夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
26
「それとあのう、済みません、普段着に着替えますので、もう少しだけお待ち下さい」
キラ星は余り待たせては悪いと思ったのか、せわしなく動いて、隣室に行って、地味な感じの色の、しかしやっ
ぱり丈の頗る短いミニスカートと、同様に地味な感じの色のブラウスとを着て現れた。お盆に網カゴに入れた駄
菓子風な物と、茶碗二つと急須とを載せて来たのである。
「今ガスでお湯を沸かしていますから、その間に少しお話致しましょう」
キラ星は昇と向き合って膝を崩して座った。昇はちょっとドキリとした。キラ星の普段着姿はそれはそれでなか
なか色っぽいのだ。昇は
『兎に角お茶を一杯飲んだら帰ろう! 何と言うのか、エッチしたい気分が高まってしょうがないよ。これも作戦
なんじゃないのかな?』
と、疑心暗鬼(ぎしんあんき)に駆られた。
「ああ、それじゃあ、キラ星さんの家族の事を聞きたいんだけど、良いかな、聞いても」
昇はエッチから離れる方向に話を持って行こうと思った。
『もしここで情欲に負けたら、林果に会わせる顔がない。それだけはだめだ。例え泣かれても認める訳にはいか
ない!』
昇は己を厳しく律する事にした。誰よりも林果が大切だった。
「……、五年前は家族四人この家で仲良く暮らしていました。でも、両親は海外で亡くなりました。旅行中のバス
の事故でした。今は妹と二人で暮らしています。
妹は東京に出て働いています。私はこのうちを守りたいので、残っているんです。ここは両親の言わば形見の
様なものですから。
SH教には両親が亡くなった後に入りました。とても辛かったので、何かにすがり付きたかったんだと、そう思っ
ています。ああ、済みません、お湯が沸いたみたいです」
キラ星はしんみりと話をして、悲しげな表情のまますっと立ち上がって台所に行った。それだけなら何でもない
事だったのだが、布地の材質のせいなのか、皺になったスカートがそのままになっていて、下に降りなかったの
である。座っていた昇に太腿の奥の白いものがチラッと見えた。
『い、今パンティが見えたぞ! 知らずにやったのか? それとも意識的に?』
昇はまだまだ油断出来ないと思った。
『いっその事帰ってしまおうか?』
そうも思うのだが、
『やっぱり失礼かな? パンティが見えたのはたまたま偶然かも知れないし……』
そう思うとなかなか踏ん切りがつかなかった。
「お待たせ、それで今は女の一人暮らしなんですのよ。正直言って夜は少し怖いんです。いいえ、昼でも一人
でいると、何か不安で。
それでその、無理なお願いかも知れませんけど、時々はこうして遊びに来てはくれないでしょうか? 時々来
て頂けるだけで、随分心丈夫ですわ」
お湯をポットに入れて持って来たキラ星は、急須の蓋を外してお湯を注ぎながら、駄目元で言っている様であ
る。
「うーんと、たまにだったら、良いですけど。スーパーのアルバイトがどうなるのか、まだ分かりませんしね」
昇は逃げ道を考えながら言った。
『確かに気の毒だし、出来れば応援してあげたいけど、かなり難しいぞ。安請け合いは出来ないな! それに
百パーセント信用出来ない様な気がするんだよな。
さっきはパンティが見えていたのに、戻って来た時には、ちゃんとスカートを直してあった。これはどういう事な
んだろうな? 気が付いて慌てて直したのか? そんなに慌てている風には見えなかったぞ』
「粗茶で御座いますがどうぞ、うふふふっ」
昇が迷いを感じている事に気が付いているのかどうか、キラ星は緩やかに笑って、お茶を勧めた。如何にも
庶民的な抹茶入り玄米茶だった。昇の家でも同じお茶を飲んでいた。
「それじゃあ頂きます。ああこれも美味しいですね。一口最中、ですね、うん、旨い! お茶は抹茶入り玄米茶
なんですね。家と同じだ。メーカーは違うかも知れませんけどね」
「昇さんのお宅でも抹茶入り玄米茶を飲んでいるんですか?」
「はい、玄米茶は香りが良いし、抹茶は色も良いですけど、健康にも良いと聞いていますからね」
「うふふふふ、同じ事を考えていますわ。それにその割には安いですしね」
「ははははは、本当はそれが一番の理由だったりして」
「あはははは、昇さんって、結構面白い事も言うんですね。とても素敵です。私、大好きです!」
ドサクサに紛れた感じでキラ星は本音を言った。
「あ、は、その、ええと、……」
昇は自分に彼女がいる事を言うべき時が来たと思った。
「あの、何か?」
「好いてくれる事はとても嬉しいんですけど、俺には彼女が居るんですよね。知っているんじゃないかと思ってい
たんですけど……」
確かにキラ星は林果を知っている筈である。
「はい、薄々は。でも、お一人で、『マリナー』に来られたので、てっきり別れたのかと思いました。わ、別れては
いなかったんですか?」
さっきまでの笑顔は消え失せて、相当に深刻な顔に二人ともなっていた。
「仕事の都合でそうなっただけですから。俺達は愛し合っています。それじゃあ、今日はこの辺で、失礼致しま
す。どうもご馳走様でした」
昇は帰り掛けたが、
「あ、その、見せたいものがあるのですが、ちょっとだけお待ち下さい」
キラ星は最後の切り札を出す感じだった。
「な、何でしょうか?」
昇は、
『まさか自分の裸を見せたいなんて言うんじゃないだろうね?』
困った事に、彼の本能はそれを期待してもいたのだった。
「あのう、これです」
その期待は一瞬で消し飛んだ。少し古い感じの一冊のノートだった。
「ええっ! こ、これは!」
ノートには番号と名前だけが書いてあった。しかしその名前は、宝本賢三だったのである。
「bX8 宝本賢三。……一冊も残っていなかった筈の先生のノートだ!」
一応素早く中身を捲(めく)って見てから、
「他には無いんですか?」
そう聞いてみた。
「はい。処分したのは、……私です。もう随分前に燃えるゴミとして、出してしまいました」
「な、何だって! どうしてそんな酷い事をする!」
昇の表情は一層険しくなった。
「申し訳ないのですが、私は殆ど事情を知りません。ただ、沢山あったノートを全部処分しろと言われただけな
んです。でも、何か引っかかるものを感じたので、一冊だけ取って置きました。
どのノートを残そうとか考えた訳ではありません。たまたま手にしたそのノートをこっそり隠しておきました。昇
さんが女の人と一緒に『マリナー』に来た時に、宝本賢三っていう名前が出たので、ひょっとするとと思っていま
した。事情は良く分かりませんが、大事な物だったんですか?」
キラ星は申し訳無さそうな顔になった。
「ああ、俺にとっては最高に大切な物だった。でも知らなかったんだったら仕方が無い。一冊だけでもあって良
かったよ。これは俺が貰って置くけど良いよね?」
昇は厳しい表情で言った。
「はい。ただ、私から貰った事は秘密にして欲しいんですけど。教団の幹部に知れたら、厳しい処罰を受けるこ
とになりますから、その、ううっ、お、お願いします」
キラ星はちょっと涙声で昇に哀願した。
「分かった、秘密は守るよ。ところで処分を頼んだのは誰なんですか?」
「申し訳ありません。それは言えません。幹部の一人としか言い様がありません。それでお許し下さい、うう
うっ!」
キラ星は更に涙ぐんで言った。よく泣く女だと昇は思ったが、宗教団体の厳しい処罰が、どれほどのものなの
か、およそ想像が付くだけに、きつい事は言えなかった。
「そうだな、これは隠して持って行く事にするよ。シャツの下に入れてね。じゃあね。また近い内に会えるだろう
から、宜しくね」
「きっと会いに来て下さいね。あ、あの、うううっ、な、何でもありません……」
キラ星は今にも泣き崩れそうだった。昇は胸を締め付けられる思いだった。
「ああ、これは、ノートのお礼だ。チュッ!」
キラ星のほっぺに軽くキスをして、昇は彼女の家を出たのである。それで精一杯だった。接吻をしようとも思っ
たが、それでは自分の情欲に火が点いてしまって、抑えられそうもなかったので止めたのである。
「ただ今、ああ、おなかが空いた」
「遅かったわね。お風呂も沸いてるけど?」
母の水江は遅くなった理由を敢えて聞かなかった。
『自分から言うまで、待ちましょう』
ちょっぴり昇の気持ちを察し、温かく見守る姿勢が出来て来た様でもある。
「だったら、先に風呂に入ってから食べるよ。超特急で入るから、少し待っててくれよ」
「はいよ。じゃあ、待っているから」
「うん」
昇は着替えを取りに行く振りをして、ノートを自分の部屋に置いてから風呂に入った。本当に超特急で上がり、
夕食後、じっくりと持って来たノートを読み始めたのである。
『ふんふん、成る程。先生と二人でワインを飲んだ時に、『存在定数』の話も出たんだけど、宝本先生がそれに
気が付いたのは、随分後の事だったんだな。
ええと、究極的には『唯一化概念(ゆいいつかがいねん)』か。しかし他の諸学問との整合性は相当に難しい。
やはり先生も困難な事を認めている様だ』
昇は基本的に間違っていない考え方であっても、前途は決して容易ではない事を痛感した。
『このノートがラストという事では無さそうだけど、終りに近いんじゃないのかな? とすれば何とか『続・未来教
室』は開けそうな気がするけどな。
しかし数学や物理学じゃお手上げだしな。でも、多少の提言は出来るんじゃないのか? ただ問題なのは相
変わらず自分自身の存在のその先だよな。
自分自身が何処かに存在していたとしても、それを自分で認識する事の出来る装置、『感覚装置』をどう作る
かだ。いやいや、それ以前に物質をどう作るのかだ。ふーーーむ!』
昇はじっと考え込むが、諦めの境地になる。
『それが問題なんだが分かりそうもないぞ。しかしそれは後世の人の課題とすれば良いじゃないか。そうだな、
何もかもやろうとしても無理だ。俺は俺の出来る事をやって良し、としよう!』
かなり深夜までノートを読み、考えてから、やっと眠りに付いたが、現実の問題はさておき、何か明るい希望を
持てて眠れたので、気分は割合に良かったのである。