夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「しかし、その様な事は初耳ですぞ。それでは殆ど地下都市ですな。数多くの人が働いている筈。それが
一般アメリカ国民に知らされていないとなると、発覚は一大スキャンダルになるし、諸外国からも非難の
嵐となる恐れがありますぞ!」
ケッペルは腹立ち紛れにそう言った。
「はい、覚悟はしています。だからこそ地球の存亡に関わる様な、超特大の事件の場合に限って、公開
することになっていたのですよ。
ここで働いている者の殆どは地上へは滅多に出ませんし、出てもごく限られた地区でしか生活していま
せん。そうやって、歴代の関係者達は秘密を守って来たのです」
シュナイダー博士は感慨深げに言った。
「それほど大きいと五年や十年では作れないのじゃありませんか?」
夕一郎は大いに関心を持って聞いた。
「その通りです。諸君はキューバ危機を知っているかな?」
「ええ、一応知識としては。1962年の事だったと記憶していますけど。もう五十年以上前の事ですわ」
即座に林果が答えた。
「そう、わがアメリカ合衆国と当時のソビエトロシア連邦とが全面核戦争に突入する直前まで行った、歴
史的な危機だった。
ごく最近の研究ではソ連の核は恐るべき破壊力を持った状況にあったことが知られているが、兎に角
その時から実は『ノアの箱舟計画』と密かに我々の先人が呼んでいる計画が、スタートしていたのだよ。
全面核戦争によって地上に人が住めなくなった時でも、少なくとも何万人かのアメリカ人が生き延びら
れる様にね」
「核シェルターを拡大して、地下都市に発展させたのですね」
ミシェルが落ち着いた感じで言った。
「うむ、そういうことだ。その事を知っている地上人は大統領とその側近のごく一部の者に限られる。大統
領夫人、ファーストレディすら知らない事が殆どだった。
そのう、桜山君が言うように、五十年以上の歳月を掛けて作られたもの何だよ。ケッペル・ギルバート
氏は我々の仲間が組織する、『ノアの箱舟計画委員会』の了承が降りたので、知らせる事ととなった。
桜山林果さん、ミシェル・ローレンスさん、それから大黄河夕一郎君。君達にも許可が下りたので、今
日の午後からは、地下都市巡りをする事にするよ。
ただし、今回は通過だけ。それと移動する乗り物は『ノア・トレイン』、普通は単に『ノア』とだけ言ってい
る、乗り物に乗って貰います。宜しいかな?」
博士の言う事が何か信じられなくて、ケッペルはやや反抗的な態度を示した。
「そんな事を勝手に決められてもねえ。私は午後は忙しいのですがねえ」
「キャンセルは出来ないのですか? 出来なければ次回と言う事になりますが?」
博士はケッペルが単に駄々をこねているだけだと見抜いていた。
「いや、まあ、そこまで言うのでしたら、乗ってやっても良いのですがね」
「それじゃあ、決まりですね。他の方々も宜しいですか?」
「ああ、良いですよ」
「ご一緒します」
「行きますけど、その乗り物には私達以外の人達も乗るんですか?」
林果は何か気になる事があるようである。
「はい。電車に近いと言いましたが、何処で乗っても、降りても、原則無料です。ただし、中には必ず一人
は警備員が乗っています。
路線はサークル状の路線のみですが、サークルですから乗りっぱなしで、降りない人がいると困るので、
警備員がチェックしている訳です。
ノアは右回転と左回転の二路線あります。完全無人走行で五分毎に一本ずつ走っています。二十四時
間常に五分間隔です。地下には地上の様な昼夜の別が余りありませんから、何時でも稼動していないと
拙いからです」
博士はかなり詳しく言った。
「駅の様なものもあるのですか?」
ミシェルは相変わらず淡々と言った。それほど興味がある訳では無さそうである。
「はい、駅と言ってもごく簡素な建物が一つあるだけです。無料なので切符が必要ありませんし、乗客が
そう多い訳ではありませんからね。平均的に言えば、三十人が乗れる位のスペースがあって、通常十数
人が乗っています。満員になる事は殆どありません。お客が数人の事はありますがね」
如何にもノアに乗り慣れている感じであった。
「さて、ノアに関しては、実際に乗れば分かる事なのでここまでにして、次に行きましょう。実はゴールドマ
ン教授に関してなのですが、彼は近い内に釈放されます」
「えええっ!」
一番驚いたのは夕一郎だったが、しかしミシェルの顔が見る見る険しくなって行った。
「あのう、どういう事なのでしょうか? 彼は私を拉致監禁した重大な犯罪者なんですのよ!」
さっきまで冷静だったミシェルが態度を急激に硬化させたのである。
「彼は地下都市の事を良く知っています。裁判でその事を公にされては困るからですよ。それともう一つ、
彼はサイボーグに関しても実はなかなか詳しい。
大黄河君を眠らせた功績は極めて大きいのです。更にもう一つ。彼の主張する『オリンピック計画』、彼
が大黄河君を使って金メダルを大量に獲得する案を、クラスファー大統領も気に入っていてね、今回の
『シュナイダー計画』が上手くいったら、次に『オリンピック計画』を推進する様にという、大統領直々の要
望なのですよ。その為にはゴールドマン教授の力が絶対に必要だという事になったのです」
今度はシュナイダー博士が淡々と言った。
「納得出来ないわ。ゴールドマン教授は私に悪戯(いたずら)したのよ!」
ミシェルは爆弾発言をした。
「ええっ! 教授が!」
博士が大声で叫んだ。
「もしそれが本当だとすると、かなり厄介な事になるわね」
冷静に林果は言った。
「少し詳しく聞きたいね。ヘレンに聞いた話では、ミシェルを連れ出したのは彼女の独断だって聞いたけ
どね」
夕一郎はかなり厳しい顔になった。
「それは多分そうなんでしょうけど、教授の研究所で私は暫く意識が朦朧とした状態が続いたんです。女
性の看護師らしい人が介抱してくれていたんですけど、かなり良くなった日の夜、教授がやって来て、
散々触られました。その、舌で舐められたりもしました。でも、それ以上の事はありませんでした。多分、
彼は勃起しなかったんだと思います。
彼は『大人しくしないと大黄河君の命が無いぞ』と脅したんです。それで私は殆ど抵抗出来ませんでした。
大好きな人の命が懸かっていると思うとされるままにするしかなかったんです!」
相当に激高してミシェルは言った。
「しかしどうして今まで何も言わなかったのかね?」
博士は困った顔になった。
「とても恥ずかしかったのと、彼が警察に捕まったから、重大な犯罪者として裁かれるんだったら、敢えて
言うことも無いと思ったのよ。
でも釈放されるんだったら黙ってはいられないわ。あんな男を無罪放免するようでは、何をか言わんや
だわ!」
ミシェルは激しい口調で言い続けた。
「ううむ、それは許せないですね。人の弱みに付け込むということは、俺の一番嫌いな事ですし、彼の場
合は権力者でもあるのですからね。
俺の弱点を見つけたようだけど、黙って従う訳にはいかなくなりました。博士、幾ら大統領の命令でもこ
ればっかりは聞けませんよ。
それと、オリンピック計画には賛成出来ません。これは今決めた事ではありません。前々から疑問を感
じていたのですが、どの様な記録も、私の様なサイボーグが作ったものは偽りの記録です。
しいて言えば、サイボーグとしての記録と言う意味合いしかありません。サーボーグだという事を公表し
てからの記録なら、少しは意味があるでしょうが、嘘はいけません。断じて!」
夕一郎の気持ちはここに来て一気に固まった。
「おやおやこれは大変な事になりましたなあ、はははは、教授は最初は恐らくその気はなかったのでしょ
うが、ヘレン君が恋敵のミシェル君を拉致監禁したので、ムラムラして来たのでしょう。
まあ、その、かなりの美人ですからねえ、あ、いや、これは余計な事を言いました。兎に角これは問題
ですぞ! ふふふふ」
ケッペルは気味良さそうにせせら笑った。
「うーん、仕方がありません。大統領と相談して善処しましょう。その、まだ少し時間がありますが、今は
ここまでにします。
午後二時頃もう一度ここに集まって下さい。ノアに乗ってみて頂きますから。それじゃあ、私はこれで、
失礼するよ」
シュナイダー博士はクラスファー大統領にミシェルの件を報告するのだろう。いそいそと第五小会議室
を出て行った。
「さて私も失礼しますよ。しかしあれだねえ、ミシェル君、今回の計画に関わったばっかりに、悪戯されても
警察沙汰に出来なくなったねえ」
ケッペルは気の毒そうに言った。
「ええっ、それは何故ですか?」
ミシェルは不思議そうな顔をした。
「まだ分からないの? 私達は地上に戻れないのよ。戻っても、普通の生活は出来ないのよ。特定の場
所から向うには行けないのよ。『ノアの箱舟計画』を知った以上はね」
ピンと来ていないらしいミシェルに林果が説明した。
「あああ、そうでした。泣き寝入りするしかないのでしょうか?」
「そんな事は無いと思うよ。地下都市には学校もある位だから、地下都市用の警察なんかもあるんじゃな
いか?」
夕一郎は慰める積りで言ったのだった。