夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「最初に何処からにしましょうか。今朝は何処に行くか決めてなかったのですが、そうですね仕事的なこと
は最初にしておきましょう。先ず住宅地区へ行って桜山さんの住むお宅を見ておきましょうか。
あの、桜山さん、この二人に知られては拙いですか? 拙かったら私と二人だけで行っても良いですけ
ど……」
ケッペルは用心して言った。
「えっと、その、いいえ、大丈夫です。私は大ちゃんもミシェルも、その、彼女も信用していますから」
少し考えてから言った。
「べ、別に私は知らなくても良いですけど」
ミシェルは気を使って言った。
「ああ、まあ、お子さんも居る事だし、余り気を使わなくても良いですよ。そうでしたよね、確かお子さんが
一人居ましたよね」
「はい、そうですが、でも、生涯住む訳ではありませんし。誘拐とかする訳じゃありませんよね?」
「はははは、それは有り得ないですね」
「ふふふふ、当然ですわ。もしもの時は私達が犯人に決っていますから、それは無いわね」
話は冗談っぽい方向に向かって、自動的に了承と言うことになった。
「ええと、ノアシティは十二の地区がほぼ完全な円の周囲に等間隔に分散しています。そこで、この街で
は、地区を時計の文字盤に見立てているんですよ。
例えば私達が今居る研究室地区は6時の位置、ケッペル・ポイント地区は12時、そういう風にして住宅
地区は10時の位置にあります」
「ええっ! だったら時計回りの方が早かったんじゃないんですか?」
林果が即座に疑問を呈した。
「はははは、そうなんですが、逆周りのノアに乗ってみたかったんですよ。まあ、どうという事も無かった
ですけどね。
本当に揺れも少ないし、外は見えませんから、まあ、地下鉄の様なものですから、見えたところで景色
が見える訳じゃありませんけどね」
「ふふふふ、なんだか子供っぽい理由だったんですね」
ミシェルが可笑しそうに笑いながら言った。
「はははは、自分より若い人達と付き合っていると、気持ちが段々若くなって来るのかも知れませんね。
しかし、もうじき着きますよ。
何しろ一周しても一時間ですから。ふふふ、今度は桜山さんも大黄河君も、立って降りる支度はしない
んですね」
「はい、まあ、急ぐ必要が無い事はよく分かりましたから」
「ええ、ここのペースが段々飲み込めて来ましたからね」
夕一郎と林果は少し照れた様に言った。
「ピピピポポポンッ!」
間も無く、住宅地区に着いた。各国語で場所の名前がコールされるので、間違うことも無いし、しかも良
く聞いてみると、
『ネクスト、ナンバーテン』
と、10時の位置であることが言われていたのだった。
「ああ、ナンバーテンって言っていますね。昨日は何の事だか分からなかったんですけど、そういう意味
だったんだ」
夕一郎は一つものを覚えた、という感じで軽く言った。
「そうね、昨日はネクスト、ナンバートゥエレブ、ケッペル・ポイントって言っていたわ。そういう事だったん
だ。全然意味が分からなかったわ」
ミシェルも本来の彼女らしくやや品良く言った。彼女には元々優等生的なお嬢様風のところがあったが、
ヘレンと張り合ったり、林果を敵視したりして本来の彼女から外れていたのだったが、漸く本当の自分に
戻って来たようだった。
「しかし人の乗り降りが少ないですね」
夕一郎が思わず言ったが、実際そこまでの乗り降りは各駅で何処も数人位ずつだった。住宅地区でも
同様に数人が乗り込んで来ただけである。降りたのも彼等の他には二人の男女の若いカップルだけ
だった。
「さあ、ここが、お馴染みの『第七住宅』です。駅の外に出てみましょう。ふふふっ!」
何故かケッペルは含み笑いをした。四人が外に出た途端だった。
「ええええっ!!」
「おおおおっ!!」
「ああああっ!!」
林果、夕一郎、ミシェルが大声で叫んでしまった。余りの声に、先に下りた若い男女のカップルが怪訝
な顔で振り返って、しげしげと眺めていたが、直ぐまた振り返って歩き去ったのだった。
「ここが本当に地下なんですか?」
林果は首を傾げながら言った。彼女の目の前に見えたのは五階建てのアパートだったのだ。その様な
建物が数十棟ほども建っているのである。
「でも確かにずっと上の方には、天井がある。地下には違いないけど、何かこう如何にも広々として、落ち
着くね」
「そうねえ、でも人が悪いわねえ、ケッペルさん。知っていたんでしょう?」
夕一郎の言葉をミシェルが受けて、更にケッペルに言った。
「はははは、いやあ、申し訳ない。皆を驚かそうと思ってね。何かこう、桜山さんが乗り気でない様な気が
したので、ちょっと言い難かったこともあったんですよ」
ケッペルは少し言い訳をした。
「で、私の部屋は何処の何号室なんですか?」
林果はビックリはしたが、それはそれとして、さっきの娼婦達の事が頭から離れなかったので、割合冷
静に言った。
「兎に角歩いて行きましょう。まあ、直ぐですから。それと、学校も見て置きましょう。住宅地はこの一帯
だけなので、学校も一つ切りなんですよ。別の言い方をしますと、ここにだけ、小さい子供達が居るので
す。大人になるとここは出なくてはいけません。
さっきの若いカップルは多分結婚したてのカップルなんでしょう。子供がいるか出産の予定が無いとこ
こには住めないのですからね」
「とすると、例えば、さっきであった、娼婦達はここには?」
夕一郎は何か見えて来た気がしたので確認した。
「はい、そういう事です。つまりこの地区には娼婦達は入れません。また、体を売るものは子供が持てま
せん。万一子供が出来た場合には、娼婦は辞める必要があります。
それに違反したものは収容所送りになります。勿論子供と引き離されます。気の毒ですがその点は非
常に厳しいのですよ。少しは安心して頂けたでしょうか?」
「ふうん、そうなんですか。でも親と引き離された子供達はどうなるんですか?」
林果はそれはそれで大変だと思った。
「それはケースバイケースです。原則は里親を探しますが、適当な引き取り手が無い場合には、その種
の施設に入れられますね。その施設もここにあるのです。
子供の姿を見掛けなかったのは、子供の動ける範囲が決っているからです。原則として研究室地区
には子供は入れませんからね。実際一人もいなかったでしょう?」
「なるほど、納得しましたわ。でも、余り子供を連れた人が居ませんね、子供の居る地区なのに」
ミシェルの言う通り、余り人気が無く、子供の走り回る光景も無かった。
「はい。それは、ここにいる親達は皆、両親共に働いているからです。生後間もない新生児を除けば、
殆どが保育所に預けられているからです。
また新生児は親が外に連れ歩く事は何かと危険なので、自宅で育てているので、滅多に子供の姿は
見ないのですよ。今はまだ午前中ですからあれですが、午後になれば、小学生達は元気にここを走り
回っているようですよ。少ないと言っても数百人はいるのですからね。
それからついでに言って置けば、高校生まではここに居られますが、大学生になると大学地区に移動
する事になります」
「あの、もし子供が二人以上居た場合はどうなるのですか?」
ミシェルは気の付いた事を聞いてみた。
「ミシェルさんの言う事は、つまり、兄弟の子供がいて、一人は大学生、一人が高校生の場合ですか?」
「はい、そうです」
「その場合は、高校生とその親御さんとがここに住んで、大学生になった子供は大学地区に移り住む事
になります。
ここから大学に通う事は出来ません。さっきも言った様に、その辺は相当に厳重です。大学生がこっち
に来ることは、通常は出来ません。親御さんが大学地区に行ってお子さんに面会する形になります」
「へえ、徹底しているんですね」
夕一郎は感心したように言った。
「何だか杓子定規(しゃくしじょうぎ)な感じね。不満は出ないんですか?」
林果は納得しかねているようだった。
「そりゃ多少はあるでしょうけど、その点は了承していないとここには来れませんからね。ああ、そこですよ」
ケッペルは手で方向を示した。日本人だとそんな時に指をさす事があるのだが、欧米ではバスガイド風
に手を使って指し示す事が多い。
「アルファベットが書いてありますね。『G』棟ですか。入り口が三ヶ所ありますけど?」
「はい、真ん中です。見晴らしの良い、五階ですから。丁度五階の部屋が空いていましたから。まあ、他
にも空室はありますが、原則として割り当てられることに従わざるを得ないんですよ。
空っぽのアパートを作る訳には行かないのでね。棟は選べませんが、同じ棟のどの部屋かは選べます。
ただ、今回はG棟はその部屋しか空いてなかったので、すんなり決ったという事のようですよ」
「分かりました。あの、エレベーターは有りますか?」
気に掛る事を聞いてみた。
「はい、勿論です。ただし、原則として、身体障害者用なので、彼らが優先的に使う事になります。でもご
安心下さい。G棟の中央口には身体障害者は一人も居ませんので、普通に使えます。じゃあ、それに
乗って行きましょう」
ケッペルは中央の入り口から入ると、エレベーターの前に立って呼び出しボタンを押した。