夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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その日の行事はそれで終わりになった。博士が夕一郎の為の新たな書類作りに手間が掛りそうなので、
解散と言う事にしたのである。『ノア』に乗って、第七研究室に戻った後は自由行動ということになった。
「ねえ、久し振りに私の部屋に来てくれないかな?」
林果は今は『研究室地区』と呼ぶようになった、自分達の部屋のあるところで夕一郎を誘った。しかし、
「悪いんだけど、ちょっと体調が悪くてね、暫く休みたいんだけどね。今日遅刻したのはそのせいもあった
んだよ」
と、丁寧に断った。
「体の具合が悪いんですか?」
心配そうにそう聞いたのは、近くに居たミシェルだった。
「ああ、どうも、だるいと言うべきなんだろうか、少し変なんだよ」
夕一郎は体のパーツを交換する必要があるとは言わなかった。いや、言い難かったのだ。
『どうも言い辛い。しかし、そろそろ新しい部品と交換しないと、ますます機能が落ちて来る。手術の様子
を見たらどういうことになるのか……。しかし事実を何時までも隠しておく訳には行かない!』
次第に気持ちは固まって来ていた。
『手術の様子を見ても動じなかった連中も少ないがいるのだからな。もし林果に嫌われたら? いやいや、
そんなふうに考えてはいけない。何時かは通らなければならない門なのだからな。よし、やるぞ、近々!』
その場で決断した。もっとも、実際に手術するのは博士の賛同が得られなければならないので、直ぐと
いう訳には行かないのだが、出来るだけ早くに手術をして貰う事に決めたのである。
「そんなに具合が悪いの?」
改めて林果が聞き直した。
「ああ、どうもパッとしないんだ。こういう時は眠るのに限るからね。本当に悪いんだけど、暫く休養させて
くれないかな。それでその、近い内に手術をしようと思うんだ。
普通の人の様に、具合が悪ければ薬や注射で治すという事は出来ないんだよ。体の部品交換というこ
とになる。
博士にお願いしなくちゃならないんだけど、まあ、多分一週間以内くらいだと思うよ。見学しようと思えば
出来るらしいけどどうする?」
本当は言わない積りだった手術の事をつい言ってしまった。もう後には引けない。
「噂ではバラバラにするらしいわね。ちょっと怖いけど、でも、大ちゃんの事は全て知っておきたいから、私
は見学させて貰うわ」
即座に言ったのはミシェルだった。
「林果はどうする?」
「わ、私はその、私も見学させて貰うわ。でも、もし大ちゃんが嫌だったら見ないけど」
「ふーむ、是非、真実を見て欲しい。そのことによってたとえ嫌われても、恨みに思ったりしない。事実を、
事実を見て欲しい」
夕一郎は悲壮な決意をした。
「分かったわ。嫌いになる事など有り得ないと思うけど、でも……、絶対の自信は無いわね。例えば亡く
なった母の手術の様子を、見た訳じゃない。
実際に見たらどんな気持になるのか想像もつかないわ。幾ら肉親でも、手術の様子を見たら、気絶す
るかも知れないわ。かなり複雑な心境になるかも知れない。
でも大ちゃんの手術の様子は見させて貰うわよ。サイボーグって何なのか、この目で確かめてみたい
のよ」
林果もその場で決心した。しかし二人の重さに比べると、ミシェルのそれは如何にも軽かった。そのこ
とに気が付いて、
「私、本当は血が苦手なの。でも大ちゃんの為だったら、きっと克服出来ると思うわ」
と、自分も相当頑張るのだと言う事を少し説明した。更に、
「でも、ヘレンは馬鹿ね。酷い事をしたから、折角のチャンスなのに、大ちゃんの手術の様子は見れない
んですからね」
と、勝ち誇ったように言った。
「そう言えば、ゴールドマン教授の件はどうなったのかしらね? 博士は何も言ってなかったけど、ミシェ
ルさん何か聞いてる?」
ヘレンの話が出たので、それに関連して、林果が言った。
「いいえ、何も。相手が大物だからそう簡単には行かないのでしょうね。でも私は慰謝料を取る積りに
なっていますけどね。
最低でも百万ドルは貰わないと。ただ、弁護士さんが思うに任せないのよね。ここじゃ、地上の様な訳
には行かないし。
何もかも揃っているんだけど、何もかも不自由なのよね。重要な案件は全て博士を通す必要がある。
これって何か変よね?」
ミシェルは本音を言った。
「ああ、言われてみればそうだよな。しかしその博士ですら、何もかも取り仕切っている訳じゃ無さそうだ
ぞ。博士が了解した俺のケッペル地区への移動が許可されなかったんだからね。
あれって一体どうなっているんだろうね。あの時どうしてコンピューターがノーと言ったのか、今も良く分
からないんだけどね。生身の人間とどう違うのかさっぱり分からない。
ケッペルさんはああ言ったけど、俺の体温は人間と同じ様に設定されているし、熱の高い部分や低い
部分も人間そっくりに作ってあるんだけどね。呼吸だって、ちゃんと吸ったり吐いたりしているんだからね」
何故入れなかったのか、改めて考えて見ると実に不思議だった事に気が付いた。
「そうよね、私は大ちゃんに抱かれた時、何の違和感も無かった。前に抱かれた事のある林谷昇さんの
時と同じだったのよね。ああ、御免なさいミシェル、悪気があって言ったんじゃないから、本当に御免ね」
林果はミシェルが気分を害したと思って丁重に謝った。
「いいえ、良いのよ。私は本格的に抱かれた訳じゃないけど、多少の接触はあったから分かるわよ、普
通の人と何も変わらないと言う事がね。本当にサイボーグなのかしらって思ったくらいだわ」
少しでも林果と対等にしようと、なるべく思わせ振りな言い方をした。
「多少の接触? 何それ?」
林果はカチンと来た。困ったのは夕一郎である。
「一方的に抱きついて来た事があっただけだから。ミシェルさん、誤解を招く様な言い方は止めて貰えな
いかな」
「ああ、す、済みません。些細な事を百倍も大袈裟に言いました。御免なさい」
ミシェルは夕一郎に嫌われる事を恐れてそう言った。
「そう、そんな事があったんだ。でも大丈夫よ、私はとっても寛容だから。キスの一つや二つ位でびくとも
しないわ。それじゃあ今日はここまでにしましょう。明日も普通通り授業はあるのよね?」
「え、ええ、その通りよ。あの、じゃあ、私はここで、さよなら」
ミシェルはこれ以上話したら、つい一緒にお風呂に入った事まで言いたくなってしまいそうで、自分から
別れを告げたのだった。
『ふう、危なかったわね。一緒にお風呂に入った事を知られたら、ただじゃ済まないわね。何より大ちゃん
に嫌われてしまう。それだけは避けたいわよね』
そんなふうに感じての事だったのである。
「じゃあ、俺もそろそろ。林果、明日も頼むよ。時間には気を付けるけど、もしもの場合がある。じゃあな」
「はい、また明日お会い致しましょう」
林果は何故か酷く丁寧な口調で言ってから自室に向かった。
『ふう、危なかったな。お風呂の一件や、夜這いの一件が発覚したら大変な事になるところだった。でも林
果の奴、何か感付いたんじゃないのかな。
別れ際の言葉がどうも変に、こう、よそよそしかったぞ。かなり怒っているのかも知れない。しかし明日
は遅刻しない様にしないとね』
何時ものように、お風呂に沈みながら考えていた。
『あの二人何かある! 本格的なセックスまではしていなさそうだけど、でも、まっさらという訳でもなさそ
うよね。何があったの一体!
ああ、気になるわね。ああ、駄目、駄目、大ちゃんを信じなきゃ駄目よ。でも何か変な事があるわ。大
ちゃんのセックスの仕方が昇さんととてもよく似ているわ。
さっきの話の時に思い出したんだけど、似過ぎている位よ。本格的な事は分からないけど、エッチの
仕方は千差万別って聞いているわ。たまたま似ているだけなのかしらね……』
自室に戻った林果は、夕一郎同様お風呂に入りながら考えていた。勿論、彼の様に湯船の底に沈ん
で考えることは無い。
『うーん、幾ら考えても分からないわ。だけど、確か、大ちゃん、林谷昇って言った事があったわよね。あ
の時は聞き間違いだと思ったけど、で、で、でもまさか。
だけど、もし本当にそうだとして、矛盾点はあるかしら? 昇さんの遺体は確かに見たのよね。……でも
頭部に傷があった。病気の治療の為だって言っていたわよね。
頭部の傷? 当たり前の事だけど、頭蓋骨の中は見なかったわよね。サイボーグは本体は殆どが脳
だけなのよね。あれえ、あれ?
頭部の傷。サイボーグは脳だけ。昇さんの脳を取り出したとすれば? そしてその脳をサイボーグの体
に移植すれば?
だから、だから、エッチの仕方が完璧に同じ。矛盾点は一つも無いわ。でも本当にそうだという証拠も
無いわね。だったらその証拠を探せば良い!
ただ、彼は否定している。何故? ああ、考えるのに疲れたわね、今夜は早めに眠りましょう。でも何
だかとんでもない事になりそうな予感がするわね……』
林果は長風呂で少しフラフラしながら簡単に夕食を済ませ、その夜はかなり早く眠ったのである。胸の
中に湧き上がる、熱い何かを感じながら。
『ふーむ、円形の路線か。電車も僅かにカーブしている。と言う事は、駅も、駅のホームもやっぱり少し
カーブしているんだろうね。
まあ円周が大きいから殆ど分からない位だけどね。ああ、眠くなった。眠ろう。今夜は鍵は掛けてない
からな。寝過ごしたら林果が起こしてくれるだろう……』
夕一郎は湯船の底に沈んだまま深い眠りに落ちて行った。