夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「ええ、そのようですね。しかし後ろからナイフを刺して来たのですから、当然殺意があった訳です。こっ
ちも手加減抜きにさせて貰いました。ただ私には殺意があった訳ではありません。
通常胸に肘打ちだけでは死にません。ところがあたった場所が悪かった。しかも絶妙のカウンターに
なったので、死に至ったのです。
後ろだったが為に急所を外すという事は出来ませんでした。何せ見えませんでしたし、前からも同時に
男が襲って来たのですからね。まあ、それだけです」
夕一郎は悠然としたままだった。
「ま、まあ確かに、完璧に正当防衛だけど、君の力なら、もう少し手加減出来るんじゃないのかな?」
ケッペルは恐る恐る言った。夕一郎の力を知ってはいたが、目の前で惨劇を見ると、更なる恐怖心が
生まれて来る。
「済みませんが手加減をする積りはありません。いいえ、無我夢中ですから、手加減をする余裕は無い
のです。
男の俺をレイプしようとした彼らの命がそれほど大切ですか? 今までも相当の男や女達が犠牲になっ
ていると思われる連中ですよ」
夕一郎は時折襲って来る、激しい空腹感によって、強い怒りが湧き上がって来ることがある事は言わ
なかった。
空腹感は最近では、何かを口にした後で特に強く感じる様になって来たことが分かって来ていた。表情
には一切表さなかったのだが、かなり怒りっぽい状態でもあったのだ。
「ああ、いや、彼等は殺されても文句の言える様な奴等でない事は確かだよ。恐喝まがいの事はするし、
ナイフや拳銃まで使うんだからね。まあ、自業自得だな、はははは」
少し笑って誤魔化した。無論日頃の大人しい性格を良く知っているので、無闇に恐れる必要は無いの
だが、
『うっかり怒らせたら恐ろしい男なんだな。ふう、今まで何とも無かったのが不思議な位だ』
どうしてもそう感じてしまうのだった。
ケッペルは近くの商店に入って、服の上下を買って、夕一郎に着せた。来ていた血の付いた服は、買っ
て来た紙袋に入れて、ダストボックスに押し込んでおいた。
まだ早いと思ったが午後二時半過ぎ位には、第八歓楽街という名のステーションについた。そこには少
し疲れた様子の、林果とミシェルがイスに座って待っていたのだった。
「遅かったわね、何処へ行っていたの?」
なるべく平静を装って林果が聞いた。
「おいおい、まだ予定より一時間も早いんだぞ。遅いという事は無いだろう?」
ケッペルも平静を装ってなるべく普通な感じで答えた。
「そ、そうよね。あれ、でもその服装はどうしたの? 来た時とは違うわよ?」
ミシェルは目敏く見つけて言った。勿論それは林果にも分かっていた事だったが、ヘレンとの一件で頭
に来ていて、言いそびれたのである。
「い、いや、これはその。あ、後で話しても良いかな。ちょっと訳ありでね」
ケッペルは急に声を潜めた。
「わ、訳有り! まさか女達とエッチとかして、汚れたとかじゃないでしょうね?」
林果はあからさまな言い方をした。
「はははは、林果は直ぐそういう方向に考えるんだからね。女達は怖がって誰も寄り付かなかったよ。
ケッペルさんが余計な事を言うものだから。でも、理由はここじゃ言えない。人目のというか、研究室に
戻ってからじゃないと拙いよ」
夕一郎も最後は声を潜めた。
「そ、そう。女達とは何も無かったの。でも、服を着替えた理由が気になるわね。まだ早いけど、今日は
この辺で戻りませんか? 一応、仕事としては、私のアパートの見学がメインだったんでしょう?」
林果は早々に切り上げる事を提案した。ケッペルと夕一郎の様子が尋常ではない事に気が付いたの
である。
「そうね、私もそれで良いと思いますけど」
ミシェルも同調した。彼女も何かただならない気配を感じていたのだ。
「はい、大変残念ですが、きょ、今日のところはアクシデント発生という事で、終りにしましょう。ではそろ
そろ列車も来た事ですし、後は、第五小会議室の方で少しお話をする事に致しましょう」
ケッペルがそう言うと、やって来たノアトレインに全員乗って第八研究室に向かった。列車はそこでも
混んでいて、空席が殆ど無かった。
「今日はやけに混みますね」
「ああ、どうしたんだろうね」
夕一郎はケッペルの隣に座って話し掛けたが、二人の耳に思わぬ噂話が飛び込んで来たのである。
「歓楽街で人殺しがあったらしいぞ」
「よくあることさ、つい二、三日前にもあった」
「いや、今回は何時もと違う。たった一人の素手の青年に、ナイフを使ったり拳銃を発砲していながら、五
人が死傷したんだからな」
「えええ、有り得ないよ普通は。場所は何処だ?」
「カンカンという店の、事務所だそうだ。そこじゃ、素行の悪い客にお灸を据えたり、お金を支払わない客
から強引にお金を貰ったりしているらしい。
今日も二人組みの客でお金を支払わないと言ったらしいんだ。飲んだワインが高過ぎるとか言ってね。
しかし結局年配の男が、払う事になって、銀行に行ってお金を下ろしている間に、その青年に、なんでも
日本人らしいとか言っていたけど、兎に角、悪戯しようとしたらしい」
「悪戯? レイプか?」
「多分な。しかし逆にKOされちまって、それに腹を立てた、仲間やボスがナイフとか拳銃を使ったらしい
んだけど、その日本の青年にやられてしまったらしいんだ」
「しかし、信じられないな、それじゃまるっきりモンスターだよ……」
話し合っていた二人の男は、何気なく夕一郎の方を見た。途端に目を逸らした。
『ひょっとするとこの男じゃないのか! 日本の青年だし、歓楽街から乗り込んで来たみたいだし』
そんな風に感じて、二人の男は恐怖で顔が引き攣っていた。
「ちょっと、今の噂話は大ちゃんの事じゃないの? お金を払わなかった年配の人ってケッペル先生のこ
とじゃ……」
ミシェルが声を潜めながら言った。顔色が青くなって来ていた。夕一郎の顔はまともには見れなかった。
恐怖心が生まれ始めていたのだ。
「大ちゃん、あっちの人の話は本当の事なの?」
ますます心配そうに林果は言った。しかし彼女にはさほどの恐怖心は無い。何と言っても激しく情を交
わしあった仲である。ミシェルとは信頼の度合いが違うのだ。
「仕方が無いな。そうですよ。行き掛かり上そうなってしまったんだけど、当たり所が悪くてたまたまそう
なったけど、殺そうと思った訳じゃないですからね」
夕一郎はあっさり白状した。
「しかし、随分情報が早いな。事件があってから、まだ三十分位しか経っていないんだがな」
ケッペルはそう言うと首をかしげた。
「そうですね。幾らなんでも早過ぎる。待てよ、彼らも歓楽街から来たんじゃないのか?」
「ああ、そうよ。私覚えている。あの二人は大ちゃん達がステーションに着く少し前に来た人達だった。
絶対に間違いないわ」
ミシェルの心情に明らかな変化があった。言葉の裏側に怯えが見えるのだ。
『ああ、ミシェル、襲って来なければ何もしないのに……』
夕一郎にはミシェルが不憫に思えた。空腹感は既に無くなっていて、今はとても優しい気持になってい
たのである。
「そうか、それだったら有り得る。例えば、俺達と同様に駅で待ち合わせていて、一人がカンカンか警察
や救急隊の連中と知り合いだとすれば、多分現場は大勢の人だかりが出来ているだろうから、事情を
聞いたんじゃないのかな。
しかし変だな。私は、今回の事件は、あくまでも事務室に居た連中の喧嘩だと言えと言っておいた筈
なんだがな。
待てよ、ホステスが絡んでいるのか? ははーん、それだったら十分に考えられるな。私がサイボーグ
だってことに薄々気が付いていたからな。なるほど、ホステスと知り合いだったら、十分に考えられます
よね、ケッペル先生」
「え、ええ、ま、まあね。そういう事になるだろうね」
ケッペルは林果とミシェルをチラッと見てから言った。
「ええっ! ホステス? いやらしい遊びをしたんじゃないでしょうね!」
ホステスと聞いて再び林果の追及が厳しくなった。
「いや、いや、いや、何もしていませんよ。ただ高級ワインを飲んでくれたら、個人的に付き合ってあげる
とか耳打ちされたんですがね。
でも結局何も無かった。騙された様なものですよ。一本二十五万ピアもするんですからね。しかも二本
も注文させられて」
「はははは、ケッペル先生。誰も二本注文しろとか言って無いし、ああいう所で遊ぶ時には、お酒の値段
位は心得ておかないとね。
今回の事件の責任の一端は先生にもあるんですからね。ああ、そろそろ着きましたね。はははは、こ
れじゃあ教室に行って話すことは余りありませんね。
殆ど話しちゃいましたから。いっその事、ここで解散にしませんか? 最近私は疲れやすくてね。自宅で
ゆっくり休みたいんですよ」
ノアトレインから降りながら夕一郎は話し続けた。
「あああ、そうですね。じゃあ、そう致しましょう。今回の事件がどういう扱いになるのか。警察沙汰になる
とちょっと厄介ですが、仕方が無いですね。
その時はその時です。じゃあ、ここで解散に致しましょう。今朝も言いましたがお遊びはここまでですか
らね。じゃ、解散!」
ケッペルは表面的には楽しそうにしながらも、時折相当に複雑な表情を見せながら解散を宣言したの
だった。