夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
22
今までだったら、何日も閉じ篭るところだった。暫くして、ケータイが鳴った。
「はい、林谷ですが」
「あのう、林果です」
「ああ、林果、……首になっちゃったよ」
「うううう、御免ね。父のせいだって分かってる。逆らえば留学出来なくなりそうだし、どうしたら良いのかな、
私……」
林果の辛そうな声を聞くと、
『閉じ篭ってばかりはいられない!』
と、思った。
「いや、別に気にする事は無いよ。そもそも俺は小姫さんとは相性が悪いから、丁度良かったんだよ。遅かれ
早かれ辞める事になったと思うよ。それより、林果は大丈夫か? 監視とかが厳しくなったんじゃないのか?」
昇は林果の身を案じた。
「今のところ何も変化は無いわ。ああ、ちょっと時間があれだから、後でまた連絡するわね。あ、愛しているわ、
昇!」
「ああ、俺も愛しているよ、林果。じゃ、また後で!」
「うんっ!」
何時もならメールの交換だけだったが、直接声を聞きたくて電話にしたのだろう。
『林果、大丈夫かな? ……そうだ、取り敢えず仕事を探さないと! 明日から早速職探しと行こう!』
その日の閉じ篭りは数時間で終った。夕食時には全く無言ではあったが普通に母親と一緒に食べたのだった。
午後八時位からチャットが始まった。
のぼった:明日から就職活動だよ。
りんご:御免なさい、父のせいで。小姫
そこでチャットが一方的に切れてしまった。
『くそっ、あの野郎、何処まで人の恋路を邪魔すれば気が済むんだ!』
昇は悔しかったが何も出来なかった。『小姫』の名前だけしか打ち込めなかったのは、いきなり部屋に進入し
て来たのだろう。
『待てよ、そこまでやって良いのか? 幾ら父親の命令でもやり過ぎだろう?』
そうも思ったが、昇は少し迷いを感じ始めていた。
『ううむ、このままでは林果が可哀想だな。まさか俺の為に海外留学がふいになるなんて事は無いだろうな?』
お金や社会的地位がどれほど重みがあるのか、思い知らされる事になってしまった。
『ああ、『続・夏休み未来教室』どころじゃないな。理論の方は着々と進んでいるんだけど、遥かに遠いな、仕事
もろくにないんだし、いや、探せば何かあるかも知れない。あってくれる事を期待するしかないな……』
その夜は諦めて寝てしまった。
『あれ、何だ? 体がフワフワ浮いている。そうじゃない、下にあるのは俺の体じゃないか? これは夢? 窓ガ
ラスから入ってくる日の光が眩しい!』
「昇、ご飯よ!」
「えっ!」
「昇、起きてるの?」
「ああ、今行くよ!」
昇は起き上がって、窓を見た。さっきは光が眩しかった筈である。
『ええっ! カーテンが閉めてあるぞ! でも、念の為に開けてみようか?』
「サーーーッ!」
思い切って閉めてあったカーテンを開けてみた。
『何だ、光なんか入って来ない! 曇り空だ。……やっぱり奇妙な感じだったんだけど、夢だったんだな! 前
に見たのも、結局夢だったんだ!』
そう結論を出すと居間に行って朝食を食べた。
今朝も殆ど無言だったが、
「ハローワークに行ってみるから」
「ああ、職安ね。うん、分かった。雨が降りそうだからバスで行ったら?」
「うん、そうする。昼は外で食べるから」
「気を付けてね」
「うん」
それだけだったが兎に角、話はした。
地方の中規模都市ではバスがなかなか便利である。ハローワークの様な公共の建物の場合には、大抵バス
停が側にあるので、使い勝手は良い筈である。
『初めてハローワークに行くな。今日は雨が降りそうだから、バスに乗っていく人も多いんじゃないのかな?』
思ったほど混んでいないバスの中で、そんな事を考えながら外を見ると、何故か長蛇の車の列。
『何の車の列だ?』
いぶかしく思いながらハローワークに入ってみる直前に訳が分かった。
『何だこりゃ、ハローワークに車で来ているんだ。それも殆ど立派な車ばかり。どうなっているんだこの国は?』
思わずそう考えてしまった。
『職は無いけど、貧しくは無いのかな? 車のローンをどうやって払うんだ? ああ、そうか、車のローンを払う為
に、仕事を探しているんだ。何か変だな……』
晴れていれば自転車で来ようと思っていた昇は、何とも奇妙な印象を受けたのだった。
履歴書と希望の職種や希望の給与等を書類に記入して係りの者に提出する。後は自分の番号を呼ばれるま
で待つ事になる。平日の十一時位だったが、予想以上に人が多くてビックリだった。
『それにしても三百万円以上の車で通って来る奴の神経が分からないな。ぴかぴかの新車も結構多い様だしな。
月平均五万ずつ支払ったとしても丸五年は掛るんだぜ。それで無職かよ。
維持費だって毎年結構掛るんだし、どうやって暮らすんだ? まあ、ニートだった俺が偉そうに言えた義理じゃ
ないけど、俺は車は無いし、買うとしても軽に決まっているよな。うーむ、分からん!』
色々思案してみても良く分からなかったが、そのうち自分の番が来た。男性係員のいる席に座って、相談が
始まった。
「ええと、林谷昇さん、しかし欲が無いですね。自宅の近くでありさえすれば何処でも良い、給与も特に要求額
は無い、いや珍しい。
だったら、直ぐ近くに、スーパーが御座いますね。フラワーグループのスーパーがご近所にあるんじゃありませ
んか?」
「はい、でも、そこはちょっと……。俺の入った高校に近いもんで、何と無く気が引けるんですよ」
「だったら、万田屋梅ノ木店というスーパーもありますよ。そこだってお宅からは近いでしょう。まだ新しいし、……」
係員は親切の積りだったのだろうけれど、昇に行ける訳が無い。
「あのう、そこ、首になったんですよ、社内恋愛をしたって言う理由で」
「はれまあ、社内恋愛ですか? 羨ましい、いや、いや、いや、そうなって来るとちょっと難しくなって来ますね。
高校中退となると、コンビニのバイト位ですが、深夜でも良ければ、ありますよ。給料もきっちり働けば十五万
以上になりますからね。コンビニでアルバイトの経験は?」
「はい、あります。ただ、そこは潰れてしまって、その後万田屋梅ノ木店に行ったんです。でも首になったので、
別の場所で、なるべく近い所で働こうと思っているんですけど、ただ、チェリーズグループはちょっと……」
昇は自信無さそうに言った。
「ふうん、社内恋愛で首になったから、チェリーズグループは拙いという訳ですね?」
「はい、多分……」
「だったら、やっぱりフラワーグループのスーパー『フラワー梅ノ木店』が良いでしょう。万田屋梅ノ木店より少し
小さいですから、アットホームな感じで良いんじゃないんですか? ただここの求人は主に、レジを打つ、チェッ
カーなんですが、車の運転は出来ないんでしたね?」
「はい、免許は持っていません」
「免停とかじゃないんですか?」
「いいえ、全くゼロです」
「ああ、惜しいねえ、車の運転が出来れば職種がグンと広がるんですがね、チェッカーだったら、即採用になる
様ですよ。常時不足しているという、求人情報がありますのでね。紹介状お書きしますか?」
係員は半分決めた感じで言った。
「お、お願いします」
一瞬躊躇ったが、働いていないと、林果に申し訳なく感じて、結局了承した。スーパーにおける男子のレジ打
ち、チェッカーは以前は殆ど無かったのだが、男女雇用機会均等法の影響なのか、最近ではしばしば目にす
る様になった。
「それではこの紹介状を持参して、面接を受けて下さい。明日の午前八時で良いですか? 採用されれば、即
日レジ打ちの特訓になりますよ。今までの例からするとね。
コンビニよりも品数が遥かに多いから慣れるまではちょっと大変かも知れない。生物も扱っているし、割引商
品はあるし、カードも使うし、ばら売りもある。
コンビニは若い人が中心だけど、スーパーだと主婦が中心ですからね、ちょっと対応に戸惑うかも知れない。
……ああ、じゃあ、明日早速面接という事で良いですね?」
係員は念を押した。中にはきちんと話を聞かずに、平然と約束を破ってしまう者もいるからだった。
「はい、明日の朝八時に『フラワー梅ノ木店』の、事務室、ですよね?」
「そうそう、小さい店だから事務室も直ぐ分かると思いますよ。ちょっとお待ち下さい、今連絡致しますから」
係員は早速、面接の若者の名前等を電話で伝えた。
「了承されましたから、明日忘れずにこれを持って行って下さい。それではどうも」
「どうも有り難う御座いました」
少なくとも仕事にあぶれる事は無さそうだったので、昇はホッと胸を撫で下ろしながら、外へ出た。小雨が降っ
ていた。
『さて、何処で昼飯を食うかな?』
小雨に濡れながらバス停で待っていた。乗る人は数人程度。来たバスに乗れば街の中心街を通って、終点は
大抵駅前である。
『そっか、百万回行くって言ったんだから、『マリナー』にするか!』
簡単に決まった。間も無く来たバスに乗って、一番後ろの辺りに座る。終点だから慌てて降りる事も無いから
である。
『それにしても凄い車の列だな。だけど、車に乗っていたんじゃ、受付に遅れるんじゃないのか? まあ、あんな
に立派な車で来る位だから、余裕があるのかな……』
昇には高級車に見える車でハローワークに来る連中の考え方が、結局理解出来なかった。そのうち、うつらう
つらしたかと思ったら、もう終点に着いていた。
「お、降ります!」
慌てて降りたのだった。相変わらずの小雨の中『デ・アリータ』六階の軽食喫茶『マリナー』に入って行ったの
である。