夏 休 み 未 来 教 室 


                                              春 野 夢 男

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「な、何いっ! それがどうした! い、いや、いかん。息を大きく吸って、ゆっくり吐いて、それから、いうべきこ
とをはっきりと言う」
 ウェイターは直ぐ怒鳴り返したかったのだろうが、途中から妙な事を呟いて深呼吸をし始めた。

『ええっ! これはSH教の教え?』
 チャーリーは直ぐ気が付いた。正美にも直ぐ分かったらしく、二人は顔を見合わせた。二人とも元SH教の
信者である。
 暫く遠ざかっていたから半ば忘れていたが、カッとなった時には一回深呼吸をしてから話すと言う、SH教
独特の教えは無論よく心得ている。

「チャーリー・クラストファーと言うと、現大統領のいとこか何かですか?」
 深呼吸の甲斐あって、ウェイターは穏やかに言葉を返した。
「まあ、そのようなものですが、今の深呼吸からすると、失礼ですが貴方はSH教の信者ですか?」
 チャーリーも出来るだけ穏やかに言った。

「いや、違います。ああ、そうですね、ひょっとしてかつてのSH教ゆかりの方ですか?」
「はい、もう随分前に辞めましたが、元SH教の信者です。あのう、かつてのSH教と言うと?」
 意味が良く分からずに正美が聞き返した。

「ああ、そうだったのですか、それでは最近私共の信じる、信念教との合併はご存じなかったのですね?」
「ええ、信念教と合併!」
 チャーリーはかなり大きな声を出して驚いた。曲がりなりにも自分が代表者だった事があるからショックも
大きかったのである。

「はい。SH教は元の代表者が金森田玄斎と言う、とんでもない悪党である事が分かってから落ち目だったの
ですが、ごく最近その男がダウクーガーだと言うことが分かってから、もう翌日には空中分解したようです。
 それから僅か数日で我が信念教と合併しました。合併と言っても実質的には吸収されたと言うべきでしょう。
元々我が信念教はSH教と親しい関係にあったようなので、善良なSH教の信者達ともうまくやれています。
 信念教の代表、石淵信念大先生はSH教の良い点も学ぶ価値があると仰って、今の様な深呼吸を指導さ
れたのです。現在は『信念SH教』と言っておりますが、さっそく役に立ちました。
 以前の私だったら、もうあなた方と殴り合いの喧嘩をしていたでしょう。本当に素晴しい教えです。ところで先
ほど数人の黒人の若者が大声を出して店を出て行きましたが、あれはどういうことなのでしょうか?」
 ウェイターはすっかり落ち着いて話した。こうなるとキャロルの立場が無い。

「あの、わ、わ、私、何か言い過ぎましたわ。御免なさい」
 チラッとチャーリーを見てからウェイターに謝罪した。
「いえいえ、こちらこそ、事情も知らずに一方的に注意したのは拙かったと反省しております。お客様を相手
に失礼致しました。申し訳御座いませんでした」
 ウェイターは事情を聞く前に謝罪した。

「ああ、いや、さっき逃げて行った、連中は、ナイフを突きつけて金を出せと私を脅したんですよ。まあ、強盗
ですね。
 ただ、私も多少腕に覚えがありまして、ちょっと懲らしめてやったら、ほうほうの体で逃げて行ったという訳
なのです」
「ええっ! それでは、チャーリー様は被害者だったのですか。知らぬ事とはいえ、これはこれは、重ね重ね
申し訳御座いませんでした。
 私は全く逆に考えておりました。爆弾でも見せ付けて脅したのかと、全く早合点でした、本当に申し訳御座
いません」
 ウェイターはひたすら謝り続けたのだった。結局、昼食代は彼の驕りという事になった。

「いや、中々美味しい。これから撮影があるからお酒は飲めないのだけど、景色も素晴しいし、こんな所で、
美味しいご馳走を食べながら、ワインでも飲めれば最高だね」
「ええ、今夜の予定が全部終ったらまたここに来て、夜景でも眺めながらワインを飲みましょうか?」
 チャーリーの言葉を受けて正美が提案した。

「それが良いわね。じゃあ、今夜は十時ごろここで夜食にしませんか?」
「そうだな。明日は一応休養日で、仕事は夕方からだから、朝はのんびり出来るしね。ただ、さっきウェイター
の人の言っていた、SH教とか信念教って何処の宗教なんですか? 正美さんとそれからチャーリーさんも
知っておられたのですよね?」
 キャロルは何事も無かったように言った。ゲルクも了承したが聞き慣れない宗教名の事が気になった。

「昔、私は日本のSH教の信者だったのよ。でも金森田に嫌気がさして辞めたのよ。ただ、チャーリーさんは、
その、あの、アメリカ支部の信者だったのよね、一時」
「あ、ああ。相変わらず記憶ははっきりしないのだけど、確かにこっちの支部の信者だったと思う。辞めたの
は正美さん同様金森田に嫌気がさしたのだという気がする」
 チャーリーは正美にうまく話しを合わせて誤魔化したのだった。ゲルクとキャロルは一応納得した。チャー
リーが言い難そうにしていたので、それ以上の追求はしなかったのである。

「どうも、ご馳走様でした。それでは今夜また十時頃にお邪魔しますから」
「はい、お待ちいたしております」
「それじゃ、また来ますから」
「今日は失礼な事を言って申し訳御座いませんでした」
「いえいえ、こちらこそ」
 チャーリー一行は午後一時頃、ホテルのレストランを出て、徒歩十分ほどの競技場に到着した。外は相変
わらず暑い。
 直ぐ冷房の効いている控室に行って、一休みすると、チャーリーはローラースケートを持って競技場内の
所定の場所に行った。
 勿論、正美、キャロル、ゲルクの三人も付き添っている。今回はチャーリー用の着替えも勿論の事、ロー
ラースケートの予備や下着、タオルなども十分に準備済みである。

「天気予報は今日は一日晴れると言っていたわ。撮影の方頑張ってね」
 正美が言うと、
「チャーリー!!」
 別の所から女性の声が掛った。一行やコマーシャル撮影のスタッフが一斉に振り向くと、ショートパンツに
ランニングという軽快な服装でキャシャーンが声を掛けて来たのだった。

「あのう、ちょっと困りますね。ここは関係者以外立ち入り禁止の筈ですよ」
 スタッフが顔をしかめて言った。
「ふふふふ、ちゃんと許可は取ってあるわ。邪魔をしないように見学するだけなら良いと、了解を取ってあり
ますから。彼とは近い内にテレビドラマでご一緒する事になっていますからね。
 スポンサーが同じですから、そちらの社長さんが快く了承して下さいました。今そこに行きます。その人達
と一緒に待機していますから大丈夫ですわよ」
 キャシャーンは飛び跳ねるようにして素早く走ってやって来た。足は女性としては相当に速いようである。

「チッ! 邪魔者が来た!」
 あからさまに言ったのはキャロルだった。
「まあ、随分なご挨拶ね。今日は本当は休みだったのですけど、いとしのチャーリーがここに居ると聞いては、
じっとしていられませんからね、ふふふふ」
 キャシャーンはニコニコ笑いながら言った。

「キャロル、喧嘩は困るよ。仲良くしなくても良いが喧嘩はするな」
 またチャーリーは命令した。
「はい。チャーリー様がそう仰るのなら絶対に喧嘩だけはしません」
 キャロルは命令されると落ち着く様である。その後は本当に静かに行動した。

「じゃあ、皆さんは、こちらの指示に従って行動して頂きましょう。それではチャーリーさん、スケートを履いて
こちらへ来て下さい」
「はい。今行きます」
 チャーリーは持って来たスケートに履き替えると、靴はキャロルに管理を任せて、滑りながらスタッフの後を
追った。スケートの乗り方は更に上手になって、普通に歩くことさえ出来たのだった。

「ああ、少し、髪型や衣装なんかも何回も換えて撮影いたしますから。やって頂く事は同じなのですが、十二
通りのパターンで撮影します。
 それじゃメイクさん達お願いします。撮影は時間がありませんから、同じスタイルで三回ずつ写して行きま
す。全部で三十六回の撮影ということになります」
 チャーリーは簡易理髪店の様な、野外のテントの中に作られたイスに座って、髪型や顔のメイク、それから
衣装も取り替えて所定の位置に立たされたのである。

『何だ、着替えするんだったら、ローラースケートを履くことは無かったし、こっちであれこれ支度する事もな
かったな。下着まで取り替えることになっているなんて聞いて無いぞ』
 何か連絡不十分なようで、気分が悪かったが、これもギャラの為だと思って我慢する事にした。

『それにしても、どうも良く分からないセットだぞ。百メートルの板張りのコースの上に、自動ドアが十個並ん
でいる。一体何をする積り何だ?』
 事前に何も聞かされていないチャーリーには何が何だかさっぱり分からなかった。

「それではただ今から第一回目の撮影に入ります。チャーリーさんにはどんどん目の前の自動ドアの方向へ
走って行って貰いたいのです。一番向うへ着けばOKです。
 一度だけですが、テスト走行をお願いします。これは撮影しませんから。さあ、どうぞ、走って下さい。ああ、
それから最後の自動ドアを抜けた後は約三十メートル板張りの床が作ってありますが、その先はマットが立
ててありますから、体をぶつけて止められれば宜しいと思います。それじゃあどうぞ!」
 そこで指示を出したのが監督らしかった。

『自動ドアを潜り抜ける、それだけか? しかし練習も何もいらないだろうよ。ただそろりそろりと歩けば良い
のだからね。速いとぶつかるしね』
 チャーリーは首をかしげながら、ゆっくりとローラースケートを滑らせて歩いて行った。だが、その様子は何
台ものテレビカメラで撮影されていたのである。

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