夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「あのう、携帯電話のアレとかは……」
 結局、ケータイの電話番号やらメールアドレスまで聞きだされてしまったのである。
『意外と手強いぞ!』
 昇は女の武器の一つ、泣き落としの罠にはまってしまったと感じていた。これが二人きりならもっと強い態度に
も出れるのだが、周囲に人が居ると『泣き』は、強力な武器になるのだと痛感したのだったが、もう遅い。

『林果に誤解されなければ良いが……』
 早くもそんな心配をしていた。尚都合の悪い事に、キラ星には林果には無い大人の女性の魅力があった。豊
満な感じの目の前にある二つの胸の膨らみと、むき出しになった二本の太腿は、男の情欲を激しく刺激する。
『こりゃ早く退散した方が良い!』
 理性が怪しくなる前に、
「明日から仕事ですから今日はボチボチ帰りますから」
 そんな言い訳をして席を立った。丁度団地行のバスの出る頃合になった。

「うふふふ、一緒に帰りましょうよ。同じバス停なんですから」
 キラ星はもう恋人気分の様である。しかも断る理由が無い。
「仕事は終り? 買い物とかは良いのかな?」
 最後の抵抗を試みる。

「今日は店長にお願いして、早退する事にしました。明日から少し余分に働くことで了承して貰いました。買い
物もあったんですけど、それこそ、林谷さんの近くのスーパーで間に合わせる事にしますわ」
「ああ、そう。じゃあ行こうか……」
 昇は最悪のパターンであると感じた。キラ星からは如何にも危険な香りが漂って来る。

「ふふっ、嬉しい!」
 昇の予感通り、キラ星はピッタリ横に並んで歩調を合わせて歩いた。誰が見ても恋人同士に見える。このまま
では拙いと思って、エレベーターに乗って、二人きりになった時に、敢えて注意した。
「悪いんだけどもう少し離れて貰えないかな。別に嫌いとかじゃないけど、誤解される様な気がするからね」
「あっ! そ、そうなんだ。済みません……」
 キラ星は昇との距離を、心の距離を痛感した。唇を噛み締め、涙が込み上げて来る。演技などではなく、自
然にそうなるらしい。辛そうにしながら半歩離れた。そこからは殆ど無言で小雨の中を駅前のバス停まで歩いて
行った。

「あのう、並んで座っても良いですか?」
 まだバスが来ていなかったが、キラ星は気になってそう聞いて来た。
「ええ、それは構いませんよ。歩く時に気を付けて貰えさえすればね」
「分かりました。良かったです。へ、変な事とかはしませんから、だ、大丈夫です」
 聞き様によっては何ともいやらしく聞える事を言った。

『逆に俺にいやらしい事をしろと言っている様にも思えるぞ、そんなにどもったんじゃ。何と言うのかな、自然に
男を誘惑している様な感じだ。
 ある意味とても上手だな。しかしこれほどの美女がどうして一人なんだ? 彼氏がいないというのも、何か変だ
な……』
 昇はキラ星が一人でいる事に疑問を感じたのだった。その直ぐ後位にバスが来て二人は乗り込んだ。 

「終点ですから後ろの方の席に座りましょうよ」
 キラ星は随分積極的にものを言う。
「うん、その積りだ。鏡川さんは窓際の席に乗れば良いよ。俺は通路側にするから」
「あのう、鏡川じゃなくて、キラ星って言って下さらないかしら? キラちゃんでも良いですけど。私も昇さんって言
いますから」
「そうだな、それじゃあ、キラ星さん、どうぞ窓際へ」
「はあい、昇さん!」
 キラ星はかなり甘ったるい調子で返事をした。また誤解されそうな感じである。昇はもう注意する事は止める
ことにした。
『兎に角早くやり過ごそう』
 と思ったのである。

 だが、如何にも無造作にキラ星は座って、胸は大きく揺れ、魅力的な太腿が更に一層、露(あらわ)になった。
『林果に詳しく説明しないと。しかし理性が、ううむ、参ったな……』
 昇は自分の下腹部が反応し始めている事を悟って、焦りも感じていた。
『うっかり触ってしまったら終りだ。この女の餌食になりそうな気がする。しかし拙いぞ、下半身が言う事を聞い
てくれない』
 昇はかなり困っていた。しかもキラ星は昇の心理状態をほぼ見抜いている様だった。

「ふううん、暑いわねえ……」
 大して暑くもないのだが、わざと昇の耳元で甘ったるく囁く。
「ま、まあね、車の中だからだろうね」
 昇の心は理性と情欲との間で戦っていた。
「私はちっとも構わないんです、昇さんとだったら、アレしても……」
 尚も耳元で囁き、誘惑の追い討ちを掛けて来る。しかもさり気なく、スカートをほんの少したくし上げた。暑い
からそうしたのだと言い訳出来る程度に。昇の理性が吹き飛んでしまう寸前まで来た。

「ピポピポピポピポ……」
 幸か不幸かケータイが鳴った。慌ててポケットからケータイを取り出して、仕方無しに通話する。バスの中では
当然拙いのだ。
「昇、夕飯はどうするの?」
 母親からだった。
「今帰るから頼む。じゃ!」
 他の人達の手前もあって、たったそれだけで切ってしまった。しかしそのお陰で煮えたぎっていた昇の情欲は
一気にトーンが下がってしまったのである。

「お、お母様から?」
 余り表情を変えずにキラ星は言った。内心は歯軋(はぎし)りして悔しがっていたかも知れない。
「ああ、夕飯の事は言ってなかったからね」
「そう。それでその、お仕事はどちらなんですか?」
 キラ星は戦略を変える事にした様である。

「えっと、言い忘れていたけど、近所のスーパー、フラワー梅ノ木店なんだ。レジ打ち、チェッカーなんだよね。明
日一日は特訓で、明後日から本格的に仕事が始まると思う」
 本当は言いたくなかったのだが、隠して置いたりすると、ばれた時にまた泣かれそうで怖かったのだ。
「ええっ、それじゃあ、毎日お会い出来るかも知れませんね。うふふふっ、何だか人生がバラ色に思えて来まし
た!」
 キラ星ははしゃいで言った。
「そ、それは良かったね。お、俺も楽しみだよ」
 また言ってしまった。
『お、俺はどうなっているんだ? この女が好きになってしまったのか?』
 昇は自分の心が分からなくなってしまった気がしていた。

 バスは終点の梅ノ木団地、『フラワースーパー梅ノ木店前』に到着した。厳密に言えばスーパーからは少し離
れているのだが、交通の情況などから道路の幅の広い位置に、終着のバス停はある。そこがそのまま始発の
バス停にもなっていた。

「ちょっとだけ家に寄って行きませんか? お手間は取らせませんから是非」
 丁寧に誘われては断れなかった。
「ああ、少しだけならね。余り遅くなると母が心配しますから」
 昇はやんわりとエッチの誘いは断った積りである。

「ええ、分かっていますわ。ちょっとだけ寛いで行って頂ければそれで宜しいのですから。だってちゃんとお詫び
していませんもの。それに是非お見せしたいものも御座いますし」
「は、はあ。お見せしたいものって?」
「ふふふふ、それは見てのお楽しみですわ」
 キラ星は実に楽しそうに笑って言った。

『あれだけ泣いた人がねえ。しかしキラ星さんの家族ってどんな人達なんだろうな? まさか俺を紹介する時に、
彼氏だなんて言わないよな……』
 昇はすっかりキラ星のペースに巻き込まれて、身動きが出来なくなっている事を痛感していた。偶然も味方し
たとはいえ、実に巧みに誘い込まれているのだ。

 しかし逆に言えばその巧みさが、男にとってはストレスになる様な気がして来た。
『何かこう、息苦しさを感じる。これじゃあ、付き合っても何年も持たないな。そっか、それで一人なんだ。多分何
度か振られているんじゃないのかな? だから尚更必死なんだ。でも俺に彼女が居る事は無視しているぞ』
 昇は徐々に冷静さを取り戻して来ていた。

 昇の家とは全く逆の方角だった。昇がこの方向を嫌うのは、通っていた高校に近くなるからである。図書館で
話し合った通り、高校の裏門の向かいの辺りから少し横道に入って行く。
「ここには入って来た事がないな。直ぐ近くなんだけどね。何だか別世界に来たみたいな気がする」
 確かに何か雰囲気が違うのだ。

「ここですわ。小さな家で恥かしいですけど」
 そう言うと、キラ星は顔を赤らめた。本当に恥かしいのだろう。確かにこじんまりとした二階建ての家ではある
が、そう恥ずかしがるほどではないと昇は思った。
 昇の家に比べたらずっと新しく綺麗な家である。ただ良く分からないのは、横書きの表札に『SH<鏡川>』と
なっている事だった。

「えっと、このSHって何ですか?」
 ごく自然に昇は聞いてみた。
「ああ、家は『スーハー教』なんです。スーハーの頭文字を取って、SHを付けているんですけど、最近ではSH教
とも言っているんですよ。あの、スーハー教はお嫌いですか?」
 玄関の鍵を開けながら、ちょっと心配そうにキラ星は言った。

「いや、別に。家は一応仏教という事になっているけど、殆ど形式的なものだし、一部の人達みたいに、特に敵
視はしていませんから」
「ちょっと安心しました。じゃあ、どうぞお入り下さい。靴は脱いで下さいね。一般的な日本の住宅と同じなので、
SH教だからと言って、特別な事は余りないんですのよ」
「それじゃあ、お邪魔します」
 昇は恐る恐る部屋に入った。考えてみれば家族構成など何も聞いていなかったのだ。

「どうぞそこに足を伸ばして座って下さい」
 通されたのは、ごく普通の畳敷きの部屋の中心に、やや大きめのテーブルのある居間だった。座布団を渡さ
れて、それに胡坐をかいて座った。

「普通の日本のお宅と何も変わらないんですね。噂だとSH教というのは、特別な部屋を作る事になっていると
か、聞いていたんですけどね」
「うふふふ、それは幹部の人達の場合ですわ。私の様な一信者じゃあ、そこまではとても行きませんわ。あの、
今、お茶とお茶菓子をお出ししますから、ちょっとだけお待ち下さい」
 キラ星は普通の顔に戻ってそう言った。外に居る時とは、随分違う印象だった。

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