夏 休 み 未 来 教 室
春 野 夢 男
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「お早う御座います皆さん!」
部屋をノックして五人が入ると、キャシャーンは嬉しそうに皆を迎えたのだった。
「お早う!」
「お早う御座います!」
既に顔を見合わせているゲルクとは挨拶しなかったが、他の者達には一人一人と挨拶を交わした。
「ああ、良い香だ。えっ! 味噌汁?」
チャーリーは驚いて言った。
「はい。健康に良いらしいから、私は割と味噌スープを飲む事が多いのよ。正美さんと、それからチャーリー
さんは日本人らしいですから、尚更良いと思って作ってみました。具はわかめとお豆腐よ」
「へえ、しかしよくそんな具材があったね? それに焼き魚の匂いもする。これはサーモンかな?」
「ええ、今は大抵のスーパーで日本食の具材は揃っていますわよ。それと鮭はアトランティックサーモンよ。
切り身で売っていたのを購入して来て、オーブンで焼いたんですけど。
それからご飯も御座いますわ。パック詰めのレンジでチンして温めて食べる奴を買って来たのよ。今、温
めていますから、座ってお待ち下さい。トーストも御座いますし、オレンジジュースも御座いますわよ。
それとハムエッグも作っておいたわよ。調味料もソース、ケチャップ、何種類かのドレッシングも御座いま
すし、日本製のお醤油もあるわよ。野菜サラダもね」
「うわーっ! 凄い!」
正美は感嘆した。少なくともその時は本心でそう思ったのである。
「いや、はははは、驚いたね。かなり朝早くから支度していたんじゃないのか?」
「うふふふふ、こんな事もあろうかと、前から買い置きしていたのですわ。それに私には有り難い事に親衛隊
が付いていますのよ。
私の僕になる事をいとわない数人の男性達がね。彼等に電話で頼んで買って来て貰った物もあるわ。ご
褒美は軽い抱擁とサインを書いてあげる事と、それからカメラで二人一緒に写す事ね。
勿論それ以上の事は絶対に無いわよ。そこのところは誤解のない様にして貰いたいわね。彼等はそれで
十分に満足なのよ。分かるでしょう?」
キャシャーンは手の内を晒したが、けっして淫らな行為には及ばなかった事を強調した。
「それじゃあ、お言葉に甘えて、座って待ちましょう。いや、感激ですね。もう今更隠し立てはしません。私は
本来は日本人です。
しかし変貌に変貌を重ねたのと、資金の提供をしてくれるクラストファー大統領の強い意向もあって、白人
になりました。言葉は最強の翻訳ソフトを体内に仕込んであります。
はははは、嫌気がさしたでしょう? 別に愛想を尽かしても良いのですよ、キャロルもレベッカさん貴方も
ね。別に咎めはしませんから正直な態度を取って下さい。他の人も別に構いませんよ、まあ、食事は一緒
にとっても、嫌だったらとらなくても良いですけどね」
チャーリーはじっとキャロルとレベッカの表情を伺っていた。
「あはははは、そうよね、私は何をしていたのだろう? わ、悪いけど帰らせて貰うわ。殺したりはしないわ
よね?」
レベッカは突然目が覚めた様に笑い出して、チャーリーをじっと見詰めた。恐怖心があって、一喝すれば
それで元の精神状態のおかしなレベッカに戻りそうだったが、そのチャンスを逃すチャーリーではない。
「はい、もし一人で帰るのが不安だったら誰かに送らせますよ。一人で良いですか?」
「こ、子供じゃありませんから。帰れます。その、さよなら」
レベッカはとるものもとりあえず、慌てて部屋から出て行ったのだった。
「あのう、私はレベッカとは違いますから。変な言い方ですが、私はチャーリー様の絶対の僕ですからね。さ
あチャーリー様、冷めない内に朝食を頂きましょう」
「あ、ああ、じゃあ、頂きます」
チャーリーは食事をしながら、少なくとも一人は正気にかえって良かったと思ったが、
『まだキャロルが変だし、その上キャシャーンや正美までいる。ふう、まだまだこれからだな』
そう思うと必ずしも喜べなかった。しかしお気に入りの朝食はチャーリーの気持ちを和ませたし、彼のキャ
シャーンに対する気持ちは前より確かに強くなっていただろう。
キャシャーンは大いに気を良くしていたが、正美の気持ちはどちらかと言えば不快だった。
『ふん、点数稼ぎがお上手ね!』
そう言いたかった。しかし皆の手前、罵る事も出来ずにかなりストレスが溜った様である。まだ正気に戻っ
ていないキャロルに至っては、まるでそれらの料理を、自分が作ったかのような錯覚の世界にいたのだった。
「ああ、中々美味しいわね。私の腕もまんざらじゃないわね。チャーリー様も美味しいでしょう?」
キャロルはしきりにチャーリーに甘えた。その言葉の端々に、如何にも朝食は自分が作ったかのような言
い方をしたのだった。
キャシャーンは大人である。けっして強く否定などしなかった。それがまた点数アップに繋がることを見越し
ているのだ。
「ああ、ご馳走様でした。ホテルの外は大変な事になって居るようですが、一段落したら屋上へ行きましょう
か?」
チャーリーは他の者達に危害が加えられないかとそれが心配だった。
「今連絡を待っています。ケータイに連絡が入る筈ですよ。それまで後片付けでもしていましょう」
ゲルクも大人らしい態度を見せたのである。それから食器などを片付けたり、食後のコーヒー等を飲んだ
りして、連絡を待っていた。無論何時でも出掛けられる支度はしてある。
「ああ、連絡が来ました。もしもし、はい、こっちは何時でもOKですよ。ああ、人数は一人減りましたから五
人です。それでは、宜しくお願い致します」
ゲルクは電話の主に丁寧に礼を言ってから切った。
「じゃあ、参りましょう。こちらです」
ゲルクが先頭に立って階段を登り始めた。スィートルームは最上階に近かったので、屋上へ出ることは容
易いと思われたが、普通は出られないようである。やがて行き止まりになった。鍵の必要な感じの非常ドア
があったのである。
「ガチャリッ!」
「予定通り鍵が開いています。自動ロックですので、全員が入ってからドアを閉めますからね」
ゲルクはテキパキと指示を出した。非常口に全員入ってから慎重にドアを閉めた。
「ガチャリッ!」
確かに鍵は自動でロックされた様である。
「ガチャガチャ!」
念の為にノブを回してみたが殆ど動かなかった。
「ああ、ヘリコプターの音がしますね。急ぎましょう」
確かにヘリコプターの接近する音が響いて来た。着陸寸前の様である。少し通路を歩いてもう一度階段を
登ると更にドアがあった。
「ここのドアにはキーが付いていませんから大丈夫です。何かの時の避難用に作ってあるそうですから、こ
このスペースがね」
ゲルクは説明しながら今度は無造作にドアを開けた。確かにドアはあっけなく開いた。その向うに中型の
ヘリコプターが、回転翼をゆっくり回したまま着陸して待機しているのが見える。
「急ぎましょう。マスコミは空からも来ますからね」
案の定、空中を旋回していた数機のヘリコプターが、ぐんぐん接近しつつあったのである。
「さて座席に座ったら、シートベルトを締めて下さい。それじゃ、お願いします」
ヘリコプターは観光用のものらしく、座席が二列に並んで全部で八席あった。パイロットの隣にゲルクが
乗った。その後ろにチャーリーとキャロル、更に後ろに正美とキャシャーンが乗った。
キャシャーンは途中で降りることになる。彼女の問題のマネージャーと話をつける為に、オーランド郊外の
某所で落ち合うことになっていたのだった。そこへ送って行くのでその代わりに朝食をサービスした、そうい
う形になっていたのである。
「バリバリバリバリ!」
やや大きなヘリコプターのせいかその分音も凄く、ゆっくりと上昇して行った。マスコミのヘリコプターはし
つこく後をつけて来る。
そのヘリコプターから連絡を受けたのだろう、何十台もの車がチャーリー一行の乗ったヘリコプターを地
上からも追い掛けたのである。
暫くして一旦地上に降り立って、キャシャーンは一人だけヘリから降りて、所定の場所に向かった。マスコ
ミは混乱した。仕方なくキャシャーンと再び飛び立ったヘリコプターの両方を二手に分かれて追い掛けたの
である。これもゲルクの考えた戦略の一つだった。
「ゲルクさん、中々やりますね。お陰で後をつけて来る連中が少し減りましたよ」
チャーリーはゲルクを誉めた。
「ああ、いや、まあ、昨夜、と言うか、今朝相当早い時間に、キャシャーンと話し合って決めたのです。はは
は、私は彼女のファンでして、私にとっては至福の一時でした。
行き先を言わない事も戦略の一つです。キャシャーンに幾ら聞いても私は一切言っておりませんから、絶
対に分かりません。
勿論先にリタイヤしたレベッカさんにもです。まさかとは思いますがケータイの盗聴もあるかも知れないと
思って行き先は私とパイロットしか知りません」
「へえ、随分用心深いんだねえ。いや、感心しましたよ」
チャーリーは改めてゲルクの頭の良さに感服したのだった。
「じゃあ、どこへ行くのかしら? そろそろ教えても良いのじゃありませんか?」
正美がじれったそうに言った。
「はははは、それがですね、私にも分からないのですよ。全てはパイロットの方にお任せしてありますからね。
さっき私が知っていると言ったのは、行き先を知っているのはパイロットだけだという事を知っている、という
意味だったのですよ」
ゲルクは涼しげに言ったのである。