夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「この、のろま!! 全くサイボーグが聞いて呆れる。普通の人間より遅いぞ、このどん亀!!」
 その直後に、ソータローは日本語で散々罵りながら追い抜いて行ったのだった。この時既に二周遅れになっ
ていた。
『ははあ、日本語だと誰にも分からないと思ってのことなのかな、ふふふふ。確かにさっきまではのろまだった
な。全然やる気が無かったしね。しかし今度はそうは行くまいよ。ソリャッ!!』
 全力を挙げなかった自分に少し腹が立ってもいたが、今は何より尿意の解消が第一だった。

「ギュギュギューーーーンッ!!」
 チャーリーのスピードは直ぐにはアップしない。今は少年の一人舞台のようなものだった。途中で空高く舞い
上がり、空中回転や捻り技、或いはそれらの複合技などを披露しながらの競技となった。

 それでもソータロー少年のスピードは平均時速百五十キロを超えていた。全然勝負にならないと確信してい
たので、今度は更に一際高く何度も捻りを入れながら舞い上がって見せた。その時だった、
「失礼ですが、お先しますよ。バイバイ!! ああ、後一周遅れておりましたね。でも、直ぐに追いつきますか
ら安心して下さーーーい!!」
 チャーリーも日本語で多少からかい気味に叫んで抜き去って行ったのだった。

「な、なにっ!!」
 驚いたのはソータロー少年ばかりではない。
「オオオオーーーーッ!!」
 俄か少年応援隊になっていた、雇われ観衆達もそうだったのである。チャーリーのスピードは時速にして二
百キロを超えていたのだ。
 それは場内の電光掲示板に表示されていた。二人の速度は、リアルタイムに表示されるシステムになってい
たのである。

「く、くそう!!」
 ソータローは唇を噛み締めて、本気で走り出した。ついに彼の走りも時速二百キロに達した。
『このままだったら逃げ切れる。あと十周の辛抱だ!』
 そう思いながら、電光掲示板の数字を読む。
『ゲッ! 何だって! 二百五十キロ!! 信じられない!!』
 ソータローも全力を挙げて、自己新記録の二百二十キロをマークしていたのだが、それよりも遥かに速い
スピードで追いついて来る。

「つい先ほどまでとは、別人の様な走りです。チャーリー選手、腕を振ることの出来ないハンディをものともせ
ず想像を絶するスピードで、ぐんぐんソータローに追いついて来ています。
 残りはあと五周! あああ、もう追いつきそうです。ウオオオオオーーーーッ!!! じ、時速三百キロ!!
残り四周の時点でもう並び掛けている。
 ソータローも必死で逃げる。彼の記録も凄いぞ、二百四十キロをマークした。あああ、しかし、あっと言う間に
抜かれてしまいました」
 司会者とは別に実況中継専門の男のアナウンサーが少し大袈裟に騒ぎ立てる。場内のスピーカーでその声
が流されると、尚興奮が掻き立てられるのだ。良くある演出の一つだった。

「あと、三周、あと二周、あああ、ソータロー君ここで力尽きたようです。途中でのパフォーマンスで体力を消耗し
てしまったのでしょう。
 高速で走る為には、バランスを取るのに相当の体力が必要だと聞いております。あああ、ソータロー君時速
百キロを切ってしまいました。疲れ切っています。ああ、とうとう一周遅れてしまいました。
 チャーリー選手、ブッチギリで、ただ今ゴーーーールッ!!! 凄い、凄いぞチャーリー選手。君こそ正しく
超人だ!!」
 実況を担当していたアナウンサーは大興奮で叫び続けていた。ここに至っては意識的に大袈裟にしていた
のではなく、全くの本心になっていた。
 予想外の展開だった事も、会場内の興奮を呼んだのである。時速三百キロを超えてしまうことは誰一人、
当のチャーリーさえ予想していなかったことだった。

「ウオオオオーーーーッ!!!」
 チャーリーが余力で会場を一周すると場内では再び大歓声が上がったのだった。一方、敗れた、ソータロー
少年にも温かい拍手が送られた。

「いやはや、たまげました。まさかこの様な展開になるとは夢にも思いませんした。それにしてもチャーリーさん、
どうして最初は亀だったんですか?」
 司会のアンディが聞いた。

「ああ、何か気分が乗らなかったんですよ。でも、必要に迫られましてね。それはそうと、……」
 チャーリーは小声でトイレの場所を聞いたのである。
「あはははは、一番近いのはあそこにありますよ」
 アンディはチャーリーの本気の走りの意味を理解した。トイレは会場の中の何箇所かに電話ボックスの様に
立っていた。結構数は多い。

「いやあ、ソータロー君残念だったね。油断があったのかな?」
 チャーリーがトイレに行っている間に、アンディはソータローに敗者の弁を聞いた。
「ひ、卑怯だ! 走れない振りをして、わざとゆっくり走って油断させるなんて!」
 ソータローは素直に負けを認めなかった。

「いやあ、それは無いでしょう。何だったら、もう一度走りますか?」
 アンディはたしなめるような言い方をした。
「そ、それは。……、またこの次に挑戦します。ううっ、し、失礼します」
 生意気な少年は、多少は礼儀をわきまえている様である。目に涙を浮かべながら静かに去って行ったの
だった。

「いや、失礼しました。あれ、ソータロー君は?」
 トイレから戻って来たチャーリーはソータローがまだ居ると思っていた。
「ああ、たった今しがた帰りました。正確に言うと、選手控え室に戻りました。実はお二人が走ったこの周囲の
コースを外さない限り外には出られないのです。
 さてこれからコースを外すのですが、その間少しお休みして頂きましょう。コースは全部外すのではなく、外
と行き来が出来るように、何箇所かを外すだけなので休憩時間は三十分ほどです。
 その間、どうぞお仲間と一緒にコーヒーブレイクでもなさっていて下さい。時間が来ましたらスタッフが迎えに
参りますから。チャーリーさん達の休憩所はあそこのテントの中です。直ぐ近くにトイレもありますから」
 アンディがそう言うと間も無く、会場中の明かりが灯されて、すっかり辺りは明るくなった。巨大な氷柱はまだ
まだ健在だが、風が無くなって暑さがぶり返して来たのだった。

「ふう、暑い、暑い! ああ、失礼します、また後ほど!」
 アンディはハンカチで汗を拭き拭き去って行った。
『やれやれ、ここでやっと三十分のお休みか。次はパワー競技だったな。一体何をする積りなのかね。まあ、
兎に角休むか』
 相変わらずの格好でいたが、
『休憩時間にまでこの格好をする必要は無いよな』
 そう思って、ミニハングライダーとローラースケートを外して、ハングライダーは右脇に抱え、スケートは左手
に持って、指示されたテントに向かった。足には靴下を履いているだけだったが、
『スタッフの人に後で頼む事にしよう』
 そう気軽に考えていた。

「ガン、ガン、ガン、ガン、……」
 さっそくコースの一部の取り外しが始まった。あちこちで一斉に始めたので工事現場の様な賑やかさになっ
た。テントの中に入ると直ぐに、ミニハングライダーとローラースケートを空いているテーブルの上に置いた。
中には正美、キャロル、ゲルク、それにアシスタントのキャシャーンが居た。

「お疲れ様でした! うふふふ、何かと大変でしたわね」
「お、お疲れ様」
「あ、ご苦労様」
「ああ、ご苦労様でした」
 チャーリーを四者四様に出迎えた。正美は元気良く、ゲルクは慎重に、キャロルは少しおどおどして、キャ
シャーンは丁寧な感じだった。幸いにも、スタッフが気を利かせたらしく、靴下や靴はちゃんと用意してあった
ので直ぐそれを履いた。

「あの、私はこれで失礼します。チャーリーさん、この後も宜しくお願いします」
 三人を案内して来ていたキャシャーンがどこか辛そうな表情で帰って行こうとした。
「はい、あれ、でも、キャシャーンさんは、アシスタントでしたよね、司会のアンディさんの」
「はい、そうですが、それが何か?」
「急に側からいなくなったので、どうしたのかなと思いましてね。気分でも悪くなったんですか?」
 チャーリーは何気なく聞いた。

「ひ、酷い事を仰いますね。そこまで皮肉を言わなくても良いでしょう!」
 キャシャーンは当てこすりを言われたと思った。いや、そう信じた。
「えっ! いや、そんな積りじゃないんですけどね。はははは、参ったな、こりゃ。随分俺は嫌われたのかな?」
 チャーリーには相変わらず事情が飲み込めない。

「し、失礼します! 全く、何て人なの!」
 怒ってキャシャーンは帰って行った。
「はははは、一体何を怒っているんだ、彼女は?」
「さあ、何でしょう、さっぱり分かりませんわ。さっきまで向うの席で私達と一緒だったんですけど、それからここ
に私達を連れて来たのですけどねえ、何でしょうか?」
 正美は相変わらず元気に答えた。

「何か誤解があるんじゃないんですか? 偉大な人物であればあるほど、誤解される事が多いと聞いた事があ
りますからね」
「誤解ねえ。俺が何かしたかな。少なくとも彼女に悪戯とか一切していないと思うけどね。はて?」
「チャーリー様にとっては何でも無いことでも、彼女にとっては辛い何かがあったんじゃないんですか? 何と
無く分かります。チャーリー様は偉大過ぎますから」
 キャロルは何とも慎重に気を使って言った。

「さあさあ、そこの自販機から買って来た、冷たいコーヒーはいかが? 特にチャーリーさんにはまだまだ頑張っ
て貰わないといけませんからね」
 何時の間にか正美は走って行って自販機から缶コーヒーを仕入れて来たのである。本来ならその様な事は、
秘書のキャロルの仕事なのだが、彼女はチャーリーに恐れを感じて萎縮してしまっていた。
 行動力が極端に落ちていたのである。正美はこれ幸いと、チャーリーに少しでも気に入られる様にあれこれ
気を回していたのだった。 

「ふう、正美さん、中々気が利くね。ああ、美味しい。味覚が戻って来て本当に良かったよ。ええと、お代は幾
らだ?」
 チャーリーがそう言うのを待っていたかのように、
「そうねえ、パフォーマンスを見せて下さいな。そうすれば無料にしますわ。いいえ、お釣が来るわね。この缶
コーヒーの空き缶を縦にぺしゃんこに潰して貰えないかしら?」
 正美はキャロルにチャーリーを完全に諦めさせる為にわざとそう言ったのである。

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