夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
212
たった一人が住むには広過ぎる部屋だった。
『それにしても何も無い部屋だな。バリケード代わりのデスクやイスはあるけど、一般家庭にある、バス、
トイレは無いし、家電製品も殆ど無い。
あるとすれば空調設備くらいか。それとこの全く不釣合いな感じの大きなベット。天井に明かりが灯って
いるけど、壁にスイッチがあるだけだ。
……俺はやっぱり人間じゃないんだな。刑務所にだってトイレ位はある。はははは、俺は人間じゃないん
だ。ああ、にも拘らずまた腹が減って来た。
……空腹感を処理して貰おうかな。段々苦痛になって来たよ。人間らしく空腹になりたいと思ったけれど、
満たされないんじゃ埒(らち)が明かない。そうしよう』
ベットの中で独り悶々と考え始めた。
『先ず少し考えを整理してみよう。俺にとって一番大切なものは何だ? 無論、林果と昇一だ。次に家族。
父、母、妹。
今のこの状況をどう考える? 自由は無い。何故大人しくゴールドマン教授に従った? 勿論、林果を守
る為。下手に逆らったら、彼女に危害が及ぶ。
何しろ俺と彼女の関係は皆知っているからな。教授一派も博士一派もだ。林果を抑えられたらギブアッ
プだから逆らえない。
畜生! 林果と関係を持たなきゃ良かった。でも今更仕方が無い。やはり好きな女を抱くのは良いもの
だ。それほどでもない女を抱くのとは訳が違う。
何しろ体が信じられないほど正直なのだ。林果の時だけ絶頂に達する。しかしそれも俺が人間じゃない
証拠だよな。普通は余程嫌いじゃない限りは絶頂に達するだろう?』
夕一郎はじっと天井を見詰めながらまた考え続けた。
『どっちを信じる? ゴールドマン教授とシュナイダー博士。うーむ、残念ながらどっちの言い分が正しい
のか良く分らなくなった。
ゴールドマン教授に従えば俺はアメリカの英雄か? ふんっ! 虚しい英雄だ。世界中の人々の心を欺
く、不正行為に過ぎないではないか!
しかしシュナイダー博士だって信用は出来ない。核ミサイルを撃ち込むのが難しいというのは、要する
に地球から相当に離れた所でやろうとするからそうなる。
数百万キロ位離れた位置からだったら、標的が大きいからほぼ確実に撃ち込める。しかしそれだと、
彼だけの業績にはならない。
世界中の学者達との共同作業になるだろう。成果を独占しようとするから、俺が極秘の存在なのだ。
地球の存亡が掛っているんだぞ!
それほどの事態だったらサイボーグの存在を隠す必要など無かろう。ああ、やっぱりどっちも嫌だな。
しかし最早逃れる術は無い。林果という人質を取られている様な状態ではどうにもならない、ハーッ!』
一つ溜息を吐いてから更に考え続ける。
『だけどあれだな、シュナイダー博士の秘密を暴露するとか言っていたな。何を暴露するんだろう? 俺
の存在を暴露するのか?
それは有り得ないだろう。そんな事をしたらオリンピックに俺を出場させられなくなる。だったら何だ?
翻訳機の件か?
それも無いだろう。ヘレンが言っていたよな、大統領の覚えもめでたいって。だから裁判は諦めたって。
とすれば他に何がある?
待てよ、確か彼の計画の一部と言っていたよなヘレンが。『シュナイダー計画』の一部か。あの時、あと
数時間でマスコミに大きく取り上げられるとか言ってなかったか?
だとすればそろそろだよな。ううむ、テレビが欲しいな。それと時計位はね。掛け時計があれば少しは
この部屋も人間の部屋らしくなる。そうか、ケイタイで頼んでみようかヘレンに』
携帯電話でヘレンに連絡し、テレビと掛け時計の設置を頼んだ。ヘレンは二つ返事で了承した。
「ハーイ、マイダーリン! 持って来たわよ、テレビアンド掛け時計!」
日本語と英語の入り混じった変な言葉でヘレンは陽気にやって来た。男の作業員も梱包された幾つか
の箱を持って数人付いて来た。
「テレビはベットから見やすい位置にして、掛け時計はその上の壁に掛けて頂戴ね、うふふふ」
ヘレンはセクシー女優の様に体を一々くねらせて微笑みながら言った。そう言えば服装も露出の多い
際どい感じのものになっている。
暫くして設置が終ると、
「どうもご苦労様。有り難うね」
「ああ、有り難う御座いました」
ヘレンに合わせて夕一郎も作業員達に礼を言った。
「うふふふ、夕一郎が何を見たいのか分っているわよ。シュナイダー博士の一件でしょう? おお、マイ
ダーリン! チュッ! チュッ!」
ヘレンは何かアメリカ人風にやたらキスをしながら、服を着たままベットに入った。それから激しく抱きつ
くと更に濃厚なキスを要求した。
「はははは、困った奴だな。しかしなかなかセクシーで素敵な服だよ。興奮したよ」
夕一郎はなるべく誉めるようにした。それから濃厚なキスにも応じたが、テレビを見る事を口実にして
セックスだけはしなかった。
「ああん、意地悪ね。でも良いわ。一緒にテレビを見ましょうよ」
ヘレンは何処までも夕一郎とくっ付いて居たいらしい。抱きついたままリモコンを操作してテレビのスイッ
チを入れたのだった。
「どお、テレビは映っても、翻訳家が必要でしょう?」
「ああ、確かに。全部英語だからね。翻訳機は持って来なかったからな。でもこっちには無いのか?」
「ううん、ここに優秀な通訳がいるんですから、その必要は無いでしょう?」
「ま、まあね」
夕一郎はやっとヘレンがやって来た意味が分かった。
『ヘレンの要求も呑まなければなるまい。しかし、多分林果に対抗する為だろうが、少々やり過ぎなんだ
よな』
夕一郎は生きた翻訳機を少々持て余しながら使ってみることにした。
「さあ、ニュースショーが始まったわよ。ほらトップニュースよ。通訳してあげるわね。生体研究者として有
名なシュナイダー博士は、自らの地位を利用して、公金を横領した疑いが出ている。ははーん、そんな事
をしていたんだ!」
ヘレンは所々に自分の感想を入れる積りのようである。
「博士は自分の専門分野の他に幾つもの公共研究機関を立ち上げていて、それらの顧問に納まってい
るが、その殆どは実質的な研究が全くなされずに、顧問料や更には研究費までをも自分の口座に振り込
んでいた疑いが持たれている。警察当局は捜査を開始した模様である。へーっ、結構な悪ねえ!」
今度は呆れたという感じで言った。
「一両日中にも各研究機関への強制捜査が行われ、証拠品の押収が予定されている。現在博士はその
所在が不明であるが、一部には逃亡説も流れている。これは絶対に怪しいわね。殆ど決まりね。でも良
かったわ、同じ悪でも、教授の方がまだましよね」
博士側につかなくて安心している様な言い方だった。
「尚、彼が小惑星が地球に激突するなどという根拠の無い噂を広め、世上を混乱させようとしたのには、
それらの不法行為から警察当局の目を逸らさせて、隠蔽しようとする意図があったものだと思われる。
警察当局の関係者は、『逮捕されるのは時間の問題だろう。もし潔白であると主張するのならば、こそ
こそと隠れていないで、堂々と裁判で争えば良い』と語っていた。その通り! さあ、肝心のニュースが
終ったわよ。
ねえ、一生懸命通訳したご褒美をちょうだいな。改造が始まるまであと何日も無いのよ。その先がどう
なるのか、私には見当も付かないわ。
せめてその日まで全力で愛し合いましょうよ。今のこの瞬間を無駄にしたくないわ。ねえ、お願い、私を
狂わせて頂戴!」
ヘレンは猛烈に性交を迫った。刹那的な愛に燃え尽きる積りなのだろう。だが、夕一郎は違った。
『今この瞬間を目いっぱい愛し合いたいのは、林果とだ。申し訳ないけど、ヘレン、君じゃないんだよ。う
うううっ、どうすれば良いんだろう?』
夕一郎は困り果ててしまったが、ヘレンの求めに流されるように応じてしまったのだった。相変わらず
偽りの絶頂を演じてしまった。
『今度はひょっとすると絶頂に達するかも知れない。きっと行く!』
行為の最中はそう思うのだが、何時まで経っても果てはしなかった。
「ウオーーーーッ!!」
激しい絶頂感の振りをして、また偽の精液を射精した。快感は無い。しかしその演技にヘレンはすっか
り騙されて、自分も一緒に果てたと感じていた。
「ああああ、素晴しかったわ。ああ、最高よ。チュッ! チュッ! チューーーッ!」
余程満足したのか、終った後も、キスの嵐を夕一郎に浴びせたのだった。夕一郎は冷や汗を掻いてい
た。
『ああ、心苦しい。何時までも騙すのは良心が咎める。しかし、こんなに喜んでいるのだからな。さっきの
絶頂は演技だったなんてとても言えない。
ヘレン、可愛い女だと思うし、結構好きになって来たけど、どうしても駄目なんだよな。申し訳ないけど、
林果以外には有り得ないんだよ。
ううむ、どこかで別れなくちゃならないのかな? しかし待てよ、あと数日で、俺は改造手術を受けるんだ
よね。
その先はどうなるのか分からないと言っていた。だったら、そこで自然に別れられる! そうか、自然に
別れられるんだ。はあ、何とかなりそうだぞ!』
夕一郎は余り望んでいなかった白人への改造手術を、むしろ望む気持になっていたのだった。