夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「誰も帰りませんか?」
博士は一応全員を見回したが、帰る者は無論一人もいなかった。
「はははは、まあ一安心ですね。本当は帰られたらどうしようかと思いましたが、実は帰ろうとしたその瞬間、逮
捕されて、収容所送りになるのですが、その様な事が無くて本当に良かったですよ。特に大黄河さん、貴方に帰
られたらえらい事でした。貴方を逮捕するのは骨が折れますからね」
アーノルドは本心から胸を撫で下ろしていた。
「それでは最後に一つ。本当に申し訳ないのですが、今後十年間は通常の地上生活は出来ません。それどころ
か、地下に居ても、自由行動は出来ません。端的に言えば、ノアトレインにも特別の許可が無い限り乗れません」
アーノルドはあっさり言った。
「な、何ですと! そんな馬鹿な!」
大声で怒鳴ったのは、ケッペルだった。それに対してアーノルドは威厳を持って答えた。
「お静かに。余り大声を出すと、それだけで逮捕されます。お怒りはごもっともですが、もう事態はそこまで来てい
るのです。
小惑星『ニューアメリカ』はこのままでは地上高約百キロの地点を通過する事が決定的になりました。誤差は
プラスマイナス50キロメートル。
そればかりではありません。諸外国からの核兵器の提供は最早望むべくも無いのです。アメリカが核兵器の
提供を性急に要請する事を、脅威に受け取られるばかりで、真実を仄めかしても、全く聞き入れてくれないのです。
ピンポイントで核を撃ち込むしかありません。諸外国に疑念を持たれない様にする為にも、絶対の極秘行動が
必要なのです」
「ええーっ! 折角収容所から解放されたと思ったのに、結局、解放されなかったのと同じじゃない!」
ヘレンはがっかりして言った。
「私、人生の選択を誤った気がする。じゃあ、家にも帰れないの? 十年間も?」
ミシェルは泣き出しそうになっていた。しかし林果と夕一郎は無言であった。既にそれなりの覚悟はしていたの
である。
「子供は連れて来てくれるんでしょうね?」
一番気になる事を林果は聞いた。
「はい。ちょっと特殊な扱いになりますが。今回の変更は実は、ゴールドマン教授の失踪と無関係ではありません。
彼の動きが不気味で、我々としてはゆっくりしていられなくなったのですよ。
全てが急回転を始めました。その、桜山さんの息子さんの、昇一君には個人授業を受けて貰う事になります。
本当に申し訳ないのですが、そうさせて頂きたい。勿論拒否は出来ませんが」
博士は申し訳無さそうに言った。
「あのう、住まいはどうなるのですか?」
夕一郎は平静に言った。
「それは今日のメニューをこなしてからにしたいと考えております。これからは万事秘密主義になります。ヘレン
さん、貴方の上司に当たるゴールドマン教授の無謀な行動がこうさせたのだという事を、理解して頂きたい」
多少気の毒そうにしてアーノルドは言った。
「はあーっ! 誰かさんと事実上のハネムーンに浸りたいと思っていたのに、まあ良いわ。宇宙でハネムーンと
洒落込むから。それが無かったら、もう自殺ものね。こうなったら何としてでも宇宙に行ってやる!!」
ヘレンはもうすっかり夕一郎と一緒に宇宙に行く気分になっていたのだった。
「さて、これで注意点は一応話しました。ここで何か質問が御座いましたら受け付けますが、何か有りますか?」
アーノルドは言い難いことを言い終わったのでホッとして質問を受け付けたのだった。
「あ、あのう、ちょっと、この際聞いておきたいのですが、ここノアシティについて何ですが……」
夕一郎は恥ずかしそうに言った。
「はい。この際ですから、どうぞ遠慮しなくて良いですよ。多少場違いな事でも構いません」
アーノルドは夕一郎の表情を見ながら言った。
「それじゃ、二、三聞きます。ここの人口はどの位なんですか?」
「はははは、そんな事ですか。本来は秘密なのですが、ここに来た人にとっては秘密ではありません。と言うか、
ここから出られませんからね。
各地区によって人口は異なりますが、およそ十万人。実はしょっちゅう変貌しています。どちらかと言えば増えて
います。ただ最近、ゴールドマン教授がらみで、かなり逃げられましたので、まあ、逃亡した研究員が百人位もい
ましたのでね。少し減りましたが。それだけで良いのですか?」
アーノルドは少し物足りなさそうに言った。
「ええと、隣へ行く道と言うのを見た事が無いのですが、教えて貰えますか? 出来れば一度位は歩いてみたい
のですが。まあ、ローラースケートでも良いのですけど。久し振りに自転車でも良いのですけどね」
夕一郎は随分長いこと自転車に乗っていないことを思い出したのだった。ローラースケートにも一応は乗れる
ので乗ってみたくもあった。
「はははは、まるで少年の様な目をしている。貴方が女性にもてる意味が分かった気がしますよ。ええ、勿論良
いですよ。
実は皆さんが住んで頂くのは午後一時の位置にある、住宅地区なのです。そこではここと同様殆ど誰も乗り降
りしなかったことに気が付かれていましたか?」
アーノルドは後で知らせることにしていた事を、質問が出たついでに前倒しで知らせる事にした。
「そう言われるとそんな気がしますね。ひょっとすると歩いてしか行けないとか? それでノアトレインの乗客が少
ないとかなんですか?」
夕一郎は、ノアトレインの乗客の少ない理由が大体見当が付いて来ていたが、それも確認の為に聞いてみる
ことにした。
「いいえ、ノアトレインは全ての場所に降りて、その地区に行けます。ただし、ここケッペルポイント地区の様に、
進入を制限されるので降りても意味が無い場所がある訳です。
それと、もうお分かりでしょうが、殆ど乗降客の無い所が他にもあります。例えば収容所地区への出入りは極
端に少ない。
それでいて、人口は多いのですよ。数万人も居ますからね。ヘレンさんは経験者ですがね。でも一般的な収容
所なんかとは全然違ったでしょう? ふふふっ」
少し可笑しそうに笑ってアーノルドは言った。
「あ、はははは、もう、正体をばらさなきゃ良いのに。そうすれば私は、収容所に隔離された哀れな女性として、
誰かさんに同情されて良かったのにねえ。
もう、正直に言うわね。収容所というから、どんな酷い所かと思ったら、別に監獄じゃないのよね。監視はあるけ
ど普段私達が住んでいる場所と大差ないのよ。
一つだけ違うのはノアトレインに乗っての移動は出来ないという事なのよね。それと強制的に仕事はさせられ
るけどそれほどきつくは無いわ。
聞いたところによれば、罪状によって仕事や生活の自由度が違うらしいけど、それ以上の事は私は知らない
わね。実際のところはどうなのかしら?」
ヘレンは開き直って逆にアーノルドや博士に聞いたのだった。
「はい。罪状が重ければ重いほど、住む場所はノアトレインから遠い位置になります。勿論隣の街、まあ私達は
地区と言うより街と呼ぶ方が多いのですが、そこへ通じる道からも遠くなります。
ここは地下千メートルの位置にあって、しかも掘り易い所は大抵掘ってしまっていますから、良くあるトンネルを
掘っての脱獄は不可能です。
一番遠い所は殺人犯などが収容されていますが、正に監獄そのものです。四六時中監視されても居ますけど
ね。私達が恐れるのは脱獄よりも自殺です。今まで数十年間一度も脱獄された事はありませんが、自殺された
事は何度もあるからです」
アーノルドの顔は少し曇った。話して楽しい事ではない。
「だそうよ、ダーリン。ああ、それは刺激的過ぎるかしら。その、大黄河さん。私もノアトレインの乗客が少ないか
ら人口はせいぜい数千人程度かと思っていたんですけど、意外に多いのね。
交通機関はそれで間に合っているし、しかも無料ですしね。地上が滅びるかも知れないから、ここに居た方が
良いのかも知れませんわね」
「地上が滅びるなんて言うな!」
かなり険しい表情でミシェルが怒鳴った。精神的に大分参っている様に見える。
「おお、怖わっ! もう、ジョークなのにねえ。さあて、そろそろ、ケッペルスターに乗っても良い頃合じゃないのか
しら?」
ヘレンはすっかりリラックスして言った。
「そうですね。大黄河さん、ご質問の方の答えはこれで宜しいですか?」
アーノルドは如何にも親切である。
「はい。良く分かりましたから。あと一つだけ。博士、アーノルドさん。ミシェルがかなり参っているようですが、
ちょっと無理なんじゃないですか?」
夕一郎はミシェルの容態を心配した。
「そ、そうですね。じゃあ、女子の衛生兵三名来なさい!」
アーノルドはただ手を挙げて、そう言った。部屋の中の会話は聞かれているらしく、直ぐドアが開けられて、数
人の女子の兵士がやって来て、アーノルドの指示を仰いだ。
「こちらのミシェル君が精神的に不安定だ。メディカルセンターに連れて行って検査や治療を施して貰いなさい。
症状が重ければ、入院させても宜しい」
「はっ!!」
三人の女性兵士は、ミシェルに優しく声を掛けて、部屋の外に連れて行った。一度だけ夕一郎を見たが諦め
の表情で兵士に従って行った。