夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「ふう、何とかなりそうですね」
キャシャーンの運転で、キャロルとレベッカ、そして正美はホテルへ向かった。ゲルクは心を病んでいる二
人が兎も角もチャーリーの命令に大人しく従っていることに安堵したのだった。
「はい、ただ、そう長くは持たないと私は思います。私から離れている事に不安を感じるので、二時間も三時
間もでは難しいでしょう。同じホテルに居るのだったら、何日かは持つと思うのですが」
チャーリーは今までの人生経験から、彼女達の限界が大体は想像出来たのである。
「ああ、そうですか。それならどうして、彼女達と一緒に行かなかったのですか?」
ゲルクは不思議に思って聞いた。
「はい、実はお願いがあったのですよ、君にね」
「お願い?」
「そうです。彼女達を診察するか、或いはせめて電話か何かで相談出来る、精神科医を紹介して欲しかった
のですよ」
「精神科医?」
「ええ。正美は日本人で、こっちの事情に余り詳しくないと思いますし、キャシャーンは運転しなければなりま
せん。それにもし私とキャシャーンが残る事になったら、彼女達が承知しないでしょうしね、特にキャロルは」
「ああ、男性二人だったら、キャロルもレベッカも安心という訳ですね?」
「そうです。それで、知り合いの、その、口の固いお医者さんで無いと拙いんですけどね」
チャーリーは少し言い難そうだった。
「成る程、精神科医なら誰でも良いという訳ではないのですね?」
「まあ、そういう事になります。恐らくゴシップ記事の好きな連中は世界中に居るでしょうからね。その連中を
シャットアウトする必要があるのですよ。
私自身は構いませんが、彼女達が気の毒ですからね。口の軽い、或いは何でもお金にしようとする医者で
は困るのです」
「分かりました。だけどこれは推測なのですが、明日からは大変だと思いますよ。とんでもない事を言ってし
まわれましたからね、神が存在しないなどと」
「はい。覚悟しています。ひょっとすると、出演拒否があるかも知れません。キャンセルの嵐が吹き荒れても
構いません。あなた方に対するギャラはお支払いしますから。その位の収入はある筈ですよね?」
チャーリーは少し心配した。
「はい、勿論です。既にかなりの収入が御座います。それに出演拒否の正当性が認められるかどうか、こ
こは契約の国アメリカですからね。違約金を貰える可能性が高いですから」
「成る程ね。ところでゲルク君は、神の存在は信じているのかな? 正直に言って欲しいのですが」
「うーん、正直に言えば半信半疑ですね。昔の友人の中に神の声を聞いたという者が居ましたが、とんでも
なく胡散臭い奴で、今は詐欺罪で刑務所に入っていますよ。冷静に考えれば神なんて居ないのかも知れま
せんね」
ゲルクは現実的な考えを示したのだった。
「そうですか。じゃあ、もう一つ意外に思えることをお知らせしておきましょう。貴方はどんな宗教を信じてい
ますか? まあ、別に信じている必要は無くて宗教団体に属しているのかと言っても良いのですが。
ちなみに私は、自分ではSH教の信者だと思っています。余り熱心な信者ではありませんがね。ただ暫く
の間忘れておりましたが、あのホテルのレストランのウェイターと出会ってから思い出したのです。
SH教にも良い所があったとね。最も今は信念SH教と言うらしいですが。その代表者の、石淵信念という
人とは知り合いなのですよ。ただ、彼は今の私は知らないでしょうがね。私が普通の人間だった頃の知り合
いなんです」
「へえ、でも、ちょっと驚きです。神の存在を否定しながら、宗教を信じるのですか?」
「不思議に思いますか?」
「はい、普通は有り得ないと思いますが」
「はははは、やはりまだ分かっていませんね。宗教心は如何なる人間にも、従って私にもあるのですよ。だ
けどそれと神の存在とは別物だと考えています。
私が師と仰ぐ宝本賢三先生も趣味が仏像の鑑賞だった。恐らく宗教心もあっての事だったと思います。
信じられないかも知れないけど、ダウクーガー、その正体の金森田玄斎も同じ趣味を持っていたのです。二
人とも同じ趣味を持ち、同じ様に神の存在を信じていなかった。
そうでありながらその行動は全く正反対だった。極端に言えば金森田が悪とすれば、賢三先生は正しく善
だったのです」
「へえーっ! 初めて聞きました。そういう事情があったのですね。ああ、ちなみに私はキリスト教の信者と
いう事になっています。全く不熱心な信者で申し訳ないのですがね」
ゲルクはチャーリーから思い掛けない事を聞いて感慨深げだったが、その直後にキャシャーンが迎えに
来たのだった。
「ハーイ! お待たせ! 直ぐに行きましょう!」
キャシャーンは妙に急いでいたが、心配な二人の事が気になるのだろう。
「ああ、今行きますよ」
「ふう、ご苦労様ですね、キャシャーン。人気絶頂のアイドルスターの運転でホテルに向かう事が出来るなん
て、今から思えば夢みたいですよ」
チャーリーは至極あっさり言ったが、ゲルクは俄かに感激している様だった。
「うふふふ、人気絶頂はとっくに終っているわ。でも今日は夕方からお休みで良かったのよ。明日になれば、
煩いマネージャーがやって来ますからね」
キャシャーンはやや強引にチャーリーを助手席に乗せて、ちょっと愚痴を零したのだった。
「ああ、そう言われてみれば、マネージャーがいませんでしたね」
「ええ、今日はマネージャーが用事があって、遠出しているのよ。病気のお母さんがいて、容態が悪くなっ
たらしいのよね。嘘か本当か分からないけどね」
「はははは、怪しいマネージャーですね。でもそれでマネージャーが勤まるんですか?」
「ふふふふ、私がそもそも嫌いなのよ、彼の事がね。売り言葉に買い言葉で喧嘩別れに近かったのよ。マ
ネージャーの方は、自分がいなくなったら困るだろうと思っての行動の様な気がするわね。
ゲルクさん、誰か良い人いないかしら。本当の事を言うとマネージャーが必要なのよ、私一人じゃ持て余
すところなの」
キャシャーンは急に後部座席のゲルクに向かって話し掛けた。
「えっ、そ、そうですね、それって本気ですか?」
「ええ、勿論本気よ。ギャラは週千ドル、いいえ二千ドルまでなら出すわよ。他に歩合制にして、大きな仕事
を取って来たら、もう千ドルのボーナスを出すわ。その条件で探してみてくれないかしら?」
「はははは、中々美味しいお話ですね。失業中の連中が聞いたら即刻飛びつきますよ。分かりました、手
頃な人材を探しましょう。でも今の人はどうされるんですか?」
「新しい人が見つかり次第首よ。ギャラのアップを要求して来るだけならいざ知らず、何かと触ってくるし、
覗き見はするし、その上、お金を誤魔化したりもする。証拠はありませんけど貴重品も幾つか盗まれてい
るのよ。きっと彼よ。状況証拠から考えて彼しか考えられないけど、ずっと我慢し続けていたのよ。いきな
り辞められたら困りますからね。
でももう限界。本当は明日にでも首にしたいのですけど、代わりの人がいなければ困りますから。ですか
ら本気で探して頂戴。
もし良い人を紹介してくれたら、一応お礼は差し上げる積りよ、少しですけど、その、一万ドル位。少なく
て済みません」
キャシャーンは顔を赤らめて言った。本当に恥ずかしそうだった。チャーリーの稼ぎが良いのでゲルクは
相当のギャラを貰っていると思っていたのである。
「いや、お金なんか良いですよ。キャシャーンさんと一緒に少しでも居られるんだったら、もうそれだけで十
分ですよ」
ゲルクはどうやらキャシャーンのかなりのファンらしかった。
「うふふふ、有り難う、兎に角お願いするわね」
「はい!」
「はははは、交渉成立したところでホテルに着いたようですね。本当に夜だからか早かったね。これだったら
問題児達もまだ暴れては居ないでしょうよ。
ふう、お守りが大変ですが、これも自業自得ですからね。どうもパフォーマンスが行き過ぎてしまう。これ
からはもっとセーブしないとね」
チャーリーは気も重そうにホテルに入って行ったのだった。
「やあ、お待ちしておりました。いらっしゃいませチャーリー様」
ホテルの最上階にあるスカイレストランでは馴染みになったウェイターが愛想良く笑って出迎えたのだった。
「先客達は大人しくしておりますか?」
「はい、別段何事もありませんが、何か問題でも?」
「いや、待ち草臥れて、何かしでかしたかと思いましてね、まあ、子供じゃありませんから、まさかとは思いま
すがね」
「はははは、れっきとした大人のレディ達が、まさかそのようなことをなさる筈が御座いません。チャーリー様
は心配性でいらっしゃる」
「はははは、その通りでした。彼女達とは最近軍隊ごっこをしておりますので、気合を入れたりする事があ
りますが、ご心配なく。遊びですからね、大人のね」
「へえ、軍隊ごっこですか? ははははは、変な遊びが流行るものですね。はい、了承しました。皆にも伝
えておきましょう」
「宜しくお願いします」
「はい、お任せあれ!」
ウェイターは冗談に敬礼してその場を去ったのだった。
「正美さん、異常は無いかな?」
「はい、御座いません!」
正美も調子を合わせて軍隊的に起立して気をつけの姿勢でキッパリと言い切った。
「キャロル、レベッカ、こっちへ来てくれ」
チャーリーは二人をトイレの方へ連れて行った。通路が客席からは見えない位置にある。
「どうやら良くやっているようだな、これは褒美だ」
人が来ないのを見計って、二人に代わる代わるやや深いキスをした。
「今はこれだけだが、そのうちもっと大きな褒美をあげよう」
一、二分ほどで席に戻ったが、キャロルとレベッカは一時の安らぎを得た様な顔をしていたのだった。