夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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 間も無く21号室に着いた。兵士達は部屋の外に立って警護するようである。
「ドタドタドタッ!」
 走って来た者があった。林果と昇の子供、昇一だった。

「ああ、ただ今。今日はお友達を連れて来ましたからね」
「ママ、アメリカの人?」
「そうよ、お隣に引っ越して来たのよ。ご挨拶なさい」
「こ、今日は」
「あ、ああ、今日は」
 いきなりの事でチャーリーは相当に面食らったが、他人の振りを通した。

「ああ、い、いらっしゃい」
 かなり慣れた日本語で話し掛けながら現れたのは、ミシェルだった。
「ミ、ミシェル。どうしてここに?」
 またも面食らった。

「立ち話もアレですから、取り合えず、こっちへ来て座って」
「あ、はい、そうさせて貰おうかな」
「メアリーはどうしました?」
 林果はミシェルに聞いた。

「今お茶を、コーヒーを入れていますから。どうぞ居間の方へ」
 ミシェルは明るく言った。
『何だかミシェルは元気になったみたいだな。それにしてもメアリーって誰だ? それにどうしてここにミシェルが
いる? やけに日本語が上手くなったみたいだしね』
 訳の分からない事ばかりだった。

「お初にお目にかかります。メアリー・キャンテスです。ここで家事手伝いと家庭教師の兼任をしております。住み
込みで働いています。独身ですので宜しく」
「ああ、あの、大黄河、じゃなかった、チャーリー・クラスファーです。宜しく」
 危うく大黄河夕一郎と言いそうになって、大慌てで言い直した。

「クラスファー大統領の遠縁の方って言うのは本当ですか? その、日本語もお上手なんですね」
 全く流暢な日本語にチャーリーは驚いた。
「いや、それほどでも。でも貴方こそ、本当に日本語がお上手だ。それとまあ、大統領と遠い親戚らしいのです
が、お聞き及びと思いますが、何分記憶が曖昧でして。自分が何処の何者なのかさえ、他の人に聞いてやっと
分かった位なんですよ」
「ああ、そうですってね。でも大丈夫ですわ。私、心理カウンセリングも多少ですが心得ておりますので。何時で
もご相談に乗りますわよ、うふふふふ」
 メアリーはチャーリーが相当気に入ったようである。
「じゃあ、メアリー、少し込み入ったお話がありますから、向うの部屋で昇一を宜しくね。ミシェルともお話がありま
すから」
 林果がさり気無くメアリーを排除した。正当な理由はあったが、それ以上に側に居て欲しくなかったのだ。

「じゃあ、昇一君、勉強の続きをしましょうね」
「はーい!」
 昇一は母親が戻って来たせいか、元気良く返事をしてメアリーについて行った。

「大ちゃんお帰りなさい。ああ、今はチャーリーなのね?」
 テーブルの周りに適当に座った三人はメアリーの入れてくれたコーヒーを啜りながら話し始めた。最初にミシェ
ルがすっかりアメリカ人に変貌したチャーリーを複雑な気持ちで見て言った。

「うーん、良い香だ。ところで俺の、いや、私の食機能の方はどうなったか聞いているか?」
 コーヒーを一口、口に含みながら、チャーリーは林果に聞いた。
「相当高機能になったって聞いていますわ。ちゃんと出る物が出るそうよ、うふふふふ」
 林果は楽しそうである。

「ああ、そうか。それを聞いて安心したよ。それにしても、私は三ヶ月も眠っていたのか?」
「はい。死に掛けた脳の回復に二ヶ月掛って、体の交換手術に一ヶ月掛ったのよ。私とヘレンは手術の時何回
か立ち合わせて貰ったわ。
 私もヘレンも耐える事が出来た。でも、出来上がった貴方の体は、全く別人だった。ヘレンはあれだけ激しく
貴方を愛していると主張して譲らなかったのに、本能的に、ふふふ、懐かしい言葉で言えば、そこが彼女にとっ
ての『杜子春の限界』だったのよ。結局去って行ったわ」
「杜子春の限界って何ですか?」
 キョトンとしてミシェルが聞いた。

「芥川龍之介の小説、『杜子春』をご存知かしら?」
「ええ、芥川は結構読みましたから」
「だったら話は早いわね。あの小説の主人公、杜子春はあらゆる苦難に耐える事が出来たけど、母親にそっく
りの顔を持つ別の生き物の苦痛を見ていられなくて、つい言葉を発してしまったのよね」
「はい。仙人になる為には、如何なる事があっても一言も発してはならないと言われていたのに、それで失敗し
て仙人にはなれなかったというお話でしょう?」
「そう。私達人間にはその様な本能的な限界があって、そこがロボットとは違うところでもあるということを一緒に
学んだ事があるのよ。昔々の事ですけどね」
「昔々? じゃあ、前々からの知り合いだったの?」
 ミシェルは相当に驚いて言った。

「ああ、いや、その、林果さん、その、桜山さんは何か勘違いをしているんだよ。あ、余り真に受けない方が良い
と思うよ」
 チャーリーは冷や汗を掻きながら言った。勿論本物の冷や汗ではない。心の中だけの冷や汗である。
「ええっ! どういうことなのかさっぱり訳が分からないわ」
 ミシェルは混乱した。

「ふふふふ、何処までもしらばっくれるのね。はいはい、分かりました。じゃあそういう事にしておきましょう。病み
上がりの人を苛(いじ)めては可哀想ですからね。
 まあ、兎に角、ヘレンという難敵はいなくなったのよ。本当はちょっと怖い存在だったのですけどね。でも、貴方
が眠っていた三月の間に、随分色々な事があったのよ。
 さっき見たとおり、昇一がここに来ましたし、その家庭教師として、メアリーが派遣されて来ましたしね。それと
ミシェルなんだけど、ご自分で話します?」
 林果はミシェルに話す機会を与えた。

「ええ、私、随分変ったのよ。うふふふ、お分かりになります?」
 ミシェルは笑いながら言った。
「そうですね。まあ、その、明るくなりましたね。以前は精神的に少し苦しくなった様な感じだった、と思いましたけ
どね」
 チャーリーは正直に言った。大丈夫そうだったのでそう言ったのである。

「ええ、私はここから抜け出せないと知ってから、思いっ切り落ち込みました。それを救ってくれたのはお医者さん
とその助手だったメアリーだったんです」
「へえ、メアリーさんがねえ」
「はい。私は孤独でした。大黄河さんの愛があれば多分落ち込むことは無かったと思います。でも貴方はヘレン
さんや桜山さんと特別親しそうだった。私は疎外感にさいなまれていたのです。
 私は治療を受けて、今後の事についてお医者さんやメアリーさんと相談したんです。私にとって最大の毒は孤
独という事でした。
 色々話し合った結果、複数の人と一緒に生活する事が最高の薬だと言われて、メアリーと一緒に住む事にし
たのです。
 そのメアリーはここの住み込みの家庭教師になることになったので、私も一緒に付いて来ちゃいました。日本
語はここで生活している内に、どんどん上達しました。
 メアリーは日本語も英語も良く出来る女性だったので、お互いに教えあって、お互いに上達したという訳なんで
す」
「ああ、それで二人とも日本語が流暢に出来るようになったんだ。へえーっ、そうか。で、彼女は俺の、私の事を
どの程度知っているんだ?」
 チャーリーは気に掛る事を聞いてみた。

「さっきの事でも分かると思うけど、貴方がサイボーグである事は知らないわ。英語より日本語の方が良く分か
る変なアメリカ人で、大統領の遠縁で、尚且つ記憶喪失らしいと言う事ぐらいね」
「ふうむ、じゃあ設定した事をそのまま信じている訳だ」
「そういうこと。だから彼女の前ではサイボーグ関連の話しはしない方が良いわね。でもちょっと気になることも
ありますけどね」
「うふふふ、チャーリーに気がありそうなことね」
 ミシェルはすかさず言った。

「そうなのよね。でもミシェルはどうなの?」
 今度は林果がすかさず言った。
「ふうん、良く分からないわね。前の大黄河さんと余りに風貌が違うので、戸惑っているところだわ。『杜子春の
限界』に近いのかも知れない」
「へえ、じゃあ微妙なところな訳ね」
「ええ、正直に言えばそうね。でも、桜山さんはどうなのかしら? 大黄河さんの時と全く同じ様に愛せます?」
「う、うーん、ちょっと微妙だわね。好きという感情は変らないけど、気持ちはかなり揺れているわ。ああ、御免な
さいチャーリー」
 林果はいたって正直に言った。

「はははは、まあ、仕方が無いよ。自分でさえもこの体を、このアメリカ人を愛せるかどうか分からないしね。あ
あ、しかしコーヒーがとても美味しい。
 サイボーグになってから、初めてだよ、こんなに美味しいと感じたのは。なんだかまた一歩人間に近付いた気
がする。うううっ!」
 チャーリーは少し感激に咽(むせ)んだ。

「あの、何か食べます? ハンバーガー位しかありませんけど。食機能が復活したとすれば、十分に食べられる
んじゃありませんか?」
 林果は気の毒に思って食事を勧めた。

「そうですね、お言葉に甘えても良いかな。でも、昇一君やメアリーさんは食べないのかな?」
「ああ、言って無かったわね。さっき昇一が今日はって言ったから、お昼頃と思ったかも知れませんけど、もう夜の
九時になる所なのよ。とっくに夕飯は済んでいますわ。私も早めに済ませたの。今夜貴方が来るかも知れなかっ
たのでね」
「ああ、そうか。でも昇一君はもう眠る時間じゃないのかな?」
 チャーリーは自分でも気付かないうちに父親らしい言い方をしていたのだった。

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