夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「あ、あのう、昨日は済みませんでした」
 昇がやっぱり見晴らしの良い窓際の席を選んで座ると、問題のウェートレスがやって来て頭を下げた。ネーム
プレートには鏡川キラ星と書いてある。
「いや、別に気にしてないから。でもあれだね、変わった名前だね。昨日は色々あって気が付かなかったけど、
ええと、かがみかわきらぼし、で良いのかな?」
「はい。きらきら光り輝く星になって欲しいと、両親が期待を込めて付けてくれたんですけど、名前負けしちゃっ
て……、ああ、済みませんご注文の方は?」
 キラ星は何とか自分の仕事を思い出した。

「そうだな、ビーフシチューセットで行こうか、千二百円の奴」
 昇は商品券を使う積りだったので少し奮発した。
「かしこまりました。あのう、パンとライスのどちらに致しましょうか?」
「ライス。食後のデザートはあん蜜で行く事にするよ」
「はい、少々お待ち下さいませ。あの、お一人なんですか?」
「まあね、ん、どうして?」
「いいえ、申し訳御座いません、あの、失礼致します」
 キラ星が、昇に強い関心、ひょっとすると一目ぼれしているらしい事は、店員達には分かってしまっていた。鈍
い昇にも流石(さすが)に今度は分かった。

『俺が好きなのか? よく分からないな、俺の何処が良いんだろう? グラマラスな体形で顔も綺麗だけど、女々
しい感じの女性はちょっとね……』
 昇にはさほど興味は無かった。どちらかと言えば気の強い感じの女性が好みだったのだ。幾ら綺麗でも控え
めな女性には余り感心が無いのである。

「お待たせしました。あのう、これは昨日のお詫びという事で、私の奢りという事にさせて下さい。お願いします」
「いや、それは駄目だよ。昨日、お詫びの印という事で、商品券貰っているからさ。勘定もただにして貰っている
し、これ以上は行き過ぎだよ」
 昇ははっきりと断った。

「うううっ、も、申し訳御座いません」
 キラ星は涙ぐんで去って行った。
『あれ? 言い方がきつかったか? だけど常識的に言って、幾らなんでもこれ以上は貰えないよな……』
 昇はちょっと付き合いきれないな、と感じていた。

「お待たせしました。あん蜜で御座います」
 食事が終わったところで、タイミング良くデザートを持って来たのは、別の体格の良いウェートレスだった。しか
し、あん蜜の量を見て驚いた。てんこ盛りだった。しかもアイスクリームまで入っている。

「あのう、これ、何か間違っているんじゃないかな? 確かアイスの入ってない普通のあん蜜だったと思うけど。
それに量も大盛になっているし。他の人のと間違っているんじゃないんですか?」
 昇は当然と思って聞いてみた。 

「チッ! デリカシーが無いねーっ! キラちゃんの気持を少しは分かってやりなよ。そんな事だから彼女に振ら
れるんだよ!」
 今度のウェートレスはズケズケとものを言った。しかし幾ら気の強い女が好きだと言っても限度がある。
「な、何だって! 言って良いことと悪いことがあるぞ! この店は客を怒らせる為にあんのか!」
 店舗の客は余り多くは無かったが、かなりの大声で怒鳴った昇を一斉に皆見た。

「叫べば良いってもんじゃねえよ、人の好意を素直に受け取れって言っているのさ!」
 ウェートレスは引き下がらない。
「ああ、分かった。昨日は百万回来るって行ったけど、二度と来るか、馬鹿野郎!!」
 昇はあきれ果てた表情で、レジに商品券ではなく、現金千五百円を置いて、釣銭も貰わずに『マリナー』を出
て行った。もし店長が居れば、ここまでこじれる事は無かったのだろうが、生憎店長は席を外していた。

『全く、気分が悪い店だな。一体何なんだあのウェートレスは! 折角昨日気分良く、まあ、林果の友達の、いや、
そうとも言えないけど、香澄とか言う女の子のお陰でちょっと拙い事になったけど、でも、店は気にっていたんだ
けどな……』
 昇は店を出たものの、家に帰るのはまだ早いと思って、ブラブラ当てもなく歩いていた。

『仕方が無い、図書館にでも行くか?』
 ただ居るのも勿体無いと思って、七階、八階、九階に分散している市民図書館に行ってみる事にした。七階
は一般向けや子供向けの部屋。
 八階はインターネットやビデオなどの見れる視聴覚ライブラリー、九階は専門書の閲覧の出来るスペシャル
ルームとなっている。

『へー、初めて来たけど、結構良いね、静かだし。ここに引っ越してくる前の市民図書館は酷かったよな。子供
の遊び場みたいだったよな。
 一般向きの図書室の中を小っちゃい児が走り回っていたからな。ここもそうだろうと思って来た事が無かった
んだけど、意外だったな……』
 昇は相当ムカついていた気分が癒された気がしていた。

『待てよ、これは、な、懐かしい、あったんだな、意外だな、……』
 昇は思いがけずに、一冊の写真集を見つけた。それは中学二年の頃だった。他の男子生徒達が、持ってい
る写真集と言えば、大抵スポーツ選手か女性アイドルの写真集だったのに、彼は違っていた。『日本の名宝・
仏像写真集』だったのだ。

 本人は変だとは思っていなかったが、他の人達からは、相当の変わり者だと思われただろう。それは彼以外
の家族にとってもそうだったのかも知れない。
 売り払ったのか、ゴミとして処分したのか分からないが、何時の間にか、その写真集は林谷家からは消え去っ
ていたのだった。

 昇の使い終わった教科書や通知表、ノート等は、単行本や仏像写真集等と同様に、彼の知らないうちに密か
に少しずつ両親によって処分されていた様である。
 しかし昇は中学の頃は両親を信じ切っていた為に、その事実には気が付かなかった。単に自分が紛失した
のだろう位にしか思っていなかったのである。中学三年になると受験に忙しく見る事もなかったし、高校に入っ
てからは、尚更である。

 今はその事に気が付いていたが、敢えて問題にしようとも思わない。
『今更、ああだ、こうだと言っても仕方が無い。確かに殆ど振り返ってみる事も無いから、まあ、ゴミと言えばゴ
ミだけどね。
 でも、もし自分に子供が出来たら、出来るだけ大切に取って置いてやろう。処分は本人に任せるべきだよな。
さて、もう一度見てみようか……』

 昇は家族の中の自分の立場の弱さを、ある意味で痛感していたのである。高校を中退する事によって、立場
はますます弱いものになっていた。
 家庭内暴力は言わばそれに対する抵抗運動の様なものだったのだろう。幸いにも昇の場合は理由は定かで
はなかったが、それほど過激なものにはならなかった。ひょっとすると彼の元来の性格、アニメの『のぼっ太君』
に似た、のんびりした性格のお陰なのかも知れない。 

『……弥勒菩薩、……千手観音、……阿弥陀如来、いやあ、本当に懐かしいな。ああ、そう言えば、宝本先生
の家にもあったんだよな、大きく引き伸ばして、額とかに入った奴がね』
 ただ、今の昇にとっては仏像に対する興味は過去のものとなっていた。昇が仏像に惹かれたのは、芸術作品
としての意味合いが強かった様である。今熱心に見ている理由は、古いアルバムを持ち出して来て、過去の思
い出に浸る、そんな感じだった。

「はぁ、仏像がお好きなんですか? 若いのに感心な趣味ですねえ、ふぅ、ふぅ」
 小さくはあったが聞き覚えのある声は、軽食喫茶『マリナー』の店長の声である。息を切らしているところを見
ると、大分探し回っていたらしい。
「ああ、いえ、別に。えっと、『マリナー』の店長さん?」
 昇は驚いて声をあげ、直ぐ声を潜めた。

「いやあ、その、うちの子達が、重ね重ねのご無礼、本当に申し訳御座いません。何とお詫び申し上げたら良
いか、先ずは、これは先程のお釣と、お詫びの印の商品券で御座います。本当に、私の監督不行き届きで御
座いまして、全く持って、申し訳御座いません。この通りで御座います」
 店長は前回にも増して、深々と頭を下げた。昇は店長に対しては不快感を持っていない。しかしさっき昇に対
して、減らず口を叩いたウェートレスには我慢がならなかった。

「あの、さっき俺にあん蜜を持って来た、ウェートレスに謝って貰いたいですね。まあ、念の為に言って置きます
けど、別に彼女に振られた訳じゃないですからね。
 でも仮に振られたとしても、その事をなじられる理由は無い。多分、鏡川っていうウェートレスの肩を持つ余り、
ああ、言ったんだろうけど、正直言ってもう二度とお宅には行きたくないですね。限度を越えているよ」
 昇は穏やかな調子で静かに言った。

「あの、菱目川吉野(ひしめがわよしの)というウェートレスです。彼女は首に致しました。以前にも客に対して、
無礼な態度を何度か取った事があって、二度とその様な事はしないと誓ったばかりだったのですが、またやっ
てしまいました。
 母子家庭で少し気の毒な一面が御座いましたので、なるべく大目に見ていたのですが、限度というものが御
座います。正直、疲れました。このままでは店が潰れてしまいますので、辞めて貰いました。
 だからと言って、即刻明日から来て頂きたい等とは申しません。気持が治まってからで宜しゅう御座いますの
で、なにとぞ御ひいきにお願い致します」
 店長はまた深々と頭を下げたのである。二度にわたる深い謝意を、目の当たりにした周囲の者達は、奇異な
目で二人を眺めていたが、直ぐまた読書や勉強に没頭して行ったのだった。

「分かりました。ここは図書室ですので、話はそこまでにしましょう」
「はい、それでは失礼致します」
 店長は更にもう一度頭を下げてから帰って行ったのだった。

 昇は期せずして、二度商品券を貰ったのだが、一度目のには、五百円の商品券十枚、五千円分だった。二
度目は二十枚で一万円分である。それと釣銭三百円が封筒に入れてあったのだった。
『何だか申し訳ないな。あのあばずれ女が居ないんだったら、行ってみようかな。まあ、明日以降だけどね』
 昇は店長の気持ちを察して、近い内にもう一度だけ『マリナー』に行ってみようと考えていたのだった。

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