夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『あれっ? 変だな。瞼(まぶた)が開かない。おかしい、手足の反応も無い。顔も無いぞ! ええっ! これって、
俺は脳だけなんじゃないのか! それとも……』
夕一郎は最初は夢を見ているのだと思った。
『夢? 有り得ない! 意識ははっきりしている。駄目だ自分が何処にいるのか分からない。外からの情報が全
く入って来ない!
俺は手術されている! しかも痛感を感じないように神経が一時的にすっかりブロックされている。何故だ?
何故、今こんな状態なんだ!
確かに今日、手術が始まる筈だったけど、手術室へ入った記憶が無い。俺は風呂の底に沈んで眠っていた。
待てよ寝過ごしたのか? ううむ、その線だろうな……』
暗闇の中で魂が浮遊している様な状態が暫く続いた。
『ああ、もう何時間経ったのか、良く分からない。ひどく疲れる。仕方が無い眠ろう……』
その後は夢うつつの状態が何時間か続いた。いや、何日間かも知れなかった。外部からの一切の情報が遮
断されているので、時間の感覚が麻痺していた。
思考も曖昧になる。集中して何かを考える事も出来ずに、ただ過去の記憶だけがふつふつと湧き起こって来
る。
『林果! 林果! 林果!』
一番愛する者の名前を心の中だけで、何度も何度も叫んでいた。その内、何かに掴まえられた感じになった。
「ガシーーーーンッ!」
凄い音がした様に感じた。
『これは多分、顔や体を結合し始めたんだな。今までも何度かあったからな』
激しい音はその後も何度も感じられたが、それは本当の音ではなく、体のパーツを結合した時の言わば衝撃
波であった。
神経の結合が脳にずしんと響いて来るのである。元々サイボーグになってからは殆ど痛みは感じない。全くゼ
ロでは困った事が起って来るので、若干の痛感は残してある。
「ガシンッ!!」
凄い音が響いて頭が固定された感じがした。今まではフワフワ浮かんでいた感じだったのが、急に地球の重
力を感じた。ひどく重く感じるのである。
やがて胴や手足にも同じ重さの感覚が蘇(よみがえ)って来た。神経が結合されたのである。更に顔面の感
覚も戻って来た。しかし今までとは少し違う印象もある。それから更にかなりの時間が経った。
『ううむ、どうやら、作業が終ったようだな。体を洗ったり、服を着せたり、最終作業は完了だな。瞼は、ああ、開く
ぞ』
夕一郎はゆっくりと目を開けて辺りを見た。最初は眩しいので、目を細めて見る。目の前に七、八人の研究員
やシュナイダー博士、ケッペル、アーノルド、更に、ヘレンと林果の顔も見える。
「貴方の名前は、チャーリーよ、たった今からね。トーマス・クラスファー大統領の親戚筋に当たる、チャーリー・
クラスファーですからね」
ヘレンが英語でそう言った。しかし素早く日本語に翻訳されてすんなり理解出来た。
「あれ? 翻訳機は?」
夕一郎にはまだ状況が良く飲み込めなかった。日本語の筈が、しかし英語になって発音される。実に素早い。
「貴方の体の中に翻訳機が埋め込まれたのよ。最新鋭の翻訳機がね。私、何と言ったら良いのか。貴方はもう、
大黄河夕一郎じゃ無いのよね。理屈では同じ人だと思っても、本能が受け付けない。
詳しい事は博士とかに聞いて。私の役目はもう終ったわね。ちょっと悔しいけど、仕方が無いわ、どうしても愛
せないんですもの。じゃあ、さよなら」
ヘレンは兵士二人に連れて行かれた。
「えっと、私は一体どうなったんですか? さっぱり分からないんですが」
ゆっくり起き上がりながら夕一郎は博士に言った。
「まあ、こっちへ来てくれ給え。一言で言えば君はアメリカ人になったのだよ。過去の記憶を完全に無くしたアメリ
カ人にね。
長い間行方不明だった、大統領の親戚筋の男性と言うふれこみだ。君は白人になったのだよ。脳を少しやら
れていて、言葉がやや遅い。
さっきヘレンが言った様に、名前はチャーリー・クラスファー。記憶は失ったが身体能力が何故か異常に高まっ
た好青年。まあ、鏡で自分を見てみ給え」
博士は険しい表情で言った。
「おおおおっ! これが俺か!」
夕一郎は頭がくらくらして来た。肌の色は白。金髪にブルーの瞳。紛れも無くアメリカ人である。全体の風貌は
若かりし頃のクラスファー大統領に似せて作ってある。
「一体どうする積りだ! これじゃあ、ゴールドマン教授の考えた人物像そのままじゃないか!」
夕一郎、いや、チャーリーは激しく怒鳴った。
「申し訳ないが、これが政府の、クラスファー大統領の意向だ。莫大な国家予算を使うのだ。ゴールドマン教授の
考えに近いのが、癪(しゃく)に障るのだが、止むを得なかった」
博士は悔しそうに唇を噛んだ。
「大ちゃん、あの、博士、私にお話させて貰えませんか? こんなことを言ってはアレですけど、私の嫌な予感は
当たってしまいましたわ。
大ちゃん、いえ、今はもうチャーリーなのかしら。私の部屋で、暫くお話すれば気持ちも落ち着くと思いますか
ら。是非そうさせて下さい。今後の事、計画についてもお話しますから」
悲しげな顔で林果は言った。
「博士、私からもお願いしたい。ここは女性の細やかな情に期待した方が良いでしょう。何と言っても一番ショッ
クが大きいのは、チャーリー自身なのですからな」
アーノルドが顔をしかめながら言った。
「宜しい。但し、護衛の兵士二名は付ける。もう単独行動は認められないからね。時は迫っているのだから」
博士は条件付で了承した。チャーリーが暫く眠っている間に、何か情勢に大きな変化があったようである。
「昇一は? さ、桜山さんの息子さんはどうされました?」
チャーリーはうっかり自分の息子の様な言い方をして、慌てて訂正した。
「はい、その事情も歩きながらお話します。では参りましょう」
「あ、ああ」
二人は護衛の兵士二人と共に研究所を出た。既にノアシティの中では大黄河夕一郎の死亡のニュースが流
れていた。
しかし、人を襲う不死身の怪物『ダウクーガー』の噂は消えなかった。何時の間にか、夕一郎とダウクーガー
とは別人のように思われていたのである。
「先ずノアトレインで、住宅地区まで行きますから。チャーリーはノアで住宅地区に降りたことは無かったわよね?」
「ああ、そうだ。えっと、逆回りで行くのか?」
「はい。その方が少し近いですからね。その方が自然ですしね」
「分かった。じゃあ、行こうか」
チャーリーは重い気分だったが、幾らあがいてもどうにもならないので、半ば諦めて言った。林果とチャーリー
と兵士二人の四人は、第八研究室から逆周りのノアトレインに乗って、午後一時の位置にある住宅地区に向
かった。
「ところで今日が何日か分かる?」
「え、えっと、三月下旬位かな?」
チャーリーは想像で言った。どの位の時間が経ったのかさっぱり分からなかったのだ。
「ふふふ、外れよ。もう六月に入ったのよ。しかももう下旬なのよ。今日は六月二十五日。自分がどうなったのか
覚えている?」
「えええっ! そんなに日にちが過ぎていたのか! 全然分からなかった。俺は風呂に沈んで眠っていたと思う
けどそれ以上の事は記憶に無いな」
驚くというより呆れた。ますます訳が分からない。
「貴方の言う通り、お風呂に沈んで眠っていた事は確かなんだけど、機能が著しく低下していたのよ。簡単に言
えば死に掛けていたのよ」
「な、何だって! 死にそうだった訳か。そうか、そう言えば、その予兆はあったよ。早く手術しなければやばいと
は思っていた。しかしそこまで酷くなっているとは思わなかった。結構元気だったし」
「ローラースケートに乗ったでしょう? 猛スピードで」
「ああ、確かにそうだった。あれが拙かったのか?」
「ええ。後で調べてみて分かったのは、ローラースケートに乗った時点で、ほぼバッテリー切れの状態だったの
よ。そこで直ぐ手術すれば良かったんだけど、誰もそこまでは分からなかった。自分でもそこまで酷いとは思っ
ていなかったでしょう?」
「うん。確かに。酷く眠いとは思ったけどね」
チャーリーは自分がサイボーグである事を再認識した。これが生身の体だったら、徐々に具合が悪くなるの
だが、サイボーグであるがゆえにガス欠の様な状態になって、一気に機能が落ちてしまうのである。そうなる直
前までは全く元気であるのだが。間も無くノアトレインは住宅地区に到着した。
地下一階に当たる第八住宅から、階段を上がって、チェック用の小部屋に入る。ここもケッペルポイント地区
と同様に、地区に入る為には、審査に合格する必要があった。
「貴方はチャーリー・クラストファーですね?」
ここでも特別扱いだった。
「はい、そうです」
「了承しました。どうぞお通り下さい」
あっけなく通れた。
「私達の部屋の通りは何処か分かる?」
林果は認知症の患者に対するような言い方で聞いた。
「勿論覚えているよ。bQ5だろう? 俺の部屋は16号室」
「ふふふふ、それは大黄河夕一郎さんの住んでいた部屋よ。彼はもう亡くなったの。分かるでしょう?」
「ああ、そういう事か。分かった。じゃあ、俺の部屋は何号室なんだ?」
「貴方の部屋は22号室。前にヘレンが住んでいた部屋なのよ。勿論彼女は犯罪者だから、今は収容所に居る
わよ」
「さっき、居たんじゃないのか、研究所に」
「はい。貴方にどうしても会いたいと言うから、特例で会わせてあげたのよ。でもそれだけよ。もう当分は戻って
来ることもないわね。ちなみに私の部屋は21号室。少しの間だけどお隣さんになるから宜しくね」
たまに通る人が居るので、林果は気を使って言ったのだった。