夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 ヘレンと同行する件も片付いて、その日はずっと教室での勉強となった。まともに教室で勉強出来るのは今日
位である事からも、ケッペルの授業には熱が入っていた。
「ええと、まだまだ時間が足りませんが、シュナイダー博士の意向では仕方がありませんね。一応今日はここま
でに致しましょう。
 それじゃあ明日はケッペルスターに乗り込んでの実地研修と言う事になります。今夜は早めに休まれて、体調
を崩す事の無い様にお願いしたい。それでは明日午前九時にここでお会い致しましょう」
 ケッペルは如何にも名残惜しそうにしながら教室を出て行った。

「ふう、疲れましたね。ケッペルスターはなんとも複雑なマシンですよね。しかも色々と良く出来ていますよね。
何だかロボットみたいですよね。大抵の不具合をちゃんと言葉で知らせてくれるんですから」
「ロボットの定義はご存知かしら?」
 林果は夕一郎と一緒に帰りながら日本語で質問した。

「ロ、ロボットの定義!」
 冷や汗が出る。
「いや、その、詳しい事は知りません」
 やっとそれだけ言えた。

「じゃあ、また明日ね!」
 ミシェルは二人の特別な関係に関しては何も知らずに、明るく帰ろうとしていた。明日は厳しい一日になるだろ
うが、
『せめて、今だけでも明るくしていたい!』
 そんな感じだった。

「ああ、また明日!」
「明日は頑張りましょう!」
 夕一郎は普通に言ったが、林果は両拳を握り締めて、ファイトのポーズを取った。二人で一致団結してヘレン
に対抗する意気込みを見せたのである。

「ふふふふ、頑張りましょう!」
 ミシェルもそれだけ言うと、後は直ぐ振り返って、自室に早足で歩いて行ったのだった。本当は夕一郎と仲の
良さそうな林果を見るのが辛かったのかも知れない。

「本当に少しだけお邪魔したいのですけど、宜しいでしょうか。『夏休み未来教室』のその後について少しお聞き
したいのですけど」
 夕一郎にとっての爆弾発言だった。やはり日本語で言った。

「えっと、その、夏休みとかは何のことですか?」
 何処までも惚けた。
「部屋に入ってからお話しましょう、昇!」
「……………」
 何も言えなかった。

「ま、まあどうぞ。何か勘違いしているみたいですけど。ああ、コーヒーは飲みますか?」
「要りません。十分位で帰りますから。座ってきちんとお話し致しましょう」
「そうですか、じゃあ、座って下さい。ええと、何でしたっけ?」
 向き合って座った夕一郎は惚け通す事に決めた。

「お願いだから本当の事を言って欲しい。貴方が林谷昇である事は間違いないわ。貴方の脳はね。体は作り物
でも、脳だけは百パーセント、昇さんよ。
 色々都合があって、名乗れないらしい事は分かるけど、せめて私にだけは本当の事を教えて欲しいのよ。あ
んなに愛し合った仲だったし、今だって結局、私達は愛し合っているのよ。
 まさか私を騙しているの? 本当はヘレンを愛しているんじゃないの? ひょっとしてミシェルが好きだとか? 
それとも全然私の知らない人が本命だとか?」
 林果はあらゆる可能性を言ってみた。

「いや、その、林果が好きだよ。それは嘘じゃない。しかし、俺には過去は無いんだ。サイボーグになる前が誰
であったかなんて、問題じゃない。
 サイボーグにされたその瞬間から、俺は過去を捨てたんだ。捨てざるを得なかった。何故なら俺は人間じゃな
いからなんだよ。
 明後日から手術が始まる。それを見れば良い。そうすれば、何もかも分かる。林果の言う男性と俺とが同じか
どうかなんて、どうでも良くなる筈だ。
 恋愛感情さえぶっ飛ぶ。そして多分、やっぱり別人だった、ああ良かったと思うのに決っているのさ。今まで俺
を愛した殆どの女性が、手術後に俺を見限ったようにね」
 話をしているうちに、夕一郎の心情に少し変化が生まれた。断定はしなかったが半ば自分が昇であることを認
めたのである。

「……分かったわ。だったら手術を見せて貰うわね。私も自分を試して見たくなった。貴方への愛が本当に本物
なのかどうかをね。
 自信はあるけど、不安もある。テレビドラマの手術のシーンをまともに見ることも出来ない位ですから。でも、
きっと耐えてみせる!
 ふふふふ、今日は大きな収穫があったわ。じゃあ、約束だからこれで帰るわね。明日の朝九時、遅刻しないで
ね、昇!」
「うっ、はははは、じゃあまた明日。林果、その、いや、何でも無い。じゃあな!」
 二人は曲がりなりにも笑って別れた。しかしその心情は二人共に相当に複雑だった。

『殆どばれているな。林果は勘が鋭いし頭も良い。鋭く突っ込まれるとどうも俺は言葉が出なくなってしまう。はは
はは、これじゃあ、詐欺師にはなれないな。
 はあ、本当は手術のシーンは林果には見て欲しくない。彼女にだけは嫌われたくないからな。しかし、博士は
見せる積りらしい。
 まあ、俺も、見て欲しい気もする。へへへ、全く矛盾しているけど、見て、耐えて欲しい。そういう気持ちもあるん
だよね。
 ふう、考えれば考えるほど気が滅入って来る。それにしても懐かしい『夏休み未来教室』の事を言われて、本当
にうろたえたよな。
 『ロボットの定義』か。それも懐かしい言葉だ。サイボーグにされてからは殆ど考えていなかった。考える心の
余裕が全く無かった。
 ああ、気持が良い。このまま寝てしまおうか? ああ、いやいや、それは拙い。完璧に遅刻してしまうからな。
心地良過ぎてね。さて、風呂から上がって、真面目にベットの上で休みますか』
 浴槽の底に沈みながら暫く考えていたが、遅刻は拙いと感じて、風呂からあがり、何時もの様に乾燥室で体を
乾かしてから、パジャマを着てベットに潜り込んだ。直ぐ眠れた。

「もう、また遅刻じゃないの、昇! もう朝よ、あと十五分で九時になるわよ!」
「ええっ! もうそんな時間か。あれ? 林果、どうしてここに?」
「ひょっとしてと思って、迎えに来たら案の定だったわ。本当にのんびり屋さんなんだから。ドアもロックしてなかっ
たし。今日は手強い女が来るんですからね。こっちは早くから起きて支度していたのよ。さあ、起きて!」
「ああ、ちょっと!」
 林果は勢い良く毛布を引き剥がしたのだが、夕一郎の一物はすっかり立ったままだった。パジャマのズボン
にテントが出来ている。

「うふふふ、時間があったら、慰めてあげられるんだけど、今は無理ね。テントを畳んで早く起きていらっしゃいよ」
 林果は顔を赤らめながら部屋の外に出て行った。

 何度も情を交わした間柄だったが、思い掛けない男の生理にどぎまぎしたのだった。知らない女性が意外に
多いのだが、健康な男子だったら、いや、少しぐらい不健康であっても、朝は必ずペニスが立っているのである。
何でも無い当り前のことなのだ。

「ああ、お待たせ。ふう、拙いところを見られちゃったな。まあ、健康な証拠なんだけどね」
「うふふふふ、知識としては知っていたんだけど、やっぱり私も女ね。男の人の生理が今一つ分かっていなかっ
たわ。うーん、でも良く出来ているのよね。感触が本物そっくりなんですけどねえ」
「そうなんだよ。その為に莫大な費用が掛っている。元々が金森田の為のものだったからね。セックスだけは特
に本物そっくりにしたかったようだ。
 お陰でかなり楽しむ事が出来る様になったけど、朝立ちまでそっくりに出来ていたんだよね。うちの研究員達も
なかなか芸が細かいね」
 夕一郎は妙な誉め方をした。

「でも、今日はハードよ!」
 林果の顔は徐々に険しくなって行った。
「お早う!」
「お早う御座います!」
 意を決して第五小会議室に、挨拶をしながら入って行った。

「うふふふふ、お早う御座います。お久し振りね、桜山さん。それとマイ・ダーリン!」
 かなりセクシーな格好でヘレンが立っていた。
「な、な、何ですって。ダーリンってどういうこと!」
「あら、御免なさい。私と大黄河さんの関係をご存じなかったのかしら?」
 ヘレンは早くも挑発した。収容所に入れられて暫く大人しくしていたのだが、恋敵を目の前に見ると、大人しくは
していられないようである。

「何の関係なのかしら? この性悪女!」
 既に部屋に居たミシェルが少し歩み寄って、強く罵った。
「深い深い男と女の関係に決っているでしょう。皆さんに見せてあげたかったわね、私とダーリンの物凄いセック
スをね。あの時は本当に楽しかったわよね、夕一郎さん」
 言われて夕一郎は戸惑った。

『畜生、約束が違う!』
 そう思ったが、セックス三昧の日々は嘘ではなかったので、頭から否定は出来なかった。
「仕方無しにやった事は認めるよ。人質状態だったからね。逆らえなかった」
 夕一郎は鉾(ほこ)を納めたかった。

「あら、あんなに燃えたのに、それはないでしょう? でも良いわ。今度は宇宙でたっぷりして差し上げますから
ね」
 ヘレンは自信満々だった。しかし夕一郎は林果の手前もあって毅然たる態度に出ることにした。

「我ながら名演技だったと思うからヘレンさんが見破れなかったのも無理は無いけどね。しかし何を言っても言
い訳にしか聞こえないだろうから、これ以上は言わないけど、俺はあんたを愛してはいない。
 俺が愛しているのは桜山林果ただ一人だ。胸に手を当てて良く考えてみてくれ。卑劣な方法で拉致監禁した女
を本気で好きになると思うか?
 普通に付き合っていたのだったら気持ちは揺れたかも知れないが、あのような状態では愛される事など有り得
ないという事を良く覚えておくんだな」
 一刀両断に切り捨てたのだった。

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