夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「………………」
言葉が続かずに夕一郎は沈黙した。上手く誤魔化せる方法が咄嗟には思いつかなかったのだ。林果は全て
を悟った。疑いは確信に変った。
「あはははは、御免なさい。こんなところで喧嘩しても始まらないわよね。それでその博士。今後の方針はどうし
ましょうか?」
英語でそう言った。林果は目の前のサイボーグが、林谷昇であることを確信した途端、彼を擁護する姿勢に
変ったのである。
幸い博士とケッペルは日本語が分からない。日本語の分かる筈のミシェルだったが、二人だけに分かる話の
内容だったので、上手く理解出来ていないようである。
その証拠にシュナイダー博士、ケッペル、ミシェルの三人は意味が分からずにきょとんとしていたのだった。
『恐らく痴話喧嘩の類いだろう』
直ぐ和解した様だったので、三人は軽くそう結論付けたのである。
『昇! 貴方は私が守ってみせる!』
そう固く決心して林果は話を別の方向へそらした。
「はははは、痴話喧嘩はその位にしておきたまえ。そこで対策だが、少し言い難いのだが、一刻も早く大黄河君
には宇宙に行って貰おうと思っている。
教授が何を考えていようと、さすがに宇宙にまでは手が届かない。本来ならまだ数ヶ月先の事と考えていたの
だが、今月、つまり三月中に行って貰おうと思っている。後三週間以内だ。
そこで君の肉体の改造の手術だが、大きな手術になる。サイボーグの研究者達がかなり減ったとは言え、君
に対する信奉者が大勢残っているからね。彼らにはもう既に事情を詳しく伝えてある。
手術は二日後。およそ十日間にわたる大手術をする事にしている。これはアレなんだが、その、ゴールドマン
教授の発案の、翻訳機の体内埋め込みを実行するからね。良いよね?」
博士は少し強引過ぎるかも知れないと感じながら、確認を取った。拒否を認める積りは無いのである。
「はい、構いません。それで、えっと、食欲の件はお話したんですか?」
「ああ、勿論。君を信奉する研究者達はさすがと言うか、素晴しいアイデアを言ってくれたのだよ」
「素晴しいアイデアですか?」
「うん。つまり、人並みに食べる事が出来るような装置を体内に埋め込むんだそうだ。機能は全く違うけれど、
ちゃんとお腹が一杯になると満腹感もあるし、ちょっと汚い話だが大小便も出る。
本物ではないが一応それらしいものが出るようになる。より人間に近づくと言う事だ。その為の費用として数十
億ドルは既に手配済みだ。現在手術の支度に大童(おおわらわ)でね。皆張り切っているよ」
博士は研究者達の意気込みを強調した。
「しかし、まだまだ勉強が不足ではありませんか? 問題なのはアクシデントに対する対応です。冷静に対処す
る為にはより深い知識が必要です。」
ケッペルは反論した。自分の役割が軽視されているような印象を持ったのだ。
「宇宙に行ってから勉強して貰う。ケッペルさんは地上から宇宙にいる大黄河君に教えてやって貰いたい。その
為に翻訳機を埋め込むのだよ。今の翻訳機はしょっちゅう充電が必要で何かと不便だからね」
「あ、あまりにも急なお話ですね。少し強引過ぎますわ。それと大ちゃん一人だけが行くのですか?」
林果は焦って言った。
「一人では辛かろうと思う。桜山君かミシェルかのどちらかに一緒に行って欲しいのだが、桜山君にはお子さん
がいるよね。となるとミシェルということになるのだが、我々はヘレンも候補者の一人に加えている」
「へ、ヘレン! そんな、彼女は犯罪者でしょう!」
今度はミシェルが猛反発した。自分にした仕打ちが許せないのだ。
「ああ、分かっているが、彼女は罪を素直に認めていてね、その償いの為に、自分は宇宙の藻屑になっても良
いとさえ言ってくれているんだよ。
我々は色々検討したのだが、大黄河君の正体をすっかり知って、それで尚、一緒に宇宙に行く気があるか否
かで判断することにした。
前にも言ったかも知れないが、何度かは大黄河君の手術の様子を見て貰う。素人には辛い事になるが、どれ
ほど深く愛しているのかの判断基準になると思うからね。
これはSH教の教義にあったかとも思うのだが、真実の愛があるのならば、たとえその者が石ころに変わり果
てたとしても、それが確かにその者であるのならば、その石ころを生涯愛し続ける、そういうくだりがあったと思
うのでね。そうでしたよね大黄河さん」
思い掛けない話をされて夕一郎は戸惑った。
「あ、ああ、そうです。それは私が言いました。勿論それは極端な例え話ですが、真実の愛とはそこまでのもの
だと強調したかったのです。
打算の愛が横行していてちょっとウンザリしていたものですから、至高の愛について、自分の理想を述べてみ
ました。
ちょっと理想論過ぎたかも知れませんが、世界に一人位そんな馬鹿がいても良いのじゃないかと思ったので
す。今もその気持ちは余り変っていませんけどね。ただ自分に出来るかどうかはちょっと怪しい、はははは」
夕一郎は照れ臭かった。
『自分で言いながら、自分には出来そうも無いかも知れないぞ』
そう感じていた。しかし、
『だけど、どうして博士はそんな事を知っているんだろうね?』
そう疑問にも思った。それに関しては林果が口を開いた。
「博士、よくSH教の事をご存知なんですね。失礼ですが、SH教の信者の方なのですか?」
林果は不思議そうに聞いた。
「私はSH教の信徒ではないが、サイボーグの研究者、大黄河君の信奉者の大半がSH教の信徒だったので、
興味を持って調べてみたのだよ。
そうしたら、そのような一文があって、凄いと思ってね。私の信じているスリスタ教には無い考え方だったので大
いに興味をそそられたと言うわけで。
まあ、兎に角、ミシェル君悪く思わないでくれたまえ。候補者を多くしておかないと我々も不安なのだよ。全滅も
有り得るからね。
その場合には、研究者の中から選ぶ事になるだろうね、多分。しかしそれだと大黄河君が不満かも知れないか
らねえ……」
実際博士は不安げに言ったのだった。
『博士は私の心の中を見透かしているのじゃないかしら?』
ミシェルはそう感じていた。夕一郎に対して恐怖心を抱くようになってから、恋愛感情がぐらついて来ているの
だ。それでも、ヘレンにだけは負けたくなかった。
『そうよね、私には子供がいる。ああああ、決定的に不利だわ。ヘレンと一緒に行く事になったらどうしよう? あ
んな女に大ちゃんを取られる位だったら、いっその事、昇一を何処かに預けて、でもまさかね……』
林果はそう考えて落ち込んだ。
ミシェルも林果も、ヘレンが強力なライバルとして再び浮上して来た事に強い危機を感じたのだった。
『だけどあの女だけには、大ちゃんを渡したくない! その位だったら、私達が協力して何とかしましょうよ!』
共通の思いで、二人は顔を見合わせて、頷き合った。
「博士、概要は分かりました。お話はそれだけですか? そろそろ授業を再開したいのですが」
ケッペルは残り少ない時間を出来るだけ中身の濃い学習に当てたかった。
「ああ、それともう一つだけ。この間行けなかったケッペルポイントに明日もう一度行ってみましょう。原因が分か
りましたので、対策は講じておきましたから。それと、見学だけでなく、実際に搭乗もして貰います。
ただ、ムカつくかも知れませんが、私とヘレンも同行しますから宜しくね。まあ、彼女とは距離を置いて行動し
ても宜しい。彼女には専ら私と一緒に行動するように伝えてありますからね」
博士の発言は二人の女性にとっては爆弾発言だった。
「えええっ! あの悪女と一緒なのですか! 私は嫌です。私は何かひどい事をしてしまうかも知れませんわ。い
いえ、殴ったり蹴ったり位すると思います。どうしても許せないんです!」
ミシェルは激しい憎悪を示した。
「べ、別行動は出来ないんですか? 私も嫌ですが、大ちゃんだって不愉快でしょう?」
「あ、ああ、確かに。こんなに嫌がっているんですから、別行動にした方が良いんじゃないですか?」
夕一郎は林果の肩を持った。
「しかし、彼女は大黄河君と一緒に行動するのでなくては意味が無い。一緒に宇宙に行くかも知れないのだから
ね。彼女だけ別行動ということになると、一緒に大黄河君も行く事になるんだが、それでも良いのかね? 男三
人とヘレン一人という事になるのだから、間違いはあるまいが、それでも良ければそうするよ。大黄河君にはご
苦労だが二回行って貰う事になる。まあ、私とケッペルさんもだけどね、ははは、どうかね?」
博士は苦笑しながら言った。
「そ、そ、それは駄目です。その位だったら一緒に行った方が良いですわ」
かなり慌てて林果は言った。
「そ、そうね、あの女は魔性の女よ。私達が見張っていなかったら何をするか分かったものじゃないわ。仕方が
ありません、一緒に行きます」
ミシェルも渋々ながら同行を了承したのだった。
「そうか、だったら決まりだね。明日の朝九時。ここに一旦集合して、それからざっとの予定を話してから出発と
言う事にする。それで一応全部だ。何か質問はあるかね?」
博士は話がまとまってホッとして言った。
「あの、ヘレンは終った後はどうするのですか? 収容所に戻るのですか?」
少し気になって夕一郎は聞いてみた。
「勿論そうなる。ここには私が連れて来るし、帰りはノアトレインに一緒に乗るけれど、彼女と私は収容所地区
で降りるからね。それだったら良いのじゃないか?」
ヘレンが林果とミシェルに徹底的に嫌われている事に配慮してそう言ったのである。