデン
トがあるかも知れないじゃないか。
君の意見は兎も角、本人が了承したのだからね。じゃあ、念の為にもう一度聞こう。大黄河夕一郎君。
君は惑星探査船『ニューアメリカンV』に乗って行くことを誓えるかね。この場で誓ってくれたまえ、正直に」
博士は睨みつけるように言った。
「はい、行きます。あのう、期日は?」
「日時はまだはっきりしていない。数ヵ月後位と考えて貰えれば良いだろう。桜山君が言った様に、君に
は機械の一部になって貰う。
人間には耐えられない重力加速度にも耐えられると考えられるからね。ただ本当に耐えられるかどう
かや、宇宙空間における順応性や、その他諸々の事について、早速一時間後くらいからやって頂く。
何しろ君は飲み食いや排泄の事を心配する必要がないから、極めて少ないスペースで済む。君以外
にこの役が出来るものはいないんだよ。
核ミサイルを小惑星『ニューアメリカ』にぶち込んで来て貰いたい。正確に、出来る限り正確にだ。それ
はね実は……」
博士は夕一郎になにやら耳打ちをした。
「なるほど、そうですか。良く分かりました」
「じゃあ、頼んだよ。……皆さん、お聞きの様に、快く引き受けてくれました。我等が救世主、大黄河夕一
郎君に改めて盛大な拍手を送ってくれたまえ」
博士はマイクを使って力強く大きな声で言った。
「オオオオーーーーーッ!!!」
再び会場中が大歓声に包まれた。嵐の様な拍手が湧き起こり、夕一郎の勇気を誉め称えたのだった。
拍手の中を、夕一郎は林果と共に大会議室を後にした。
自室に帰って、一休みして直ぐ、シュナイダー博士の名前を取った、巨大プロジェクト『シュナイダー計
画』の言わば主役としての活動を開始する事になっている。
「それじゃあ、また後で呼びに来ますから。服装はまあ、そのままで良いと思いますけど、今度は実験室
に行きますから。その積りでいて下さいね。私はちょっと身支度がありますので、失礼します」
林果とは部屋の前で別れた。
『主役か? 確かに主役だが、何だか生贄(いけにえ)みたいな感じだな。それにしても林果が俺の世話
係とはな。嬉しいが、辛くもある。何度、『自分が林谷昇だ!』って言い掛けたことか。だが言ったら終りだ。
恐らく林果は相当に苦しむだろう。今回の計画に猛反対するかも知れない。それだけじゃない。逆に博
士とかに人質に取られる恐れがある。息子の昇一までそんな事になったら、とてもやっていられない。やっ
ぱり言う訳には行かないな……』
特にすることも無く、ただぼんやりとイスに座っていた。ふと博士の耳打ちを思い出した。
『本当は確率は百倍も高いのですよ。しかしそこまで言ったらパニックになるかも知れないので、控えめ
の数値を言っていたのですよ』
翻訳機を使っている関係で幾分聞き取り難かったが、大体そんな感じの事を言っていた筈である。
『百倍と言うと、激突の可能性は百万分の一。ニアミスの可能性は数十分の一か。ニアミスの可能性は
かなり高い事になる。同じニアミスでも、地球にすれすれだったとしたら、かなり危険なことになる。
昔彗星が地球と接触した事があったけど、あの時は格別の事は無かった。しかし今回は彗星等とは
比較にならないほど質量が大きい。
それだけでも海水などが大津波を引き起こす事も有り得る。高さ数百メートル級のね。数千万から数
億人位の死者が出る恐れがある。この世の生き地獄みたいな事になるぞ。ふう、まともに考えたら、背
筋が凍りつくよ』
本当の背中は無かったが、何か背中の辺りがぞっとする感情を持ったのだった。