夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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『さて、30分経ったぞ。それでは意識スイッチを入れよう。博士・通信、博士・通信、……』
意識スイッチとは、一定の簡単な言葉や映像を思い描く事によって発生する、脳内の電流をコンピューターが
識別する事によってスイッチが入る仕組みである。
普通の人間でも測定装置をつけて、脳内電流の流れを測定すれば十分に可能なことである。しかし、これもサ
イボーグの強み、その様な測定装置も頭蓋内と、直結する内臓の一部とに装置があって、胸部に埋め込んで
ある、通信機器のスイッチが入る仕組になっている。
「ああ、待っていましたよ。聞こえますよね?」
瞬時に博士からの返事があった。
「はい、良く聞こえます。それで早速で悪いのですが、食料をお願いしたい。食機能がある事を忘れていました
が、今直ぐ出来れば何か食べたいのですがねえ」
「はははは、いや、こちらこそ気が付かなくて悪かったよ。私もついうっかり忘れていた。じきそちらに行きます
から、その時にパンとミルクだけですが持って行きますから。
あと三十分ほど待ってくれませんか。待てますか? もしきつかったら、誰かに届けさせますが。今どうしても
決めておかなければならない事がありますのでね。それが決ったら、直ぐ行きます」
「了解しました。三十分待ちます。これで通信実験は終わりですか?」
通信が何の障害も無かったので当初の目的は果たされたと思ったのである。
「ああ、いや、いや、今映像を送るから、目を瞑って見てくれ給え。目を瞑った時にだけ映像が見える筈だから。
それから君は英語が苦手だそうだから、文章は日本語に翻訳したものを送るからね。
じゃあ、今から送りますよ。リアルタイムに見えた文章を読んでくれないか。それと幾つかの質問が出るから
それにも答えてくれ。
質問は送った映像に関するものだ。こちらの予想通りの映像がきちんと送られているかどうかの確認の為だ
からね。じゃあ、行きますよ」
「はい、どうぞ」
チャーリーは静かに目を瞑った。確かに目の中に映像が現れたし、下の方に日本語で文章が現れた。
「ええと、文章を読みます。『ここは京都。五重塔は右に見えますか、それとも左ですか?』、これは右です。ええ
と次は、『山が三つあります。富士山は右、左、それとも中央?』、これは左です。
これはある都市です。その都市はニューヨーク、それともパリ?』、これは凱旋門があるからパリですね。ああ、
映像が切れました」
「宜しい。実験は大成功だよ。映像は鮮明だったかね?」
「はい、小型のテレビを見ているように綺麗でした。動く映像、動画だったんですね。文字は固定してありました
が」
「うむ、勿論文字も動かそうと思えば出来たが、それでは見辛いかと思って今回は固定文字にした。今後、必要
に応じて、適宜にやるから宜しく頼むよ。ああ、じゃあ、あと三十分ほど待っていてくれないか?」
「はい、了解しました。じゃあ、パンとミルクの方、お忘れなく」
「はははは、了解!」
そこで博士の声も途切れた。
「ふう、あと三十分か。仕方が無い、また一寝入りするか。待てよ、こんな時に寝るとまたアニメの『のぼっ太くん』
に、似ていると言われそうだな。しかし誰も見ていないんだし、まあ良いか」
チャーリーは少しウトウトしながら机に突っ伏してあれこれ考え始めた。
『だけど昇一のやつも、大きくなったな。もう十才になった筈だよな。余り聞くと、林果の奴に『自分の子供だか
ら気になるのね』なんて言われそうで拙いし、聞き辛かったんだけど、考えてみれば、他人の子供の事だっ
て『お子さんは幾つですか?』位は聞くよな? よし、今度思い切って聞いてみよう。
……しかし、ダウクーガー、サイボーグの金森田が人質を取って立てこもっているって? やれやれ、もうあの
男も本当にお仕舞だな。それにしても警官の突入が失敗したとなると、今度は軍隊の突入になるんじゃないの
か? 相当の犠牲者が出そうだぞ。ううむ、俺の出る幕じゃないんじゃないかな?
……ひょっとして俺が行くのを待っているとか? まさか! いや、待てよ、大統領の指示かも知れないぞ。
大統領は俺にダウクーガーを退治して欲しいのだからな。
ああ、何か嫌な話だな、一人の男の個人的な事情に俺は利用されるのか! ええい、またタイマーをセットし
て一眠りしてしまえ!』
先ほどもしたように、またケータイの機能を使って20分のタイマーをセットして、そのまま直ぐ寝てしまった。
「プル、プル、プル、プル、……」
ついさっき寝たと思ったのだが、もうタイマーは二十分の経過を告げていたのだった。
『ええっ! もう二十分経ったのか? ふう、仕方が無いな、起きようか? はははは、博士に寝惚け顔は見せ
られないよな』
目を覚ましてみると、なお空腹感は強くなっていた。
『ええっ! まるで本当の人間みたいに腹が減っているぞ。はははは、嬉しい様な悲しい様な、妙な気分だな。
考えてみれば、食欲を感じないと言うのは、まるで仙人みたいなものだったのだからな。
しかし、幾ら食機能が回復したと言っても、所詮は作り物に過ぎない。いや、欲求は本物だけど、食べた物が
消化吸収される訳じゃないんだし、理性は虚しいと言っている。
本能は騙されても、理性は騙されないぞと、自分の心がそう言っている気がするんだよな。はははは、何とも
複雑な気分だ』
チャーリーは苦笑しながら博士とパンとミルクとを待った。
「ガチャッ!」
ドアのノブを回す音がして、博士が入って来た。
「お待たせした。先ずはこれを食べてからにしましょう。パンとミルクとそれから残り物で悪いんだがピクルスも
持って来たよ。
ああ、ピクルスじゃない、日本の京都辺りの漬物で『千枚漬け』だ。私はこれが好きでね。昔、日本に行った
時に食べてからすっかり病みつきになってね。
京都付近のお店から毎年取り寄せて食べているんですよ。はははは、個人的な好みの問題でしたな、それ
は。その、『千枚漬け』は食べますか?」
博士はチャーリーは嫌いかも知れないと思って、やや遠慮がちに言った。
「はい、喜んで食べさせて頂きます。私も好きですが、高級な漬物ですから中々食べられなかったんですよ、昔
はね。それじゃあ失礼して、頂きます」
チャーリーは早速その千枚漬けを博士の持参したフォークで食べてみた。
「美味い! 私が以前食べた物よりきっと美味しいと思います。いや、確かにこっちの方が美味しい。随分高
かったんじゃないんですか?」
「いや、それ程の物じゃないよ。まあ、余り安いとは言えないがね。ところで食べながら聞いて欲しい。先ず軍資
金なんだが、君はカードを持っているよね、まあそのカード型のケータイ電話の事だが」
「はい。そちらさんから支給された物です」
「うむ、実はそれがキャッシュと同様のものなんだよ。現金はかさばるし、何かと物騒な地上世界だからね。現
金を持ち歩くより余程安心だ」
「ええと、スーパーのレジなどで、現金同様に使えるとかいう奴ですか?」
「その通り。ただしこれは近年始まったばかりのシステムなんだが、生体認証をする事になったからね。この
カードの場合、指紋という事になっている。
まあ、君の指にもちゃんと指紋が作られているから大丈夫だろうが、万一の場合にはカードが使えない場合も
あるかも知れない。そのような時にはこちらに連絡してくれ。
ケータイは地上とノアシティとでは繋がらないから、さっき実験して成功した、脳内通信機能を使ってこちらに
連絡してくれたまえ。何とか善処する事にするからね」
「はい、分かりました。ううむ、しかしこのミルクは格別に美味しいですね。今まで飲んだ事の無い味だ」
チャーリーの記憶しているミルクの味とは一味違っていた。
「はははは、良く分かったねえ。中々の味覚だね。そのミルク、つまり日本語で言えば牛乳だが、卓越した衛生
管理で育った牛の乳で、全く熱処理をしていないんだよ。
それでも飲めるほど病原菌などの殆どいない牛乳なんですよ。まあ、これは乳牛を育てている酪農家と契約し
て、週に一回ずつ送って貰っているんですが。
それで、また少し別の話になるのですが、地上世界の事です。厄介な問題が起きて来ているのです。その要
因の一つに暑さがあげられますがね」
「厄介な問題と言いますと、何ですか?」
チャーリーはパンにマーガリンを塗りながら食べていた。それもまた中々美味かった。博士の顔の表情から、
深刻そうな話題らしかったが、美味しい食事のせいか、割合気軽に聞けた。
「街が荒れて来ているのです。特にダウクーガーのいる、裏娼妓X号館の辺りはね。小人数の盗賊団や、小人
数の強盗団などが、夜ばかりか昼にさえ出没して、人々を怖がらせているのです。
そこで、貴方には、ダウクーガーの他に、その盗賊団やら強盗団の始末もお願いしたい。虫の良い話だと思
いますが、お願い出来ますか?」
博士は低姿勢で言った。
「はい、出来ればご要望にお応えしたいのですが、しかし私がダウクーガーに勝てる保障はありませんよ。それ
でも宜しいですか?」
チャーリーは本音を言った。
「それは、もし倒せなかったら仕方がありません。勿論出来る範囲でということです。それと、マッサーズシティま
ではケッペルスターで行って貰います。いや、行って貰いたい」
「ええっ! ケッペルスターで!!」
博士の提案はチャーリーを相当に驚かせたのだった。