夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
27
翌日の午前八時から、スーパーのフラワー梅ノ木店内の事務室で、昇は簡単な面接を受けていた。バス停は、
『フラワースーパー梅ノ木店前』であるが、正式には『フラワー梅ノ木店』なのだった。
バス停の方は通称であるが、ご近所の人達は『梅ノ木スーパー』等と言っていて、正式名称など殆ど誰も知ら
ないのである。
それでも特に誰も困らずに通用しているのだから、正式名称など、実際にはどうでも良いのかも知れない。兎
も角、昇の今後にとって重要な面接が始まっていた。母の水江には
「梅ノ木スーパーのレジ打ちの面接が八時からあるから。採用されたら帰りは夕方位になる。不採用だったら、
もう一度ハローワークに行ってみるよ。どっちにしても昼食は外で取って、夕食は家で食うから」
と、簡単に言ってある。
「うん、わかったわ。それじゃあ頑張ってね。お風呂も入れておくから」
「ああ」
母と息子の会話はそれだけだったが、それで事足りている。
面接は店長と昇の勤務する予定のチェッカー部の女性の主任、それとこの地域のフラワーグループの統括
責任者が当った。
「店長の鈴木免吉(すずきめんきち)です。先ずここを選んだ理由を聞かせて下さい」
「はい、何と言っても場所が近い事です。それに勤務時間がほど良い事です」
「成る程、簡単明瞭ですね。長時間同じ場所に立っているのは辛いですよ、耐えられますか?」
「前にコンビニでアルバイトをした事がありますから、大丈夫だと思います」
昇は無難に面接をこなして行った。
「チェッカー部主任の、鮎原(あゆはら)メグミと申します、スーパーの場合、コンビニよりかなり売っている物の
種類やパターンが多岐にわたっていますけど、大丈夫ですか?」
「は、はい大丈夫だと思います。慣れれば何とか……」
「まあ、若いですから大丈夫でしょうね。おほほほほ……」
三十代後半のメグミは妙に嬉しそうに笑った。
「この地域のフラワーグループの統括責任者を任されている、岩中善文(いわなかよしふみ)と申します。先ず手
を見せて下さい」
「は、はい」
善文は奇妙な事を言った様に昇には思えた。兎に角両手を差し出して見せた。
「あああ、男としては、なかなかに綺麗な手ですね。スーパーのお客さんは主婦が多いですからね。余りに手が
汚いとちょっとねえ。それと君は、ピアスとか指輪とかするのかな? それから刺青(いれずみ)はどうかな?」
「ピアスとか、指輪とか、それと勿論刺青もですけど、余り好きではないので、一切していません。これからもす
る積りはありません」
昇は明快に答えた。
「それじゃあタバコは?」
メグミは昇の顔を見詰めながら聞いた。
「全然吸いません。お酒は少し飲みますけど」
「強いの?」
すかさずメグミが聞いた。
「余り強くないです」
「そう、それは良かった。あああ、いいえ、別に何でもありません」
妙な言い方をメグミはした。
「じゃあ、少し席を外してくれないか? 五分ほどで採用不採用が決まるから。五分経ったら、戻って来てくれ
ないか、ここにね」
店長がおもむろに言った。
「はい、それじゃあ、失礼致します」
昇は頭を下げてから部屋を出た。その態度で既に採用は決定していた。過去の例からして、昇の態度は礼
儀を弁(わきま)えていると判断された。
部屋を出て行く時に、何も言わなかったり、頭を下げる事など真っ平だ、といった態度を示す若者も少なくな
かったのである。面接官の三人は雑談をして時間を過ごしたけだった。
「コン、コン!」
六、七分して昇が部屋に戻って来た。
「ああ、どうぞ」
事務室に招き入れられた昇は、店長から採用を言い渡され、レジ打ちのチェッカー部門、鮮魚部門、果物野
菜部門、総合食品部門等々幾つかの部門を挨拶回りして、早速、レジ打ち等の特訓が始まった。
指導したのはメグミである。新人の指導は専ら彼女の役目の様であった。先ず客に対する応対の仕方から
始める。開店は午前十時からなので、大きな声を出して練習出来る。
午前八時という早い時間の面接には、開店前の客のいない時間に、声を出す練習の為でもあったのだ。ここ
でもコンビニでのアルバイトがものを言って、昇はそつ無くこなす事が出来た。
コンビニでの経験はどちらかと言えば助手に近かったので、本格的に一人でやるのはこれが初めてである。
コンビニよりも一回り大きい程度の店なのでアットホームな感じに近かったが、店員が二人位しかいないコンビ
ニと違って、人間関係がギクシャクしている場合がある事をまだ昇は全く知らなかった。
スーパーとしては小さい方なのだが、意外に店員が多いことに、昇は勤めてみて初めて知った。それに部門が
違えば時として赤の他人の様な関係になる事も知る事となった。
今時のスーパーでは殆どの商品にバーコードが付いていて、それを機械で読み取って、スーパーカゴに商品
を移し変えて行くのだが、ややこしい割引の場合がある。
10円引きや20円引きの他に、10%引き20%引き等があって紛らわしい。またバーコードの付いてない物
もあり、更には、同じ商品であっても、国産と外国産とで、一方にはバーコードのシールが貼ってあり、一方に
はシールが貼っていない場合等がある。
大抵区別する為に、例えば野菜等ではテープで巻いてあるものと、無い物とで分かる様になっているのだが、
うっかりすると混乱してしまう。
しかも値段の付け方にミスが有る場合もあり、それらを臨機応変に瞬時に判断するのは結構大変で、ベテラ
ンといえども気は抜けないのである。
午前中一杯で昇は一応特訓は終った。午後からは先輩に補佐されながらの実戦である。その前に休憩室で
昼食を取る事になった。勿論全員が一緒に昼食を取れない事は、首になった万田屋スーパーの方で経験済み
である。
「ねえ、彼女とか居るの?」
スーパー内で売っている弁当を買って食べている昇に、明け透けに聞いて来たのはチェッカー部門主任のメグ
ミだった。
「まあ、一応……」
昇は答え難そうに言った。
「そ、そうよね、うーん、残念だわね。でも、彼女を一人に限定する必要は無いと思うけど。若いんだし、エネル
ギーが余っているんでしょう? ふふふ、あっちの方も」
メグミはまるで自分を誘って欲しいと言っている様だった。
「いや、それはその……」
昇は答えに窮した。
「あはははは、冗談よ。でも一応言って置きますけど、私は独身ですからね。バツイチだけどね。でも子供はいな
いのよ。気楽に付き合えるわよ」
何とも積極的である。
「お前、音楽は好きか?」
少し離れて座っていた、果物野菜部門の青年が話し掛けて来た。
「まあ、少しは」
「ロックは好きか?」
「どうも、ロックはちょっと……」
「ふん、生っちょろいな。そんなんじゃ、レジ打ちの厳しさについて行けねえぞ!」
と、何とも奇妙な警告を受けた。
「何を言ってんのよ、岩城山(いわきやま)さん。あんたいい加減ピアスとか止めたらどお! 下手すると首にな
るわよ!」
昇に味方したのは総合食品部門の小池多美(こいけたみ)だった。
「ふん、うるせえんだよ、ババア!」
「なな、何ですって! 三十そこそこの女性に向って、ババアとは何よ!」
「あ、あのう、喧嘩は止めましょう。止めた方が良いですよ」
昇は冷や汗を掻いて、喧嘩を止めさせようとした。
「分かったわ、昇ちゃん。お姉さんが大人気(おとなげ)なかったわね。まあ、こいつの首は決定的だから、騒ぎ
立てすることも無かったのよね、はははは」
多美は侮蔑的に笑って、岩城山悟(さとる)を見下した。
「ふんっ!」
悟は鼻を鳴らしただけで、反論はしなかった。
『ひょっとして、多美さんの言っている事は本当なのかな?』
昇は悟が少し気の毒に思えたのだった。間も無く昼食休憩も終わり、メグミにアシストをして貰いながら、実際
にお客の応対をしながらのレジ打ちの実戦練習に入った。
「レタス158円、お刺身盛り合わせ980円、蛍光管870円、食パン二十円引き138円、たらこ三十パーセント
引き278円、……」
昇は殆どノーミスで終了した。分からない事は即座にメグミに聞いてうまく対応出来たのである。
「へーっ! 凄いわね。大きな声じゃ言えないけど、昇ちゃんの先輩達よりもずっと上手よ。素晴しいわよ!」
メグミは感嘆して、しかし誰にも聞かれない様に耳打ちしたのだった。
午後四時、その日のレジ打ちの仕事は終った。
「じゃあ、明日から、このスケジュール表に従って仕事をして頂戴。それじゃあ、さよなら」
メグミはコピーした一週間分のスケジュール表を昇に渡すと、暇がありそうな事を言った割にはいそいそと
帰って行った。
「お先、失礼します」
昇も他のチェッカー達に頭を下げ、別の部門の店員達にもやはり頭を下げて帰宅したのである。昇は梅ノ木
スーパーの店員達には概ね好評だった。
帰宅して風呂に入り、夕食時に梅ノ木スーパーで採用が決まったことを報告すると、先ずは一眠りした。表向
きは平気そうにしていたのだが、本当は随分気を張っていて、相当に疲れていたのである。
直ぐに寝入ってしまったのだった。二時間ほどの仮眠で済ませようと思っていたのだったが、目が覚めたのは
翌日の夜明け前だった。