夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 夕一郎はヘレンとは殆ど何も言わずに、一瞥もせずに別れた。ヘレンも同様だった。夕一郎は被害者
を装いヘレンは加害者を装った。
 それは半分は本当だったが、半分は嘘である。ヘレンは夕一郎に恋をしていたし、夕一郎も次第にヘ
レンをいとおしく思い始めていたのだ。

 夕一郎は林果の手前、ヘレンに目をそむけた。ヘレンは夕一郎を愛するがゆえに素知らぬ振りをした
のである。
『許せよヘレン! ううう、本当は好きになりかけていた。白人になる手術を受ければ、林果ともお前とも
お仕舞になる。
 それがたまらなく寂しかった。その直前ゴールドマン教授とシュナイダー博士の立場が引っくり返るとは
思わなかったんだよ。あああ、何ていう運命なんだ!』
 再度地下の研究所に向かうエレベーターに、アーノルドとルーカスと共に乗りながら思いは複雑だった。

「さて地下都市に着きましたぞ。ああ、いや、地下研究所ですか。桜山君に会いたかろうが、シュナイダー
博士が直々に大切な話があるそうで、彼女との再会はまだ暫くあとになると思うが、了承して貰えるか
ね?」
 ルーカスは気の毒そうに言った。

「ああ、はい、別に構いませんよ。彼女とは何時でも会えるんだし……」
 それも嘘だった。本当は直ぐにでも会って情を交わしたかったのだ。しかし場合が場合だけに、贅沢は
言っていられなかった。

「チンッ!」
 エレベーターが地下研究所に着くと、ドアが開いたのだったが、彼らを出迎えたのは物々しい警備の連
中とやや厳しい顔付のシュナイダー博士だった。

「お待ちしておりましたよ、大黄河君。ああ、アーノルドさん、ルーカスさん、お仕事ご苦労様。ゆっくりお
寛ぎ下さい。では大黄河君は私について来て下さい」
「じゃあ、私共はこれで失礼しますよ」
 アーノルドとルーカスは一言挨拶しただけで、それぞれの自室に帰って行った。

「はい。何処に行くんですか?」
 翻訳機を駆使して話し続けたが、
『この翻訳機は本当はゴールドマン教授の全面協力で作られたもの何だよな。それが分かってみると、
少し嫌な気分だよ!』
 心の中だけでそう叫んでいた。

 十数人のマシンガンを持った警備員に囲まれながらシュナイダー博士と夕一郎は歩いていた。日中は
時折見かける、廊下を行き交う人々の姿は、今は全く無かった。
 一種の戒厳令的な指令が出されているのだろう。

『ふう、それにしても、警備員全員がマシンガンを持っているとは、何と物々しい。俺が暴れた時の事を
考えているのか? しかしそれは馬鹿な事だぞ。
 普通に考えれば、博士を人質に取るだろう? そうなったら、マシンガンは撃てないだろうよ。それとも
何か別の意味でもあるのかな?』
 歩きながら頭に浮かんで来るのは、博士に対する批判めいた言葉ばかりだった。相当にゴールドマン
教授の影響があった。

「ここです。入りたまえ」
 博士の連れて来た部屋は余り大きくない部屋だった。中にはデスクとイスと本棚とパソコン類が整理さ
れた状態で置かれてあった。部屋の中に幾つかドアがあって、バス・トイレや、クローゼットルームになっ
ているらしかった。

「ここは私のプライベートルームでね、君を部屋に帰す前に、ここでじっくりお話をしてからにしようと思う。
ああ、皆さんご苦労さん、部屋の外で二人ずつ交替で見張っていてくれたまえ。
 一応ドアには鍵を掛けるからね。余程の急用で無い限り、誰も部屋には入れないでくれたまえ。頼んだ
よ」
「イエッサーッ!!」
 一旦は一緒に部屋に入って来た警備員達は直ぐ外に出て行った。博士はすかさず鍵を掛けた。

「さて、まあ、座ってくれたまえ。話したいことは山ほどあるが、まあ、コーヒーでも入れましょう。ブラック
で良いよね?」
 脇の方にある小テーブルに向き合って座って博士はそう言った。

「はい。コーヒーの香が好きですから」
「うむ、そうか、まあ、私もそうなのだがね。インスタントだが良いよね?」
「はい、それで十分です」
 そこでもポットにお湯があって、簡単にコーヒー二人前が出来た。

「ふう、いい香だ。それじゃ、頂きます」
「ああ、どうぞ。ふうむ、何ともいい香だ。今朝袋を開けて詰め替えたばかりだから尚更香が良いねえ」
 博士はなかなか本題に入らない。

「あのう、ところで話というのは?」
 ちょっと痺れを切らして夕一郎は言った。
「まだ時間は十分にある。これは公式の取調べなので、録音させて貰うが良いかな?」
「えっ! 取調べ? 俺は被害者ですよ。犯罪者じゃない!」
 厳しい言い方をした。

「君は彼らに協力的な態度を取ったのは何故かね?」
 テーブルの上に置いてある小型の録音機のスイッチは既に入れられていた。
『記録に残るんじゃ、迂闊な事は言えないぞ!』
 そう思うと慎重にならざるを得なかった。

「別に協力的だった訳じゃない。ただ林果、桜山さんの身に何かあったらと思うと怖かったから、従順にし
ていただけのことだ。誤解を招くような言い方は止めて欲しいですね」
 夕一郎は更に厳しい言い方をした。

「ほう、そうかね。まあ、一応言い分を認めておこう。ところで君はヘレン君とは特に親しかったと聞くが、
それで間違いないのかな?」
「まさか。さっき言った様に彼女と親しくしなければ、林果の身に何かあると思ったから熱烈に愛し合って
いる様に見せ掛けただけですよ。でもどうしてそんな事が分かるんですか? ヘレンから事情を聞いたに
しては早過ぎます」
 夕一郎は情報が早過ぎると思った。

「はははは、簡単な事です。私のこの地下研究所にゴールドマン教授のスパイが沢山居た様に、彼の研
究所には私のスパイが沢山居たのですよ。まあ、これを見て下さい」
 博士はパソコンのスイッチを入れて、あれこれ操作していた。間も無く動画が現れた。信じられない事
だったが、何日か前の自分とヘレンとの情交の場面が映っていたのである。何故か音はカットしてあった。

「我々はこれらの映像を見て、君がヘレンを本心で好きになったと判断したのだが違うかね? このフィ
ニッシュは特に見事だと思うぞ。ちょっと羨ましいほどの行きっぷりだ。これを見てもまだ否定するのか
ね?」
「あはははは、これは完全な演技ですよ。我ながら見事な演技だと、自分でも感心していたのですがね。
これが演技だと見破れないようではまだまだですよ、博士!」
 夕一郎は自信満々で言った。

「ほほう、これが演技かね。これは驚いた。ふーむ、……」
 博士はしばし考えに沈んだ。その間夕一郎は冷や冷やしていた。
『半分当たっていて、半分外れている。このフィニッシュは確かに演技だけど、セックスのし始めは本気
だった。本気で求めていた。
 義務的にやっていたのは最初だけで、段々のめり込んで行ったんだからな。それを追求されたら? 
……嘘を突き通すしかない。林果に嫌われたらお仕舞だからね。彼女にだけは嫌われたくない!』
 そんなふうに感じていたが、暫く考え込んでいた博士はコーヒーを二度、三度と啜ってから、やっと口を
開いたのだった。

「ヘレン君はなかなか魅力的な女性だからね。好きになったとしてもおかしくは無いし、君が本気だろうと
嘘だろうと、咎める積りは無い。
 それでは次に移ろう。君はゴールドマン教授と私とをどう考えているのかね? スパイの報告も断片的
であって、全てではない。出来る限り正直に答えてくれないか?」
 博士は夕一郎がどう言うのか、じっと耳を澄ましていた。

「はい、本心を言います。先ず今使ってるこの翻訳機に関してなのですが、彼らに聞いた話によれば、
この翻訳機は彼らの全面的な協力によって作られたとか。
 しかし博士はあたかも自分独りで作った様に発表したとか聞いています。もしそうだとすると、博士は信
用出来ない人物ということになります」
 正に本心で言った。

「ほほう、そんな事を吹き込まれて来たのですか。ふふん、なるほどね。確かに彼らの協力は大いにあっ
た。発表した時には私の個人的発明と言った。
 しかし教授はそれを了承したのだよ。私の『共同して発明した事にしようよ』という言葉を遮(さえぎ)って
ね」
「ええっ! ど、どうしてですか? 私が聞いたのと大分違う!」
「話は簡単です。ゴールドマン教授はその分のお金を要求したんです。私一人の発明という事にしてやる
から、即金で一億ドルくれって言って来たんですよ。法外な金額です。
 しかし彼は『どうしてもまとまった金が欲しい。それ以外の選択は認めないと、半ば私を脅したんですよ」
「えええっ、まさか……」
 夕一郎は冷水を浴びせられた思いだった。

「私は莫大な借金を背負って、彼の言う通りにしたんですよ。ただ、この事は彼と私しか知りません。きっ
と私を悪者にする為に、この件の真実を話していない筈です。聞いてなかったでしょう?」
「は、はい。本当だとすると、ゴールドマン教授と言うのはとんでもない男だったんですね。ううむ、そうだっ
たんだ」
「嘘だと思ったら、地下の牢獄に居る彼に直接聞いてみれば良い。本当の事を言うかどうかは分からん
がね。さて他に何かあるかね?」
 教授は誤解が一つ解けたことに気を良くして、次の疑問に答える事にした。

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