夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「それこそ嘘よ。本当に私の入室する所を見たんですか!」
ミシェルは厳しく反論した。
「ふう、この期に及んで。私は貴方の七、八メートル後ろを付いて行ったのよ。声を掛けようと思ったけど、
余りに深刻な顔をしていたので掛けられなかったのよ」
「嫌らしいわね、後を付けるなんて!」
「意識的に後を付けたんじゃないわ。たまたま行く方向が同じだっただけじゃない。貴方は私の目の前で
慎重にドアを開けて入って行った。もうその時は五メートルも離れていなかったのに、貴方は全然気が付
かなかったのよ。
何か重大な決心をしていたから分からなかったのよね、例えば、大ちゃん、その、大黄河さんのベットに
潜り込むとか」
「嘘よ、でたらめだわ!」
ミシェルは何処までも違うと言い張った。
「ふふん、ミシェル、桜山さんの言い分に分があるわね。貴方という人が良く分かったわ。もう貴方との
淑女協定は守る必要が無いわね。折角フェアプレイでやる積りだったのにね。これからは私も遠慮しな
いわよ」
ヘレンは凄みを利かせる言い方になった。
『ああ、やれやれ、また一波乱起きそうだ。しかも、前よりもっと深刻になりそうだぞ。こりゃほって置いた
ら血の雨が降る。ううむ、こうなったら非常手段を取らないと拙いぞ!』
夕一郎は自身の体の改良手術をなるべく早くして貰える様に、シュナイダー博士に頼んでみる事にした。
「それでは、今日はここまでに致しましょう。皆さんだいぶ分かって来たみたいですね。まだ暫く授業は続
きますが、近い内に『ケッペル・スター』に実際に乗り込んでの実地訓練が始まりますから宜しくね」
表面的な仲の良さに、内面の深刻さが隠されている事に気が付かない、ケッペル講師は気楽な感じで
言った。
「あのう、ちょっとお話があるのですが。ああ、皆、先に帰ってくれないか? ちょっとケッペル先生にプラ
イベートで話があるんですよ」
夕一郎の言葉に、皆素直に従った。口々にさよならを言って、それぞれ自分の部屋に帰って行った。
「何だね、プライベートな話って?」
「はい、本当はシュナイダー博士にお話があるのですが、博士に連絡を取る方法が分かりません。私の
体の改良手術の事なんですが。
その、なるべく早くして貰いたいと思いまして。その手術の様子を彼女達に見せて、俺の事を諦めて貰
いたいんですよ。ええと、見て欲しいのはミシェルとヘレンなんですが」
「改良手術を早くしろという訳だね。何処か体の具合でも悪いのかね?」
ケッペルには夕一郎の真意が分からなかった。
「いや、特に悪い訳ではありません。ただ、ミシェルとヘレンの仲が極端に悪くて、今朝もここに来る前に
激しくやり合いました。
先生の前では大人しいのですが、このままでは暴力事件を起こしかねないんです。事件になる前に何
とか手を打ちたいんですよ」
夕一郎は事態が切迫している事を伝えた積りだった。
「ふーむ、仲直りしたと思ったんですが、また喧嘩ですか、困りましたねえ。しかし君の手術を見せて、二
人が諦めるのかな?」
「はい、以前にも似た様な事があって、その、手術で上手く行きましたから」
微妙に意味合いが違うが、今はそんなことはどうでも良かった。
『下手をすると、林果にとばっちりがあるかも知れない。それだけは何としてでも阻止しなければ!』
そう思っていたからだった。
「分かりました。シュナイダー博士にざっと伝えておきましょう。ただ、博士が君の要望に応じるかどうかは
保障は出来んよ」
「はい、それは覚悟しています」
「じゃあ、私はこれで。ふふふふ、しかしあれだね、色男は辛いものなんだね? あはははは」
ケッペルはジョークを飛ばして去って行った。
『ふう、一応やるだけはやった。まあ、今日、明日と言う訳には行かないだろうが、近々何とかなるだろう。
しかしその前に事件は起こさないようにして貰わないとねえ。果たして間に合うんだろうか?』
憂鬱(ゆううつ)な気分で自室に戻った。
暫くすると、林果がやって来た。夕一郎は邪魔が入らないように、施錠した。ヘレンとミシェルの動きを
警戒してのことでもある。
「ああ、会いたかった!」
「俺も!」
三日ぶりの再会ということになる。
恋人同士が再会すればやることは一つ。仲睦まじく、一緒に入浴して、また激しく情を絡めあった。二度、
三度と絶頂に達しても、尚物足りなくて、やはりベットに入ってからもセックスをし続けた。
その日から金曜日の晩まで毎晩情交は続いた。ただ、
『余りセックスばかりしていたのでは、林果の研究に差し障るかも知れない』
と、考えた夕一郎の提案で、情を絡める時間は一日に二時間程度に抑えることにした。
林果が地上に戻った土曜日の朝までは特に変った事は無かった。夕一郎と林果とは互いの部屋に泊
まり合って、何時も一緒に、今では『教室』と呼ばれる様になった、第五小会議室に入って行っても、ミシェ
ルとヘレンは何も言わなかった。
『何か不気味だな。まるで嵐の前の静けさだ。いや、気のせいなのかな?』
シュナイダー博士からは直接には何も言って来なかった。
「確かに伝えたのですが、『改良手術にはそれなりの支度が掛るから、暫く待って欲しい』という事でして、
少し時間が掛るようですよ。
まあ、あの二人も今の所は大人しいようですから、当分の間は様子を見ることにしたらどうでしょうかね
え。余り騒ぎ過ぎるのも良くないと思うのですが」
ケッペルはそう言って、模様見を提案したのだった。
「分かりました。二人がこのまま大人しくしていてくれさえすえば、それで良いのですが。実機に乗るのは
来週からですよね?」
「はい、大気圏から始めて、毎日少しずつ高度を上げます。その間無重量体験もして貰います。ただ、最
初は普通のジェット戦闘機に乗って貰います。
『ケッペル・スター』はお金が掛りますからね。騒音もかなりですから、余り頻繁に乗る訳には参りません。
ああ、そうそう、シュナイダー博士から一つだけ託(ことづけ)がありました」
「はい? 何でしょうか?」
「それが良く分からんのですが、『×(かける)10』とだけ聞いています。それで分かると聞いているのです
が分かりますか?」
「×(かける)10ですか? さて、何でしょう? 良く分かりませんが、少し考えてみます。それじゃあ、失
礼します」
土曜日の授業も無事に終って、博士から託されたという、ケッペルからの謎めいた言葉を受け取って、
自室に戻った。
『×(かける)10?』
その夜は一人だったが、ミシェルの侵入事件があってからは毎日必ず内鍵を掛けることにしていた。
謎の言葉の意味を考えながら、安心して風呂に浸かっていた。
『多分あの事だろう。小惑星『ニューアメリカ』と地球との激突する確率。以前確か百万分の一とか言って
いたよな。とすれば、十万分の一という事になる。それでも激突の可能性はむしろ殆ど無い。
しかし、ニアミスの可能性は数分の一。それはつまり数十パーセントという事だ。地球の直ぐ側を通る
ことは相当に高い可能性があるということだな。
問題なのはどの位近いかだが、そこまではまだ分からないのだろう。しかし、これは公表されれば一大
パニックになるぞ。
この世の終わりを主張する宗教団体にとっては格好の信仰の材料になる。しかし自暴自棄になってし
たい放題の人間達が大勢現れて来るかも知れない。
……うーん、久し振りにテレビでも見てみるか。何かの情報がニュースとかワイドショートかで取り上げら
れているかも知れない』
何時もなら直ぐ眠るところだが、風呂から上がると、パジャマを着て何と無く気になって、テレビをつけて
みた。
「ふーん、特に変った事は無いか。しかし世界中に天文ファンは沢山いる筈。ニアミスを指摘する連中が
居てもおかしくは無いと思うけどな」
独り言を言って、暫くテレビを見ていたが、そのうちテレビをつけっぱなしで眠ってしまった。ふっと、目
覚めると朝になっていた。
少し困ったのは、翻訳機のお陰で言葉の意味は分かるが、画面の文字の意味が分からないのだ。そ
のうち、時間になったので、テレビを見ながら着替えをして、『教室』に行く支度をしていた頃だった。
「一部の天文ファンがお騒がせな発言で物議をかもしています!」
日本のワイドショーのような番組で小惑星『ニューアメリカ』の地球激突説を唱える、アマチュア天文家
の話題を取り上げていた。
『しかし、全く番組では根も葉もない噂に過ぎないという趣旨だな。だけど、主張しているのは一人だけじゃ
ないぞ。アマチュアと言ってもかなり有名な天文家じゃないか。
これは近い内に本当にパニックが始まるかも知れない。拙いぞ。しかし、事実なのだから、いずれ押え
切れなくなるんじゃないのかな?』
テレビに出ていたのは世界中の著名なアマチュア天文家達だった。夕一郎の知っている日本の天文家
も、その危険性を主張していたのである。
「あのう、ヘレンです。一緒に行きませんか?」
時間になったので、テレビを消して、出掛けようとしていたところに、ヘレンがやって来た。
「ああ、はい、今行きますから」
林果が居る時は遠慮していたヘレンが、早速の様に迎えに来たのだったが、何か嫌な予感があった。