夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「チンッ!」
エレベーターがやって来ると、比較的若い女性が下りて来た。三才位の女の子を連れている。女の子
が少し咳をしているところを見ると風邪を引いているらしい。恐らく病院にでも連れて行くのだろう。
「じゃあ乗りましょう。ああ、ただ、言い忘れていましたが、まだ部屋には入れません。鍵をシュナイダー
博士から受け取っていませんからね。鍵は直接桜山さんが受け取る事になっていますからね。
その代わり向かいのお宅にお邪魔することにしています。部屋の作りは同じなので、一応参考までに
見せて貰います」
「えええっ! 大丈夫なんですか? 何だか迷惑な話の様な気がするけどな」
夕一郎はちょっと非常識だと思った。
「ところが大丈夫なんですよ。そこは管理人室でしてね、部屋の下見をする人の為に作ってあるようなも
のなんですよ。
厳密に言えば、各棟に一人ずつ管理人がいて、警備も合わせて担当しているのです。ですからかなり
腕に覚えのある中年男性が住んでいるんですよ」
「あのう、警察は無いんですか?」
「勿論あります。しかしこの地下都市にも犯罪者が結構いるのですよ。住人が何万人もいると、全員が
善人とは行かないようです。
ここは他の地区に比べて子供が圧倒的に多いので、営利目的やわいせつ目的の誘拐に備えているの
です。警察だけでは間に合わないので、そうしている訳です」
「へえー、結構犯罪があるんだ。まあ、考えてみれば自分も犯罪に巻き込まれた様なものだからね」
夕一郎は納得した。
「そうね、警戒を厳重にする必要がありますものね。私も大ちゃん同様経験者ですし……」
のんびり上がって行くエレベーターの中でミシェルも感慨深げに言った。
「チンッ!」
型の古そうなエレベーターは如何にも遅く、他の人が乗り降りしないのに二分も掛って五階にやっと着
いたのだった。
「これだったら歩いた方がずっと速いわね」
少し苛(いら)つき加減で林果が言った。
「ははは、まあ、そう言わずに。前にも言いましたがこれは本来車椅子の人の為のものですから。それに
三十年以上前から稼動している、骨董品並みのエレベーターですのでね」
ケッペルは何故か言い訳をして直ぐ近くの部屋のチャイムを鳴らした。
「タダイマ、ルスニシテイマスガ、ケンガクノカタハ、ナマエヲイッテカラ、ゴジユウニゴランクダサイ」
留守番電話の様な録音した女性の声がドアフォンから流れて来た。
「あれまあ、留守なんだ」
「えっ、それって拙いんじゃないんですか?」
夕一郎は留守に入り込むことに気が引けてそう言った。
「いえいえ、その事は聞いた事があります。ネット検索で、ここの警備員は極めて多忙なので、留守の事
が多いってね。ええと、名乗れば良いんですね、マイネーム、イズ、ケッペル・ギルバート」
「リョウカイシマシタ、カギハカイジョサレマシタ、ドウゾ、オハイリクダサイ」
録音された女性の声でそう言うと、
「ガチャリッ!」
確かに鍵が解除された音がした。
「それでは皆さん、入りましょう」
ケッペルの一声でぞろぞろと部屋に入った。
「へーっ! 結構良い部屋じゃないか。ちょっとした高級マンション並だ。ああ、いや、マンションというの
は日本では高級アパートの事を言うのであって、けっして豪邸の意味じゃありませんからね」
夕一郎は慌てて繕った。日本とアメリカではマンションの意味が違うのである。本来マンションというの
は一戸建ての豪邸の事なのだが、日本では何故か高級アパートをそう呼んでいる。
その事を十分に知っていたのだが、つい日本人としての癖でそう言ってしまったのだった。
『変ねえ、大ちゃん、すっかり日本人みたいだわ。いいえ、根っからの日本人よ! だとすると……、いい
え、もっと決定的な証拠が欲しいわね。百パーセント日本人だったという。
それも北国の出身の筈よ、私と同じくね。何か上手い手は無いかしら。こうなったら何としても正体を
暴いてやる。もし、もし、大ちゃんが昇だったら?
その時は、この命に代えても大ちゃんの命を守る。シュナイダー博士が何と言おうと、けっして使い捨
てになんかさせるものですか!』
些細な事に思えた夕一郎のミスが重大な意味を持つ事になった。
「うふふふ、私はね、日本人がちょっと見栄を張って高級アパートをマンションと言っている事は知ってい
たから大丈夫よ。
前にも言ったかも知れないけど、私は日本びいきだから、日本の文化や風習にも結構詳しいのよ。大
学で『日本学』という分野を専攻していた位なんですからね。
でも、日本語の発音は意外に難しくて、皆にアメリカ訛りがあると指摘されてたんだけど、まあそれは
しょうがないわよね」
ミシェルは俄かに雄弁になって良く喋った。
「はあ、そうだったんですか。日本ではこういうところをマンションというのですか。はははは、一つ勉強
になりましたよ。はははは、まあ、一通り見て行きましょうか。その前にここが何号室か分かりますか?」
ケッペルはクイズ風に言った。
「はい、GYの9号室でしょう?」
ミシェルが間髪を入れずに言った。
「そうです。正解ですが、ここがG棟だからGは分かりますね。では、Yはどういう意味ですか? それから
9は何故9ですか?」
ケッペルは更に突っ込んだ問い掛けをした。
少考してから林果が答えた。
「はい、多分こういう事だと思います。この地区のアパートは殆どが五階建てで、入り口が三つあります。
さっきアパートに入って来る前に、三つの入り口の上の方に、左から、『X、Y、Z』と、書いてありました。
ですから、中央の入り口の部屋の番号にはYが付くのだと思います。それから、最初の部屋は、ドアに
『bO』と書いてあったので、各階に向き合って部屋が二つずつあって、一階は0と1、二階は2と3、三階
は4と5、四階は6と7、そして最上階の五階は8と9なのだと思います。
更に言えば、ここの向かいが私の部屋らしいですから、私と息子の昇一の部屋は『GYの8』ということに
なります」
林果は数学者らしく、極めて正確に言ったのだった。
「はははは、ブラボーだね。いや、完璧だよ。ちょっと補足すれば、右、左、中央等と言わずにX、Y、Zと
言ったのは、四十年近く前にここを設計したポールとかいう人の、個人的な趣味だったそうです。
それじゃあ、ついでに聞きましょう、ここには屋上があるかないか? 確か無かったですよね。でもここ
を建てた当初はちゃんとあったんだそうです。無くなったのは、天井とくっつけてしまったのは割合最近の
事らしいんですよ。どうしてでしょうね」
「地震対策?」
ミシェルが即座に言った。
「一応、ブーッ! です。この辺は地震が殆ど無いのです。だから地下核シェルターとして選ばれた訳です」
「じゃあ、どうしてですか?」
林果は不思議そうに言った。
「はい。これは推測ですが、つまり、小惑星が地球にニアミスした場合の地上の大変動を考慮したので
はないでしょうか。
仮に最悪、地上高百キロ以下にまでなったら、津波だけではなく地殻の変動も誘発される恐れがあり
ます。地震の無いような場所にまで地震が発生する恐れがある。まあ、これは私の推測に過ぎませんが
ね」
ケッペルは仕舞いはちょっと自信が無さそうだった。
「ふうん、だけどどうして、五階建てなんだろうな。他の地区はどうなんですか。こんなに高い建物が他の
地区にもあるんですか? ちょっと考えると無意味な気がしますけど」
夕一郎の疑問は当然だった。
「はい。これはネット検索によれば、ここで生まれ育った者に対する配慮らしいです。天井の低い地下に
ばかりいては、将来地上に出た時に、余りの空の高さにショックを受けないようにだとか」
ケッペルの答えは歯切れが悪かった。
「ええっ! じゃあ、ここで生まれ、ここで育っている人が沢山いるんですか? 生まれてから一度も地上
に出た事の無い人も、いるんですか?」
ミシェルは悲しげに言った。
「どうやら、そうらしいです。さっきすれ違った女の子も、多分そうなのでしょう。勿論これから地上に出て
行くチャンスは幾らでもあるでしょうが、問題になっているのは、地上に出る前に重大な犯罪を犯した者
達です。
彼等は収容所に入れられますから、当然地下から逃れる術はありません。ここノアシティには死刑があ
りません。その代わり事実上の終身刑があります。
その終身刑の受刑者達の中に、生まれてから一度も地上に出た事の無い者もいるようです。何だか
悲しい話です」
ケッペルの話は何時の間にか悲痛な話になってしまったのだった。
「ふうむ、気の滅入る話ですね。しかし警備員の人はなかなか戻って来ませんね。こんなに留守にして大
丈夫なんですかね」
「はははは、心配は要りませんよ。大抵十五分位で戻って来ますから」
いきなりそう言ったのは、何時の間にか入室していた、如何にも警備員らしい格好の、中年のガッシリ
した体格の白人男性だった。
「貴方が噂の大黄河夕一郎さんですか?」
「はい、その、大黄河夕一郎です。貴方は?」
「初めまして、ジュリアス・タイガーと申します。以後宜しく」
「宜しく」
二人は固い握手を交わした。